KAAT白井晃インタビュー|海を見て深呼吸しながら──芸術監督ラストイヤーに込める思い

多彩なアーティストとの継続的な関係性作り

──KAATのラインナップの特徴の1つとして、継続的な関係があるアーティスト、劇団がいますね。それは白井さんのご意向ですか?

白井晃

そうですね。プログラム会議でみんなの意見を募りつつ、具体的にラインナップを詰めていく際には、あまりにいろいろなアイデアがあってまとまらないので(笑)、“芸術監督が指名する演出家”という形で方針を決めさせていただきました。それまでKAATは開館以来、地点の三浦基さん、チェルフィッチュの岡田利規さんなどとレジデントアソシエイト的なお付き合いがあったのですが、僕が芸術監督になったときにそれぞれ別個にお会いし、作品も拝見し、彼らがKAATに求めること、KAATが彼らに求めることについて話をしました。その結果、三浦さんと岡田さんにはその後も継続して関わっていただくことになって。ただ、自分自身もディレクターなので、異なる方法論を持つ演出家との話し合いは、なかなか大変な作業でもありました。

──白井さんが芸術監督になられてから、新たにKAATに関わるようになったアーティストもいます。

当時三十代前半だった、谷賢一さんと杉原邦生さんですね。彼らにはすごくエネルギーを感じて。やっぱりいつの時代も、主流に対するカウンターが生まれるものだと思っています。例えば僕たちの時代には、新劇に対するカウンターとしてアングラが生まれ、アングラが地下からはい出てこようとして野田秀樹さんのような小劇場の運動が生まれた。しかしそのパワフルな方向に対するアンチテーゼとして平田オリザさんの現代口語演劇があって……そのカウンターも今後、きっと生まれてくるはずだと思ったんです。僕自身は、寺山修司、鈴木忠志、唐十郎、串田和美、佐藤信、太田省吾という6人に薫陶を受けています。僕にとって演劇は、現実からはみ出すような、既成の概念を超越した特権的な肉体から生まれる場、という精神から始まっていて、その点で、谷さんや杉原さんの“何をやりだすかわからないところ”に共通項があり、すごくパワーを感じます。2人とも演劇が好きだし、「これしかない」というような、逃げ場を作ってない感じがするところがいいんですよね。

──2020年度のラインナップにはほかにも、これまでもKAATに携わっている、サンプルの松井周さん、東京デスロックの多田淳之介さんのお名前が見られます。

白井晃

松井さんとは、私がKAATに来た直後から、稽古場レポートをしていただいたり、お話をさせていただく機会が多かったです。杉原邦生さん演出の新作を書いていただいたり。松井さんは、本当に人間の見方が不思議で。まるで昆虫採取した籠の中の虫を見るみたいに人間観察されるんです。ご自分でも変態だとおっしゃってますが(笑)、確かに人の見方や切り口が彼独特の粘りがあって、いつも何を考えているのか聞くのがとても楽しいんです。そして、話し合っていくうちにいろいろな広がりが出てくる。多田さんには、創作方法に極めてシンパシーを感じています。古典戯曲に現代の社会状況を同時並行させながら紡いでいくやり方に、私はすごく共感します。演劇とはどのような仕掛けを施すかですが、常に現代の社会性を仕掛ける意味でとても親近感を覚えているんです。

──また2020年度のラインナップには入っていませんが、若手だけでなくベテランのアーティストもKAATで作品を上演しています。

串田和美さん、先日亡くなった横浜ボートシアターの遠藤啄郎さん、また2016年に亡くなり実際は上演が叶いませんでしたが、故・蜷川幸雄さんは“先輩特別枠”としてKAATに関わっていただきたいと思っていました。皆さん、今の日本の演劇の土壌を作り牽引して来られた方ですから、ぜひともお願いしたかったんです。それから、昨年ようやくご登場いただけたKERA(ケラリーノ・サンドロヴィッチ)さん。まさに今の日本の演劇の中心にいる方ですし、僕、自分で劇団をやっていたからもしれませんが、お客さんが来てくれるためにどうすればいいかを考えたとき、“人が呼べる役者”を演出できる人にお願いしたいと思って。そうやってお声がけした演出家たちには、1回だけじゃなく、僕の在任中に複数回やっていただくという話をしていました。でもそうやってほかのディレクターと話をするようになったのはKAATに関わるようになってからですね。それまでは演出家同士、そんなに話すこともなかったですから。

KAATを演劇のグッゲンハイムに

──今のお話を踏まえると、ラインナップ決定の切り口は、演出家なんですね。

はい、演出家です。僕自身が演出家なので。就任当初から、作品を通して“事件”を起こしたい、“やっちまった劇場”と思われたい、と思ってきましたが、「危ないことをやろう」ってことに賛同してくれる人たちはやっぱり演出家だなと(笑)。演出家が集まる劇場にしたかったんです。

──“事件”という意味では、白井さんも出演された谷さん演出「三文オペラ」(2018年)、白井さん演出の「アルトゥロ・ウイの興隆」(2020年)など、世相に斬り込む先鋭的なKAATの作品作りは、たびたび注目を集めました。

主催公演で言うと、昨年は公演数も増えたので動員数が開場以来、一番多かったと思います。芸術監督になったとき、館長はじめ劇場の人たちは、「KAATを面白いことがやれるファクトリーにしたい」とおっしゃっていて、その思いはもちろんわかるんだけど、お客さんが来なかったら、せっかく中でいいものを作っていても意味がないんじゃないか、お客さんが詰めかける場所にしないといけないのではないかと思っていました。そこで僕は演目を増やし、多少無茶をしてでも、型破りでもいいからお客さんが来てくれる劇場にしたかった。時には「公共劇場が民間劇場と同じようなことをして」「公共劇場なら公共劇場にしかできないことを」と言われることもありましたが、「言ってもらおうじゃないの」と思っていました(笑)。これは最近の気持ちですけど、“公共劇場でないとできないこと”だけ考えていたら、地盤沈下すると言うか、行政的な意味でのただの“ハコ”になっちゃうと思ったんですね。それならむしろ「公共劇場でもこんなことができます」ということがしたい。例えば草彅剛くんが出た「アルトゥロ・ウィ~」を3万人の人が観てくれたこと、3万人がブレヒトが何かを知ったことはすごいことだし、草彅くんが演劇的なことをやってくれることで観客の目が変わるならそれもひとつの事件だと思ったんです。

でもそう思うようになったのは、僕の年齢もあると思います。四十代だったら“公共劇場でしかできないこと”に固執していたかもしれませんが、僕にはそういう意味で時間がありませんし。劇場のポジションという点でも各劇場で役割は変わってきますよね。例えばまつもと市民芸術館は、芸術監督の串田さんが地域に根付いた劇場を考え、地盤との交流をさまざまに考えていらしてすごいなと思います。松本でフラッとお蕎麦屋さんに入ると、「今は何でいらっしゃってるんですか、何が始まるんですか」ってお店の方に聞かれるんですよね。街の人たちが劇場の動きを知ってるんです。でもKAATは山下公園と中華街に挟まれていて、周囲には目的違いでやって来る人がそれぞれたくさんいますし、KAATにとって横浜は“交流するもの”というより“付随するもの”という感じなのかなと。そういう意味でもKAATは、ちょっと東京を横目に見ながら、へんてこりんな芝居をやる特殊な場所、という立ち位置を取るのが良いと思うんです。なので、KAATが演劇のグッゲンハイム(編集注:ソロモン・R・グッゲンハイム財団が運営する現代アートの美術館)になればいいなって思っていて。「面白い芝居をやってるらしい」と、世界中から演出家が集まってくる場所に、KAATがなればいいなと思っています。

白井晃

──実際、KAATからは特色ある作品が次々と発信されていますし、若手のアーティストを中心に、旬の才能が集まって来ていると感じます。今後、次代のアーティストたちに影響を与える場所になっていくのではないでしょうか。

今後のことなんて全然考える余裕がなくて、この劇場が毎年どうやっていくか、どうしたらプログラムが面白くなるかを考えていただけですが……(笑)。今、NTLiveが人気ですけど、舞台作品を映像で観せるのって自信がないとできませんし、僕は「演劇は生だ」と言ってきた世代なので、舞台の映像化ってある意味、演劇を否定する行為なんじゃないかとも思っていたんです。だけど今は、イギリスの国立劇場が堂々と世界に舞台映像を発信する時代なんですよね。それで思ったのは、映像を観て「こんな舞台があったんだ! これは生で観たかった」って思う人がいるということ。映像を通じて「劇場で、生で観てみたい」と人に思わせることが集客につながるんだなって。だったら公共劇場が劇場の外に演劇を持ち出して、積極的に演劇の“出前”をしても構わないんじゃないかと、今は思っています。

──また白井さんは常々、演劇・ダンス・身体表現・現代美術・音楽などのアートが複合的にある劇場でありたいとおっしゃっていました。2020年度もKAAT EXHIBITIONシリーズとして現代美術家・冨安由真さんの個展が開かれるほか、白井さん演出で4月に上演される「アーリントン(ラブ・ストーリー)」の関連企画として「リーディング公演 ポルノグラフィ」、さらにKAAT DANCE SERIES 2020として森山開次さん振付・演出の「星の王子さま─サン・テグジュペリからの手紙─」や小野寺修二さんの新作がラインナップされました。さらに白井さんがホストを務める音楽&トークイベント「SHIRAI's CAFE」など、多彩なプログラムが実施されます。

白井晃

僕は演劇屋ですけど、ダンスも音楽も美術も大好きなんですね。KAATを運営する神奈川芸術文化財団は県民ホールも運営していますが、県民ホールにはギャラリーがあるんです。以前、県民ホールが改修工事中に、一度KAATの中スタジオで展示したことがありました。県民ホールのギャラリーは白壁ですが、スタジオはブラックボックスなので、すごく劇的な印象を受けたんです。それから毎年、KAAT EXHIBITIONシリーズとして、KAATで美術の展示をするようになりました。さらにKAAT ○○○というシリーズを増やしたいと思って、三宅純さんとコンサートをやらせてもらったり、つながりのあるミュージシャンにライブをやってもらったり、横浜はもともとダンスが盛んですがコンテンポラリーダンスのシリーズにも改めて力を入れることにしました。という感じで、大きなビジョンを打ち立てるというよりは、この劇場になんとか注目してもらいたい、注目してもらうにはどうしたらいいかということを考えてプロジェクトを組んできました。

芸術監督として、ラストイヤーに込める思い

──お話を伺っていると、白井さんの中にはまだまだいろいろなアイデアがおありになり、このタイミングで芸術監督を退任されるのは非常に残念です。なぜそのような決断をされたのでしょうか?

僕があと5年芸術監督を続けていたら、僕自身も慣れてしまうだろうし、スタッフとの関係にも緊張感がなくなってしまうんじゃないか、それは面白くないなと思って。KAATには慰留されましたけど、最初に掲げた目標の通り、“やらかした劇場、事件を起こす劇場”でいたいし、そう思われなければ面白くないと思っているので、僕が今辞めて新しい芸術監督に変わる、ということがまたひとつの事件になればいいなと思っています。ただもしあと5年、僕が継続するとすれば、まったく違うやり方にしようと思っていました。例えばプログラムを世界中から公募で集めるとか、神奈川県の県民投票で決めるとか、僕は一切口を出さずに制作部のスタッフからの提案を待ち続けるとか……。

──そういうKAATもちょっと見てみたいですが。

白井晃

(笑)。それと、これは自分で言うのもどうかと思うんですけど、自分のレベルで芸術監督をやっていちゃいかんと思ったんです。このレベルじゃダメだ、もっと力のある人がやらないと、って。例えば僕は蜷川さんのような巨人にはなれないし、野田さんのような突出した才能があるわけではない。そこまでのカリスマ性もない僕が、KAATの旗を振っていることに自分として疑問を感じたし、そういう役はもっと若いエネルギーや才能がある人たちにやってもらって、僕は彼らをバックアップする側に回るほうがいいんじゃないかと。また新国立劇場の芸術監督に小川(絵梨子)さんが就任したことも大きかったです。「え、その年齢で?」って思ったけど、大きな時代の転換期なのだとも思いました。そこで今一番信頼できる長塚(圭史)さんに声をかけて、2年間参与として劇場を見て経験してもらい、2021年度からすぐに彼が動き出せる体制を作ろうと思いました……とまあ、格好良いように言ってますけど(笑)、本当にこんな人間があと5年やってはいけないって思ったんです。

──全力でKAATの芸術監督を務めていらした白井さんだからこその、謙虚で真摯なお言葉ですね。

芸術監督って闘いですから。プログラム会議で何度議論を闘わせたかわかりません。普段はこんなにおとなしいのに(笑)。

白井晃

──(笑)。芸術監督としての最終年である今年、白井さんはエンダ・ウォルシュ作「アーリントン」のほか、神奈川芸術文化財団芸術総監督でもある作曲家・一柳慧さんの代表作の1つ「オペラ『モモ』全3幕」、劇場内各所を使うブレヒトの「コーカサスの白墨の輪」、1995年に青山劇場で上演され注目を集めた「銀河鉄道の夜」改訂上演など、非常に気合の入った作品を多数演出されます。ご自身にとってはどんな1年になりそうでしょうか?

芸術監督としてラストの年だということは、僕にとってすごく大きいです。今はとにかく本当にKAATを盛り上げるということがすべてになっていますが、それがなくなった2021年以降、自分はどうしていくのかわかりません。次の場所が用意されているわけでもないですから、年齢的にも自分に何が足りなくて何が必要なのか考えながら、いち表現者として立ち返り、考える時期になるのかなと。ただ今は、目の前の2020年にKAATが公共劇場として、どういうスタンスであろうとするかを示すことに必死です。新型コロナのことで、嫌が応にも劇場というものの存在価値が問われることになってしまいました。東京オリンピック、パラリンピックも延期になりましたが、今回のことで情報によっていかに人々の不安が煽られるかもよくわかりました。その中で見過ごされることや、管理が強化されて自由が失われていくことが多くなると思います。とても嫌な空気が蔓延していて、そこに目を向けた作品作りに力を入れたいし、表現を継続できる方法を劇場としても考えていきたいと思います。また、自分にとって演劇的な志向を固めることができた音楽劇や、常識破りのオペラの上演にも挑戦したいです。そして、これから未来を担う若い表現者にどんどん挑戦してもらえる年度にしたいと思っています。それを実現するために私にできることは、何でもするつもりです。まずは、目の前にある難局をどう乗り越えるか、そこからです。