「ジャポニスム2018:響きあう魂」| 岩井秀人「ワレワレのモロモロ ジュヌビリエ編」世界初演レポート

2018年11月22日から12月3日まで、フランス国立演劇センター ジュヌビリエ劇場にて上演された「ワレワレのモロモロ ジュヌビリエ編」は、ハイバイ主宰の岩井秀人がパリの北に隣接するジュヌビリエ市に長期滞在し、フランス人俳優たちの実体験をもとに立ち上げた作品だ。その世界初演の模様を、演劇ジャーナリストの徳永京子が目撃。日本での上演との違いや現地の反応を交えながら、“どのような公演だったか”をレポートする。

“私たち”の演劇が並んだ
「ジャポニスム2018」

「ジャポニスム2018:響きあう魂」の全容が明らかになり、「現代演劇シリーズ」のプログラムが発表されたとき、多くの演劇ファンと作り手が色めき立った。その反応を要約すると「私たちのリアルな演劇が並んでいる!」という興奮だったと思う。海外で日本の舞台芸術が公的に紹介される場合、歌舞伎や能や狂言などの古典、あるいはすでに高い評価を確立している演出家やカンパニーが選ばれるのが通例だった。明確な日本らしさ、多くの人が日本代表と認める安心感が求められた結果そうなるのは理解されたが、その状況はいつしか、“私たち”にとってより身近な演劇と“お墨付き”とは違うという感覚を生んでしまった。

現代演劇シリーズ―岩井秀人構成・演出「ワレワレのモロモロ ジュヌビリエ編」 ©KOS-CREA / 写真提供:国際交流基金

“私たち”とは、チケット代が3000~6000円の公演、客席数が100~400席ぐらいの劇場に足しげく通う人たちをイメージしてもらいたい。この人たちが観る舞台がなぜ大切かと言うと、プロジェクトの規模からさまざまな試みが可能で、作り手の問題意識が表現や上演スタイルに反映されやすく、その結果、個性的な才能が育ち、それが演劇内外を刺激して、ときに新しい活路を開くからだ。

そうした点で「ジャポニスム2018」の「現代演劇シリーズ」ラインナップは、かつてなく“私たち”の趣味と重なったものであり、さらに創作 / 上演の形態も非常に興味深いものだった。例えばタニノクロウ演出の「ダークマスター」と「地獄谷温泉 無明ノ宿」の連続上演は、前者の千秋楽の翌日に後者の初日が開くもので、タニノ作品の美術の驚異的な作り込みを知っている人なら、同じ劇場でそれを実施するのがどれだけマジカルかを思って、関係者の攻めの姿勢を感じただろう。松竹大歌舞伎(こちらはもちろん「現代演劇シリーズ」ではない)と木ノ下歌舞伎が同じフェスティバルの中で上演されたのも快挙で、9月の松竹大歌舞伎と11月の木ノ下歌舞伎を観たフランスの観客が両者の間に何を読み取ったかを想像するとわくわくする。また、フランス人演出家とフランス人俳優によってリーディング公演が行われたのだが、その演目が、理系と呼ばれることの多い前川知大の作品でもひときわ構成力に優れた「散歩する侵略者」と、東日本大震災および福島原発事故の被災者である高校生のドキュメンタリー的な言葉をもとにした飴屋法水の「ブルーシート」という対照的な2作だったのも広い目配りが感じられた。ほかの演目に対しても「この公演をこのまま日本でもやってほしい」という声を聞くことしきりだった。

自分の経験を自分で戯曲に

現代演劇シリーズ―岩井秀人構成・演出「ワレワレのモロモロ ジュヌビリエ編」 ©KOS-CREA / 写真提供:国際交流基金

そんなふうに“私たち”度の高い「ジャポニスム2018」の中で、もう1つの“私たち”を問うたのが、演劇で唯一の日仏共同制作作品、岩井秀人構成・演出の「ワレワレのモロモロ ジュヌビリエ編」だ。岩井は劇団ハイバイの主宰、劇作家、演出家、俳優であり、映画やテレビでも幅広く活動している。「ワレワレのモロモロ」は、シリーズ化された作品のタイトルであると同時に、岩井が考案したメソッドと言えるだろう。プロの俳優か、アマチュアかを問わず、出演者が自分の経験を自分で戯曲にし、それをみんなで演じて岩井が形を整えるもので、1人ひとりに「あなたの身の上に起きた悲惨なこと」というテーマで話をしてもらうところから始めるが、これは岩井自身、引きこもりだった時代や父親の暴力などの実体験を演劇にしてきたことに由来する。演劇にすることで、自分の傷と新しい距離感を取れたり、誰かに共感されたり、ひいては、演劇が実人生と切り離されたものではないと実感でき、戯曲や演技に対する感じ方が変化するという。岩井は俳優志望の受講者が多い「ENBUゼミナール」で講師をした10年に初めて実践し、その後は国内各地のワークショップ、16年にはハイバイの劇団公演(参考:実際起きた“面白ひどい”エピソードで綴る、ハイバイ「ワレワレのモロモロ」)、18年には高齢者演劇集団のさいたまゴールド・シアターの本公演でも実施して上演した(参考:悲喜こもごもを作品に昇華、ゴールド・シアター×岩井秀人「ワレワレのモロモロ」)。そして16年の「ワレワレのモロモロ 東京編」を、フランス国立演劇センター ジュヌビリエ劇場の芸術監督に就任したばかりのダニエル・ジャヌトーが観て上演を熱望、今回の共同制作につながった。

赤裸々さと幽霊感覚を持つ「ジュヌビリエ編」

現代演劇シリーズ―岩井秀人構成・演出「ワレワレのモロモロ ジュヌビリエ編」 ©KOS-CREA / 写真提供:国際交流基金

「ワレワレのモロモロ ジュヌビリエ編」はタイトル通り、劇場があるジュヌビリエ周辺に暮らす演劇経験のない市民4人と、プロの俳優3人、いずれもフランス人の計7名の出演者によって上演された。年齢は二十代から八十代までで、最高齢の82歳の女性と、次に高齢の79歳の男性は実際の夫婦。プロの俳優は岩井の希望によって劇場が手配したが、一般の人と同じようにワークショップから参加して自分の体験を話した。オーディションは劇場が「ワレワレのモロモロ」の主旨=“自分の実人生を演劇にすること”を説明して募集をかけ、数十人の応募の中から岩井を中心にしたスタッフで選考したという。

さて、当然だが上演はすべてフランス語で字幕もないため、制作サイドの計らいで、私は初日2日前に、日本人スタッフが使用している日本語訳のテキストをもらった。それは全部で17章ある、なかなかボリューミーなもので、内容は、前述の老夫妻の馴れ初めなど温かなエピソードもあるものの、全体的にはヘビーな話が多かった。日本で観た「ワレワレのモロモロ」は、悲惨な体験が語られても、別のエピソードが脱力系だったり、シリアスさと笑いがシーソーのようにバランスを取っているのが特徴だが、そうした安全弁は見当たらない。幼い頃に受けた親からの暴力、母親の浮気、セックスの問題で子どもの頃にできた親との壁など赤裸々なエピソードが多い。その大半が、出演者の両親たちが移民としてフランスにやって来たことと不可分なのも、やはり日本にはない重さだ。実際、ジュヌビリエ市は、パリの中心部からやや離れている郊外で、移民の割合が高く、治安が悪いと言われている。ただ、そうした社会的な状況を細かく書いている人はおらず、ほとんどの人が、子ども時代の自分の目に映った親や家族や自分を語っていて、そのことが一種の生々しさと、相反する表現になるが、薄い布を通して景色を見るような感覚をもたらしていた。この追憶の感覚には2つの理由が考えられた。1つは、私が出演者たちと共有していないコンテクストが多いため。もう1つは、最初のエピソードが「自分には幽霊を作る能力がある」という不思議な語りから始まる浮力の強いもので、その印象が全体に影響しているかもしれないということ。「ワレワレのモロモロ」自体が特殊な形態である上に、「ジュヌビリエ編」の赤裸々さと幽霊感覚が観客にどう映るのか、まったく想像がつかなかった。しかも、当初は2時間を予定されていた上演時間が2時間20分になったこともあって、正直に書くと不安のほうが大きくなっていた。

親密さと切実さが客席にも伝わった

だがそれは杞憂だった。ハイバイでお馴染みの開演前の注意、「どうも、作・演出の岩井です」と岩井ではない俳優が現れて、携帯電話の電源オフと、飴の袋の開け方について注意する鉄板の挨拶も、通訳兼翻訳を担当したフランス人男性が担当して笑いを取り(クスクス程度ではあったが)、彼が引っ込むのと入れ違いで現れたスリムで長身の男性が、ニセ岩井と同じ日常的なテンションと声量で話し始めたときから、客席の空気はスッとその方向に向いた。彼はマチュー・モンタニエというプロの俳優で、4歳の時に母親を亡くし、そのときから幽霊が作れるようになった話をのんびりした調子で続けた。

現代演劇シリーズ―岩井秀人構成・演出「ワレワレのモロモロ ジュヌビリエ編」 ©KOS-CREA / 写真提供:国際交流基金

「ジュヌビリエ編」は全体的に、出演者がゆったり歩きながらのんびり話す、というトーンに貫かれていた。各エピソードのつなぎ目はなめらかで、前のエピソードの登場人物をアクティングエリアに残したまま次のエピソードが始まっていることもあり、こうした効果は親密感を醸し出し、前述の浮遊感、幽霊感覚を感じる要因にもなった。一方で、内容の切実さ、赤裸々さは現地の人の胸を打ったようで、後半には複数の鼻をすする音が聞こえた。もう1つ書いておきたいのは美術(山本貴愛。衣装も担当)で、引き戸を木枠だけにした装置がゴールド・シアターの「ワレワレのモロモロ」に登場したが、それに奥行きを付け足したようなセットがこの作品に用意された。そのセットはシーンに合わせて形を変え、出演者たちがそれをくぐったり移動させたりしたのだが、そのたびにエピソードとエピソードが混ざり、また、劇の時間や空間と劇場(観客がいるイマココ)の時間や空間が混ざる効果をもたらしていた。彼や彼女の物語は、柔らかく、私たちの物語と溶け合っていったのだ。

日本の“ワレワレ”からフランスの“ワレワレ”に

終演後、観客に感想を聞いてみると、パリ市内から来たという七十代の女性の2人組は興奮した様子で「素晴らしかった、こんな演劇は観たことがない」と声をそろえた。出演者の実体験が語られていることはすぐに理解できたか尋ねると、「事前に記事を読んでいたので、そういう作品だと知っていたし、観ていてもとてもスムーズに理解できた」とのこと。その記事には「ヒデトはヒキコモリだった」という情報もあったそうで、コミュニケーションを扱った物語だと理解していたようだ。「もしまたヒデトのワークショップがあったら?」と聞くと、即答で「絶対に参加する!」と返ってきた。その1人が「あのセットはとても日本的。ミニマリズムを感じる」と言っていて、それは日本の中からは出てこない指摘かもしれないと膝を打った。

芸術監督のジャヌトーに、実体験を戯曲にすること、演技未経験者が舞台に立つことをどう考えているか話を聞くと「通常の演劇は完成度を優先するが、この作品は例外で、出演者がいかに生き生きしているかが重要」であり、「ヒデトは彼らを舞台上でメタモルフォーゼさせた。それは素晴らしいこと」と答えてくれた。それは、日本の“私たち”の演劇だった「ワレワレのモロモロ」が、もっと広い場所の人たちにとっての“私たち”の演劇へメタモルフォーゼした瞬間だったと言えるのではないだろうか。

「ジャポニスム2018:響きあう魂」特集
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フランス公演レポート

2019年3月18日更新