審査会は“けっこう怖い体験”
──昨年は、モメラスのほか、安住の地、架空畳、くによし組、ジョン・スミスと探る演劇、シラカン、スペースノットブランクが最終上演審査に駒を進めました。京都を拠点にした安住の地は、さまざまなカルチャーをミックスした作品作りに定評があり、膨大なセリフ量が特徴の架空畳は、2019年開催の「神奈川かもめ『短編演劇』フェスティバル」の「戯曲コンペティション」では最優秀作品賞を受賞しました。また、“異常で日常でシュール”をコンセプトにした、國吉咲貴率いるくによし組、“演劇を探ること”をテーマに据え、神奈川県の発掘・育成企画「マグカルシアター2019」にも採択されたジョン・スミスと探る演劇、ユーモラスな作風で社会を描く、横浜を拠点とするシラカン、そして舞台芸術のあり方を、新しい表現手法で追求し続けるスペースノットブランクと、色彩豊かなラインナップです。楫屋さんは、昨年の一次審査を振り返ってみていかがですか。
楫屋 7団体は、一次審査が始まって2時間以内に決まりましたね。コンペっていうのは、観客にとってある種の楽しみもなくちゃいけないから、似たようなものを並べても面白くない。だから同点ぐらいの場合には、スタイルが違ったものを選んで並べるようにしました。
──松村さんは、さきほど身体性に主眼を置いているとおっしゃられましたが、受賞作「28時01分」は、確かに空間における身体がセリフ以上に雄弁でした。
松村 「28時01分」はパフォーマンス、身体ありきの作品でした。セリフ自体はすごく余白があるので、台本だけ読むとかなり謎めいている(笑)。なので、稽古では俳優と、その余白を埋めていく作業をしましたね。本作は、前年の2019年にこまばアゴラ劇場で上演したんですけど、そのときは1時間くらいの作品で。短くできそうだと思って応募作品に選んだんですけど、1時間から30分にカットする作業がすごく大変でした。ただその分、初演よりも疾走感が出て、より密度の高いものにはなったと思います。
──妊娠・出産がテーマですが、妊婦の主人公が、隣人夫婦から「お腹の赤ちゃんをくれないか」と迫られるシーンが繰り返される、悪夢的な内容です。
松村 私が初めて妊娠したときに書いた戯曲なんですけど、妊娠中、すごく悪夢にうなされたんです。イギリスだと、プレグナンシードリームっていって、“妊婦は悪夢を見る”ということが一般的らしいんですけど。なので当時は、それこそゴールの見えない、闇が深い感じで書いていましたね。ただ出産後は冷静になり、また感覚が大きく変わりました。妊娠期をもう一度振り返りたい、という思いもあったので、再演は良い機会でした。
──上演審査当日は、ほかの団体の上演はご覧になられましたか?
松村 自分たちの上演準備のため、すべての作品は観られなかったんですけど、半分は観ました。楫屋さんがおっしゃっていたように、スタイルが全然違っていましたね。もちろん自分の作品が一番面白いとは思っているんですけど、ほかの作品も別の点で優れている部分があり、どの団体がグランプリを獲るのか、最後までわからなかった。審査会は客席から参加していたのですが、けっこう怖い体験でしたね(笑)。
楫屋 僕は審査会の司会をやっていたんだけど、モメラス一抜けというわけではなく、最後までどの団体が受賞するかわからないという状態でした。審査は審査で非常に面白かった。
──松村さんにとって、印象的だった講評はありましたか。
松村 すごく緊張していて、審査内容についてはほとんど覚えていないんですけど……(笑)。ただ審査員の方々が「クオリティが高い」と言ってくださったのは、すごくうれしかったですね。本番直前まで稽古をして、いかに強度の高いパフォーマンスを舞台に上げるかに懸けていたので。
楫屋 無観客での上演ってどうでした?
松村 最初は「無観客だと感じが変わりそう」と考えていたんですけど、関係者や審査員は客席にいらしたので、正直無観客という感じはしなかったです。そもそもコンペ自体、普通の公演よりもお客さんとの距離がある気がしていて。だから、もしかしたら無観客でもあまり影響はないのかもしれない。あ、でも演者に聞いたら、また違う意見が返ってくると思います(笑)。
今年の「演劇コンペティション」は、バラバラで面白い
──今年の「戯曲コンペティション」の最終候補作品と「演劇コンペティション」の出場団体が出そろいました。「演劇コンペティション」には、昨年に続き安住の地、ジョン・スミスと探る演劇、シラカン、スペースノットブランクが登場するほか、「テアトロコント」や、五反田団主催の「五反田怪団」「新年工場見学会」などに参加してきた劇団アンパサンド、京都を拠点に、“問いの同時代性”を主眼に創作する劇団なかゆび、元宝塚歌劇団の秋草瑠衣子とSNATCHの後東ようこによるPUNK BANKが、最終上演審査に挑みます。
楫屋 バラバラで面白いですよ。「演劇コンペティション」は昨年から6割くらいに応募数は減ったんですけど、それは仕方ないと思っています。また「連続出場はいかがなものか」という議論もありましたが、内容が良ければいいだろう、ということでまとまりました。
──松村さんは、受賞後のインタビューで「この100万円がなければ、活動休止に追い込まれていたかもしれない」と語っていました。この1年、新型コロナウイルスの影響で、作品発表の機会を失ったり、公演中止によって金銭面の負担が増えたりと、アーティストのさまざまな苦境を耳にするようになり、アワードやその賞金の意味合いも、昨年とは変わってきているのではないかと思います。
松村 私の周りにも、苦しんでいる作家さんや俳優さんはたくさんいます。なので、コンペに出るとか賞金を得るということが、より切実になってきたように感じますね。今回出場される皆さんには、後悔しないよう、自分のベストを尽くしてほしいです。
楫屋・松村の思わぬ“つながり”
──楫屋さんは、「かながわ短編演劇アワード」を今後も継続させていきたいとおっしゃいました。これからどんなアワードに成長していってほしいですか?
楫屋 僕は、ここでカンパニーを育てる、という気はまったくなくて。例えばこのアワードの賞金を元に、自分たちだけでやっていけるようになってほしい、という願いがあります。日本には、若いアーティストを金銭面でサポートするような体制が整っていないから、このアワードで、資金調達としての機能も達成できればと思っています。
──松村さんは、記念すべき第1回の受賞団体ということで、今後も「かながわ短編演劇アワード」の歴史に名を残すわけですが……。
松村 あまりそういうふうに捉えていなかったのですが、確かにそうですね……(笑)。私、神奈川県で生まれて、演劇を始めたのが、横浜市のテアトルフォンテなんですよ。演劇クラブのワークショップがきっかけだったんですけど……。
楫屋 ……テアトルフォンテって名前、私が提案したんですよ。
松村 え!? そうなんですか!
楫屋 30年くらい前かな。泉区だから、イタリア語でフォンテ。横浜市が、区に1つずつホールを作るということになったとき、如月小春がネーミング委員の1人で、彼女にその名称を薦めたんですよ(笑)。
松村 すごい……。私の演劇漬けの人生は、フォンテから始まって、その流れで岡田さんとも出会いましたし。神奈川で演劇を始めたという意味でも、「かながわ」と名がつくコンペの第1回を獲れたことはうれしいし、ぜひ続いていってほしいです。