坂東彦三郎・坂東巳之助・尾上右近・中村米吉・中村隼人“令和の白浪五人男”撮影レポ、5月は「弁天娘女男白浪」で会いましょう (2/2)

5人が語る「弁天娘女男白浪」への思い

ゆっくり、どっしり、堂々と日本駄右衛門を勤める
坂東彦三郎

坂東彦三郎

日本駄右衛門は初役ですが、菊五郎劇団で育ってきた者としては、初役だろうが決して「わからない」とは言えないお芝居です。子役時代、最初に演じたのは丁稚でした。その後たった1日ですが、天地会の「ちびっこ五人男」で南郷を演じた記憶も。中学生になって歌舞伎座でひと月やったときは、祖父(十七代目市村羽左衛門)にコテンパンに厳しく教えられました……自分たちのルーツにつながる大事な作品だと、身体に叩き込まれ、肌で知っていったお芝居と言えるでしょうか。右近さんが自主公演で弁天を演じたときは、南郷をやらせてもらいました。彼とは同じ劇団で育った兄弟ですから、義兄弟の弁天と南郷の関係そのもののような感覚もあり、指名してくれたうれしさは大きかったです。でも彼とは「あのときとはまた気持ちを切り替えよう」と話していて、もう1回丁寧に洗い出し、オープン戦とは違う、歌舞伎座での公式戦に挑まないといけません。座組みが若い分、5人の中で僕は一番年上なので、責任重大です。

今回は父(坂東楽善)に稽古していただいています。お客様の目にも耳にも、祖父や父、諸先輩方の演技が残っていらっしゃるでしょうし、比べるのが歌舞伎の楽しさだというのはわかっていますが……いざ自分が演じる姿を想像してみると、本当に怖いです! 今の実力で出来ることをやるだけですし、飛び級ができるわけではありません。先輩方に一歩でも半歩でも近づくことをギリギリまで諦めたくないですし、たどり着くための努力は全部したい。「浜松屋」では芝居がサラッと流れないよう、ゆっくり、どっしり、堂々と。奇をてらわずに勤めたいと思っています。あとは右近くんと巳之助くんが魅せてくれるでしょう!

彦三郎→巳之助へのメッセージ

今回、息子の亀三郎が丁稚で出ます。子供が運んできたお湯呑みを南郷が取り上げて中のお茶を引っ掛けて睨む場面は、思い切りやっちゃってください。あと裏では優しくしてあげてください(笑)。

プロフィール

坂東彦三郎(バンドウヒコサブロウ)

1976年生まれ。1982年、五代目坂東亀三郎を名乗り初舞台。2017年に九代目坂東彦三郎を襲名。

ありがたい思いを胸に、“カッコよさ”を見ていただきたい
坂東巳之助

坂東巳之助

「浜松屋」の場面で弁天と南郷はひと芝居打ちます。でも、それを暴く黒頭巾の武士・玉島逸当(実は日本駄右衛門)とも実はグルなので、「もう化けちゃあいられねえ」と正体を明かしたあとにも、2人のお芝居は続いているんです。このあとの駄右衛門が正体を現す「蔵前」の場面があればそのことがわかりやすいのですが、「浜松屋」では実は見あらわし自体が計略で、幾重にもどんでん返しが用意されているという仕掛けなんです。とは言え、この場面は堅苦しいことを考えずに楽しんでいただきたいお芝居ですよね。

続く「稲瀬川」は、見得の仕方から顔の色まで5つの個性がズラリと並びます。戦隊モノやアニメがお好きな方も心躍る絵面だと思いますし、現代のエンタメにあるものが、すでに歌舞伎の中にあったことを感じていただけたらうれしいです。とにかく五人が揃ったときの“カッコよさ”を見ていただければと思います。

昨年の5月も歌舞伎座で同じ黙阿弥さんが書いた「三人吉三」で右近さんとひと月、芝居をしました。お互いに試行錯誤しながらやらせていただいた得難い経験でしたね。私の和尚吉三と右近さんのお嬢吉三は義兄弟の契りを交わす関係でしたけど、今回の南郷と弁天の関係性にも通じるものがあるかもしれません。日本駄右衛門に坂東彦三郎のお兄さん、そして浜松屋幸兵衛に中村東蔵のおじさまが出てくださり、番頭に市村橘太郎さんという、諸先輩方がいらっしゃることが本当にありがたいことだと思っています。

舞台を続けるために、とにかく今できることを考えながら前に進む日々が続いています。コロナ禍以前であれば、役の大小ではなく、朝から晩までいくつもの演目に出演して、複数の役を勉強することができましたが、今はそういうわけにはいきません。でも、こうした状況でも舞台に立てることのありがたさ、劇場に足を運んでくださるお客様への感謝を感じながら、舞台にしっかり立ちたいと思います。

巳之助→右近へのメッセージ

このコメント取材、僕以上にたっぷりしゃべっておいてね。

プロフィール

坂東巳之助(バンドウミノスケ)

1989年生まれ。1991年、歌舞伎座「傀儡子」の唐子で初お目見得。1995年に二代目坂東巳之助を名乗り初舞台。2015年に日本舞踊坂東流家元となる。

静かなる興奮と大いなる感謝を抱いて
尾上右近

尾上右近

小さなころから「いつか……」と夢見ている役はいくつもありますが、弁天小僧はその1つでした。究極の半信半疑の領域ですよね。「いつかやりたい!」「やらせてもらえるんだろうか……?」「絶対にやりたい!」「やれるのか……?」と常に気持ちを上下させながら(笑)憧れ続けていた役ですから。自主公演「研の會」で弁天小僧をやらせていただいたときは、師匠である尾上菊五郎のおじさまに教えていただきました。僕の中には師匠に対する敬意も燃えていて……もう、いろいろな思いが交錯して心の中が忙しいです。現在の思いをシンプルにお伝えするならば、静かなる興奮と大いなる感謝に尽きます。ただ、敬意や恩返しといった気持ちだけで演じきれる役ではありませんから、とにかく舞台の上で爆発する、弾ける、お客さまを虜にさせる、歴史を作る、それぐらいのエネルギーと勢いで、客席の皆様に向かって全身全霊の弁天小僧をお見せしたいと思っています! 最近思うのは、こうした大役を「やらせていただく」という姿勢がベストではなく、自信満々で当たり前の顔で勤めることが、歌舞伎に対する敬意ではないかということ。お客様に対しても「努力している姿を楽しんでいただく」ではなく、弁天小僧としての説得力をお見せしたいです。

彦三郎さんや巳之助さんといった、菊五郎劇団で小さなころから一緒に歩んできた皆さん、米吉さんや隼人さんといった同年代の方々と芝居を作れるなんて胸が熱くなりますよね。しかもその真ん中に立たせていただけるというのは何というか……尾上右近、良かったな!と自分で自分の背中を押しています(笑)。

5月28日に30歳になるので、これが二十代最後の舞台。諸先輩方が今の自分の年齢のときを考えると、全く追いついていないことを痛感します。けれど、進化する自分を諦められない。自分がスペシャルな存在になれる日を期待してしまうし、その瞬間をお客さまと一緒に体感したい。とにかく全世界に「今の僕を見てください」とお伝えしたいです!

右近→米吉へのメッセージ

「こうしたい」「こうしてみたら」と、5月は思ったこと、気づいたことは何でも教えてください。公私共に何でも言って(笑)。

プロフィール

尾上右近(オノエウコン)

1992年生まれ。2000年、「舞鶴雪月花」の松虫で初舞台。2005年に二代目尾上右近を襲名。2018年、清元栄寿太夫を襲名。今年6月には歌舞伎座「六月大歌舞伎」第一部「猪八戒」、秋にミュージカル「ジャージー・ボーイズ」に出演予定。

顔はすましていても気持ちは熱く、令和の白浪五人男を
中村米吉

中村米吉

2015年京都南座「花形歌舞伎」で、浜松屋倅宗之助役で出演したのがこのお芝居に出させていただいた初めての体験。生意気なことを申し上げると、いつか僕が五人男の中に入れていただく機会があるならば、赤星しかないだろうな、とは思っていました。衣裳と同じ、干支も酉年ですし……(笑)。今回は中村時蔵のおじに教えていただきます。スチール撮影の前に中村梅枝の兄にもお話を伺ったら「高いよ」とおっしゃりながら「(着物の柄にある)鶏のトサカが帯に入らないように」「踵が絶対に見えないように、なるべく着物は“ぞろん”と着た方がいいよ」と、いろいろと細やかにアドバイスくださいました。

「稲瀬川」でツラネ(花道などで語る長ゼリフ)が言えるなんて、歌舞伎役者としてとても幸せなこと。名だたる先輩方が演じられたら、お客様も「出てきた出てきた!」という雰囲気でお迎えになると思うのですが……自分が同じことをすると想像すると、率直にすごく怖いですね。お客様の目にも耳にもあるポピュラーな作品ですし、歌舞伎座では私の曽祖父(三世時蔵)をはじめ、多くの偉大な先輩方が勤めています。心して挑まなくてはと思っています。とにかく教わったことを大切にしながら演じたいです。

右近さんが平成生まれの歌舞伎役者では初めて、歌舞伎座で弁天に挑戦する座組みに入れていただけたのは、同世代として大変にありがたいことです。繰り返しますけれど、右近さんが歌舞伎座で弁天をやる、これはすごいことです。私もしっかり勤めるのは当たり前として、気持ちのうえでは熱いものを持って勤めたいと思っております。お役的にはすましているほうがいいかもしれませんが(笑)。お客様に「良かったな」と思っていただけるような魅力が少しでも出せるような、“令和の白浪五人男”にしなくてはいけませんね。

米吉→隼人へのメッセージ

忠信は、もとは赤星の家来筋……敬まってくださいね! あと、隼人さんが出られているBS松竹東急のCM、見ました♪

プロフィール

中村米吉(ナカムラヨネキチ)

1993年生まれ。2000年、五代目中村米吉を襲名。

人物のバックボーンを掴み、未来につながる忠信を演じたい
中村隼人

中村隼人

初めて忠信利平を演じたのは2015年の京都南座。あのときは弁天が尾上松也のお兄さん、南郷を巳之助さん、赤星を右近さんが勤められました。菊五郎劇団のお三方にとっては馴染みのあるお芝居ですが、当時の僕は、子供のときに丁稚を演じた経験があったぐらい。とはいえ何度も観ていた演目でしたから、今思い出しても夢のような時間でした。菊五郎のおじさまをはじめ大先輩方がご指導くださった緊張した空気感も忘れ難いです。七五調のセリフ回しは難しく、5人が次々と名乗りを上げる「ツラネ」は、合方に乗りながら、前の方からのリズムを崩さずに……あの時に学んだことを、しっかり思い出して演じたいと思います。「ガキの折から手癖が悪く」というセリフにもあるように、忠信はグレちゃったんですよね(笑)。以前演じたときには「(同じ立役の)日本駄右衛門と南郷力丸と、しっかり差別化して演じないといけないよ」と教えていただきました。

忠信はもともと侍ですし、品はあるけれどどことなくゴロつき感がある。昨年同じ黙阿弥の白浪もの「三人吉三」のお坊吉三を勤めましたが、片岡仁左衛門のおじさまに「もともと武家だったことを意識して、育ちの良さを出さないといけない。でもそれだけだとつまらないから、無頼漢な感じを醸し出さないといけないんだよ」と教えていただきました。今回、駄右衛門と南郷と弁天は「浜松屋」にも出ていますが、赤星十三郎と忠信利平は「勢揃い」にしか出ません。それでもこの人物のバックボーンが少しでもお客様に伝わるよう、勉強したいです。

今月稽古して来月良くなるほど甘くないのが歌舞伎。半年前、1年前にやったことが、今のお役につながっていることを感じながら、日々の舞台を積み重ねています。もしも通し上演をまたこの年代でやらせていただく機会があったなら、「隼人にやらせよう」「隼人で観たい」と思っていただけるような、未来につながる忠信を演じたいです。

隼人→彦三郎へのメッセージ

5人の中では僕が一番年下。全力で若いパワーでぶつかっていくので、受け止めてください! 何度も忠信を演じているお兄さんにさまざまなことを伺いたいですし、菊五郎劇団の匂い、そして空気感……ひと月、いろいろなことを教えていただきたいです。

プロフィール

中村隼人(ナカムラハヤト)

1993年生まれ。2002年、初代中村隼人を名乗り初舞台。

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