北村想と宮城聰が初タッグを組む。北村の代表作「寿歌(ほぎうた)」が宮城の演出により、3月から6月にかけて7会場で上演されるのだ。共に1950年代生まれ、片や愛知、片や静岡を拠点に活動する彼らが作品を介して感じ合うものとは? 1月下旬に愛知にて行われた「寿歌」の記者会見直後、2人に今回の上演にかける思いを聞いた。なお本作は、愛知県芸術劇場が小ホールで開催する先駆的・実験的なプログラム「ミニセレ」のラインナップ作品となっており、愛知県芸術劇場と静岡県舞台芸術センターの初共同企画作品でもある。
取材・文 / 熊井玲 撮影 / 三浦知也
意外にも初顔合わせ
──「寿歌」は、1979年に北村さんが当時主宰されていた劇団T.P.O師★団にて初演されました。核戦争後の荒野でリヤカーを引く旅芸人のゲサクとキョウコ、そしてヤスオが、リチウム原子爆弾の飛び交う中、あてどもない旅に繰り出す様を描き、80年代の演劇界に大きな影響を与えた作品です。初演時、宮城さんにも「寿歌」の噂は聞こえていましたか?
宮城聰 「寿歌」初演の頃は東京の大学に通っていたので、舞台は観てないんです。ただ愛知から来た大学生たちが「こういう作家がいる」と騒いでいたのを覚えています。その後、80年とか81年には学園祭で想さんの「月夜とオルガン」などがやられたり、東京でも頻繁に想さんの作品が上演されるようになりましたし、あと僕の芝居でよく主役をやっている美加理が想さんの作品に出ていますから、これまで直接のお付き合いはなかったんですけど、もう随分前から想さんのことは存じ上げてますし、尊敬していました。
──さまざまな演出家が「寿歌」に挑戦していますが、宮城さんはこれまでどなたかの演出をご覧になったことはありますか?
宮城 (北村が主宰していた)プロジェクト・ナビの「寿歌」しか観たことがないです。
──北村さんは、宮城さんの演出作品をご覧になったことは?
北村想 ないです、僕は出不精ですから。宮城さんの作品だけではなくて、あんまり芝居を観ないし、ほかの作家ともほとんど接点がないんですよ(笑)。芝居を観ていたのは、うーん、二十歳前後ぐらいですかね。唐(十郎)さんが不忍池で芝居をしてた全盛期とか、佐藤(信)さんがテントを張っていた頃とか。それからは……映画は年間300本くらい観るんですけど、芝居はほとんど観ないなあ。俺は、あんまりいい観客じゃないんですよ。つまらなかったら客席から「引っ込め!」とか言っちゃうから(笑)。
──……と北村さんはおっしゃっていますが、今回「寿歌」を演出される宮城さんのご心境は?(笑)
北村 いやいや、もっと若い頃の話ですよ!(笑) 今はそもそも観ないからそんなこと言いません!
宮城 あははは(笑)。僕はこれまで、できるだけでっかいものと向き合うと自分も少し大きくなるって原理で演出してきたんですね。自分自身はちっぽけだけれど、相手が大きければ少しは自分も大きくなれるんじゃないかと思って。なので、自分にとって「これはよほど巨大だ、これに向き合えば自分が何がしかになれる」というものだけを選んでいくと、どうしてもギリシャ悲劇とかシェイクスピアをやることが多くて、日本の現存の作家のものってそんなに入ってこなかったんです。その中で「寿歌」は、“闇の晩にヘタをつけた大きい茄子”って言い方があるけど、そんな感じ。どれだけデカいのかよくわからないくらいの大きさを感じるんですよね。今回、そういうものと向き合ってみたいなと思ったんです。
恥じらいにその人らしさが出る(宮城)
──「寿歌」の会見で、宮城さんが北村さんを詩人と評されたのが印象的でした(参照:北村想「寿歌」に宮城聰が挑む、「詩人のような言葉が今、必要」)。宮城さんはこれまで三島由紀夫や唐さん、平田オリザさん、野田秀樹さんなどの作品を演出されていますが、同時代の作家の中で、北村さんの言葉にはどのような印象を持たれていますか?
宮城 唐さんはまさに詩人と言ったような方だし、平田オリザさんは文学っていう素養をあまり露骨に出さないようにはしているかもしれないけれど、実はとっても文学的な人じゃないですか。詩って言うのは、自分でも何を書いているのかわからない中で出てきた言葉。どうしてこの言葉が出てきたのかわからないんだけれど、作家もわからないままに書いている。そういう言葉ってある人にはあるし、ない人にはまったくなくて、僕はそれがある人に惹かれるんですね。しかも臆面もなく「私は詩を書いている」って感じがするものには惹かれなくて、「こんなことがペン先から出てしまった」ということに対する一種の恥じらいのようなもの、それを感じながら書かれているものにすごく魅力を感じる。恥じらいゆえに、戯曲の中に“詩を書いちゃった”ことに対するごまかしと言うか、筆致が出てくるわけなんです。そこに、三島にしろ唐さんにしろ、その人らしさが出る。「寿歌」にも僕は、想さん流の恥じらいの出し方を感じていて、それが「寿歌」においては俳優への愛情っていう回路で表れているんじゃないかと思うんです。そこが好きですね。
北村 僕に限らず、作家にはそういう方が多いとは思いますけど、今の宮城さんの話は非常によくわかる話ですね。このインタビューを読んでいる人たちは得しましたよ(笑)。会見の時の“詩人”のお話よりわかりやすいです。
宮城 あははは(笑)。
北村 その恥じらいについて、唐さんは自分自身をどう笑うかだとおっしゃっていたり、別役(実)さんは手練手管で自分の世界にうまく運んでいっちゃったりするんだけれど(笑)、僕が「寿歌」を書いたときは二十代半ばで、そんな手練手管はないですから、宮城さんがおっしゃったように役者への愛情しかなかったし、それが作品に表れたんだと思いますね。うん、宮城さんお見事!
宮城 ふふふ(笑)。
「寿歌Ⅳ」のあと、ゲサクはどうするんだろう?(北村)
──北村さんは「寿歌」を発表されたあと、それに連なるお話として「寿歌II」と「寿歌西へ-寿歌 III-」、そして「寿歌Ⅳ~火の粉のごとく星に生まれよ~」を執筆されました。一大シリーズとなった「寿歌」ですが、北村さんは会見で、「寿歌」がそもそも劇団の稽古用台本として書かれた作品であること、当時うつ病を発症され、熱っぽさに浮かされながらボールペン原紙に一気書きしたものであること、またラストの構想以外は執筆しながら決めていったことなどをお話されました。
北村 「寿歌」については、本当に自分でもなんでこんなものを書いたのかわからないんです。でもわからないから書き直しようもなく、わからないからこそ15年も上演し続けたんでしょうね。本当にラスト以外何も決まってなかったから、目を瞑って辞書をめくり、ぱっと指を当てた所に書かれていた単語を作品に盛り込んでいくっていう、そういう書き方で(笑)。そのあと、「寿歌」は僕自身の人生の予言のような作品だという発見があり、「寿歌Ⅳ」のときにはそういうことが全部わかって書いたので、「寿歌」を書いたときとは全然思いが違いました。
宮城 僕は「寿歌」と「寿歌Ⅳ」を読ませていただき、実は「寿歌Ⅳ」を演出させていただきたいなと思ったりもしたんです。でも僕が一生の間で演出できる新作ももう本数が限られてきましたし、そうすると初めて想さんの本をやるにあたって、僕自身が想さんを知るのに一番いいものは何かって考えていく中で、やっぱり最初の「寿歌」かなと思いまして。
──2012年にはシリーズ4作をまとめた戯曲集も出版されました。北村さんの「寿歌」を巡る旅はもう完結されたのでしょうか。
北村 舞台の上ではそうですね、終わってるんですけど、「寿歌Ⅳ」でキョウコを消しちゃったので、あのあとゲサクが1人残ってどうするのか、次にゲサクが誰と会うのかということには興味があります。たぶんね、リヤカーを持って歩くんじゃなくて、ふと気付いたように荒地を耕すんじゃないかと思うんです。
──立ち止まって土地を耕す! それは示唆的ですね。ぜひ拝見したいです。
北村 いやいや、実際にはまず書かないと思いますが……(笑)。
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劇場からはみ出す舞台美術
- 愛知県芸術劇場・SPAC(静岡県舞台芸術センター)共同企画「寿歌」
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2018年3月24日(土)~26日(月)
愛知県 愛知県芸術劇場 小ホール2018年4月28日(土)・30日(月・振休)
静岡県 舞台芸術公園 野外劇場「有度」2018年5月18日(金)・19日(土)
熊本県 ながす未来館2018年5月26日(土)・27日(日)
福岡県 北九州芸術劇場 小劇場2018年6月8日(金)
茨城県 ひたちなか市文化会館 小ホール2018年6月16日(土)
愛知県 パティオ池鯉鮒 花しょうぶホール2018年6月23日(土)
愛知県 小牧市市民会館作:北村想
演出:宮城聰
出演:SPAC(奥野晃士、春日井一平、たきいみき)
- 北村想(キタムラソウ)
- 1952年滋賀県生まれ。劇作家、小説家、エッセイスト。劇団T.P.O師★団、彗星‘86、プロジェクト・ナビを主宰。79年に代表作「寿歌」を発表し、15年にわたって上演を続ける。84年に「十一人の少年」で第28回岸田國士戯曲賞、89年に「雪をわたって…第二稿・月のあかるさ」で紀伊國屋演劇賞個人賞、ラジオ・ドラマ「ケンジ・地球ステーションの旅」でギャラクシー賞を受賞。96年に兵庫のAI・HALLにて伊丹想流私塾を開塾する。2012年にはシリーズ4作を収めた「寿歌[全四曲]」、13年には「恋愛的演劇論」(松本工房発行)を上梓した。なお13年からシス・カンパニーのプロデュースにより、日本文学へのリスペクトを込めた「日本文学シリーズ」を始動。その第1弾「グッドバイ」にて、第17回鶴屋南北戯曲賞を受賞した。第5弾「お蘭、登場」は6月中旬から7月中旬に東京、7月下旬に大阪にて上演される。
- 宮城聰(ミヤギサトシ)
- 1959年東京生まれ。演出家。SPAC-静岡県舞台芸術センター芸術総監督。東京大学で小田島雄志・渡邊守章・日高八郎各師から演劇論を学び、90年にク・ナウカを旗揚げ。国際的な公演活動を展開し、同時代的テキスト解釈とアジア演劇の身体技法や様式性を融合させた演出で国内外から評価を得る。2007年4月、SPAC芸術総監督に就任。自作の上演と並行して世界各地から現代社会を切り取った作品を次々と招聘し、“世界を見る窓”としての劇場作りに力を注いでいる。14年7月にアビニョン演劇祭から招聘された「マハーバーラタ」の成功を受け、17年に「アンティゴネ」を同演劇祭のオープニング作品として法王庁中庭で上演した。代表作に「王女メデイア」「ペール・ギュント」など。06年から17年までAPAF(アジア舞台芸術祭)のプロデューサー、18年より東京芸術祭総合ディレクター。04年に第3回朝日舞台芸術賞、05年に第2回アサヒビール芸術賞を受賞。