文学座附属演劇研究所 所長
鵜澤秀行 寄稿
今年より文学座附属演劇研究所所長に就任した鵜澤秀行。2011年から所長を務めてきた故・坂口芳貞の後を継ぐ形となるが、1年目はコロナによる波乱のスタートとなった。後期が始まった今、その思いを寄せた。
文 / 鵜澤秀行
それでも演劇をする楽しさ、難しさを、身体いっぱいに体験してもらいたい
坂口芳貞氏の後を受けて、文学座附属演劇研究所所長として運営の任に当たることになりました。
今年度は開講の時期がちょうど新型コロナウイルス感染拡大の時期とぶつかってしまい、開講が2カ月遅れになるという開所以来初めてのアクシデントに見舞われてしまいました。
現在は講師の先生方、劇団関係者の協力を得て、感染予防対策を徹底しながら、授業を続けております。
しかし実際に人と人とが対面し言葉を交わし、身体と身体を触れ合わすことでしか成り立たない“演劇”の現場のこと……。3密を避けながらのレッスンにはなかなか難しいものがあります。
当の研究生諸君には多大な迷惑をかけながら、それでも演劇をすることの楽しさ、難しさを、身体いっぱいに体験してもらおうと創意工夫を重ねて努力を続けております。コロナ禍の中、徐々にではありますが軌道に乗ってまいりました。
未来に何が待ち受けているか分からない現代社会……。
演劇の未来を信じて、新しい演劇人の発掘と育成を目指して力を尽くしてまいります。
- 鵜澤秀行(ウザワヒデユキ)
- 1944年、東京都出身。俳優。1967年に文学座附属演劇研究所に入所。1972年に座員となり現在に至る。2020年より文学座附属演劇研究所の所長を務める。近年の出演作に世田谷パブリックシアター+文学座+兵庫県立芸術文化センター「トロイラスとクレシダ」(演出:鵜山仁)、俳優座劇場プロデュース「罠」(演出:松本祐子)、文学座「一銭陶貨~七億分の一の奇跡~」(演出:松本祐子)など。
文学座附属研究所 主事
植田真介 インタビュー
コロナによって世情が立ち止まった春。文学座附属研究所の主事・植田真介の頭の中にあったのは、「次代の演劇人たちの道を絶ってはいけない」ということだった。ここで踏ん張ることこそが、演劇の未来を明るくする。そう信じて行動し、生徒たちの声に耳を傾け、柔軟かつ真摯に研究所の改革を進めた彼に、話を聞く。
「今こそ演劇を!」ではなく、生徒たちの生活と安全を第一に
──コロナによって2020年度、60期生の入所が通常より2カ月後ろ倒しになりました。開所を前に、一番の葛藤となったことは何でしたか。
4月7日に緊急事態宣言が発令されて、入所式を遅らせなければならなくなったとき、1年のカリキュラムがこなせるかどうかに頭を悩ませました。文学座の研究所では週6日の授業に、年4回の発表会があり、授業料を納めている生徒たちに対して中途半端なことはできない。でも、いつまで緊急事態宣言が続くのかわからず、暗中模索でしたね。まずは想定されていたゴールデンウィーク明けの解除に合わせる形で、方法を考えて。6月1日の開所時には、夏の休暇を短くし、来年2月の卒業公演のあとに3週間授業の時間を設けることで、カリキュラムはすべて補填できるようにしました。
──実際に動き出すまでは、研究所はもちろん、生徒たちも不安でやきもきしたでしょうね。
一番心配だったのは、生徒が東京に1人ぼっちの状態になっていたこと。地方から上京してくる子も多いので、移り住んだのはいいけど、研究所が始まらなければ、バイトもできない状況。だからと言って、リモートのオンライン授業の実施には設備や費用の問題が出てくる。それに演劇の性質上、授業はリモートでできるものではないと僕は思うんです。もう1つには、演劇を目指す生徒たちは社会的に“よくわからない身分”だということ。学生ではない以上、経済面で国や通信会社からのサポートはなかったですし、リモートで開所しても、彼らの経済が成り立っていないと生活自体が危ぶまれるという懸念がありました。なので、経済状況についてのアンケートを取り、それに応じたカリキュラムの内容や授業料、納入期限の変更を考えて。東日本大震災のときも「今こそ演劇を」という声を多く聞きましたが、僕はこういうときこそ生徒たちの生活、安全面を第一に考えたい。生活が豊かでないと、表現も豊かになりませんから、稽古場以外の見えない部分もきちんとケアしないと。自粛期間中、授業はなくてもコミュニケーションはきちんと取り続けていた感じですね。
──植田さんご自身が俳優なので、「演劇を!」の気持ちが勝るのかと思っていました。生徒の安心や安全を担保しながら、授業の実施に妥協はされなかったんですね。
コロナ禍は20年も続かないだろうし、今年だけ研究所のカリキュラムがまったく異なることは、避けたかったんです。妥協したカリキュラムにして、彼らが“コロナ世代”とネガティブに表現されてしまうことを懸念しました。
“コロナ世代”とは言わせない! 濃密・充実の授業内容にシフト
──授業では昼間部と夜間部が各30名で行われるところ、今年度は各部を2つに分け、1クラス15名で実施されています。また、開始時間を遅らせたり、休憩時間を十分に取ったりと、柔軟に対応できるのも文学座のいいところですね。
人数が半分になったので、題材にするテキストも見直ししました。実は、主事になってから生徒によく「人数の少ない授業をやってみたい」「講師ともっと濃いやり取りがしたい」と言われていたんです。なので、コロナをきっかけに、彼らの意見を通してみた(笑)。場所や資金の問題で“変えられない体制”というものがあったんですが、コロナがあって、演技実習のリスクを検証すると共に、生徒とのやり取りについてもゼロから考えることができましたね。
──植田さんは主事になって3期目になりますが、文学座の研究所に対する考え方は変わりましたか?
補佐から主事になって、生徒からの見られ方が変わったと共に、僕も叱らなければならない立場になり、振る舞いが変わった気がします。今年に関して一番大きかったのは、所長だった坂口(芳貞)さんが亡くなったこと(参照:坂口芳貞、大腸がんのため80歳で死去)。坂口さんはあめとむちじゃないですけど、生徒に寄り添うタイミングが絶妙だったんですよ。そういう坂口さんが負っていた部分を、新所長の鵜澤(秀行)さんと共にどう担っていくか、まだ手探り状態です。しかも、そんなときのコロナ。もう、今年が第1期という感覚で、新しいことをやっちゃえという気持ちです。
生徒たちも演劇界の一員。視線を投げかけ、意見を聞く
──コロナ禍での前期を終えて、今後、研究所に求められることは何だと思いますか?
歴史が長く、また実績があると、何かを変えるのには大変なエネルギーと時間がかかります。でも、時代の流れはとにかく速い。それに則した俳優育成をするには柔軟性を持ち、過信せず、閉塞的にならないことが大事だと思いました。研究所の原点は、生徒がどうしたいか。結局は生徒たちがどこまで望むか、どんな意識でいるかですべてが変わってしまうんです。でも、彼らには進級や昇格があるから、気持ちを押し殺しているかもしれない。そういったことに鑑みて、いかに風通しのいい環境を整えられるかだと思います。
──今後も、授業に関してはコロナの状況に応じて変えていくのでしょうか。
研究所にとって、発表会はとても大きな存在ですが、前期ではお客さんを入れることがかなわなくて。卒業公演は有客でできるよう、策を練っています。また、授業については、実は来年も稽古場に余裕があるときは少人数制でやることに決定しました。これは勝ち取りましたね!(笑) 2チーム制にすることでライバル関係が生まれて生徒にも良かったし、講師陣もやりやすかった。方法はこれからもっとブラッシュアップしていきますが、場面稽古をそれぞれで行い、最後の発表で全員が集まって成果を見せ合うのも面白いかもしれない。ということで、来年のカリキュラムに夢が膨らんでいるところです(笑)。あと、やはりリモートの授業は実施しない方針で進めています。
──開所までに時間をかけて考えたかいがありましたね。
本当に。演劇は社会の鏡と言うけれど、社会が苦しいときはもちろん演劇も苦しい。でも、今後を考えるのなら、なおさら、演劇を目指している子をどう扱うかが大事なんです。劇団の養成所や大学の芸術学部に通う生徒たちは、末端でも同じ演劇界の一員。教育の門を閉ざしたり、狭めたりするのではなく、彼らに対してどう注力しているかというメッセージを発信していかなければ。例えば、数年後に彼らがオーディションを受けに行って、コロナの不遇から基礎がなっていない、と落ちることがあってはならないんですよ。そうしてしまう責任が今、我々にあるわけだから、危機感を持って接したいと思っています。
“コロナスタンダード”に学ぶ、マスクと芝居の関係性
──老舗劇団の研究所がそういった姿勢を示されると、未来が少し明るく感じられますね。
どこの養成所も今は混乱の中にいると思うんですけど、うちは入所案内から変更がある場合は必ず合意を取るようにしています。発表会が1本飛んだのなら授業料を減額し、変更があれば数字を開示して、親御さんにサッと転送できるようにデータで渡す(笑)。真面目な話、今年は本当に真っすぐな子が多いんです。マスクのせいか目を見て話してくれるし、自主稽古も熱心。稽古場を使う時間や人数に制約があるので、きちんと考えて準備し、具体的な質問をしに来るんです。コロナのおかげか体調管理もバッチリですし。
──亀田佳明さんのように授業を休みがちな子は……。
いないんです! 生徒間の連帯感も強いと感じますね。
──今期の生徒たちの進化が楽しみです。
彼らの姿は、コロナ禍でどう演劇を作るか、というお手本になると思います。稽古を見ていると、それぞれにマスクを取りたくなるタイミングが訪れるんですが、それが立ち稽古の日の子もいれば、アトリエでの通し稽古中の子もいる。その心理の働き方が、これまで持っていたダンベルを外して身軽になるような感じで、僕らで言う、台本を手放す感覚に似ているのかなと。“マスクを外す”という行為が1つ上の表現へ行く仕掛けのようで、興味深いです。彼らはそういう点でストレスフリーに芝居を立ち上げているので、マスクに神経質になっている座員には、ぜひその姿を観てほしいですね。新しい風が吹いているなと感じますよ。
- 植田真介(ウエダシンスケ)
- 1982年、広島県出身。俳優。2000年、文学座附属演劇研究所に入所。2005年に座員となる。2017年より尾道観光大志を務める。2018年、文学座附属演劇研究所の主事に就任。俳優として近年は、ティーファクトリー「エフェメラル・エレメンツ」(演出:川村毅)、「クイーン・エリザベス-輝ける王冠と秘められし愛-」(演出:宮田慶子)、ティーファクトリー「ノート(演出:川村毅)などに出演している。