Dance Dance Dance @ YOKOHAMA 2018 / 安藤洋子&島地保武が語るフォーサイスの魅力|「これもありなんだ」と体感してほしい

3年に1度のダンスフェスティバル「Dance Dance Dance @ YOKOHAMA 2018」のプログラムの一環で、KAATダンスシリーズの1作品として、ピーター・ヤコブソンが芸術監督を務めるフランス・ナンシーが拠点の国立バレエ団バレエ・ロレーヌが公演を行う。上演されるのはマース・カニングハム振付「SOUNDDANCE」、ウィリアム・フォーサイス振付「STEPTEXT」、セシリア・ベンゴレア&フランソワ・シェニョー振付「DEVOTED」と、ダンスの歴史を体感できる3作品だ。本特集ではその中からフォーサイスに焦点を当て、かつてザ・フォーサイス・カンパニーのメンバーとして活動を共にした安藤洋子と島地保武に、フォーサイスとの出会いやクリエーションについてなど、その魅力を語ってもらった。インタビュアーを、ダンス評論家の乗越たかおが務める。

取材 / 乗越たかお 文 / 熊井玲 撮影 / 川野結李歌

フォーサイスとの出会い

──安藤さんは 2001年にアジア人として初めて、当時ウィリアム・フォーサイスが芸術監督を務めていたフランクフルトバレエ団に入団されました。フォーサイスと言えば、バレエの基礎を踏襲しつつオフバランスで踊るなど、さまざまな革新的なスタイルと作品でコンテンポラリーダンスに巨大な足跡を残した人物ですが、まずは安藤さんとフォーサイスとの出会いから教えてください。

左から島地保武、安藤洋子、乗越たかお。

安藤洋子 きっかけとしては、私が1999年に坂本龍一のオペラ「LIFE」に出演したときに、ダンスシーンの振付をしたのがフランクフルトバレエ団のトニー・リッツィというダンサーだったんですね。そのあとトニーが2001年にドイツで上演する自分の作品に誘ってくれて出演したのですが、その舞台の初日にフォーサイスが観に来ていて、終演後「フランクフルトバレエ団で一緒に仕事をしないか?」と声を掛けてくれ、即「YES!」とお返事しました。

──フォーサイスが04年に安藤さんのために作った「WEAR」という作品がありますね。

安藤 はい。それは、フランクフルトバレエ団の解散が決まった時期に、この世からバレエ団が消えてしまう前にどうしても日本公演を実現させたくて、日本のプロデューサーの方に相談して、安藤洋子個人としてバレエ団を東京に招聘しようと企てました。ダンサー個人がバレエ団のツアーを企画することは、前例のないことで、とてもとても大変でしたが、どうしても実現させたかった。私が東京でダンスを学んでいた頃は、ただただフォーサイスに憧れて、フォーサイス作品をすべて観るために貯金をしていたくらい、本当に毎回来日を待ち望んでいたので、99年以降日本公演がなくなり、このまま日本の皆さんがフォーサイス作品を観ないままバレエ団が解散してしまったら、とても悲しいことだと思ったんですよね。そして多くの方のお力をいただき、04年にプロジェクトが実現しました。その企画のプログラミングをしているときに、「私を使って日本で新作を発表してほしい!」と思い立ち、フォーサイスにお願いしたところ、快く引き受けてくれまして。その作品が「WEAR」です。

──04年にフランクフルトバレエ団が解散し、05年にザ・フォーサイス・カンパニーを立ち上げる、ちょうど転換期でした。それにしても「WEAR」は印象的な作品でした。安藤さんが異様に大きなモコモコのウィッグをつけて、ユサユサ揺らしながら踊っていましたね(笑)。

安藤洋子

安藤 あのウィッグ、あのあともけっこう使ってたよね(笑)。

島地保武 使ってましたね。

──フォーサイスは当時、コンテンポラリーダンスといわれる流れの中でも特に革新的な業績を多く残しています。島地さんが初めてフォーサイス作品をご覧になったときの印象は?

島地 僕はもともとストリートダンスをやっていて、フォーサイスを知ったのはハウスダンスをやっていた二十歳の頃だったんですが、初めて観たときは「なんなんだろう、これは」と。バレエなのにヒップホップ的なノリのようなものを感じて、それから興味を持つようになりました。

──何をご覧になったんですか?

島地 フォーサイスのドキュメンタリーですね。とにかくもう、それまで観てきたダンスとは何かが全然違って見えて。そこでバレエに対する考え方が変わりました。以来ずっとフォーサイスが好きで。あるとき運よくスターダンサーズバレエ団のドイツツアーに誘われて出演したんですけど、ツアーが終わってからフランクフルトバレエ団のリハーサルを見学をさせていただいて。

安藤 わあ、懐かしい!

島地 リハーサルでもう……(口をあんぐり開ける)。

一同 あはははは!(笑)

島地 リハーサルがいつ始まっていつ終わるかもわからないし、本気なのか遊んでるのかもわからない。とにかくすごく衝撃を受けました。そのあと公演も観せてもらったのですが、まったく理解できなかったですけどさらに衝撃を受けて。でもまさか自分が入るとは思ってもなかったです。

──ストリートダンサーが観ても魅力を感じたというのはすごいですね。

島地 そうですね。でも作品にストリートの要素が入ってるんじゃないかな。動きもそうだし、冗談でよくフォーサイスに言われたんですけど、「クラブで踊るフィーリングを忘れるな」って。

同じことはやらない

──当時、クリエーションではどんなことをやられていたんですか?

島地 いろいろなアプローチがありましたね。

安藤 15年やってましたけど1度も同じことはなかったです。もちろん同じ所に戻ったりはするんですけど、新作の作り方やアプローチは毎回まったく違った。それはすごいことなんじゃないかな。80、90年代にこのくらいの確立したスタイルを生み出したらそれで一生やっていけるくらいだと思うんだけど、「安定するくらいならすぐ辞める」とよく言ってました(笑)。

島地保武

島地 同じことをもう1回するのが嫌な人で、怒っちゃいますから(笑)。

安藤 そうそう。前と同じことをやると、私が前にやった動きを真似して「オールドヨウコ」って。島地くんの真似もよくしてたよね?

島地 僕がスランプになってるときによくやって見せてくれました(笑)。

──決められた振付をうまく踊るだけなら、どんなことでもできる実力のあるダンサーたちですから、常に“それ以上の何か”を求めていたんでしょうね。

安藤 よくみんな、いろんな振付家の真似をしてたけど、うまかったよね。「なんだ、そっちのほうが合ってるんじゃない?」って思う人もいたり(笑)。

島地 そうですね(笑)。NDT(オランダのコンテンポラリーダンスカンパニー、ネザーランド・ダンス・シアター)で踊っていた人とか、エリートたちばっかりだったから。

安藤 そうねー。