木ノ下裕一×岡田利規×成河×石橋静河が模索する“時代の変遷とモラルの意味”木ノ下歌舞伎「桜姫東文章」 / キャストがつづる稽古の軌跡

これまでさまざまな演出家とタッグを組んできた木ノ下歌舞伎が、新たに手を携えたのは、チェルフィッチュの岡田利規だ。主宰の木ノ下裕一いわく「“日常のリアルな言葉が劇の言葉になり得る”いうことに取り組んだ点で、鶴屋南北と岡田さんには共通点を感じる」そうで、演目は南北の「桜姫東文章」に決定した。そして清廉潔白な高僧・清玄と荒くれ者の釣鐘権助に成河、家宝を無くし没落した公家の娘・桜姫を石橋静河が演じる。

初日を1カ月後に控えた1月上旬、ステージナタリーでは木ノ下と岡田、そして成河と石橋の座談会を実施。木ノ下歌舞伎恒例の“完コピ”稽古を終え、岡田版での稽古に励む面々が、それぞれが思う「桜姫」の面白さについて語った。なお特集後半ではキャストがそれぞれの目線で、稽古の様子や作品への思いをつづっている。

取材・文 / 熊井玲撮影 / 藤記美帆
ヘアメイク / 山口恵理子スタイリスト / [成河]藤谷香子、[石橋静河]ヤマモトヒロコ

木ノ下裕一×岡田利規×成河×石橋静河が模索する「桜姫東文章」

木ノ下裕一が考える、岡田利規と鶴屋南北の共通点

──岡田さんと木ノ下さんの最初の出会いは、木ノ下歌舞伎が初めて東京公演を行った、2007年の「アゴラサミット」でしょうか?(編集注:東京・こまばアゴラ劇場がかつて夏と冬に開催していた舞台芸術フェスティバル。岡田は2006年冬から2年間ディレクターを務めており、木ノ下歌舞伎は「夏のサミット2007」に「yotsuya-kaidan」で参加した)。

木ノ下裕一 そうです。ただ僕が岡田さんを知ったのはそれより前の、京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)の学生だった2004年頃で、“なんだか現代演劇にすごい人が現れたらしい”という評判が京都にも届いていて(笑)。当時は、今ほど気軽に東京に観劇にも来られなかったので、映像で「三月の5日間」を拝見したんです。それで岡田さんの演出にどハマりしまして。

岡田利規 そうなんだ。

木ノ下 その後、2006年に岡田さんが「アゴラサミット」のディレクターになられ、木ノ下歌舞伎はまだ旗揚げ間もなかったんですけど、東京公演がしたいと思って「アゴラサミット」の参加団体募集に応募し、選出していただきました。なので僕にとって岡田さんはものすごい先輩というか、今もそうですけど当時はもっと大御所という印象で……。

岡田 大御所じゃないですよ(笑)。

成河 でも木ノ下さんの気持ちはわかります。学生からしたら、そう感じますよね。

──その出会いから今公演までかなり時間が空いていますが、今回のタッグはどのように実現したのでしょうか?

木ノ下 実は、岡田さんと一緒にお仕事ができるとはまだ思ってもいなかった頃の“夢のプラン”みたいなものがありまして。その頃の僕は、岡田さんの作品は言葉が生っぽいというか、リアルな言葉が舞台に上がっているという印象を持っていたんですね。で、日常のリアルな言葉が劇の言葉になり得るということに、江戸時代で挑戦した作者のひとりに鶴屋南北がいて、岡田さんと南北は通じるのではないか、と思ったんです。また例えば「三月の5日間」では社会的な問題を背景に、若者の個人的なある数日間の話が描かれますが、「忠臣蔵」の手前に「四谷怪談」があるというような、大きな物語と“俗な営み”の対比という構造も、南北に通じるなと思ったんです。それで岡田さんにお声がけしました。

──岡田さんは木ノ下さんのオファーをどう受け止められたのですか?

岡田 うれしかったです。自分だけのプロダクションでは絶対やらないようなチャレンジになるし、自分だけではできないことができるチャンスをもらったということなので、それがうれしいなと。

“わからない”から「桜姫」を選んだ

──演目は2020年ごろに決定したそうですね。

木ノ下 はい。そのときは3本候補があって、「桜姫東文章」のほかに、お初と徳兵衛“以外の人”に焦点を当てた「曽根崎心中」と、「妹背山婦女庭訓」を考えていたのですが、「桜姫」が良いのではないかと。

岡田 「桜姫」が良いなと思ったのは、どういうものかわからない作品だから、ということが大きかったです。また「桜姫」を読んだとき、インモラルを通してモラルの問題が描かれていて、そこに自分がこの作品を扱う手がかりがあるような気がしました。モラルって時代と結びついていると思うんですね。つまり時代が変わると、モラルがどう機能するかは変わってくる。でもインモラルのほうは、“もともとダメなこと”なので、もうちょっと普遍性がある(笑)。なので、歌舞伎の物語の中で価値が置かれているものを、今見たらどうなんだろうという視点で捉え、そこにチャレンジするのは面白いことだと思いました。

──確かに(親が主君への忠義のために我が子を手にかける)「寺子屋」などは、今の観客になかなか通じないという話を聞いたことがあります。

岡田 そうだと思います。

木ノ下 でもそれはけっこう大事な話で、「寺子屋」をちゃんと読めば、単なる子殺し万歳の話ではなくて、「それで本当に良いんですか?」という批評性を持った演目だとわかると思うんですね。でも上演する側も観客も、そこまで読み込むということが難しくなってきていることはあるんじゃないかなと。

──「桜姫」は岡田さんがおっしゃるように“よくわからない”と言われがちな作品ですが、最近は歌舞伎や現代劇でもよく上演されていますね。2021年に上演された片岡仁左衛門さん、坂東玉三郎さんの共演はチケットが即日完売するなど大きな話題となりましたし、2022年に上演されたシルヴィウ・プルカレーテ演出版では男性が女性役、女性が男性役を演じていました。

岡田 これは声を大にして言いたいんですけど、今のように流行る前に、僕らは「やる」と決めていました!

一同 あははは!

左から木ノ下裕一、石橋静河、成河、岡田利規。

左から木ノ下裕一、石橋静河、成河、岡田利規。

多面的な魅力を持つ成河、芯の強さを感じさせる石橋静河

──清玄と桜姫の描かれ方はカンパニーによってさまざまですが、成河さん、石橋さんをキャスティングされたのは?

岡田 これは木ノ下くんからの提案なんですが、2人の顔合わせは面白いなと思いました。

木ノ下 成河さんとは実は以前から知り合いで、ずっと一緒にお仕事したいと思っていました。また、清玄と釣鐘権助は一人二役で演じることを前提に描かれている作品なので、もちろん二役でやらない選択肢もありますけど、二役やっていただくという目線で考えたときに、清廉潔白な清玄と荒くれ者の釣鐘権助の振り幅を両方演じることができる俳優さんといえば、もうそれは成河さんだろうと。非常にアクティブで身体能力も高く、パワーがある方としても定評がありますが、それだけじゃなくて細やかさとか神経質さ……ある意味ネチネチしたところも感じさせてくれる方で。

成河 あははは!

木ノ下 でもそれを突き抜けたときに静かな狂気に入っていく感じがある。成河さんのそんな両面が、今回の役で生きるんじゃないかなと思いました。桜姫については、実はすごく難しくて。と言うのも桜姫の見え方で作品の見え方、方向性が決まってしまうところがあるんですよね。これまでの上演では、桜姫は受け身の人間というか、掴みどころのないような、あまり意思を感じない人物として描かれてきたんですけれど……。

岡田 筋が通ったところがない、というような意味ですよね。

木ノ下 ええ。でも現代で「桜姫」をやるなら桜姫がもっと主体性を持っていることが大事なんじゃないかと。そう考えていたときに石橋さんが出演された映像作品や、岡田さんが演出された「未練の幽霊と怪物―『挫波』『敦賀』―」(参照:現実とパラレルな世界を幻視して「未練の幽霊と怪物」上演に岡田利規「とてもハッピー」)などを拝見し、石橋さんは美しさと同時に芯の強さを感じさせてくれる俳優さんだなって思ったんです。石橋さんが桜姫をやったら桜姫のイメージが刷新されるんじゃないかな、現代に生きる桜姫になるんじゃないかなと思いました。

成河 話し出すと長くなるんですが(笑)、僕が最初に木ノ下歌舞伎を拝見したのは、「黒塚」の初演でした。これがもう、めちゃくちゃ面白くて! その日がたまたまアフタートークがあった日だったので、木ノ下さんのお話も聞いて、非常に独特な語り口をされる方だなと(笑)。でもしばらく聞いていると、その独特さは専門性に基づくものだとわかり、またとても大衆的な語り口なのでわかりやすく、“開く”ということを意識されている方なんだなと感じました。そういうところがとにかく魅力的だと感じましたし、「それがつまり歌舞伎そのものなんだ」と納得しました。それから数年経って「子午線の祀り」(参照:2021年版「子午線の祀り」開幕、野村萬斎「より凝縮した“ドラマ”になった」と手応え)に出演した頃に、ちょうど木ノ下さんと僕の共通の知り合いの方が久留米でフィールドワークなどのワークショップをやっていて、そこに参加してご縁ができまして。久留米で平家物語の史跡を案内してもらったりもしました。それで、「いつかはご一緒したい」とお話をしていたところ、今回ようやく叶ったというわけなんです。

木ノ下 ありがとうございます(笑)。

成河 岡田さんは……言ってしまうと僕、ただのファンで(笑)。古くから、と言っても「ポスト*労苦の終わり」(2005年)からくらいですけど、観続けています。

岡田 わ、けっこう前からですね!

成河 空間の作り方や観客との関係の取り方が今まで観たことがない!と思い、ハマりまして、そこからことあるごとに観続けていたんですけど、自分にはない材料で作られているというか、岡田さんの作品の中で自分を生かせるイメージが湧かなかったんです。でも結果的にこのくらいの年齢になって、岡田さんとこういう出会い方ができたのはすごく良かったなと感じています。縁をつなげてくださった木ノ下さんに感謝しています。

石橋静河 私が木ノ下歌舞伎を初めて観たのは、2015年の「三人吉三」だったんですけど、当時は踊りをやっていて、演劇はまだあまり観たことがなく、俳優さんたちのエネルギーがとにかくすごいなと。ただあまりに上演時間が長くてお尻が痛くなりました(笑)。

左から成河、石橋静河。

左から成河、石橋静河。

木ノ下 上演時間5時間半でしたからねえ(笑)。

石橋 今回お声がけいただき、まさか自分が出る側になると考えたこともなかったから不安はあったんですけど、お話をいただいたのがちょうど「未練の幽霊~」が終わった直後だったので、あのとき、個人的にはすごく悔しい思いをしていたので……。

──あんなに素晴らしかったのに!

石橋 だからリベンジしたい、という気持ちもあり、出演したいと思いました。それになんだか“いい匂い”がする場所だなと思ったんですよね。どんなことになるのか全然わからないけれど、いい匂いがするから大丈夫だろうと。

──「桜姫」という作品について、成河さんと石橋さんは何かイメージをお持ちでしたか?

成河 あまり知らないまま、(仁左衛門と玉三郎が出演した)シネマ歌舞伎(参照:美内すずえが胸ときめかせる、シネマ歌舞伎「桜姫東文章」)から入りました。ただ、よくわからない話と言われますけど、僕は意外と……というか、よく話がわかって。桜姫を演じていたのが玉三郎さんだったこともあるかもしれませんが、「こういう(桜姫みたいな)人、よくいる!」と思ったんです。もちろんはちゃめちゃで言動に一貫性はないんだけど、そういうところも含めて軸がないまま流されていく人って山ほどいるんじゃないかなと。ただそんな流れに流され続けた桜姫が最後に通した筋が、お家のために我が子を殺すというところはちょっと納得できないなとは思うんですけど。

石橋 私も「桜姫」についてはよく知らなくて、あらすじを読んでも全然わからないからどうしようと思ったんですけど(笑)、稽古が始まって木ノ下さんから、この物語は「道成寺」と「清玄桜姫」と「隅田川」がないまぜになったお話だという説明を聞いて、納得がいきました。桜姫という女の人を1人の女性と考えると一貫性はないかもしれないけど、さまざまな女の人の生き方や要素が組み合わさった物語と考えるとすごく面白いなと思うようになってきました。

完コピ稽古からの、それぞれの発見

──木ノ下歌舞伎で恒例の“完コピ”稽古(編集注:歌舞伎の映像を観ながら歌舞伎俳優のセリフや動きをすべてコピーする稽古)も行われたそうですね。実際にやってみて感じたことはありましたか?

成河 木ノ下さんが、この穏やかな口調で「“完コピ”します」とサラッとおっしゃって、やることはわかっていましたが、まさか最初から最後まで、2週間で完コピすることになるとは思わなかったですね(笑)。でもやっぱり、あれがあっての今だなとは思います。

石橋 今回は岡田さんの演出を通した歌舞伎を立ち上げることになりますが、そもそも自分の身体の中には歌舞伎(の要素)はないのでその点が不安でした。でも完コピしたことで、しかも玉三郎さんの動きを知ることができたことで、ストレートなバージョン(の桜姫)が自分の身体の中に通って、そこと比較しながら演じることができるようになったのはめちゃくちゃ大きなことだと思います。

成河 歌舞伎って、一見するともう決まった型があって、それを決めて決めて決めて……とやっているように見える。僕もそういうイメージでいたんですけど、完コピをするにあたって虫眼鏡で見ていくと、1つの所作やセリフにも非常に情報量が多いんですよね。独特の言い回しもそうだし、音の高低差だったり、息の入れ方抜き方だったり、ものすごく情報量が多くて驚きましたし、それら全部コピーできたわけではないけれど、それだけの情報量が詰まっているということがわかったのが良かったです。

木ノ下 完コピの様子を拝見していて、僕もいろいろと発見がありました。例えば女郎屋に売られた桜姫は、後半で姫言葉と女郎言葉がちゃんぽんになっていくんですけど、歌舞伎では“そういう芸を持っている”ことを披露する場面という認識のされ方をしていますが、石橋さんが演じた桜姫はそのようには見えなかったんです。それは石橋さんが1つひとつ疑問をもって役を見つめていったからだと思いますが、つまり桜姫のベースは姫言葉で、でも新しく覚えた女郎言葉を“あえて使おうとする”んだけど、やっぱり語彙が足りなかったり、咄嗟に女郎言葉に変換できないところで姫言葉が出てしまう、だからちゃんぽんになってしまう人、というように見えたんです。そう思って見直してみると、玉三郎さんも確かにそのように演じているし、南北の原作にもそのように書いてあるんですね。その発見はそれまで僕にはなかったので、新鮮でした。桜姫が変わろうとしている、今自分のいるコミュニティに合わせて女郎言葉でしゃべろうとしている、という主体性があるんだと感じました。

岡田 確かに原作にも「地金が出る」ってセリフがありますもんね。

木ノ下 そうなんです。第三者が、桜姫の地金は姫言葉だって言ってるんですよね。石橋さんの取り組み方を見ていてそのことがすごくよくわかって、それはすごいことだと思いました。そこと同じ場面なんですけど、権助が桜姫に最後の最後でなぜか、吉田家の家宝の巻物・都鳥を桜姫に見せて、「これがあれば俺だって出世できる」と酔った勢いでぼろっとしゃべってしまうくだりがあります。そのまま読むとちょっとご都合主義というか、「なんでそんな大きな秘密をここで暴露しちゃうんだ!」って思うんですけど(笑)、完コピ稽古での成河さんの演技を拝見したら、桜姫が姫言葉を挟みながら話すことに対してのコンプレックスというか、「俺だってこれさえあれば出世できるんだけどね」みたいな、男のプライドをひけらかしたようにも見えるなと思いました。で、そこも確かに映像で見返してみたら、仁左衛門さんの権助もそのように見えるんです。

左から木ノ下裕一、岡田利規。

左から木ノ下裕一、岡田利規。

成河 それは、仁左衛門さんの演技を顕微鏡(のような気持ち)で見て、そんな匂いを感じたということだけなんですけどね。

木ノ下 いやいや、それは成河さんが権助を拡大して見せてくれたおかげだなと思います。お二人をはじめ俳優さんたちがすごいなって思うのは、ただ型をコピーするんじゃなくて、“私がこの役に1本筋を通すならこうだ”という筋の通し方をちゃんと見えてくるようなコピーをされているところ。なので、完コピ稽古を見てちょっと戦慄が走りました。

岡田 完コピは僕が演出をするわけではないので、木ノ下さんにお任せだったのですが、でも俳優にとってはめちゃくちゃ負荷がかかることだと思うので、これを無駄にしてはいけない、と強く思っています。完コピ稽古と今やっている稽古は、言ってみれば山の両側からトンネルを掘るみたいなことだと思うんです。僕のやり方でやっているだけではいけないところに完コピではいけると思うし、その逆もまたそうだと思うし。ただ、完コピ発表会を観て、実は自分が当初思っていた以上にテキストを直しました。

──そうなんですね!

岡田 ええ。台本で読んでいるときは「ここはカットしても良いかもしれない」と思っていたところがそうじゃないなとわかったりして。でもそれは完コピを観なければ起こらなかったことだと思います。