Dance Dance Dance @ YOKOHAMA 2018 / 森山未來|言語を飛び越えたコミュニケーションに

言葉でわからないところは想像で埋めていく

──また今回、音響空間作家の及川潤耶さんもクリエーションに参加されます。

森山未來

一昨年、初めて自分のソロパフォーマンスをドイツのカールスルーエのZKMでやったんですが(参照:森山未來ソロ「Upload a New Mind to the Body」、音楽は三浦康嗣)、そこのアトリエを潤耶が借りていて、そこで出会いました。彼の職業って日本ではちょっと説明しづらいんですけど、作曲家と音響作家の中間というか、音響デザインというイメージなんですよね。ある音がある場所でどのように反響し、空間を作り出すか、空間をどのように響かせるかということに活動の重きを置いている人で、話をする中で興味が湧き、いつか一緒に仕事をしたいなと思っていたんです。で、今回の「SONAR」では音がかなり重要になってくるので、潤耶と一緒にやれたら面白いバイブレーションが生まれるんじゃないかと思って。

──場所も赤レンガ倉庫ですから、面白い空間が生まれそうですね。

そうですね。ブラックボックスでもないので、そういう点でも面白がれたらなと。

──ファウストロムさんも含めた3人で、お話はされているのでしょうか?

3月のクリエーションに潤耶も来ていたので、そこで初めて2人を引き合わせました。ヨンはすごく社交的な人間で、屈託なくコミュニケーションを取るのが上手な人なんですが、潤耶はグループでのレジデンスに慣れてなくて、最初はちょっと不器用な感じがありました(笑)。3月は、周りが雪しかないような、ノルウェーの山奥にあるアウルダルという街に滞在したんですが、僕とヨンはある程度最初に身体のマテリアルを作っておきたくて、思い付くまま動いていき、潤耶はその様子をじっと見聞きしていました。彼はギターを弾いて作曲するとかではなくパソコンでプログラミングしていくので、イメージを音に落とし込むのに時間がかかるんですね。なので3月のクリエーションではとにかく、全体のイメージを作っていこうと。あと潤耶はドイツ語が話せるんですけど英語が話せず、僕は英語は話せるけどドイツ語はわからず、幸運なことにヨンはドイツ語も英語もできるので(笑)、3人でコミュニケーションを取るときはヨン頼みだったんです。言葉でわからないところは想像で埋めていくしかなかったんですけど、でも言葉で全部細かいところまで共有できすぎるとかえって詰まってしまうこともあるし、言葉では留まらないところにお互いの関係値があったのは面白いなと思いました。

──今回の作品にとっては、言葉の溝があることが逆にいい刺激となりそうですね。

うん、まさにそうですね! 言葉を飛び越えたところでのコミュニケーションを取りたいというのが、今回のコンセプトなので。

ソロをやっていても僕は人と作ってるなって

──2018年もダンサーとして俳優として、さまざまな活動が目白押しの森山さんですが、ご自身の中では、どのようにバランスを取っていらっしゃるのでしょうか?

たまたまいろいろなスケジュールが重なってしまったんですけどね。今年は1月に「プルートゥ PLUTO」の東京公演があり、それが終わってすぐにパリで1週間くらい(伊藤)郁女ちゃんと秋の新作のためのクリエーションをして、そこから2月に「プルートゥ」のロンドン、オランダ、ベルギーのツアーがあり、そのあとオーストラリアのパースに飛んで「VESSEL」をやり、3月に「プルートゥ」大阪公演があって、そこからまたノルウェーに飛び、4月の横浜美術館NUDE展のために「談ス」のクリエーションをスウェーデンでやって、5月から「談ス」第3弾のツアーが始まり……大丈夫かなあと思ってたんですけど。

──やりきりましたね(笑)。

森山未來

やりきったんです(笑)。このあとは「SONAR」と郁女ちゃんとの新作がかなり近い時期にあるので、切り替えできるかなと思ってたんですが、ソロパフォーマンスではなくそれぞれと対話して生まれるものは自然と変わってくるので、あまり気にすることはないかなと。1人でできることは身体的にも思考的にもパターンが限られちゃうんですけど、作る相手が違うと例えば同じ動きだったとしてもまったく別のものになるし、どこでどういうコミュニケーションが生まれたかが作品に直結していくと思っています。一昨年ソロをやって、楽しかったし勉強になったんですけど、ソロをやっていても僕はやっぱり人と作ってるなって感じがして。その時は音楽の三浦康嗣(□□□)さんをはじめいろいろな人が参加してくれたんですが、そこでみんなから生まれてきたものを僕がやったという感じでした。だからコンセプトを出したり舞台に立つのは僕でも、結局僕1人で生まれてない作品だということを感じたんです。ただダンサー・振付家の平原慎太郎に言わせると、「ソロは自分の日記みたいなもの」だそうなので、そういうソロは、僕の場合とは違って、もっと自分の中から出てくるピュアなものをさらけ出すようなものなんじゃないかなって想像するんですけど……。

──近年の森山さんは、前回のDDDで上演された「JUDA~」ではダンサーのエラ・ホチルドさんとミュージシャンの蓮沼執太さん、「談ス」では平原慎太郎さんと大植真太郎さん、コドモ発射プロジェクト「なむはむだはむ」では岩井秀人さんと前野健太さん、そして今回の「SONAR」ではファウストロムさんと及川さんと、3人でのクリエーションが続いています。例えばもっと大人数での創作に、ご興味はあるのでしょうか?

声がかかったら考えるかもしれないし、もちろんそれにも絶対出会わなきゃいけないんだろうと思いつつ、人数が増えれば増えるほどコミュニケーションは難しくなるので腰が重たくなるでしょうね。そろそろ出会ったほうがいいのかな……でもまだ3人くらいのコミュニケーションを楽しんでいたいという感じですね。

自分のルーツがダンスだということは、切っても切れない

──今回のDDDでも一般公募の公演があるなど、ダンスは近年、より一般的になった印象を受けます。森山さんご自身は、演技や歌などいろいろな表現法をお持ちの中で、ダンスに対して特にどのような思いを持っていらっしゃいますか。

森山未來

僕個人の踊りのあり方というのは、例えば大河ドラマや映画と並行してダンスをやっている、そういう立ち方でいることが自分の心にとって健康的だなと感じていて。自分自身のルーツがダンスにあるということは、切っても切れないことなんですね。あと、いわゆる“コンテンポラリーダンスが身近になっている”ということについては、いいことかもしれない反面、消費のされ方がクリアになってきたというふうにも感じています。今みんなが身近に触れられるようになったダンスが、作品を観ることによって自分の人生や価値観がちょっとでも広がるというような、アートと言えるセンスのものかどうかはちょっとわからないなあと。実際僕も消費されてる側だとは思いますが、メディアがダンスを消費する形を見つけたと言うか。そのことは理解しておかなきゃと思いますし、そうなった時点で(既存のダンスの枠に収まらないものを指していた)コンテンポラリーは、ジャンルとして形が決まり、新たなジャンルが求められているんじゃないかと。それは、ダンサーが歌い、役者が踊り、抽象的な表現をどんどん作品に取り込む感覚が広がっている最近の状況を考えると、ミュージカルではない、でも“ミュージカル的な何か”なんじゃないかと思いますが、そういうものが生まれてくるんじゃないかと思います。

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森山未來(モリヤマミライ)
1984年兵庫県出身。幼少期よりジャズダンス、タップダンス、クラシカルバレエ、ストリートダンスなどを学ぶ。2013年秋には文化庁文化交流使として1年間イスラエルに滞在した。帰国後はさらに活動の場を広げ、国内外のアーティスト、クリエーターとコラボレーションを行っている。近年の主な出演作品に映画「モテキ」「苦役列車」、舞台「テ ヅカ TeZukA」「100万回生きたねこ」「髑髏城の七人 Season鳥」「プルートゥ PLUTO」、「談ス」シリーズなど。18年秋にはKAAT DANCE SERIES 2018にて伊藤郁女との新作を発表する。

2018年8月7日更新