吟鳥子が振り返る、能の美を感じたオンライン観能
──能楽との出会いは?
18歳のときに大学でサークルを見学して回っていて、カッコいい!と思ったのが能楽サークルの仕舞でした。それが能楽との出会いです。
──「いとうせいこうの能楽紀行」でイラストに盛り込みたいと強く思われた部分は何でしたか?
「作品を理解できたことがうれしい!」ということの感謝とうれしさをお伝えしたくて、かなりの内容をそれに割いてしまいました。これからご覧になる皆様にも「知らなかった!」という驚きをぜひご体験いただきたく、番組内容のネタバレをなるべく避けております……。
──「いとうせいこうの能楽紀行」で、一番“ため”になったことは?
殺生石が現実に存在すること、能の「殺生石」が現実と地続きの物語であるということを知ることができて、深い納得がありました。古代ギリシャより演劇は「現実もこうありますように」という神への祈りでもあった……ということを思い出し、歴史に思いをはせ、感慨深くなりました。
──「夜能『清経』」で見逃せない!と感じたポイントは?
朗読パートは、素晴らしい雅楽の音で幻想の世界に誘われ、鮮やかに演じ分けられる朗読ですぐに「清経」の世界に入り込めてしまいます。ひたすら深く没入いたしましょう……。能楽パートでは、まずは清経の妻の座り方にご注目を……。あの美しさを維持し続けてすらりと立ち上がられるのは驚異です! またカメラワークが素晴らしくて、清経の能面のわずかな角度の違いで伝えられる表現の豊かさをしっかりとカメラが捉えてくれるので、その1つひとつを目で追うと作品理解がとても深くなると思います。特典映像では、能楽師の御二方と声優の細谷佳正さんという、生涯を通じて“演じる”ということを追求される皆様の深いリスペクトのある交歓を感じられて、終始ほっこりとさせていただきました。
──オンラインで能楽に触れて、どんな発見や驚きがありましたか?
オンラインでの観能は素晴らしい体験でした! 殊にこちらの作品はカメラワークが美に対してとても鋭敏な感覚で、「能とはこんなにも美しいものか」という衝撃の瞬間を次から次へと視聴者の網膜に送り込んできます。心を奪われた瞬間を何度でもくり返し観ることのできる映像作品であることに、本当に感謝しました。
- 吟鳥子(ギントリコ)
- 2005年、ウィングス(新書館)に掲載された「ある幸福な人の噺」でマンガ家デビュー。2016年から2020年にかけてミステリーボニータ(秋田書店)で発表した「きみを死なせないための物語(ストーリア)」で、「このマンガがすごい!2018」オンナ編の第7位、「みんなが選ぶTSUTAYAコミック大賞2019」の第4位、「2021年 第52回星雲賞」のコミック部門を受賞した。現在、「架カル空ノ音」の新装改訂版・上中下巻コミックスの制作中(2022年春頃に発売予定)。そのほかの作品に、「アンの世界地図~It's a small world~」など。
「夜能『清経』」でシテを勤めた和久荘太郎、
全集中して観なくても良い“気軽さ”で
──オンライン配信のある公演で能楽を届けるときに、表現や芸に変化はありますか?
これは、オンライン配信の撮影方法によります。今回の「清経」のようにお客様を入れて撮影する場合と、無観客で撮影するのでは、演者として意識がまったく変わることが初めてわかりました。やはり
──オンライン観劇が普及し、能楽ファンからはどのような反響がありましたか?
おおむね好評です。特に昨年の「夜能『祇王』」の構図は衝撃的で、無観客で撮影したこともあり、通常では絶対に観ることができないさまざまな角度から演者を観ることができ、能面の表情もしっかり捉えることができます。コロナ禍以前も、巨大台風、大雪などにより催しを中止せざるを得ない経験があり、中止した舞台も観ていただける状況ができたのは、素晴らしいことだと思います。ただ、能をはじめとした演劇や映画などでは、上演時間内は劇場という空間に押し込められていて、途中で出ることができない、また、スマホを触るなどのほかのことができないという制約された条件の中で、ある意味“我慢して”観る退屈なシーンも存在するからこそ、後のクライマックスが生きる、ということもあるようで、「自宅で集中して長時間観ることの難しさよ」とのお声をよく伺います。
──オンラインならではの能楽の楽しみ方は、どんなところにありますか?
先ほどと逆の話になるかもしれませんが、“もっと気軽に”をコンセプトとして、あまり全集中して観なくても良いのかもしれません。「夜能」のようにスマホを使ってTwitterに投稿しながら観ても良いし、お酒やお食事をしながら観るのも良い。飽きてきても早送りはあまりしないで、ぜひそこは我慢していただければ……。
──コロナ禍において、伝統芸能のジャンルも新しいことに挑戦しています。どのように感じますか?
我々はどのような状況でも生き残らなければなりません。何百年という歴史で、さまざまな厄災・戦争の中でも少しずつ形を変えて先人(お客様・演者)が芸能を残してくれました。昨年5月頃、初めての緊急事態宣言下では、我々伝統芸能に生きる者は皆“非常事態”であることを実感しました。舞台がやれないことのつらさ、お弟子さんの稽古ができない、無収入になることへの焦り。いつまで続くのかと不安の毎日でしたが、あのときのどん底の絶望感は幸い短期で済みました。あの体験を忘れず、何かを変える必要があることは世代を問わず感じたはずです。しかし、向き不向きもあり、誰もが新しいことに挑戦できるわけではありません。やれる状況の人はどんどん挑戦して新風を吹き込み、それをやれない人たちも旧弊にとらわれずにある程度大きな気持ちで見守る、または力添えをする、という多様性のある環境になっていくと良いと思います。
──「夜能『清経』」の見どころは?
大分県柳ヶ浦沖で、行く末に絶望して舟から身を投げた平清経。その形見を家臣から受け取る清経の妻。共に生きる約束をしたのに、と夫を恨み、形見を受け取らずに泣き伏して「せめて夢でも逢わせたまえ」とまどろみ、その夢の中に清経の幽霊が静かに登場し、世の無常をつぶやき、愛する妻に声をかけます。
ここが、この作品の大事なところで、お客様をいかに妻の側の気持ちに引き込むことができるか。その後の夫婦のなじりあいとも言える対話では、お互い愛する気持ちが強い故のすれ違いが観る人の共感を誘います。
決してハッピーエンドではありませんが、戦をきっかけとした不条理な夫婦の別離の物語に何か考えさせられるところがあると思います。どう感じるかは、皆さまの自由です。同じ能を観ても、ご自身の観る時期、年代によって感じ方が変わることでしょう。今後も機会を作って能楽堂にお運びいただき、能をご覧ください。
- 和久荘太郎(ワクソウタロウ)
- 1974年、神奈川県生まれ、愛知県出身。シテ方宝生流能楽師。十八代宗家宝生英雄、十九代宗家宝生英照に師事。1995年に「藤栄」で初舞台を踏み、2004年に「小鍛冶」で初シテ。2005年に自身の同門会「涌宝会(ゆうほうかい)」を発足する。2006年に「石橋」、2009年に「道成寺」、2011年に「乱」、2021年に「翁」などを披演。2020年、重要無形文化財の保持者の認定(総合認定)を受けた。