月蝕歌劇団 一時活動休止公演「白夜月蝕の少女航海紀─劇場版─」白永歩美×里見瑤子×新井舞衣×夢乃菜摘×大島朋恵×一ノ瀬めぐみ×山田勝仁 座談会 (3/3)

劇団ゆかりの10人が語る月蝕歌劇団

ここでは、旗揚げから35年、一時活動休止期間に入る月蝕歌劇団に向け、劇団と深い関わり持つ10人が思いを語る。

朝倉薫(朝倉薫演劇団主宰)

朝倉薫

朝倉薫

~高取英に捧げる純情~
月蝕歌劇団より5年遅れて、ぼくは劇団を立ち上げた。80年代のバブル景気を経ての行き着く場所が、演劇しかなかったからだ。
看板女優の櫻井智が声優として売れて、月蝕歌劇団とも交流が生まれた。
ある夜、新宿の薄暗いバーで高取英から役者のオファーを受けた。彼は照れながら、「実は竹内緑郎のファンだ」と告白した。竹内緑郎はその昔、歌手としてのぼくの芸名だった。歳月を経て初恋の人に再会したような妙な気分になり、何がどうなったのか次の日は2人で大井の競馬場にいた。
高取英のいない劇団は35周年を区切りに休団すると、2代目に聞いた。ぼくにとって、月蝕歌劇団は高取英と共に永遠である。

プロフィール

朝倉薫(アサクラカオル)

雑誌記者・歌手・音楽プロデューサーを経て、1992年に朝倉薫演劇団を創立。以降、演劇活動に邁進し、「Jitterbug」「桃のプリンセス」などの創作劇を発表している。

幾原邦彦(アニメーション監督)

幾原邦彦

幾原邦彦

月蝕歌劇団を知ったのは18歳の頃だと思う。確か天井棧敷新聞に月蝕歌劇団についての記事があり(「聖ミカエラ学園漂流記」についてのことだったように思う)、それを見たのだ。小さな記事と写真だったが目を奪われた。自分が心の片隅でこっそりと目指そうと思っていたニュアンスを感じたのだ。それは来るべき未来のニュアンスだとも思えた。自分たちは間違っていない……。そのときの直感が今の自分を支えている。月蝕歌劇団はあの時代の夢で、これからも夢であり続けるのだろう。自分は月蝕歌劇団と夢を共有しているのかもしれない。

プロフィール

幾原邦彦(イクハラクニヒコ)

アニメーション監督。代表作にテレビアニメ「少女革命ウテナ」「輪るピングドラム」「ユリ熊嵐」「さらざんまい」など。1999年には幾原のプロデュース、高取英の脚色・演出により月蝕歌劇団「少女革命ウテナ魔界転生黙示録編~麗人ニルヴァーナ来駕~」が上演された。

石井飛鳥(虚飾集団廻天百眼主宰)

石井飛鳥

石井飛鳥

友人の大島朋恵が出演している公演を観に行ったのが月蝕歌劇団との出会いだった。セーラー服の女子が叫び、血糊の飛び交う“暗黒の宝塚”を標榜した世界に衝撃を受けた。その後、自身の劇団の旗揚げ前に出演させていただくことになる。
主宰の高取英氏は本当に面倒見の良い方で、その後も舞台に関するアドバイスをいただいたり、廻天百眼の俳優を起用していただいたりとかなりお世話になり、(勝手に)師と仰いでいる。
2代目の白永歩美さんだが、出会ったのが13歳の頃で、立派な女優として成長して非常に感慨深いものがある。活動休止ということだが、白永さんがその間に演出として修業するらしい。どんな再スタートを切るのか、月蝕出身の演出家(と勝手に思っている者)として、楽しみに見守りたい。

プロフィール

石井飛鳥(イシイアスカ)

脚本家・演出家・寫眞家。2005年にアンダーグラウンドならぬ天上歌劇(アッパーグラウンド)を名乗る虚飾集団廻天百眼を旗揚げ。代表作に「少女椿」「悦楽乱歩遊戯」「冥婚ゲシュタルト」などがある。

鴻英良(演劇研究者)

鴻英良

鴻英良

月蝕歌劇団の舞台は私にとっていつも異世界への入り口だった。私の知らない輝き。
「少年極光都市」が終わったあと、観客が出口に向かい動き始めた頃だろうか、ショパンの「葬送行進曲」が流れ始めた。孤島の収容所のようなところでの少年少女たちの反逆の物語が古代ローマのロムルスとレムスの悲劇と折り重なる世界を見ながら、この輝きは最後まで戦い抜く少年少女たちの姿とともにある、そうだよね、高取さんと心の中で呼びかけていた。そして、「正義に燃ゆる戦いに、おおしき君は倒れぬ。血にけがれたる敵の手に君は戦い倒れぬ。プロレタリアの旗のため……」と口ずさみながら劇場をあとにした。
そう、私は、月蝕歌劇団の暗黒の中にレジスタンスの輝きを見ているのです。

プロフィール

鴻英良(オオトリヒデナガ)

演劇研究者。東京工業大学理工学部卒。東京大学大学院修士課程ロシア文学専攻修了。著書に「二十世紀劇場 歴史としての芸術と世界」、共著に「反響マシーン リチャード・フォアマンの世界」「野田秀樹赤鬼の挑戦」、翻訳にタルコフスキー「映像のポエジア:刻印された時間」、共訳にタデウシュ・カントール「死の演劇」など多数。

小林響(写真家)

小林響

小林響

私が初めて高取英に会ったのは銀座にある海潮社という出版社だった。
大学生だった私はマンガ家を目指していて、当時三流劇画ブームの先陣を切って業界から注目されていた「漫画エロジェニカ」に作品を持ち込みに行っていた。
幸いにも新人賞という枠で私の処女作品は「エロジェニカ」の編集長をしていた高取英によって採用されたのである。
それから高取英との長い関係が始まるのだが、月蝕歌劇団の初期の頃、私は「聖ミカエラ学園漂流記」のポスターの写真を撮影した。
その頃私は独学で写真を学んでいて、草創期の月蝕歌劇団の劇場公演や俳優たちを撮影することになっていく。
旗揚げから30年以上過ぎて、上演される戯曲が何回変わっても月蝕歌劇団ではいつも新鮮な感覚に出会う。
月蝕歌劇団が劇団結成当時のアンフィニッシュなメンタリティを今でも持ち続けていることが高取演劇の核心ではなかったかと今さらながらに思う。

プロフィール

小林響(コバヤシヒビキ)

写真家。1992年、モナコで開催された第4回国際モード写真フェスティバルMonacoに日本人写真家として初めて選出される。1994年、ルーブル美術館で行われた第5回国際モード写真フェスティバルParis、国際デザイン会議アスペンなどで国際的に高い評価を得る。1998年、写真集「tribe」がニューヨーク、パリ、東京で世界同時出版された。

こもだまり(昭和精吾事務所代表)

こもだまり

こもだまり

かつて昭和精吾事務所には月蝕関係者が多く出演していた。寺山修司を知らない私に、寺山さんの重要な要素=素材の活かし方と少女性とサブカルを見せてくれたのが月蝕歌劇団だった。
高取氏の一番の思い出は昭和精吾追悼文だ。依頼後わずか数時間、超特急で届いたそれは「唇から散弾銃」と題されていた。自らも文字の散弾銃を撃ち続けた高取氏が急逝したのは、昭和他界の3年後だった。
新代表・白永氏が“月蝕の演出家”となるための充電期間を取るという。2代目同士として、就任から今日まで駆け抜けたことをまず強く称えたい。
脚本が骨であるなら演出は血だ。白永氏の新しい血の巡る月蝕歌劇団の誕生を心待ちにしよう。
客席後方でカメラを構える、在りし日の高取氏の姿と共に。

プロフィール

こもだまり

俳優・脚本家・演出家。高校演劇で全国大会に出場。早稲田大学の演劇サークルてあとろ50’より劇団を旗揚げ。解散後フリーに。1996年から昭和精吾事務所に参加。2015年、昭和精吾の逝去に伴い、昭和精吾事務所2代目代表に就任した。ヒューマンアカデミー演技講師。

中森明夫(作家・アイドル評論家)

中森明夫

中森明夫

日光でもなければ、月光でもない。月蝕の闇に輝く乙女らの演劇集団・月蝕歌劇団の舞台に魅せられて永い年月を経た。まったく独自のそのステージは、日本の演劇シーンはおろかあらゆるエンタメの極北・孤高の頂にそびえている。アイドル評論家の私としては、こんにちの地下アイドル群、平手友梨奈の欅坂46……よりはるか以前に、その少女たちの地下鉱脈のアナーキー・パワーを全開する前衛アイドル芸術の最良の発露として評価したい。こんな特異にして美しい演劇集団がなんと35年も活動を続けてきたことは、一つの奇蹟なのだ! 主宰・高取英亡きあと、長女・白永歩美が継いだ劇団はひとまず休止する。が、さらなる大いなる進化の目覚めの前に……ぜひ、月蝕歌劇団の舞台を目撃せよ‼︎

プロフィール

中森明夫(ナカモリアキオ)

作家・アイドル評論家。1980年代から多方面で活動。寺山修司が存命して85歳でアイドルグループをプロデュースするという内容の小説「TRY48」を文芸誌「新潮」で連載中。著書に「東京トンガリキッズ」「青い秋」「キャッシー」、共著に「AKB48白熱論争」などがある。

PANTA(頭脳警察)

PANTA

PANTA

タイムスリップを飛び越えて
高取英氏ほどおおらかで包容力のある人間を知らない。そして彼を通してどれだけの素敵な演劇人と知り合うことができたか。いまだにそれは大きな財産であり、その恩を忘れることはない。彼の演劇への関わり方、微笑ましく思わず笑みもこぼれるシーンしか思い出せないが、万有引力と並び寺山修司の流れを引き継ぎ継承しているシーザーと高取英、まったく趣を異にするものであるが、これだけは言える。暗黒の宝塚としてゲリラ演劇に登場してきた月蝕歌劇団、半ズボンの少年探偵団、ヘルメットをかぶったセーラー服の少女たち、どこを切ってもそこには微笑む寺山修司が見えてくる。月蝕歌劇団を失くしてはだめだ。充電後のタイムスリップから悠然と姿を現す月蝕歌劇団の幻影が、いますでに見えてしまっている気がする。

プロフィール

PANTA(パンタ)

作曲家・作詞家・俳優。1969年にロックバンド・頭脳警察結成。バンド解散後、ソロ、PANTA & HAL、頭脳警察の再結成と解散を経て、2001年に頭脳警察を再々結成。2019年、頭腦警察結成50周年を迎え記念アルバム「乱波」を発表し、2020年にはドキュメンタリー映画「zk/頭脳警察50 未来への鼓動」を公開した。

吉田光彦(マンガ家・イラストレーター)

吉田光彦

吉田光彦

36年前の旗揚げ公演以来、ポスターのイラストを描いてきた。主宰の高取英さんはポスターアートには人一倍好奇心が強く、私の絵の世界観をそのまま受け入れて長年付き合ってくれた。高取ワールドとどこかで響き合ってきたのだろう。
たまたま住まいも近く、喫茶店でよく冗談まじりに「いつもいつも私のイラストで飽きませんか?」と尋ねると、笑いながら「僕の演出も同じですよ。マンネリは最高の宝です」と煙草を燻らせていた。確かに月蝕歌劇団の舞台装置はシンプル。役者の登退場はいつも同じようだが、各々の舞台公演は、いつも観客を見事に異空間に誘ってゆく。これはやはり高取ワールドの脚本の力。今後、彼の長女が継ぐ劇団の活動力になるだろう。

プロフィール

吉田光彦(ヨシダミツヒコ)

1972年、雑誌「黒の手帖」でイラストレーターデビュー。1975年に「ガロ」に掲載された「殴者(ボクサー)」でマンガ家デビュー。寺山修司に影響を受け、「週刊大衆」の寺山の連載「誰か夢なき」のイラストを務めたことをきっかけに、寺山の著作のイラストを数多く担当。月蝕歌劇団ほかさまざまな劇団のポスターを手がけている。

流山児祥(流山児☆事務所主宰・芸術監督)

流山児祥

流山児祥

1978年、寺山修司の個人スタッフで三流エロ劇画ブームを巻き起こす気鋭の編集者で演劇青年の高取英と出会った。大阪市大時代の処女戯曲「白夜月蝕の少女航海記」を一読。少女の幻想から変革を志向する“思い出の演劇=歴史的感傷のロマン”(寺山修司)の異才と見抜き、半ばゴーインに演劇界に誘いだし、1980年「月蝕歌劇団」で東京デビュー。演劇団座付作家として数々の作品を協働、その後、40年の畏友となる。1986年、高取は月蝕歌劇団を旗揚げ。その後、2018年11月の早すぎる死まで、独自の劇世界を展開、全力疾走した。旗揚げ時「幻想と物語を中軸に作品を書いていきたい」と宣言。月蝕歌劇団は、伝奇夢幻劇という“未来の歴史劇”を、暗黒少女歌劇という独自の手法で展開。演劇界唯一無二の地平を確立する。フツーの女の子が自由奔放にアングラする自遊空間。活動一時停止後の白永歩美の新生☆月蝕歌劇団も自遊に飛び跳ねてほしいものである。

プロフィール

流山児祥(リュウザンジショウ)

演出家・俳優。日本演出者協会理事長。1970年に演劇団を旗揚げし、1990年に解散。1984年、小劇場界の横断的活動を目指すプロデュース事務所・流山児★事務所を設立。数多くの作品を国内外で演出・プロデュース。2000年「流山児マクベス」韓国公演以降、カナダ・中国・エジプト・イラン・ロシア・ベラルーシ・インドネシア・タイなど全世界で作品を上演している。