中村雀右衛門、父・四世中村雀右衛門への思いを「傾城道成寺」に込める 父の風情が薫る演目に新しい趣向を乗せて 3月は歌舞伎座で会いましょう

目まぐるしく変化していく日々、ふと非日常的な時間や空間に浸りたくなったら、“ゆるりと歌舞伎座で会いましょう”。「三月大歌舞伎」昼の部では、気品と色気を併せ持った芸で観客を魅了する立女形・中村雀右衛門が、父・四世中村雀右衛門の十三回忌追善狂言として「傾城道成寺」を披露する。女方にとって最高峰となる舞踊「京鹿子娘道成寺」をはじめとする“道成寺もの”に数多く挑んできた雀右衛門だが、父も大切に演じた「傾城道成寺」には初役で挑む。雀右衛門が、父との思いを振り返りながら作品への意気込みを語った。

また、さまざまなアーティストやクリエイターに歌舞伎座での観劇体験をレポートしてもらう企画「歌舞伎座へ」には、「妹背山婦女庭訓」をモチーフにした「渦 妹背山婦女庭訓 魂結び」で第161回直木賞を受賞した小説家の大島真寿美が、長年観続けている中村屋の「籠釣瓶花街酔醒」について語る。

取材・文 / 川添史子撮影 / 藤記美帆

中村雀右衛門インタビュー

新しい趣向を加えて届ける「傾城道成寺」

──「三月大歌舞伎」昼の部では、四世中村雀右衛門十三回忌追善狂言「傾城道成寺」が上演されています。お父様の名跡を五代目として継がれた当代はじめ所縁の出演者がそろい、ゆかりの演目で名優をしのびます。

父が持っていた風情を思い出していただけるような演目を……と考え、昭和56年(1981年)10月、歌舞伎座で上演したものをベースに上演致します。ただあのときは高砂屋さん(中村梅玉)と父によるコンパクトな構成の舞踊だったんですよね。今回は(尾上)菊五郎のお兄さんと(尾上)松緑さん、(坂東)亀三郎さんや(尾上)眞秀さんにもご参加いただき、兄(大谷友右衛門)と甥の(大谷)廣太郎、(大谷)廣松も出演します。展開も役の数も増えますから、新しい趣向を加えてお届けできればと考えております。

中村雀右衛門

中村雀右衛門

──恋しい安珍を追いかけて執念のあまり大蛇と変じた清姫が、男の隠れる道成寺の鐘に巻きついて焼き殺した伝説……安珍と清姫の物語をもとにした“道成寺もの”を根底に、維盛物語の要素を取り入れた舞踊で、清姫の霊は雀右衛門さん演じる傾城清川として登場します。

父は傾城の姿を通じて安珍への思いを強く表現していたと思いますので、恨みを語りながらも、かつて恋した相手を愛おしく思う気持ちも大切にしながら勤めたいです。この「傾城道成寺」のほかにも、「豊後道成寺」「男女道成寺」「二人道成寺」「現在道成寺」、ちょっと変わったものでは「切支丹(きりしたん)道成寺」など、いわゆる“道成寺もの”に対して父の思い入れは強く、生前、精力的に勤めていました。私自身も一番最初に「男女道成寺」を三越劇場で勤めさせていただいて以来、道成寺ものについて教えてもらいましたから、父にとってはもちろん、私にとっても大切な演目です。また傾城は女方にとって重要な役柄でございますし、所作事としましても、お客様に目で見て楽しんでいただける美しさがあります。女性らしさや、心の中に濃いものが存在するのが傾城という役なのだと思います。

──心の中に濃いものが存在する……ステキな表現ですね。

こってりとした雰囲気が父の持ち味でした。ましてや今回は舞踊ですから、より一層、言葉だけではない表現が求められると思います。

「三月大歌舞伎」昼の部「四世中村雀右衛門十三回忌追善狂言『傾城道成寺』」特別ビジュアル

「三月大歌舞伎」昼の部「四世中村雀右衛門十三回忌追善狂言『傾城道成寺』」特別ビジュアル

父・四世雀右衛門の個性は“芯からまねる”ことから

──お父様の舞台は本当に、艶やかな“濃厚”さが魅力でした。女方の修行を始められたのは27歳と遅いスタートでいらしたそうですね。

戦前は立役だったんですよ。徴兵されて長いこと戦地に赴きましたから「人一番、努力しなくちゃいけなかった」とよく話しておりました。

四世中村雀右衛門

四世中村雀右衛門

──ある時期は映画の世界でも活躍し、女方が不足していた関西歌舞伎で次々と女方の大役を演じられるようになってからは、毎月のように関西の興行が千穐楽になると東京へ夜汽車で通い、六代目中村歌右衛門さんから役を習われたとか。

当時私はまだ子供でしたので、詳しいお話は(歌右衛門の養子である中村)魁春のお兄さんの方がよくご存知だとは思いますが……入院中の歌右衛門さんから病室で教わったこともある、なんて話も聞いております。習ったことを「なぞって、なぞって、なぞって、なぞっていくうちに、やっと自分のものになっていくんだよ」という話もしておりましたし、だんだんとあらゆる役を経験していくうちに、自分に備わっていた個性を濃縮していったのだと思うんですよね。“芯からまねる”……型も思いも含めて全部まねていく中に、じわじわと父らしさがにじみ出ていったのではないでしょうか。

──お父様の思い出の舞台を教えてください。

「豊後道成寺」を父が勤めたとき、「見ていなさい」と言われて黒衣で出たことがあるんです。「この作品で何を表現したいのか、“思い”をしっかり感じなさい」ということだったと思うのですが……。あの舞台のことは強く印象に残っていますね。

中村雀右衛門

中村雀右衛門

コシノジュンコさんの前に登場した父、その姿は…

──八十代になられるまで振袖姿で舞台に立たれ、いつまでも若々しい方でもありました。

普段は革ジャンに革パンツにロンドンブーツ、その格好でオートバイに乗っていた話が流布されておりますけれど(笑)、お芝居の中では女方の技と魅力を凝縮し、大変に色っぽいんです。女方でないと表現できない女性像を表現していましたし、最後まで老け役はやりませんでした。

──ジムに通って身体を鍛えられたとも聞いておりますし、おっしゃるような若者のようないでたちで、颯爽と歩く姿も拝見したことがあります。

探求心や好奇心も大変強い人でしたし、若々しい気持ちを保つためには、努力を怠らない父でした。デザイナーのコシノジュンコさんが父とスポーツ紙の取材で対談することになったときに、自宅に皆さんがいらして呼び鈴を鳴らしても出てこなかったんですって。「忘れて出かけてしまったのかしら」と諦めて帰ろうとしたその時に、テンガロンハットにブーツ、おもちゃのピストルを持ったウエスタンスタイルの父が登場して「びっくりしたわ」とおっしゃっていました。そんなお茶目なところもありましたね(笑)。舞台に対しては非常に真面目で、2人で対談取材を受けた時には「お前、もっともっと芝居を好きにならなくちゃダメだよ」と言われたこともあります。父の芝居に対する愛情は相当強いものがありましたし、それもやはり先ほど申し上げたように、戦争で長いこと舞台から離れていた時期に「舞台に立ちたい」という思いを持ち続けたゆえだと思うんですね。役を教えてくれる言葉の中で「気持ちが足りないんだ」ともよく言われました。思いを凝縮して、役の性根を掴み、魂を込めないとお客様には伝わらない、そう始終厳しく言われていました。常に全力投球でしたね。

──もし今、お父様に何か1つ質問できたら、どんなことを聞きたいですか?

やはり「どうやったらうまくなれますか?」と聞きたいですね。でもおそらく「それは努力しかないよ」と言われるんじゃないでしょうか(笑)。

中村雀右衛門

中村雀右衛門

プロフィール

中村雀右衛門(ナカムラジャクエモン)

1955年生まれ。京屋。四代目中村雀右衛門の次男。1961年に大谷広松を名のり初舞台。1964年に七代目中村芝雀を襲名。2016年に五代目中村雀右衛門を襲名。2008年に松尾芸能賞優秀賞と日本芸術院賞、2010年に紫綬褒章、2017年に第25回読売演劇大賞・優秀男優賞を受賞。

大島真寿美が歌舞伎座へ

このコーナーでは、歌舞伎座を訪れたアーティストやクリエイターが、その観劇体験をレポート。今回は、「妹背山婦女庭訓」をモチーフにした「渦 妹背山婦女庭訓 魂結び」で第161回直木賞を受賞した小説家・大島真寿美が、十八世中村勘三郎十三回忌追善「猿若祭二月大歌舞伎」昼の部「籠釣瓶花街酔醒」について語る。

歌舞伎座一階、十八世中村勘三郎十三回忌追善祭壇。

歌舞伎座一階、十八世中村勘三郎十三回忌追善祭壇。

二月の歌舞伎座は、十八世中村勘三郎十三回忌追善興行でした。
十三回忌。
その歳月にしみじみしてしまいますが、劇場内の祭壇には引きも切らずにお客さんがいらっしゃって、開演前も、休憩中も、静かに合掌する人、じっと勘三郎さんを見つめている人、写真を撮る人などでいっぱい。皆さん、吸い寄せられるようにここへ集まってくる。ですよね。私もそうだから、お気持ち、よくわかります。
満員御礼の客席の盛況ぶりを見ても、中村屋兄弟がここまで、ほんとによく頑張って、たゆまぬ成長をし続け、勘三郎さんを忘れさせなかったのだ、ということにもあらためて感じ入りました。
そんな思いのなか拝見した「籠釣瓶花街酔醒」。本当にすばらしかった。いやもう、圧巻の出来でした。勘九郎さんによる、あたらしい「籠釣瓶花街酔醒」を見せてもらったかのよう。これまでは、勘九郎さんの向こう側に勘三郎さんを透かし見て、基準をどうしてもあちらに求めてしまっていたけれど、ああ、もう今までとは違うんだな、違うフェーズに入ったんだな、と思わずにはいられなかった。
妖刀絡みの狂気と闇と禍々しさはいくぶん薄くなったけれども、その分、ただの人間の深い悲しみ(その裏に張りついた逃れられぬ業)がひたひたと静かに漂うような幕切れで、えっ、籠釣瓶ってこういう演目だったの?!と。八ツ橋も、この次郎左衛門なら、この八ツ橋だろうという絶妙なバランスで、手のひらから手のひらへ、ねえ、この悲しみを受け止めて、と、そっと心の涙のしずくを手渡されたかのよう。
今後の中村屋兄弟の活躍がますます楽しみになりました。ひょっとして、勘三郎さんをついに越えていくのかな、という大きな羽ばたきの予感すら感じられて……。
ということで、次は名古屋・同朋高校での平成中村座! 楽しみです!

歌舞伎座場内、満員御礼の客席の様子。

歌舞伎座場内、満員御礼の客席の様子。

プロフィール

大島真寿美(オオシママスミ)

1962年、愛知県生まれ。1992年に「春の手品師」で文學界新人賞を受賞しデビュー。2019年に「渦 妹背山婦女庭訓 魂結び」で第161回直木賞を受賞。2021年には、その続編「結 妹背山婦女庭訓 波模様」が発売された。また2011年に出版された小説「ピエタ」は、2023年に小泉今日子がプロデュースを手がけるasatte produceで舞台化。2023年に最新刊「たとえば、葡萄」が発売された。

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