「フィーバー・ルーム」|アジアの矛盾や曖昧さを、強烈な身体的体験に

映画監督アピチャッポン・ウィーラセタクンの舞台作品「フィーバー・ルーム」が、2年ぶりに日本で再演される。2015年に韓国で本作を観たTPAM - 国際舞台芸術ミーティング in 横浜ディレクターの丸岡ひろみは、「日本の観客にも観る権利を提供するべき」との思いから、17年にTPAMへの招聘に踏み切った。それから2年。今回は、日本と東南アジアの文化交流事業を紹介する祭典「響きあうアジア2019」(主催:国際交流基金アジアセンター)の1プログラムとして上演される。日本初演時に大きな驚きと興奮をもって迎えられた本作の、日本初演までの道のりや作品の背景について、丸岡に話を聞いた。

取材・文 / 鈴木理映子

「フィーバー・ルーム」とは?
「フィーバー・ルーム」より。(Courtesy of Kick the Machine Films)
アーティスト・映画作家のアピチャッポン・ウィーラセタクンが、初めて手がけた舞台作品。2017年のTPAM - 国際舞台芸術ミーティング in 横浜で日本初演され、東京では今回が初お目見えとなる。作中には、アピチャッポン作品の常連俳優やナブア村のティーンエイジャーたちが出演。“夢の中へと亡命する”かのような、映画と演劇の枠を超えた劇場体験を観客にもたらす。

※東京芸術劇場ボックスオフィスとチケットぴあにて追加販売あり。追加販売券の完売後、当日券は抽選で販売。

「フィーバー・ルーム」が見せる光

「フィーバー・ルーム」より。(Courtesy of Kick the Machine Films)

2017年2月にTPAM - 国際舞台芸術ミーティング in 横浜で日本初演されたアピチャッポン・ウィーラセタクンの初めての舞台作品「フィーバー・ルーム」。その観劇体験は、夢の中に潜り込むようで頭の芯は醒めているような、壮大なスペクタクルへの驚きと、それらが指し示す問いの深さに直面した戸惑いとが入り混じる、いわく名状しがたいものだった。

もともと韓国・光州のACC(国立アジア文化殿堂)が、オープニング作品としてアピチャッポンに委嘱し、15年9月に世界初演された本作だが、演劇はもとよりアピチャッポンの本来のフィールドでもある映画、美術の関係者の間で大きな評判となったのは、共同製作を担ったクンステン・フェスティバル・デザール(ベルギー)での上演以後のことだ。初演に立ち会い、いち早く日本への招聘を決めたTPAM事務局長の丸岡ひろみも「最初は正直言ってよくわからなかった」と振り返る。

「それまでアピチャッポンの作品を個人的には追っていなかったので、その背景にある文脈を1作品で理解するのは難しかった。また、この作品はすでに一般のお客さんにダイレクトに届くような強度が十分にあり、そのぶん規模も大きいので、TPAMのようなプロフェッショナル向けのプラットフォームが上演の機会を提供する役割を負うものではないと思っていました。ただ、当時は経済的なことも含めて世界的にアジアが注目を集めていて、中でもACCはアピチャッポンをはじめ国際的に活躍する映画作家たちと組んで、新しい価値観、新しいフォルム(形式)を生み出そうとしていたんです。『フィーバー・ルーム』はそうした提案の1つとしてヨーロッパで受け入れられた。その状況も踏まえて、もし日本国内でほかに上演される予定がないのなら、私たちが観る権利を提供するべきだと考えるようになりました」。

「フィーバー・ルーム」より。(Courtesy of Kick the Machine Films)

カンヌ映画祭でパルムドールを受賞した「ブンミおじさんの森」(10年)をはじめ、映画・映像作家として世界的な評価を得るアピチャッポン。自然と人、光と闇、夢と現実の境界線を問い直しつつ、人間の深淵、現代社会のありようを照射する作風は、日本でもかねてから注目されてきた。16年には東京都写真美術館でその作品を集めた展覧会「アピチャッポン・ウィラーセタクン 亡霊たち」も開催されるなど、多くの人がその名前と作品に触れる機会を持ち始めた時期だったことも手伝ってか、日本初演の会場(神奈川・KAAT神奈川芸術劇場)には、多くの人が詰めかけ、特に公演期間後半には口コミを頼りに当日券を求める人々が劇場前に長い列をなした。商業エンタテインメントとは異なる舞台作品に、演劇だけでない、映画や美術、さまざま芸術ジャンルのファンと関係者が大挙して訪れる様子は新鮮な眺めでもあった。

「どの国でも口コミで後半増えたとは聞いていたので、日本も例外ではないだろうと予想はしていました。ただ、あれほどまでとは。反応の多くは“驚き”だったようです。人は自分自身の芸術体験を前提に作品の感想を語るものですが、『フィーバー・ルーム』の場合は、参照できる体験がなかったのかな。出てくる言葉の多くが、細かく分析したり、作品の背景を語ると言うよりも、“よかった”“すごかった”“ブラックホールのような”といった、単純なものだったことも印象的でした。結果的に異なる客層に属するはずの人たちが、同じような言葉を使ってもいたわけで、そのことがかえって“見逃したことを後悔させる”ことにつながっていったのかもしれませんね。また、韓国での公演を見逃したアジアのプレゼンターがTPAMで観て、その後シンガポール、台中での公演が決まっていったというようなこともありました」。

森、夢、アジアの同時代性

「フィーバー・ルーム」より。(Courtesy of Kick the Machine Films)
アピチャッポン・ウィーラセタクン
 

「フィーバー・ルーム」をはじめとする創作を通じ、アピチャッポンが取り組むのは、単なる映画、単なるパフォーマンス作品の枠に収まらない構造を持った芸術形式の提示だ。深い森、夢、精霊といった、アピチャッポン作品に頻出するモチーフは、プリミティブで幻想的だが、同時に現実のタイの歴史や政治状況と密接な関わりを持ってもいる。アピチャッポンの故郷で、その多くの作品の舞台ともなっているタイ北東部・イサーンは、独自の食や音楽などの文化を形成する一方で、バンコクを中心とする都市部との経済格差が問題となる地域でもある。また、かつての共産主義運動の拠点でもあり、その森では、赤狩りの名の下に、多くの血が流された。アピチャッポンの捉える森のざわめきには、こうした記憶、背景が複雑に織り込まれており、このことは、アジアを中心とした若手のアーティストにも強い影響を与えていると言う。

「昨年、台新芸術賞という、台湾の舞台芸術や美術に関する賞の審査員に呼ばれました。白色テロ(筆者注:為政者が対抗する政治的勢力に対して行う直接的な制圧行動。台湾の場合は1947年の2.28事件から1987年までの戒厳令下で行われた国民党政府による弾圧を指す)を扱った作品が多かったんですが、白黒はっきりさせるというアプローチではない。例えばヨーロッパでは、第二次世界大戦後、少なくとも形式的には独裁主義を一掃したうえで新しい時代の流れが作られたのに対し、アジアの多くの国々では必ずしもそうはいきませんでした。独裁政権下で要職に就いていた人が、新しい政権の中でもまた要職に就くこともある。クーデターなどの内紛の中にも矛盾を抱え込むことも少なくないと思います。そのような状況下では過去の政治的失敗を公に反省するのはとても難しい。台新賞にノミネートされていた二十代の作家と話したのですが、彼女はお父さんとお祖父さんがまったく違う立場にいたんだけど、どちらが黒か白か、善悪の判断をくだせない。そういった状況の中で、批評的表現としての芸術にどう取り組むのか。この課題に向かううえで、アピチャッポンの持つ世界観やフォルムには、すごく大きな影響を受けたと聞きました。日本人だって例外ではないでしょう。今回の『フィーバー・ルーム』の再演について主催者である国際交流基金アジアセンターの方に提案したのは、こうした出会いを通じて、だんだんとアピチャッポンの作品を理解したからでもあります」。