2000年前後に出てきた振付家は恵まれている?
矢内原 最近、学生と話すと、1997年とか2000年くらいまでに出てきた振付家は恵まれてるって言われるんです。「そんなことあるわけないじゃん!」と思って。
小野寺 恵まれてるってどういうこと? 風に乗った、みたいなこと?
矢内原 わからない。ただ、打たれ強い人は多かったかもしれないなって。演劇とは違ってダンスがやれる劇場は当時全然なかったし、稽古場もないから、よく最寄り駅から延々25分も歩かないと着かないような区民会館で稽古したり、ときには公園でも稽古したし。
小野寺 そうだね。そういうある種の床を舐めるようなワクワク感は、今の人にはないかもね。その点では僕らはラッキーだったかもしれない。自分で探して何かをやろうってエネルギーは間違いなくあったから。でもまあ、努力もしてましたよね。
矢内原 70年代の小劇場の世界と似てたのかもね。
小野寺 劇場の企画があったりフェスティバルがあったり、ある種の“上がり方”の可能性を目の前で見てたから、自分でやらなきゃとか、カッコいいものと悪いものの差とかは感じていたかも。
矢内原 もちろん、以前よりダンサーのテクニックは上がってるし魅力的なんだけれど、ある時期が来ると急に辞めちゃう子が多いのは残念だと思いますね。いろいろ情報量が増えて、ダンスをやってなくても楽しく過ごせるんでしょうけど……私たちが学生のときってバカしか周りにいなかった(笑)。でも、今はみんな賢くなってて、社会に出るときには社会になじみたいんだよね。
小野寺 それは演劇も変わらないかもしれない。先日表現クラスがある高校に行く機会があったんですけど、卒業してからも舞台を続けますか?って聞いたら1人もいなくて。表現は授業の一貫というか、ダンスや演劇が教わるコミュニケーションツールの1つになっているんですね。生きていくためのツールと言うか。
矢内原 ただ、学生の間に表現に触れていたかどうかが、卒業して公務員や先生になったときにすごく大きいような気もする。
小野寺 そうだと思う。あらためてカンパニーを組んでやろうよって人もいなくなるんだろうな。
矢内原 確かに。それはヨーロッパと同じかもしれない。カンパニーを組まないでプロジェクトでどんどんやっていく感覚が若い人たちにはしみ込んでいるので。カンパニー自体がなくなっていくのかも。
小野寺 いろんなことができる人たちなんだろうけど。かつては、例えば美邦ちゃんがやってることとうちらがやってることは確実に違うという自負があって、それが自分の原動力にもなっていたけど、そこは変わっていくんだろうな。
ただやってみたい、が続いてきた
──活動開始から約20年の間に、矢内原さんはNibroll以外にoff-Nibrollやミクニヤナイハラプロジェクトを始動させ、小野寺さんはカンパニーデラシネラを立ち上げられました。カンパニーの形態とクリエーションの変化に関係性はあるのでしょうか。
矢内原 私は、あんまり考えたことがないかもしれないです。
小野寺 本当にすごいよね、こんな人いないと思う(笑)。
矢内原 バカなのかな。
小野寺 こんなこと言っちゃ悪いけど、バカだよ(笑)。
矢内原 そっか(笑)。考えないで、ただやってみたい、っていう状況が続いてきた気がしますね。なんの戦略もなく、その時々の感じで。
小野寺 それがすごい。
矢内原 ミクニヤナイハラプロジェクトも、2003年にアジアン・カルチュラル・カウンシルでニューヨークに留学して、戻ってきたらみんな就職したり自分の活動が忙しくてNibrollができないと言われて、どうしようかなと思ってるときに「演劇やったら?」と言われて台本を書いたのが始まり。そうしたら3時間超の芝居になってしまって。
小野寺 書き過ぎちゃったんだ?(笑)
矢内原 そう(笑)。で、削れなかったからセリフと動きをどんどん早回ししたらあのスタイルになった(笑)。まあ早口すぎて何を言ってるかわからないって、ものすごいクレームでしたけど。
小野寺 美邦ちゃんのやってることを外から見ると、すごくいろいろ戦略を考えてるんだろうなって見えるんだけど、ずっと見てると、「あれ、これ感覚でやってるのかな?」ってわかってきて(笑)。アビニョンに行くってことも、本人は「楽しそうだから行っちゃえ」って感じだけど、それでなんとかなるんだよね。
矢内原 アビニョンに行くことにしたのは、第2回公演をどこでやろうって話したときに、うちの弟が「次はフランスじゃない?」って言ったからで。
小野寺 日本じゃなかった!(笑)
矢内原 そう(笑)。でもみんな戦略って考えてるのかな? 小野寺さんは演劇やったりしてるでしょ、戯曲を使って。
小野寺 最近ね。戦略とかではないけど、水と油をやめたときに1人だと勝負にならないなってことはわかって。では10年間しゃべらないことをやってきて、演劇というか、しゃべることをやっておいたほうがいいのかなと勝算もなく直感的に思ったんです。あと、役者さんとやる機会がふと出てきたときに、役者さんは言葉を渡したほうが生き生きするので、言葉を使うようになったんですね。
KAAT Dance Series 2017をきっかけに
──小野寺さんの作品には、「空白に落ちた男」のようにセリフをほぼ用いない、身体性を重視した作品群と、セリフとダンスを絡ませた「ロミオとジュリエット」のような作品群がありますね。9月から10月にかけて上演される「WITHOUT SIGNAL!(信号がない!)」は、日本人ダンサーとベトナム人ダンサーによる“ノンバーバルシアター”だそうですが、今年2月のプレ公演を踏まえて、どのように展開していくのか楽しみです。
小野寺 2015年から16年にかけて文化交流使としてベトナムに行き、そこで出会った人たちでオーディションしてキャストを決めました。今年2月に彼らに日本へ来てもらい、ワークインプログレスとして15分くらいやったんですが、今回はそれを経ての本公演です。ベトナムの人ってやっぱり日本人とは違う空気感があり、そこをなんとか作品に引っ張り出したい。ただ、なんだかひさびさに水と油のような、セットも衣装もシンプルな、ただ人がいればいいというような作品をやろうと思ってます。
矢内原 そうするとツアーもしやすくなっていいよね。この間、宮城(聰)さんと話したときに、ヨーロッパは何もかもがしっかりしてて、ちゃんと観てくれる人もいるんだけど、みんなハイソサイエティだからヨーロッパばかり行ってると疲れちゃう、と。その点、ベトナムのユース劇場なんかは無料で入れてしまって。
小野寺 それってすごいよね。で、客席でみんな携帯見てるし、しゃべってる(笑)。
矢内原 そうそう(笑)。でも舞台が始まると子供も大人も“なんだこれ”って感じで集中して観てくれる楽しさがあって。
小野寺 あの感じ、最初にマイム作品を舞台で始めた頃に似てるなって思う。「なんだこれ?」と思われてる空気の中に飛び出していって、批判されたり好きって言われたり……その繰り返しをやってきた感じがあるから。
矢内原 ヨーロッパとアジアと、両方でできるのが理想じゃないかって宮城さんと話していて、確かにそうできたらいいなと思いますね。あと、知らない土地にみんなで行きたい。
──そういう意味では、今回、ニブロールにとってKAATは初めての場所になります。
矢内原 そうなんです。Nibrollは東京で公演することが多くて、横浜での公演は2012年以来ですね。集客の問題はありますが、自分は横浜に住んで長いですし、兄弟全員横浜ですし、ハマっ子としてはとにかく神奈川を押し出したいというのはあるんですけど(笑)。
──そんな“ハマっ子”のNibrollが20周年のアニバーサリー公演「イマジネーション・レコード」を横浜で上演されるのは感慨深いです。先日稽古場を見学させていただきましたが、さまざまな時間と記憶が走馬灯のように駆け巡り、演劇とダンスの境目を超えた作品世界が立ち上がろうとしていました(参照:稽古も“高速で”展開中、Nibroll×KAAT「イマジネーション・レコード」)。
矢内原 今回は全編セリフが入る作品で、ここからどうなっていくかまだわかりませんが、日々稽古中です。KAAT Dance Series 2017には、Nibrollのほか小野寺さんの「WITHOUT SIGNAL!」や「ダンスとラップ 島地保武×環ROY『ありか』」などがラインナップされていますが、これを機にもっとダンスを観に行こうという人が増えるといいですね。
- KAAT Dance Series 2017
Nibroll結成20周年
「イマジネーション・レコード」 - 2017年8月29日(火)~9月3日(日)
- 神奈川県 KAAT神奈川芸術劇場 大スタジオ
- 振付:矢内原美邦
- 映像:高橋啓祐
- 音楽:SKANK/スカンク
- 衣裳デザイン:田中洋介
- 出演(五十音順):浅沼圭、石垣文子、大熊聡美、中西良介、藤村昇太郎、皆戸麻衣、村岡哲至
- KAAT Dance Series 2017
小野寺修二・カンパニーデラシネラ
「WITHOUT SIGNAL!(信号がない!)」 - 2017年9月29日(金)~10月1日(日)
- 神奈川県 KAAT神奈川芸術劇場 大スタジオ
- 演出:小野寺修二
- 出演:Nguyen Thi Can、Nung Van Minh、Nguyen Hoang Tung、Bui Hong Phuong、荒悠平、王下貴司、崎山莉奈、仁科幸
- 矢内原美邦(ヤナイハラミクニ)
- 1971年愛媛県出身。振付家、劇作家、演出家、ダンサー。高校時代にダンスを始め、全国高校ダンスコンクールにてNHK賞、特別賞など数多くの賞を受賞。大阪体育大学舞踊学科を卒業後、民族舞踊を学ぶためにブラジル各地の大学にて研修。帰国後、映像学校に入学し、1997年にNibrollを結成。国内外のフェスティバルに招聘され、高い評価を受ける。2005年には自身が劇作・演出を手がける演劇プロジェクト「ミクニヤナイハラプロジェクト」を始動させ、07年にはソロダンス作品「さよなら」にて第1回日本ダンスフォーラム賞を受賞。2008年には「青ノ鳥」が第52回岸田國士戯曲賞最終候補作品となる。また、舞台作品を平行してビデオアート作品の制作を始め、off-Nibroll名義で映像作家の高橋啓祐とともに活動。2004年森美術館主催の展覧会「六本木クロッシング」にて森美術館会員特別賞を受賞し、同年9月上海ビエンナーレのほか、世界各地の美術展に招聘された。2012年に「前向き!タイモン」が第56回岸田國士戯曲賞を受賞。2017年にNibrollは結成20周年を迎えた。
- 小野寺修二(オノデラシュウジ)
- 1966年北海道出身。演出家。日本マイム研究所にてマイムを学ぶ。1995年から2006年、パフォーマンスシアター水と油にて活動。その後、文化庁新進芸術家海外留学制度研修員として1年間フランスに滞在する。帰国後、カンパニーデラシネラを立ち上げる。首藤康之、浅野和之、安藤洋子、南果歩、原田知世、片桐はいりなど、さまざまなダンサーや俳優と創作を重ねており、松本清張作「点と線」、カミュ作「異邦人」、ドストエフスキー作「カラマーゾフの兄弟」、シェイクスピア作「ロミオとジュリエット」など、小説や戯曲を基にした作品を多数発表している。また、白井晃、ケラリーノ・サンドロヴィッチ、宮本亜門、松村武、長塚圭史など、人気演出家との仕事も多く、2010年には「叔母との旅」のステージングおよび「ハーパー・リーガン」の振付にて、第18回読売演劇大賞最優秀スタッフ賞を受賞した。2016年には文化庁文化交流使としてベトナムとタイに滞在。11月にSPAC秋→春のシーズン 2017-2018のプログラムの1つとしてカフカ「変身」の演出を、来年2018年3月にカンパニーデラシネラ「『椿姫』『分身』二本立て公演」の演出を手がける。
2018年4月27日更新