アジア女性の強さに迫った「TOGE」
次に高橋が、昨年12月に上演された、小野寺修二率いるカンパニーデラシネラの「TOGE」について発表した。「TOGE」には台湾のリウ・ジュイチューとマレーシアのリー・レンシン、そしてフランス在住の梶原暁子、デラシネラのメンバーである崎山莉奈、藤田桃子が出演。当初はKAAT神奈川芸術劇場のアトリウムで上演予定だったが、新型コロナウイルスの感染拡大状況に鑑みて、アトリウムでの30分程度の無料パフォーマンスと、中スタジオでの1時間程度の有料公演という2つの形態が取られた。高橋は「パンデミックの影響で小野寺さん以外の出演者は全員女性という形になりましたが、小野寺さんは以前から、日本以外のアジア女性に強さを感じていたことから、状況を逆手に取って今回はその点にフォーカスを当てるということでクリエーションがスタートしました。私は7月頃から参加したのですが、その時点でジョージ・オーウェルの『動物農場』をモチーフにすることが決まっていて、10月になって藤田さんが『動物農場』をモチーフに書いたプロットが共有されました。『動物農場』は、ある農園の動物たちが人間たちの支配を排除し自治を始めたものの、内紛や知識不足、経験不足などからコミュニティが瓦解していく様を描いた作品ですが、本作では顔が見えない何者かに管理されている女性たちが闘う物語になっていて、パンデミックでの普遍的な閉塞状況を描きつつ、“今”ならではの表現が立ち上がっていたと思います」と話した。
さらに高橋は、本作がデラシネラにとって、長期的な視野に基づいて立ち上げられたザ・グローバルシアタープロジェクトの1作目であることに触れ、「このプロジェクトでは、アジアで活動しているアーティストがすぐに集まれる場を持てるような、国際的かつ持続的な場作りを目指したものとなっています。そういった点でも、今後の展開が期待されます」と語った。
コロナ禍での日仏共同制作を実現させた「桜の園」
堀切は、SPACとフランス国立演劇センター ジュヌビリエ劇場による「桜の園」について説明。「『桜の園』はチェーホフが亡くなる直前、1904年に上演された戯曲ですが、農奴解放のあとの時代を描いた作品です。演出のダニエル・ジャンヌトーさんは、フランスのジュヌビリエ劇場の監督で、今の世界と『桜の園』の作品世界に親近感を感じ、今回演出することにしたそうです。またSPACの芸術総監督である宮城聰さんとジャンヌトーさんとはずっと関係性が続いていて、今回の国際共同制作はその延長線上で生まれた作品であるという点が、今回の国際共同制作事業8作品の中で特徴的ではないかと思います」と作品の背景を話した。
続けて堀切はクリエーションの様子について振り返る。「本作は昨年11月に静岡芸術劇場で上演されたのですが、稽古は2期に分けて行われ、8月の稽古では俳優がセリフを入れていく作業から始まり、10月には音楽と舞台美術、衣裳付きで稽古を重ねて行きました。特徴的だったのは、日仏両方から俳優とスタッフが参加しているところで、8月の稽古にもフランスの俳優とスタッフが来日し、静岡で滞在制作を行いました。11月の上演では、舞台美術が全体的にシンプルで、椅子や幕など最小限のものしか使われず、舞台の三方に引かれたカーテン、舞台奥には上演中ずっと、空の映像が映し出されていました。その空間の中で、日本人とフランス人の俳優がそれぞれの母国語でセリフの応酬を繰り広げるのですが、2つの言語で対話しているようには思えない、自然なやり取りが印象的でした。またSPACでは中高生の鑑賞事業を継続していて、今回は2000人の中高生が作品を鑑賞しました。コロナ禍でのこの希少な日仏共同制作作品を中高生が鑑賞できたことは貴重なことですし、すぐに芽が出るものではありませんが、この中から将来舞台芸術に興味を持つ人が出てくるかもしれないので、非常に大きな意味があることだったのではないでしょうか」と述べた。
コロナ禍での共同制作に必要なものとは
座談会の後半にはディスカッションが行われた。島貫は「今回はリモートで制作された作品が多いですが、コロナと国際共同制作という点で、どんなことを感じましたか?」と登壇者たちに質問を投げかける。南出は「テクニカル面では映像と音の点でさまざまな新しい試みがなされており、そのおかげでリモート作業に安定性がもたらされたと思います。また、初対面の相手と直接会わずに、どう関係を築きクリエーションを行うかという問題がありましたが、その点は先ほどもお話しした通り、何度もやり取りを重ね、長い時間をかけることで相手との関係が構築できていたと思うので、どちらが良いということではなく、リモート作業に対する1つの気付きになったと思います」と話す。
堀切は「SPACは山の中に稽古場があり、自然に囲まれた環境でのクリエーションだったので、もちろんガイドラインはしっかり守りつつも、コロナのことはそれほど考えなくても良い環境だったかもしれません。ただ、以前のように俳優たちが一緒にご飯を食べて会話を交わすことが難しかったり、制約がある中での稽古だったりという点では、俳優たちの精神的なケアやコミュニケーションを補うようなシステムを今後考えていく必要性があると感じます」と話した。
堀切の発言を受けて高橋は「ケアも大切ですし、どこまでを前提として創作を始めるかということも重要ですよね」と指摘。「ウイルスがどういう状況になるかわからない状況下で、例えば稽古期間をどのくらい取るのかとか、もし感染が拡大したときにはどうやって作品を作り続けるのか、どういった状況を想定した作品にしていくのか……など作品に臨むうえであらかじめ考えておくべき問題があるのかなと思います」と話した。
島貫は国際共同制作の意味合いが、コロナ禍によって変わってきたのではないかと話す。「言語や文化の差異の中から創作のヒントを見つけることがこれまでの国際共同制作の要点であったと思いますが、近年は情報ネットワークや移動の利便性が上がったことで、国や地域が異なっていても文化経験を共有できる時代になりました、しかしコロナ禍によって、それが再び物理的にセパレートした状態になっています。その中でお互いの距離をどう考え、どんな作品を作っていくかという考え方の切り替えが、この2年間でアーティストたちの間にあったのではないでしょうか」と述べた。
その島貫の発言を受けて南出は「国際共同制作という点で日本とブラジルの関係を考えたとき、ブラジルのメンバーは日本文化への理解が高く、中には日本語が話せるブラジルのアーティストもいたので、ほぼ通訳を介さずにクリエーションが進められました。一方で、日本においてブラジルへの理解がどれだけあるかを考えると、非対称だなと。国際共同制作を通じて、お互いの文化にさらに関心を持つことができたら良いなと思います」と話した。
さらに島貫は、今回登壇している4人がそれぞれ異なるバックボーンを持っていることに触れ、オブザーバーとしてどのような意識を持って作品に携わったかを尋ねた。文化人類学者の南出は「私は人類学の研究の一環で民族誌映像を作っているのですが、技術的な違いはあるとはいえ、映像作品を作るプロセスに関しては追えるのではないかという視点で「空の橋」をオブザーブさせていただきました。普段研究対象に向き合うときは、“対象と私”という関係ではなく、社会全体を研究の対象としつつ、その中にいる人と私の関係の中で向き合っていくんですが、今回もそれと近いものがあったのではないかと思います」と語った。
演劇研究者の堀切は「普段評論を書くときは舞台に上がったものがすべてで、創作環境については問わない、というように意識しています。でも今回は創作環境から見ているので、報告書に書くとき心がけていたのは、作品の外側と内側を平等に記録しようということでした」と話した。
島貫は「自分は批評的なテキストを書くこともありますが、自己への基本的な認識はライターであり続けています。ですから、演劇や舞台芸術といった創作を“外側から見ている”存在という意識を常に持っています。それもあって、プロセスオブザーバーのような密着度の高い現場にいると、自分が孤立している感じも強くあったのですが(笑)」と前置きしつつ、「今回の場合、当初は、岡田さんと俳優の中で演劇におけるどういった創作が起きているかに興味がありました。でも11月のクリエーションを経てプロジェクトにおける音楽の重要さに興味を持つようになり、西洋音楽の初学者として学び直す感じがありました」と述べた。
舞台芸術を専門とするライターの高橋は「できるだけ距離をとって、第三者的に観察するような気持ちで関わりました。とはいえ、一般的に、その場に自分がいることで演出家の態度が変わるということもあるので、自分の存在を完全に無にすることはできないとも感じます。ですのでオブザーバーとは、距離を保ちつつも、その場にいることで現場に多少影響を与えてしまう存在であるかもしれません」と振り返った。
いかにクリエーションのプロセスを伝えるか
座談会中に視聴者から「報告書として文字化することの難しさをどう感じるか」と質問が寄せられた。堀切は「ほかのプロセスオブザーバーの方たちの報告書を読ませていただいたのですが、全員タイプが違っていたんです。客観的に事実経過を報告するものから、稽古場に寄り添ってインタビューも交えながら読ませるもの、作品のコンテクストをどう考えるかということに踏み込んだものなど、報告書を書くうえでの前提がさまざま。なので、どういう前提で報告書を書くかによって、その難しさは違うのでは」と答える。
島貫は「現在のようにさまざまな表現手段があふれる中で、僕は文字で残すことだけが記録ではないと考えています。Podcastのような音声やVlogのようにライブ感のある映像で残す手段もありますし、むしろ文字化することで失われていくニュアンスもあると思います。そのことを意識しつつ今回は大きなテーマを設定して、その流れに沿って、あるいは目的とする何かに向かって整えて書くことよりも、その都度見たものを、見ながら考えたことも含めて、ある意味で散文的に書くような方法を取りました。ただ、そのような考え方・実践の方法には、検証や批判の余地があると思っています」と実感を述べた。
高橋は「ものを書くときは読者を想定しますが、難しさがあるとすればそこで、今回は主催である国際交流基金に対する報告書でもあり、同時に一般公開もされるという点でデラシネラのファンにも楽しんでほしいと考えたので、その2つの方向性を意識して書くことになりました」と語った。
南出は「私の文章ではありますが、私の関心や立場、解釈をできるだけ入れ込まず、作品の裏側を記録するという立ち位置で書きました。でも今、堀切さんのお話を伺って、その人にしか書けない側面を報告書の中に入れ込むという手もあったのだなと気付かされました」と話した。
最後にプロセスオブザーバーの今後の展開として、島貫が「今回選ばれた人たちはそれぞれにキャリアのある人たちですが、若い批評家や学生など、ある程度時間が自由に使える人たちや、建築家や社会学者など、舞台芸術とは違うジャンルの人がオブザーバーとして関わってきたら、また面白い視点の変化と発見が生まれるかもしれないですね」と意見すると、高橋は「1作品に対して複数のオブザーバーがいたらまた全然違ったものになる可能性がありますよね」と相槌を打ち、南出と堀切も深くうなずいた。
プロフィール
島貫泰介(シマヌキタイスケ)
1980年生まれ。美術ライター・編集者。京都・別府・東京を移動の拠点にしながら、紙・Web媒体で執筆・編集・企画を行う。近年は捩子ぴじん、三枝愛と共にリサーチコレクティブ・禹歩としても活動。
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堀切克洋(ホリキリカツヒロ)
1983年、福島県生まれ。演劇研究者・批評家。単訳に「ベケット氏の最期の時間」、共訳に「歌舞伎と革命ロシア」「ヤン・ファーブルの世界」、共同執筆に「北欧の舞台芸術」「日本戯曲大事典」など。舞台翻訳にエドワード・ボンド「男たちの中で」がある。
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堀切克洋(セクト・ポクリット管理人) (@KHorikiri) | Twitter
高橋彩子(タカハシアヤコ)
演劇・舞踊ライター。早稲田大学大学院文学研究科(演劇学・舞踊専攻)修士課程修了。現代劇、伝統芸能、バレエ、ダンス、ミュージカル、オペラ等を中心に執筆。第10回日本ダンス評論賞第一席。
南出和余(ミナミデカズヨ)
神戸女学院大学文学部英文学科(グローバル・スタディーズコース担当)准教授。専門は文化人類学、バングラデシュ地域研究。博士(総合研究大学院大学[国立民族学博物館])。単著に「『子ども域』の人類学」、編著に「Millennial Generation in Bangladesh: Their Life Strategies, Movement, and Identity Politics」など。2020年度大同生命地域研究奨励賞受賞。
独立行政法人国際交流基金(JF)(ドクリツギョウセイホウジンコクサイコウリュウキキン)
1972年に外務省所管の特殊法人として設立。世界の全地域において、総合的に国際文化交流を実施する日本で唯一の専門機関。大きく分けて「文化芸術交流」「日本語教育」「日本研究・知的交流」の分野での文化交流事業を実施中。世界に24か国・25の海外拠点と、国内の附属機関・支部を足がかりに、世界各国の在外公館、日本語教育機関や文化交流機関等と緊密に連携をとりながら、グローバルに活動を展開している。