古典から現代劇まで、洋の東西を問わず幅広い演目を手がけているKUNIOの杉原邦生が、今度は「グリークス」の演出に臨む。10本のギリシャ悲劇を1本の戯曲にまとめた本作は、上演時間10時間にも及ぶ超大作。「グリークス」のセリフの大海に飛び込むにあたって、杉原が同志に選んだのは、アメリカ文学・現代演劇の研究者で翻訳家でもある小澤英実だ。2人は、シンプルで奥深い原文をどのように立ち上げていくのか。その極意を聞くと共に、出演者の天宮良、安藤玉恵から稽古の様子を聞く。なお本作はKAAT 神奈川芸術劇場とKUNIOの共同制作となっている。
取材・文 / 熊井玲 撮影 / 川野結李歌
シンプルで奥深い原文を、いかに訳すか
──「グリークス」以前から、お二人に接点はあったんですか?
杉原邦生 お名前は知っていましたが、一緒にお仕事したことはなかったです。英実さんは僕の演出作品をいくつか観てくださっていて、「エンジェルス・イン・アメリカ」(2009年初演、2011年再演)の劇評も書いてくださいました。それぐらいの接点だったんですけど、今回新訳を誰にお願いしたらいいか周囲の人たちに相談したところ、「小澤さんがいいのでは」という声が多くて。僕としても、今回は女性の視点がキーになった作品なので、女性の翻訳家に関わっていただきたいと思ったんです。
小澤英実 私は以前からKUNIOのファンで(笑)。「エンジェルス・イン・アメリカ」は、私が一番好きな戯曲なのですが、それがとても素晴らしい上演で感激していたんです。だから今回オファーをいただいて、二つ返事でお受けしました。ただ私はギリシャ悲劇が専門ではないので、「勉強します」とお伝えして。訳している半年はギリシャ悲劇漬けの毎日でした。
──「グリークス」と言えば、2000年に上演された蜷川幸雄演出版が有名です。杉原さんは実際にご覧になっていますか?
杉原 “生”では観ていないです。大学に入りたての頃、テレビの舞台中継をビデオに録って観ました……そう、まだビデオの時代でしたね(笑)。10時間なんて全部観られないだろうと思っていましたが、あっという間に観ちゃって。「こんなに長くて面白い演劇作品があるんだ!」と衝撃でした。
──小澤さんは「グリークス」という作品についてはご存知でしたか?
小澤 作品のタイトルは知っていましたが、あまり予備知識なく、まっさらな状態で向き合いました。
──実際に触れられて、原文のテキストはどんな感触なのでしょう。
小澤 シンプルだけど奥深くて、簡潔な言葉の中にいろいろな意味や人間関係が全部込められている。文芸書を翻訳するときは、いつも何百ページもみっちりと書かれた本を何カ月もかけて訳すので、「グリークス」のオリジナル戯曲を手にしたときはスカスカで短いなと思ったんですけれど、いざ訳してみると、その短さがとても難しかったです。
杉原 何が一番難しかったですか?
小澤 シンプルなセリフだけに、幾通りも訳せてしまうところですね。“いかようにも訳せる、でもベストは1つ”。英語の原文はフラットに書かれているので、例えばギリシャ悲劇らしい仰々しさや荘厳さみたいなものをどれだけ出すか、身分の違いや格差などを言葉の上でどれだけ出すかは、訳次第なんですよね。だから、それをどのくらいセリフに乗せるのかに悩んで。
杉原 確か、どこまで詩的にするかという話もしましたね。「韻文的な雰囲気をどこまで残しますか?」と英実さんに聞かれて、「そこまでしなくていいです」と言った気がします。「どちらかと言うとしゃべり言葉に近いほうでやってください」と。
小澤 砕けすぎず、敷居が高すぎないようにって……「結局どっちなんだ!」と(笑)。だからまず、冒頭だけ3パターンくらい試訳して、トーンを決めていったんです。ただ10時間も舞台を観続けるのってかなり体力がいることだと思うので、とにかく耳で聴いてパッと意味が取れるような表現を2人とも一番大事にしたと思います。
杉原 長ゼリフだと誰の話をしているのか途中でわからなくなっちゃうんですよ(笑)。
小澤 登場人物も40人くらいいますし(笑)。既存の吉田美枝さんの訳が本当に素晴らしいので、あえて新訳する意義はなんだろうと考えました。例えば「old general」は文芸翻訳なら「老将」って訳すところですが、文字面で読めばすぐ理解できるけど、「ロウショウ」って耳で聞いてもよくわからない。だからここは「年老いた将軍」と言い換えようとか。舞台で最大限生きる言葉に徹底的に変えていくだけでも新訳のよさは出るんじゃないか、私にできることがあるんじゃないかと思いました。ちなみに吉田さんの訳も、実は1990年の日本初演の頃と、蜷川さんが演出されたときとで2つの「グリークス」があって、全然違うんです。
杉原 そうなんですね!
小澤 まるで違う本というぐらいブラッシュアップされていて。それだけ時間をかけて作られた訳なので、そこにどう太刀打ちするかも悩みました。
言葉でジェンダーを限定しない
──台本を介してお二人がどんなやり取りをされていたのか、第1稿から稽古初日に使われた第7稿までを見させていただきました。小澤さんの訳したものに、杉原さんが質問や提案という形でコメントされ、それに対して小澤さんが新たな提案を書き込みつつ返信している。台本を介した文通のようでしたね。やり取りの中で、お二人はお互いの感覚の違いをどんなところに感じましたか?
杉原 大きく違うってことはなくて、最初から細かなチューニングという感じでしたね。方向性を探るためのやり取りというか。ひとつ、「おや?」って感じたのは、女性の登場人物に、「~ですわ」というような女性の言葉遣いをする人としない人がいて、それはどんなバランスなんだろう?と思ったんですね。例えば「エンジェルス・イン・アメリカ」をやったときに、ゲイの登場人物が「僕」と言うか、「私」と言うかは稽古場で悩んだ部分でした。英語だと「I」だけど、日本語だと「僕」「オレ」「わたし」「わたくし」っていろいろあって、その人がどういう性格、考えの人かによって使う言葉が変わってくるなって。だから今回も女性の役にどこまで日本的な女性らしい言葉を当てるかはすごく演出的な問題になってくるなと思っていたんです。
──役の見せ方が決まってくるということですものね。
杉原 そう。そこを英実さんに質問したら、「女性らしさをアピールしたい、女性らしさが出たほうがいいと感じる役にはあえてそういう言葉を使っているけれど、そうじゃない役はなるべく使わないようにしてる」と言われて、なるほどと。確かにそのほうが言葉でキャラクターが限定されるのではなく、芝居でキャラクターが立ち上がってくるなと思い、納得したし、言葉の上でジェンダーが表現されていないぶん、思考や立ち位置、扱われ方の違いで人物が浮き彫りになっていくので、セリフじゃないところで表現できるのは、役者にとってもいいなと思いましたね。
──逆に杉原さんのコメントで小澤さんが何か感じた部分はありますか?
小澤 邦生さんがコメントを入れるところは的確だなと。一切反論のない、的を射たコメントをくださるし、それによってグッと台本がよくなる。戯曲をすごく読み込んで深く理解してらっしゃるなと、コメントを見ただけでもわかりました。
杉原 そんなことないです!(笑)
──「グリークス」は、「トロイアの女たち」「ヘカベ」「エレクトラ」「オレステス」「アンドロマケ」など、ギリシャ劇10本をまとめた長編戯曲ですが、戯曲上、その痕跡を感じる部分はありますか?
小澤 7割がエウリピデスの作品で、それを見事にエディットしているので、オリジナルの戯曲はトーンが統一されています。継ぎ目の部分も細かく書き足して、全体に2割くらいは新たに創作しているので、10作品をつなげたデコボコ感は特に感じないですね。
杉原 言葉ではそうだと思うんですけど、構造的に見ると作家によってコロスの存在のさせ方が違うんですね。コロスがやたらと前に出てくる幕があれば、コロスが一切しゃべらない幕もある。その違いは感じます。
──コロスと言えば、昨年杉原さんが上演された「オイディプスREXXX」では、コロスに対する演出が高い評価を得ました(参照:「オイディプスREXXX」明日開幕、中村橋之助「僕の今年のメインイベント」)。
杉原 今回の戯曲では、コロスが物語を立ち上げ、コロスが幕を引くというふうに描かれているので、舞台空間の精霊のように存在させようかなと思っています。とにかく舞台上に居続ける存在として描こうかなと。ラップを使うところもあるかもしれませんが、全編ラップでやるとか、あるギミックでコロスを見せるというよりは、ずっと舞台上にいて、彼らの考えや行動原理がちゃんとわかるようにしていきたいと思っています。
神様こそ、人間が作り出した最大の演劇
──本作は3部構成となっています。部ごとに演出を変えるプランはありますか?
杉原 最初はそうしようと思ったんですけど、やめました。と言うのも、全部つながっている1つの物語なので。もちろん「戦争」「殺人」「神々」という大タイトルが部ごとに付いているけど、一貫して神の存在があると思うんです。僕はこの作品を読んで、神様こそ、人間が作り出した最大の演劇なんだと思ったんですね。例えば今は科学も進歩しているし、情報化社会だから、雨が降る気象のメカニズムはスマホで調べればすぐ説明がつくんだけど、昔はなぜ雨が降るのかわからなかった。だから何かのせい、誰かのせいにしないと人間は納得できなかった。そこで、神様という存在を作ったんだと思うんですね。やがて神をどんどん具体化させないと信用できなくなってしまって物語が必要になった。そうやって人間が物語を作り、神話が生まれて、悲劇が生まれ、演劇が生まれていったのではないかと。ということは演劇の原点は人間が神様を作ったことなんじゃないかと思ったんです。しかも「グリークス」の登場人物たちは、最初は「神様、お願いします」という感じだったのに、「全部神様のせいだ」「神様が裏切った」と言い始め、挙句「神とは何か?」「そもそも神なんて作り物だ」なんて言い始める。その神に対する態度の変化をきちんと見せられたら、新しい「グリークス」になるのではないかと思っています。
小澤 その神々の捉え方はすごく面白いですね。キリスト教とかイスラム教の神様と違って、ギリシャの神は多神教だから、日本の八百万の神という考えにしっくりくると思うんですよね。
──ますます楽しみになってきました。
杉原 作品の冒頭であるプロローグでは、女性のコロスたちが天地創造にまつわる神話の話や、物語の発端となる神と人間のエピソードについて語るんですけど、実はそのプロローグ部分の英実さんの翻訳を、僕が少し書き換えてるんです。「海」というキーワードを基に、現代と紀元前のギリシャとをダイナミックにつないでいくようなイメージで。
小澤 まさに今さっき、そのアイデアを邦生さんから聞いたんですけど(笑)、すごく面白くてびっくりしました。
──演出面ではどれだけ現代に近付けるのでしょうか。
杉原 今回はある程度、現代と距離感があったほうがいいと思ってるんです。例えばエレクトラが弟の遺灰を持って「ああ神よ、私にください。あの子が残したのはたったこれだけ」っていうセリフがあるんだけど、「こんなこと俺ら普段はぜったい言わないけどね、でもわかるよ、その気持ち。言わないけどそんな状況になったら似たようなこと言いたくなるよね」と、そういう距離感でお客さんが納得できればいいんじゃないかなと。こちらとしては、そういう観劇態勢にお客さんがなれる導入さえ作れれば、それで10時間、物語を引っ張っていけると思う。むしろそこが一番気を遣う部分です。
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言葉も演出の一部