2023年まで開催されていた「かながわ短編演劇アワード」が、2024年から「かながわパフォーミングアーツアワード2024」の名前でリニューアル。“演劇”に限らず、身体性を伴う舞台芸術作品が幅広く対象とされ、今回はDANCE PJ REVO、世界劇団、サンロク、老若男女未来学園、譜面絵画、神田初音ファレルが参加する。ステージナタリーでは、全6団体にインタビューを実施。3月16・17日に行われる最終審査に向けた意気込みや、今後の目標を語ってもらった。
取材 / 熊井玲文 / 櫻井美穂
「かながわパフォーミングアーツアワード2024」は身体性を伴う舞台芸術作品を幅広く対象として、30分以内の作品を募集するアワード。前身となる「かながわ短編演劇アワード」の演劇コンペティションと同様に、事前審査により選定された出場団体が、KAAT神奈川芸術劇場 大スタジオで作品を上演する。また神奈川県内の高校生を対象に行われた22世紀飛翔枠選抜大会で上演権を勝ち取った、神奈川県立厚木高等学校演劇部と日々輝学園高等学校横浜校演劇部も、審査対象外のオープン参加として出場する。審査委員には稲葉賀恵、小崎哲哉、笠松泰洋、楫屋一之、ひびのこづえ、矢内原美邦、山田うんが名を連ねている。
グランプリを獲得した1団体には100万円に加え、神奈川県立青少年センター スタジオHIKARIでの上演権が贈られる。さらに、俳優、ダンサー、演出、振付、各分野スタッフ等の個人1名に与えられるMVPの獲得者は20万円、オーディエンス賞を獲得した1団体は神奈川県立青少年センタースタジオHIKARIでの上演権を獲得。なお3月17日公演は、オンライン配信される予定だ。新たな表現の可能性を模索する団体の闘いを、劇場で、オンラインで、目撃しよう。
DANCE PJ REVO
“ミニマルハードコア”から“エクスペリメンタルヒップホップ”に
──DANCE PJ REVOは、振付作家・ダンスアーティストの田村興一郎さんによるセルフプロデュースユニットです。環境問題や社会問題といった骨太なテーマを取り扱った作品を、豊かな身体表現を用いて立ち上げていますが、活動の発端はどこにあるのでしょうか。
田村興一郎 ダンスを始めたのは、高校時代です。「ダンスってカッコいいな、ストリートダンスがやりたいな」と、ダンス部に入部しました。入部したときは「ストリートダンスを教えてくれる」という約束だったんですけど、結局3年間、メインでやっていたのはモダンバレエでした。新潟県の高校だったこともあり、男性部員もほぼ僕だけで。チアダンス用のポンポンを持たされたりして、ちょっと騙されたな、と思ったこともありますが(笑)、一生懸命ダンスに向き合っていた先輩たちには憧れていました。ストリートダンスは独学でやっていましたね。
──高校卒業後は京都造形芸術大学(現:京都芸術大学)に進学し、在学中にDANCE PJ REVO(当時の名称は京都造形芸術大学 Revo)を立ち上げます。
田村 今でこそ“振付をする人”というイメージを持たれることが多いのですが、入学したばかりの頃は、「作りたい」というより「踊りたい」という欲求のほうが強かったです。作り手に回ったのは、もっと踊りたかったのに踊る場が少なかったから。1年生の秋頃から、コンペティションやフェスティバルに応募するようになり、卒業前には「横浜ダンスコレクション」(現:「ヨコハマダンスコレクション」)で賞をいただくことができました。そこで、自分は作り手としての道に向き合ったほうがダンスを続けられるのかもしれない、と思うようになり、気づいたら10年経っちゃいました。
DANCE PJ REVOを立ち上げた初期の頃、ある人から「ミニマルハードコアだね、君は」と言われたことがありまして。きっと、一見シンプルで静かなものに見えるけど、内側に小さいサイズで過激さが秘められている……という印象を受けて、そこに面白さを感じてもらえたのかなと思っています。でも作風というか、取り扱うテーマはこの10年で大きく変わったと感じていて。作品を作り出した当初は、抽象表現が多かったと思うのですが、今は、もう少しストレートパンチ的な作品が多いというか。自然だったり、宇宙といった、人間が抱えきれないようなスケールのものをテーマに、作品を作ることが増えてきました。
──今回「かながわパフォーミングアーツアワード2024」で発表される「STUMP PUMP YOKOHAMA」は、2018年に京都・鞍馬山を襲った大型台風をテーマにした作品です。
田村 「STUMP PUMP」は、2019年に兵庫・ArtTheater dB 神戸で初演、2022年に東京・吉祥寺シアターで再演して、劇場で上演するのは今回が3回目です。100個以上の空の段ボール箱を使ったパフォーマンス作品で、段ボール箱を運ぶ動きだけで構成されています。この作品は、京都に在住していた頃、鞍馬山での倒木を目の当たりにしたことがきっかけとなり、その倒れている木々を起こすようなイメージで作りました。積み重なった段ボールはやがて倒れ、再び積み重ねられるのですが、その動き自体が“労働している身体”とオーバーラップしていき、また舞台上の事象自体が、何度倒れても起き上がる現代社会のメタファーにもなっています。お客さんには、人間の底力だったり、生きるエネルギーを感じていただければと思っています。
──“YOKOHAMA”バージョンとして、作品を変更する部分はありますか。
田村 今までにないことをしようという思いは、今のところありません。ただ、かねてからKAAT神奈川芸術劇場 大スタジオで「STUMP PUMP」を上演したいという思いはあり、それがアワードに応募した理由の1つです。あの空間と、「STUMP PUMP」のテーマはすごくハマると思うんですようね。
──アワード自体は、もともとご存知でしたか?
田村 拝見したことはないですが、前身となる「かながわ短編演劇アワード」時代から知っていました。一昨年、Von・noズとMWMWがコラボしたMWnoズが優勝した話を聞いたとき、無知ながら恐れ多いですが、演劇界が大きく動いたような感覚がありましたね。今回、“パフォーミングアーツアワード”に名称が変更されたことで、アワードが、ダンスでも演劇でもない、新しいフィールドを作りたいという自分のスタンスとも合うと感じ、応募しました。
──今後の目標を教えてください。
田村 コンテンポラリーダンスという枠の中でもない、新しいパフォーマンスを作っていきたいと思っています。2年前にロンドンで開催されたフェスティバルの告知映像で、自分のパフォーマンスが“エクスペリメンタルヒップホップ”という表現で紹介されていて、その新しいワードに、仲間みんなですごく盛り上がりました。僕、ヒップホップのテクニックを持っているわけではないのになんでだろう、と思って、ヒップホップについて詳しく調べてみたら、主に理念と精神的な部分ですごく共感し、腑に落ちて。道がないなら自分で道を切り拓き、自分だけの名前を付けていくしかないのですが、これからは“エクスペリメンタルヒップホップ”を掲げながら、自分の道を作っていきたいですね。
プロフィール
DANCE PJ REVO(ダンスピージェイレボ️)
田村興一郎(企画・振付・演出・構成・宣伝美術)によるプロデュース公演カンパニー。2011年、田村が京都造形芸術大学(現:京都芸術大学)在学中に設立。ダンステクニックをベースに、新たな身体パフォーマンスへの取り組みを目指している。
世界劇団
精神科医であることは、創作の原点
──世界劇団で代表を担う本坊由華子さんは、現役の精神科医で、2023年に、三重・津あけぼの座プログラムディレクターにも就任されました(参照:世界劇団・本坊由華子が津あけぼの座プログラムディレクターに就任)。医者と演劇の二足のわらじを履いて、活動されていますね。
本坊由華子 実はこのインタビューを受けている現在も、病院にいます。もちろん休憩中ですよ(笑)。世界劇団は、元々は愛媛大学医学部の演劇部として、1990年に結成された劇団です。私が在学中に10代目団長となり、現在は私のプロデュース集団として、公演ごとに全国各地からスタッフや俳優を集めて作品を上演しています。
──本坊さんは、大学入学前から演劇に関心があったのでしょうか?
本坊 高校ではテニス部でしたし、大学に入るまでは演劇をやったことはありませんでした。ただ、子供向け演劇のボランティアスタッフをやっていた、演劇好きの母親の影響で、子供の頃から演劇はジャンル隔てなく観に行っていましたね。大学に入って、何か表現活動がしたいと思い、演劇部に入ったのは、そのバックボーンが影響していると思います。
世界劇団は、現在は私のプロデュース団体となりましたが、私が入ったばかりの頃は、鴻上尚史さんの作品など、既成戯曲を上演していました。私のオリジナル作品を上演するようになったのは2013年頃で、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を原作に、ダンス作品っぽく立ち上げたものが、初めての演出作品でした。そこから短編作品を書くようになり、大学を卒業後、研修医時代に初めて長編を書き始めました。
──ご自身が精神科医であることと、創作はつながっている実感はありますか?
本坊 私にとって、精神科医であることは創作の原点です。平日は医者として、閉鎖病棟と呼ばれる病棟で、長く入院されている患者さんたちの診察もしているのですが、私が作品を作るとき、絶対にその患者さんたちを観客の対象に入れていたいという思いは強くあります。現実的な問題として、彼らは劇場に足を運ぶことができないのですが、お金にも時間にも余裕がある人しか劇場に行けないという状況は変えていきたいですね。
──「かながわパフォーミングアーツアワード」の存在は、どのように知りましたか?
本坊 2015年に、同じく神奈川県が主催していた「劇王 天下統一大会2015 ーベイシティロワイヤル in KAAT」に四国代表で出場した経験があり、それ以来、神奈川県が主催している同様のフェスティバルには注目してきました。演劇は総合芸術で、上演こそ評価する場が必要なのに、日本では上演に向けられた賞が非常に少ないですよね。なので、上演を多角的に評価する「かながわパフォーミングアーツアワード」は、なんて良い企画なんだと、感動しながら応募しました(笑)。
──上演される作品は、本坊さんと青年団の石松太一さんの二人芝居です。作品の企画書では、“人間が生き物に原点回帰する身体の物語”とのことで、特に音楽性が際立った作品になるそうですね。
本坊 近年、ムー・テンジンさんという音楽家の方と一緒に創作していて、すごく影響を受けています。なるべく、戯曲のプロットの段階から相談に乗ってもらうようにしているのですが、いただくアドバイスが自分にない発想のものばかりで。正直、最初はちょっとムーさんが何を言っているのかわからなくて、とりあえず言われたことを全部メモしておくことしかできなかったのですが(笑)、脚本を書き直す段階で、「あ、ムーさんはこういうことが言いたかったんだ!」と理解し、よりブラッシュアップできるようになりました。演劇人からのフィードバックももちろんありがたいのですが、やはり思考回路が似てきてしまうので、意識的に自分にない物差しを持っている他ジャンルの方から話を聞くようにしています。
また、音楽が心地よく聞ける仕組み作りについても、ムーさんの力を借りて、かなり高い技術で立ち上げられていると思っています。音楽とセリフが喧嘩してしまうことが多かったのですが、そこを俳優の声と音楽の周波数をあえてずらして調整してくれるんです。それから、演者としての意識も変わりました。昔は、音楽に負けないように大きな声を張り上げていたのですが、ここ2・3年では、音楽に勝つ必要もないなと思えるようになって。ちゃんと音楽を立たせながら、俳優のセリフが自然にそこにあるように演出しています。
──今後の目標を教えてください。
本坊 2024年の目標は、自分なりの“身体言語”を作る、ということです。これまでは、身体性の高い俳優からヒントをもらうことが多かったのですが、これからは俳優にあまり依存しすぎずに作品を作っていきたくて。今年はダンサーさんと作品を作る企画も進んでいます。なるべく創作の期間をたっぷりとって、自分の課題と向き合いたいですね。
プロフィール
世界劇団(セカイゲキダン️)
愛媛大学医学部演劇部を母体とし、医師と医学生の劇団として結成された。現在は、精神科医の本坊由華子が代表を務め、公演ごとに俳優を集め公演を行うプロデュース劇団として活動を行っている。
サンロク
ゆくゆくは日本全国に
──サンロクは、福島県双葉郡大熊町に在住している佐藤真喜子さん、千葉県松戸市と京都府京都市との2拠点に在住している松﨑義邦さん、兵庫県豊岡市に在住している山田遥野さんで構成された演劇ユニットです。全員が俳優で、松﨑さんは東京デスロック、山田さんは青年団にも所属されています。ユニットはどのような経緯で結成されたのでしょうか。
松﨑義邦 かまどキッチンという劇団に客演したときに、佐藤と山田と共演したことがきっかけです。かまどキッチンの稽古がある時期は、それぞれが東京に集まって参加していたんですけど、ここ(東京)じゃないところで生活している人たちと一緒に時間を過ごして、東京で、ものを作っているっていう状況が不思議だけど面白くて、東京じゃなくても集まっちゃえば演劇できるんじゃね?って思いました。それでどうせだったらそれぞれが生活している地域で演劇を作って上演するのはどうだろう、と2人に提案し、サンロクを結成しました。そこから、2023年3月に「3人いる!(大熊町ver.)」(原作:多田淳之介「3人いる!2017年ver.」)を、8月に豊岡市で「三本足で山を登る」を、いずれもその土地のリサーチを踏まえたうえで上演しました。
──3人に共通点はありますか?
松﨑 佐藤と山田の共通点は、私からの誘いに、二つ返事で「やりましょう!」と乗ってくれたところです(笑)。3人の共通点は、それぞれが、住んでいる土地に愛着があること。自分たちが生活をしている場所で、その土地に住んでいる人たちと関わりながら演劇を作ってみたらどうなるんだろうという興味を全員が持っています。大熊町では佐藤が、豊岡市では山田が中心になって、住人の方々にインタビューしたり、フィールドワークの機会を設けてくれたのですが、そこで出会った方々が、公演に足を運んでくれて。初めて演劇を観る方も多かったのですが、皆さんから「関われて良かった」と声をかけてもらったのはうれしかったですね。改めてこの活動を続けていきたいなと思いました。
──「かながわパフォーミングアーツアワード」では、松﨑さんが構成・演出、サンロクの3人がテキスト・原案を担う「三本足で山を登っている!」を上演します。豊岡市で上演された「三本足で山を登る」と名前は似ていますが……。
松﨑 「三本足で山を登る」は、豊岡出身の冒険家の植村直己さんの冒険館でのレクチャーパフォーマンスと、3人それぞれのソロパフォーマンスで構成されていましたが、「三本足で山を登っている!」はまったくの別物になります。タイトルは、「3人いる!(大熊町ver.)」と「三本足で山を登る」を強引に合わせました。大熊町と豊岡市、2つの土地での上演を終えたときに、漏れてきた言葉がありました。それをバーっとスマホに書き出してみたり、これまでのクリエーションで佐藤が書いたテキスト、山田から聞いた話を並べたら、戯曲のような形式になりました。それをメンバーに見せたら、「せっかくだから上演しましょうよ」という流れになり、今回のアワードに応募したんです。神奈川県横浜市は山田が育った街だったので、「ちょうどいいね(笑)」って感じで。
アワード自体は、「かながわ短編演劇アワード」より前の「神奈川かもめ短編演劇祭」時代から知っていました。“パフォーミングアーツアワード”と名称が変わったことについては、これから考えます。あくまで場所(横浜)に惹かれたので。
──住んでいる場所はバラバラですが、稽古はどこで行われるのでしょうか。
松﨑 今回、豊岡市に住んでいる山田が出演できなくなり、代わりに福島県伊達郡国見町に住んでいて、俳優の原田つむぎさんに出演してもらうことになりました。私以外の2人が福島県在住なので、稽古は福島県で行うことになりそうです。稽古は国見町で行う予定なのですが、作品の中にももしかすると、場所のエッセンスが入ってくるかもしれません。サンロクの方針として、「地域で作る」はこだわり続けたいと思っています。
──団体としての、今後の目標を教えてください。
松﨑 結成して1年目は、“ユニットメンバーが普段生活をしている土地で上演を行う”というコンセプトでやってきましたが、これからはメンバーが住んでいない、ほかの地域にもお邪魔したいですね。その土地で生活をしている俳優に、コーディネーター的な役割を担ってもらって、ゆくゆくは日本全国に活動範囲を広げていけたら面白そうだなあと思っています。
プロフィール
サンロク
福島県双葉郡大熊町在住の佐藤真喜子、千葉県松戸市在住の松﨑義邦、兵庫県豊岡市在住の山田遥野と、異なる土地を拠点に生活をする俳優3名の演劇ユニット。演劇を語るとき、これまで含まれてこなかった文脈を持つ人々や事柄にコミットし、演劇の上演と“その他もろもろ”を行う。