森新太郎×アイルランド作家ショーン・オケイシー×世田谷パブリックシアター。この強力タッグによりプロデュースされる「The Silver Tassie 銀杯」は、第一次世界大戦によって人生が一変した青年ハリーを中心とする“反戦悲喜劇”だ。エネルギッシュかつシニカルなアイリッシュ作品の魅力を深く知る森が、音楽と人形を交え、俳優たちの若さと技術とパワーを注ぎ込み、本作を立ち上げる。本番まで1カ月を切った10月中旬、日増しに熱くなる稽古の合間を縫って、森のほか、出演者の矢田悠祐と横田栄司、土屋佑壱、そして音楽を担当する国広和毅に話を聞いた。
取材・文 / 熊井玲 撮影 / 川野結李歌
人間の残酷さや逞しさが描かれた作品
──森さんは、今回翻訳をご担当されているフジノサツコさんのご紹介で「The Silver Tassie」を知ったそうですね?
以前からフジノさんが気になっていた作品だったようですが、翻訳されてないので僕は読んだことがなかったんです。そうしたらフジノさんが自分で粗訳し、持ってきてくれて。読んでみて、これはすごい作品だなと思いました。(ショーン・)オケイシー作品は「ダブリン三部作」を読んだことがあったんですが、面白いけれどあれはあまりにもアイルランドの市井の人を描いているので、日本でやるのは難しいかなと思って。でも「銀杯」は戦争を取り扱っている点でそこに普遍性が見出せるし、日本でもやる意義があるなと思いました。
──ト書きがものすごく長いですね。
そう、長い人なんです(笑)。オケイシー作品はどの作品もそうなんですが、人物描写や色遣いにも細かな指定があるくらい書き込みがあって。でもそれが作品を紐解くヒントにもなったりするので、稽古が進んだ今でもふっと台本に戻って考えることがあります。そうすると合点がいくことがあるんです。例えば安田(聖愛)さん演じるジェシーは“常に踊り回り、悪魔的”とト書きにあるけど、「もしかしたらそれは別のシーンを成立させるために必要な情報だったのかな」ってあとになってわかることがあったり。翻訳家の方々には「本当にちゃんとト書きをやるんですね!」ってよく驚かれますけど(笑)、台本にまず忠実にやってみて必要なくなったら手放す。そうすることで見えてくることがあります。
──本作の初演は1929年。90年近く前の作品ですが、そこまで時代性を感じません。
やはり戦争を扱っているからですかね。アイルランドの独立を描いた「ダブリン三部作」だと、どうしても時代性や地域性が問われてきますが、戦争については誰もがすっと理解できるところがあると思います。またアイルランドならではの皮肉がたくさん詰まっていて、そこが面白いですね。一筋縄でいかないというか、ただのお涙頂戴ものにしない感じがあって、涙してるお客さんにも「何泣いてるんだ!」って意地悪に唾を吐きかけるような、そういうところがあると思います。
──同じアイルランドの作家でも、サミュエル・ベケットやマーティン・マクドナーのシニカルさとは少し違って、ストレートに感じました。
うーん、どうなんでしょうね。ただオケイシーは、故郷で挫折してる人なんです。この人はこの人なりにナショナリストとは違った立場で国を思って、下層民たちを扱った芝居を書いたと思うんですけど、それが教養層には認められず、挙句一般市民にも上演を妨害されたりして。なので「ダブリン三部作」で肯定していた民衆を、「銀杯」ではけっして肯定していないと言うか、彼らの身勝手さやそれに対する憤りが描かれたりしていて、国に対する愛憎の度合いが高まっていた時期に書かれた作品なんじゃないかという気がします。
──その目線は、現在の日本の状況でも共感を呼びそうです。
そう思いますね。「銀杯」は戦争を描いてはいるんだけど、兵士たちを盛り立てて戦場に送り出した側の人たちに特に焦点が当てられていて。戦争が終わると彼らは新しい時代を生きることに夢中になり、戦争の犠牲になった人たちのことは考えなくなる。犠牲者たちは歴史の表舞台から忘れ去られていくわけです。それはひどいことだけど、かと言って忘れ去った側の人たちをただ糾弾できるかと言うとそうとも言えず、彼らは彼らでそのことだけをずっと考えて生活していくわけにはいかない部分があって……有史以来、人間はこれを繰り返してきたわけですよね。オケイシーはそんな人間の姿をありのままに描いているんじゃないかなと。なので、この作品を観て人間の残酷さを感じる人もいるだろうし、逆に人間の逞しさを感じる人もいるかもしれない。登場人物たちに対し、簡単に善悪のジャッジを下せない作品だと思っています。
もっともっとむき出しな欲求を
──出演者には、年齢もバックボーンもさまざまなメンバーが集結しました。ハリーたち若者世代はどちらかと言うと存在そのものが華やかで健康的、かつ“陽”のオーラを放つ人たち、親世代は生々しい存在感があり、演技の幅が広い実力派がそろった印象です。
若さって大事な要素だなって、最初に台本を読んだときから思っていて。特に中山くん演じるハリーは、肉体に宿る若さを戦争で失い、精神的にも荒んでいく役どころなので、演技の芯に若さは必須だと感じました。矢田悠祐くん、浦浜アリサさん、安田聖愛さんについてもそれは同様で、今回は演技のテクニックがどうこうということよりも、彼らにはとにかくパワーを求めています。僕はアイリッシュの芝居を何本もやっているから、これに必要なエネルギーがどのくらいかはある程度計算できるんですけど、我々日本人の日常的な人間関係よりもっとむき出しな感情でぶつかり合っているのが、アイルランドの作家が描く日常。でもだからこそ、愛や悲しみが深いわけです。今はみんな僕に言われるがままに叫ぶ芝居をやってるとは思いますけど(笑)、もっともっともっと純粋な欲求をぶつけてほしい。4人ともたぶん、今まで体験したことのない人間のエネルギーを、役を通じて感じてるんじゃないかと思います。
──確かに、稽古では俳優さんそれぞれが、セリフを投げかけ合うと言うより、激しくぶつけ合うように演じていました。
「息が足りなくなるくらい1つひとつのセリフをちゃんと言ってほしい」と俳優さんたちには話をしています。息を全部吐き切ると、想像もしていなかった新しい感情が生まれてくる……ってことを若者4人に教えようと思ったら、ベテラン勢がもうそれを読み合わせで実践しておりまして(笑)。中でもとにかく三田(和代)さんがすごいんです。どのセリフも息を吐き切ったところから生まれる“音”があるので、三田さんがしゃべり始めるとみんなそれに釘付けになっちゃうんですよね(笑)。読み合わせの最後に思わず、「三田さんみたいにやってよ」と若者たちに言っちゃったくらい(笑)。そんな素晴らしいお手本が身近にいて、彼らは本当にラッキーだと思います。
──記者会見で中山さんについて、「ハリーの清濁併せ持つ雰囲気と同じだと思ったので、一発で決めました」とお話されていましたが(参考:「The Silver Tassie 銀杯」ウクレレに挑戦する中山優馬「背筋が伸びる緊張感」)、稽古が始まってどのような手応えを感じていますか?
もちろん役にぴったりと思ってオファーしたんですけど、稽古場で今一番驚いているのは中山くんの伸びです。こちらの要求したことに食らい付いてくる感じがあって驚いていますね。それは中山くんを紹介してくれた、彼の先輩である岡本健一さんもそうなんですけど、「難しいことや今まで試せなかったことをやりたいから、もっともっと何でも要求してほしい」っていう“飢え”を感じます。それはこちらにとってもいい出会いだったと思いますね。主役の中山くんがそういう状態でいてくれると、彼を囲むみんなもそれに影響されますし、中山くんは1回1回の稽古でも、こちらが声を潰しちゃうんじゃないかって心配になるくらい、まったく自分に手加減しない。そして、1つ聞いたらそれを何倍にも発展させるセンス……もうそれはセンスとしか呼びようがないんだけど、それがあってしかも失敗を恐れない。基本的に素朴というか、いい意味で“都会っぽく”ないので、そういったところも今回の役に合っていると思います。
語るように歌われる楽曲の数々
──本作では音楽も重要なポイントです。台本にさまざまな楽曲が織り込まれていることに驚きました。
そう、そもそも戯曲に楽譜が付いてるんです。それをそのまま採用した部分もあれば、国広和毅さんに新たに作曲してもらったものもあります。国広さんとは初めてのお仕事で、今回はいろいろと打ち合わせを重ねました。話し合いでよく出てきたのは、塹壕で兵士たちが息抜きによく歌っていたという事実と教会音楽のこと。戦場で大砲を神のように崇めたり、ミサ的な雰囲気が描かれたりするところがあるので、それらの要素抜きには語れないと思いました。また国広さんも僕と似てて、チャレンジすることが一番楽しいとおっしゃってくださって、スコティッシュ系やケルト系などいろいろ勉強してくれました。でもどれもどこか国広イズムになってるんですよ(笑)。俳優の反応を見るとわかるんですけど、みんな曲がいいって言ってるので、そこには自信を持っています。
──10数曲とかなり楽曲数が多めですが、ミュージカルではないのでしょうか?
そうですね。実際に稽古してみても、いわゆるミュージカルではないなって思います。きれいに歌い上げるというよりは、むしろ語るように歌う感じだなと。稽古を進める中で、伴奏の度合いをなるべく減らしていこうと思っていて、アカペラを基軸にしているところも多いんです。と言うのも、伴奏が付くとどうしてもメロディに言葉が支配される感じになるけど、アカペラだと「なぜこの言葉を言うのか」を俳優が考えざるを得なくなる。その点でもミュージカルよりストレートプレイに近い表現になっているんじゃないかと思います。また1幕であちらの民謡の「シルバータッシー」をみんなで歌って兵士を戦場に送り出すシーンがあるんですけど、日本でもかつては出征のとき、晴々と軍歌を歌って兵士を鼓舞したわけですよね。だから歌の場面というより現実的にあり得る光景としてやってほしいと俳優にも言っています。
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戦場シーンをあえて抽象化する
- 「The Silver Tassie 銀杯」
- 2018年11月9日(金)~25日(日)
東京都 世田谷パブリックシアター
- スタッフ / キャスト
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作:ショーン・オケイシー
翻訳・訳詞:フジノサツコ
演出:森新太郎
出演:中山優馬、矢田悠祐、横田栄司、浦浜アリサ、安田聖愛、土屋佑壱 / 麻田キョウヤ、岩渕敏司、今村洋一、チョウ ヨンホ、駒井健介、天野勝仁、鈴木崇乃、吉田久美、野田久美子、石毛美帆、永石千尋、秋山みり / 山本亨、青山勝、長野里美、三田和代
- 森新太郎(モリシンタロウ)
- 1976年東京都出身。演劇集団 円所属。モナカ興業主宰。2006年にマーティン・マクドナー作「ロンサム・ウェスト」で演出家デビュー。以降09年に第50回毎日芸術賞演劇部門、第11回千田是也賞、第64回文化庁芸術祭優秀賞受賞。14年に「汚れた手」「エドワード二世」などの演出で第21回読売演劇大賞・最優秀演出家賞、および第64回芸術選奨新人賞を受賞。18年2月から8月には文化庁の在外研修でシンガポールに滞在した。翻訳劇から書き下ろしまで幅広い作品を手がけており、中でもアイルランド演劇には造詣が深い。近年の主な作品に「ジュリアス・シーザー」「東海道四谷怪談」「ゴドーを待ちながら」「イニシュマン島のビリー」「クレシダ」「怪談 牡丹灯籠」や「ミュージカル『パレード』」「TEROR テロ」など。19年2月に「プラトーノフ」が控える。