中村勘九郎・中村七之助、父・中村勘三郎が盟友・坂東玉三郎と作り上げた「籠釣瓶花街酔醒」に挑む 勘三郎の“3人目の倅”中村鶴松も「野崎村」で奮闘!

目まぐるしく変化していく日々、ふと非日常的な時間や空間に浸りたくなったら、“ゆるりと歌舞伎座で会いましょう”。2月は、中村屋ゆかりの「猿若祭」で、2012年に逝去した十八世中村勘三郎の追善興行として、長男・中村勘九郎、次男・中村七之助を始めとした中村屋一門が総出演。勘九郎・七之助兄弟は「籠釣瓶花街酔醒」、勘三郎から“3人目の倅”として可愛がられていた中村鶴松は「『新版歌祭文』野崎村」のお光、勘九郎の長男・中村勘太郎は「猿若江戸の初櫓」で主演の猿若、次男・中村長三郎は「連獅子」の仔獅子の精に、それぞれ初役で挑戦する。

ステージナタリーでは、勘九郎・七之助にインタビュー。勘三郎が盟友・坂東玉三郎と作り上げた「籠釣瓶花街酔醒」への思いを語ってもらった。また特集の後半では、興行のトップバッターを担う鶴松に、意気込みを聞く。さらに、さまざまなアーティストやクリエイターに歌舞伎座での観劇体験をレポートしてもらう企画「歌舞伎座へ」には、近藤良平が登場。「壽 初春大歌舞伎」の初日公演での観劇体験を語る。

取材・文 / 川添史子撮影 / 祭貴義道(中村勘九郎・中村七之助)、松竹写真室(中村鶴松)

中村勘九郎・中村七之助が語る「猿若祭二月大歌舞伎」

中村勘三郎と坂東玉三郎が作り上げた「籠釣瓶花街酔醒」

──お二人のお父様である十八世中村勘三郎さんが上演を重ねた、「籠釣瓶花街酔醒」にお二人が初役で挑みます。物語の舞台は吉原仲之町。ほんの江戸みやげがわり、夜桜見物のつもりで吉原に足を踏み入れた田舎商人の次郎左衛門(中村勘九郎)は、花魁道中で見かけた八ツ橋(中村七之助)に心を奪われ……という人間ドラマです。

中村勘九郎 父の勘三郎襲名で花魁の七越、歌舞伎座さよなら公演のときは父のそばで下男の治六を演じましたが、ついに自分が次郎左衛門を勤める日が……という思いです。父が演じるときには必ず、(坂東)玉三郎のおじさまが八ツ橋をなさっていました。2人が作り出す空気の濃密さは、同じ舞台に出ている人間にとってもすさまじいものがありましたね。八ツ橋のセリフに「浮き川竹の流れの身」とありますが、にっちもさっちもいかない次郎左衛門と八ツ橋に、こちらの胸も苦しくなってくるようで。おじさまと共演したからこそ生まれた次郎左衛門だったと思いますし、父が初役で演じたときに祖父(十七世中村勘三郎)はもう亡くなっていましたから、研究に研究を重ねて役を作ったんだと思います。過去の映像を見ても、上演ごとにやり方が変化しているんです。

左から中村七之助、中村勘九郎。

左から中村七之助、中村勘九郎。

──お父様と玉三郎さんの作った空気感を引き継がれ、またお二人ならではのものを見つけていく作業がスタートしますね。

勘九郎 玉三郎のおじさまも「型がある芝居ではないんだよ。その人物になっていれば、何をしてもいいんだから」とおっしゃっていました。明治期にできた比較的新しい作品(明治21年初演)でもありますし。見染めの場面の八ツ橋の拵えは、洗い髪(下げ髪)で、これは実際に吉原で見た花魁がモデルなんですって。花魁がお風呂に入っていたらお客さんが来ちゃって、「どうしよう、どうしよう」と言いながら、「そこら辺にあるものを適当に付けちゃえ」とかんざしを刺し、急いで拵えた髪型なんだとか。

──八ツ橋の拵えは「揚巻よりも重い」と言う方がいるぐらい重量感があるそうですが、五代目(歌右衛門)さんの工夫が、今日に伝わっているわけですね。

「籠釣瓶花街酔醒」より、中村七之助扮する兵庫屋八ツ橋。(撮影:篠山紀信)

「籠釣瓶花街酔醒」より、中村七之助扮する兵庫屋八ツ橋。(撮影:篠山紀信)

勘九郎 実際の吉原を知る人たちがこの作品に封じ込めた吉原の匂いを、大切に演じないといけない作品ですよね。玉三郎のおじさまも「このあと、上演が難しくなっていく作品」とおっしゃっていましたし、そこにも僕らの使命があると感じています。

「籠釣瓶花街酔醒」より、中村勘九郎扮する佐野次郎左衛門。(撮影:篠山紀信)

「籠釣瓶花街酔醒」より、中村勘九郎扮する佐野次郎左衛門。(撮影:篠山紀信)

スタートラインに立てる喜び

──見染めの場の花道で、八ツ橋が次郎左衛門の方を見て笑う場面は、見どころの1つです。

七之助 どうして笑うのか、はっきりしたことは誰にもわからないんですよね。台本にも書いていませんし。

──田舎の人がポーッとなっているのについ笑ったのか、見物客へのサービスか……ミステリアスで、俳優さんによって解釈が分かれるところです。

勘九郎 (七之助に、解釈は)言わないほうがいいよ(笑)。

──え!

七之助 玉三郎のおじさまには本当に細やかに教えていただいています。見染めの場も「私はこう思っているけどね」ということも教えてくださいますし、感情の流れを繊細に積み上げられたものをしっかり勉強しているところですが……すべてをつまびらかにしてしまったら面白くないじゃないですか(笑)。

中村七之助

中村七之助

──なるほど、想像するのも観客の楽しみですものね。お二人でやることで新たな感情が生まれるかもしれませんし。

勘九郎 だから今回、兄弟でのキャッチボールが楽しみなんです。こうしてスタートラインに立てることがうれしいですね。

七之助 僕にとって父とおじさまの共演で印象的なのが、「鰯賣戀曳網」と「籠釣瓶」なんです。というのもこの2本とも、最後チョンチョンチョンと舞台が終わった瞬間、2人きりじゃないですか。ハッピーエンドの「鰯賣」のときはラストシーン同様、うれしそうに笑顔で戻ってきますけれど、この演目も幕が閉まったらそのまま、楽しそうに楽屋に帰ってきていました。

──八ツ橋を妖刀・籠釣瓶で斬り殺した悲劇のあとに、裏ではそんな微笑ましい光景が繰り広げられていたのですね(笑)。幕が閉まると勘三郎さんは毎回、倒れている玉三郎さんの八ツ橋の手をとって起こされていたと聞きます。

七之助 前の歌舞伎座の狭い廊下をわざわざ横並びで帰ってきて、隣同士の楽屋でやっと別れて(笑)。

勘九郎 その最後の殺しの場で「籠釣瓶はよく斬れるな」と言って、皆さん刀を見るじゃないですか。うちの父はその後、八ツ橋を見るんです。やっぱり心底惚れた女の顔を見たくなったんですって。だから型があるようで、型はない。その役の気持ちで動けば何でもありだと言われています。

中村勘九郎

中村勘九郎

──勘三郎さんの次郎左衛門は、妖刀の魔力でもなく、八ツ橋が憎くて殺すのでもなく、自分のものにするために斬るとおっしゃっていたとか。玉三郎さんも、斬られることで浮き世のしがらみ、ツラさから「解放されるような気持ちになる」とインタビューで答えていらっしゃいますし……。哀しくも恐ろしく、官能的な印象がありました。

勘九郎 2人の息で作り上げた芝居ですよね。……余談ですけどね、父は(八ツ橋の情夫である)繁山栄之丞もやったことがあるんですよ。父の栄之丞を、落語家の古今亭志ん朝さんがすごく褒めてくださったんですって。

七之助 そうそう、その話100回ぐらい聞いたね(笑)。

勘九郎 自分の柄にはない役だと思っていたようで、それぐらいうれしかったみたい。自慢だったんでしょうね。

左から中村七之助、中村勘九郎。

左から中村七之助、中村勘九郎。

篠山紀信が撮った、印象深い1枚

──昭和の名人に褒められたら、さぞうれしかったでしょうね。勘三郎さんのうれしそうな笑顔が思い浮かびます。お二人の扮装写真を撮影されたのは、今年の1月4日に亡くなった篠山紀信さんです。

勘九郎 撮影は12月17日と21日の2日間(「籠釣瓶」は21日)だったのですが、体調が万全ではない中でも父の十三回忌ということで、無理をおして撮ってくださったんです。

「籠釣瓶花街酔醒」より、左から中村勘九郎扮する佐野次郎左衛門、中村七之助扮する兵庫屋八ツ橋。(撮影:篠山紀信)

「籠釣瓶花街酔醒」より、左から中村勘九郎扮する佐野次郎左衛門、中村七之助扮する兵庫屋八ツ橋。(撮影:篠山紀信)

七之助 玉三郎のおじさまから衣裳をお借りするお願いに上がったときに、「撮影にも行くわ」とおっしゃってくださったんです。ただ篠山先生が撮ることはご存じなかったので、当日撮影現場で「あら」なんておしゃべりしていらして。先生が歌舞伎を撮るきっかけとなったおじさまとの、貴重なやりとりを垣間見させていただきました。

勘九郎 先生を長時間拘束するのは申し訳ないですから、「僕の次郎左衛門は八ツ橋とのツーショットだけでいいですよ」と言ったら、玉三郎のおじさまが「あなたはいいかもしれないけれど、宣伝部が必要なのよ」とおっしゃって(笑)。申し訳ないなと思いつつ、ソロカットも撮影いただきました。

──そのとき、印象深い1枚が残ったと伺いました。

勘九郎 そうなんです。撮影が終わっても先生がまだカメラを構えていらっしゃるので、「先生、終わりですよ」とフッと役から離れたそのときに、カシャって音がしたんですね。その場で「ほら」って見せてくれた1枚は、すごい瞬間……「何これ、すごい!」と言ったら「でしょう?」なんてうれしそうにおっしゃって。これが先生が僕を撮ってくださった、ラストカットです。

「籠釣瓶花街酔醒」より、中村勘九郎扮する佐野次郎左衛門。(撮影:篠山紀信)

「籠釣瓶花街酔醒」より、中村勘九郎扮する佐野次郎左衛門。(撮影:篠山紀信)

──最後のやり取りが貴重な1枚に残ったわけですね……。いろいろな方の思いが詰まった追善興行がいよいよ始まります。2012年12月5日に勘三郎さんが亡くなったとき、お二人は京都南座での中村勘九郎襲名公演中でした。口上で涙ながらに「父を忘れないでください」とおっしゃった姿に観客も一緒に涙したあの日から、11年以上が経ち、お二人ともご立派に成長されました。

勘九郎 先輩、後輩、そしてスタッフの皆さん、そしてお客様に感謝ですね。父の舞台に間に合わなかった人たちも、おそらく大勢いらっしゃると思いますし、父の魂を受け継ぎ、芝居の中でお伝えできればと思います。

七之助 あれから11年、こうして追善興行をさせていただけるなんて、一所懸命やってきてよかったと素直に感じます。(勘九郎の息子)勘太郎と長三郎もいますし、しかもまだ十代だった鶴松が「野崎村」で主役を演じるんですから。父もすごく喜んでいるでしょう。少しは良い親孝行になりますかね。兄も言った通り、感謝の気持ちを忘れないで、ひたすら自分の芸道を歩んで行きたいと思います。

左から中村七之助、中村勘九郎。

左から中村七之助、中村勘九郎。

プロフィール

中村勘九郎(ナカムラカンクロウ)

1981年、東京都生まれ。1986年に歌舞伎座「盛綱陣屋」の小三郎で波野雅行の名で初お目見得。1987年歌舞伎座「門出二人桃太郎」の兄の桃太郎で二代目中村勘太郎を名乗り初舞台。2012年新橋演舞場「春興鏡獅子」の小姓弥生後に獅子の精ほかで六代目中村勘九郎を襲名。

中村七之助(ナカムラシチノスケ)

1983年、東京都生まれ。1986年に歌舞伎座「檻」の祭りの子勘吉で波野隆行の名で初お目見得。1987年歌舞伎座「門出二人桃太郎」の弟の桃太郎で二代目中村七之助を名乗り初舞台。