2011年の開館以来、横浜の新たな舞台芸術の創造拠点として存在感を見せているKAAT神奈川芸術劇場。都内の劇場とは異なり、空を、海を、街を感じながらクリエーションに臨めるぜいたくな創作環境は、KAATのダイナミックな作品作りに大きな影響を与えている。2020年春、芸術監督としてラストイヤーを迎えた白井晃は、劇場から一歩外へ出て、山下公園や中華街を歩きながら劇場への思いを語った。
取材・文 / 熊井玲 撮影 / 祭貴義道
海を見て、深呼吸した
──白井さんは2014年にKAAT神奈川芸術劇場のアーティスティックアドバイザー(芸術参与)、2016年には芸術監督に就任されました。6年以上横浜に通われていますが、普段、劇場周辺を散歩されたりすることはありますか?
これまでKAATのことを夢中でやってきたので、悲しいかな、劇場に行くときはKAATの半径500mから出たことがないんです(笑)。でも煮詰まったりすると、ふらっと山下公園に行って海を見て、深呼吸したりしていましたね。
──KAATはみなとみらい線の日本大通り駅と元町・中華街駅からいずれも徒歩で5~8分圏内、山下公園やマリンタワー、中華街、港の見える丘公園など観光名所に囲まれていますね。また神奈川県民ホール、横浜赤レンガ倉庫、神奈川県立青少年センターなどパフォーマンススペースも多数あり、舞台と近い環境にあると思います。劇場周辺で白井さんのお気に入りの場所はありますか?
公演の打ち上げはよく、中華街にあるお店でやっていますし、象の鼻テラスも素敵なので時々行きますが、それ以外で個人的なお気に入りと言うと……改めて話すのはちょっと恥ずかしいんですけど(笑)、劇場の近くにバーニーズ ニューヨークがあって、最上階に「&ima」っていうカフェがあるんですね。そこでは土日にサラダバーが出るんですけど、そのサラダが普通のサラダバーではなくて、すごく美味しい!(笑) この間、土曜日に会議があったときも行ったのですが、その日はサラダが売り切れでショックでした(笑)。そのカフェからは海が見えるので、食事が終わるとコーヒーを飲みながらパソコンを開いて仕事したり。あと劇場から少し歩いたところに日本大通りスタジオというKAATの稽古場があるんですが、その近くにあるgoozっていうコンビニは店内で調理した食べ物がいっぱい並んでて、店に行くのが楽しいんですよ。ちょっとしたテーブルも出ているので、外の空気を感じながら軽く食事したり、コーヒーを飲んだりできるのがいいですね。
──どちらもお1人になれる場所ですね。
芝居を作っているときは常に誰かとしゃべっているので、たまに1人でぼーっとしたくなるんです(笑)。それと日本大通りがすごく素敵なんですけど、そばにある土屋鞄製造所が好きで、ふらっと見に行ってますね。昨年の自分へのクリスマスプレゼントに1つ、そこで鞄を買いました(笑)。
──そうだったんですね(笑)。劇場の中でお好きなスペースはありますか?
8階のアトリエの外にある庭が気持ちいいです。同じ階にあるラウンジは絶景ポイントで、海はもちろん、東京タワーやスカイツリーが見えます。以前は富士山も見えたんですけど、隣にホテルが建って残念ながら見えなくなってしまいました。それと、ホールのM2階ホワイエから大スタジオの5階部分につながっている渡り廊下も好きです。実は1つ夢があって、そこでサックスの演奏会をやりたいんです。任期中に実現したいと思っています。
──劇場までは電車で移動されることが多いそうですが、移動時間はどのように過ごされていますか?
都内から30分程度と意外に時間が短いので、よく仕事のメールチェックをしてます。最初は横浜って遠いなって思ったけれど、意外とあっという間だなと感じますね。
充実したプログラムをKAATの特色に
──芸術監督に就任された2016年度のラインナップ発表会で、白井さんは「東京との距離感をプラスにする展開」「若いカンパニーやクリエイターの起用」「先鋭的な作品作り」などを抱負に掲げていらっしゃいました。その多くを具現化されたと思いますが、ご自身としてはこれまでの6年について、どのような実感をお持ちですか?
まず日本では、「芸術監督の仕事はこれだ」という明確な定義がないんですよね。だからKAATに来た当初、「芸術監督って何をすればいいんですか?」と劇場の方たちに聞いたんです。そうしたら館長の眞野純さんが「それを一緒に考えていきましょう」とおっしゃって。僕はそれまで、新国立劇場や世田谷パブリックシアター、水戸芸術館、北九州芸術劇場など公共劇場と関わりが多くて、それぞれの違いも感じていました。だから他劇場の知り合いに「そこではどういうやり方をしているの?」と教えてもらいながら、自分がKAATに対してできることは何だろう、この劇場に必要なことは何だろうと考えていきました。その中で、まずはKAAT独自のプログラムを組んでいくことが大事だろう、それが劇場の特色となり、情報発信源になるだろうと思い、プログラムを充実させていくことに注力しました。その流れで、プログラム会議を始めることになったんです。それまでKAATでは、制作課長がプログラムを統括するというスタイルだったのですが、僕は劇場全体でプログラムを考えていきたいと思いました。ただ僕が旗振り役ではあるけど、現場のプロデューサーがつながりのある演出家の情報もあると思うので、それをプログラムに反映していきたいと考え、初めのうちはプログラム会議の前に予備会も開いて、より広範囲にスタッフから情報を集めていく形をとりました。
──その会議には、白井さんも参加されたのでしょうか?
もちろんです。僕はやり始めたら、とことんやらないと気が済まないというか、性格的にall or nothingでして(笑)。だから予備会・プログラム会議・予備会・プログラム会議……って感じで、毎週全部の会議に出ていました。そのうち体制ができて制作課で意見を集約する形になり、予備会はなくなったんですが、それでも2週間から1カ月に1回は、進捗状況の確認も含めて、プログラム会議をやっています。
──毎年行われているKAATのラインナップ発表会では、参加アーティストたちが「白井さんとこんな話をしながら作品の方向性を決めた」と(参照:KAAT2020年度ラインナップ発表に白井晃「今年度も前のめりな表現の場に」)とよくお話になります。
いろいろなプログラムの決め方があると思うのですが、僕は、まず演出家と話し合うことから始めました。参考にしていたのは新国立劇場のプログラム作りです。新国立の場合は、僕は芸術監督から「こういうことをやってほしい」と直接言われていました。だから、自分から企画を提案したことはないんです。KAATでは、その新国立劇場のやり方と、演出家の考えを反映するやり方を並行してプログラムを決めていきました。私から作品を提案することもありますし、演出家と議論する中でアイデアが生まれたり、また逆提案してもらうこともありました。
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多彩なアーティストとの継続的な関係性作り