愛知県芸術劇場が主催するAAF戯曲賞は「戯曲とは何か?」をテーマに掲げ、上演を前提とした作品を募集する戯曲賞。2022年1月、守安久二子の戯曲「鮭なら死んでるひよこたち」が第21回AAF戯曲賞で大賞を受賞した。「鮭なら死んでるひよこたち」は、産卵後に力尽きて死ぬ鮭の姿と、子育てを終え喪失感に苛まれた作家自身の心境を重ね合わせ、人間の性や命の巡りの不思議さを描いた戯曲。昭和の香りをまとった登場人物、戯曲のいたるところにちりばめられた「ピヨ」というひよこの鳴き声など、どこか懐かしさのある情景に、守安自身の哲学が貫かれる。
ステージナタリーでは、まもなく開幕する第21回AAF戯曲賞受賞記念公演を前に、作家の守安にインタビュー。本格的に戯曲を書き始めたのは五十代からという守安に、戯曲講座のチラシと出会ったことで変化した人生、そして「鮭なら死んでるひよこたち」に込めた思いを聞いた。
取材・文 / 興野汐里
AAF戯曲賞受賞作家になるまで
──守安さんは、2018年に愛媛県東温市で開催されたアートヴィレッジTOON戯曲賞2018にて、「草の家」で大賞と観客賞を受賞しました。戯曲を執筆し始めたのは近年になってからだそうですが、どういった経緯で戯曲を書き始めたのですか?
若い頃から脚本家に憧れがあって、倉本聰さんや山田太一さん、向田邦子さんなどのシナリオを買って読んでいたんです。初めて戯曲を書いたのは、2014年にNPO法人アートファームが企画する戯曲講座を受講したのがきっかけでした。下鴨車窓の田辺剛さんからいろいろと教えていただきながら、3カ月戯曲を書き、半年お休みして、また3カ月戯曲を書いて……と、いわゆる習い事のようなスタイルで書きました。
──田辺さんとは、どのようなやり取りをしながら戯曲を書き進めていったのでしょう?
戯曲を書き始めた当初は「ト書きはどうやって書けばいいんですか?」「舞台の上手、下手とは?」という状態で、本当に舞台初心者だったんです。それでも田辺さんは、私が書いたものを一切否定せず、どんな作品であっても辛抱強く真摯に向き合ってくださって。そのおかげで、自由な発想で戯曲を書くことができました。
──講座を受講しながら執筆した「草の家」が、ご自身初の長編作品だったそうですね。
私は東京から地方へ移り住み、地方の大家族に出会いました。それをテーマにした劇が「草の家」でした。「草の家」が写実的な作品だったので、次は逆に抽象的な「雨の部屋」という作品を書いたんです。「雨の部屋」は“災害の部屋”に閉じ込められた人たちを描いた作品で、つらく重たいお話になってしまったから、今度は楽しい作品を書きたいと思って、「鮭なら死んでるひよこたち」を執筆しました。
「あっ、私、鮭なら死んでるな」
──第21回AAF戯曲賞受賞作「鮭なら死んでるひよこたち」は、守安さんが子供時代に体験したことをもとに、人間の性や巡る命の不思議さを描いた戯曲です。「鮭なら死んでるひよこたち」というタイトルに込めた思いを教えてください。
ひよこの入ったトランクを持ち歩く的屋のムー、子供を産むことを望んでいる妻・フーの、夫婦漫才のようなやり取りがメインの戯曲で、最初は「寂しい大人」というタイトルにしようと思っていたんです。でも、ほかのキャラクターも登場して作品の幅が広がっていく中で、「鮭なら死んでるひよこたち」というタイトルに変更しました。
自分の子供が大学に行ったときや就職したときに、「結婚して子供を産んで、子供を育て上げてて、子供が巣立っていったあと、社会に対して何も生み出さない存在になった私は一体何のために生きているんだろう? このまま、限りある地球の資源を食べ続けてもいいのかな」と自己嫌悪に陥ったことがあったんです。喪失感とも言うのかな。そのときに、「あっ、私、鮭なら死んでるな」と思って。
──鮭は産卵後に力尽きて死にます。その姿にご自身を重ねて、このタイトルをつけたんですね。また、戯曲のあとがきに「半世紀以上前の記憶と、二〇二〇年の自分の感覚が混ざりこの作品は生まれました」とあるように、ムーとフーのセリフ回しにはどこか昭和の懐かしさが漂う一方で、17歳の若者・チャラ男というキャラクターには、現代に生きる若者の姿が写し出されているように感じます。
自分がもう一度出会いたい昔の風景と、今自分が生きている令和の世の中が混ざり合った、あの世とこの世の境目のような世界観を意識して戯曲を書いたところがあるかもしれません。とにかく、自分の思いのままに自由に書いてしまったから、演出する羊屋(白玉)さんや出演者の方々には苦労をかけてしまいそうです。ひよこが入ったトランクから聞こえる「ピヨ」という効果音や、坂だらけの町という設定、町中にあふれた枯れ葉……とか。上演する方のことをまったく考えずに執筆してしまって、申し訳ないです(笑)。
──演出家や俳優にとっては、想像する余白があるほうが挑戦のしがいがあるかもしれません。ちなみに、「鮭なら死んでるひよこたち」を書き上げる際に下敷きにしたものはありますか?
「鮭なら死んでるひよこたち」は、「ムーミン」シリーズに登場するムーミン谷のような世界観の作品を描きたいと思って書き始めた作品でした。実はムーとフーという名前はそこからきているんです。思い返せば、私が小学生の頃、ムーとフーのような不思議な人たちが本当にいたんですよ。校門のところで、子供たちに100円や200円で何かを売りつけていく怪しげなおじさんが。彼らは、生きているのか死んでいるのかわからない感じなんだけれども、しゃべり出すと饒舌で、子供たちを惹きつける魅力を持っているんですよね。子供心に、こういうおじさんとは関わってはいけないとわかっていながらも、なぜかついていってしまう。で、先生や大人たちが見回りに来ると、おじさんは自転車を押してどこかへ消えていく。あの人たちはどこから来て、どこへ帰って行ったんだろう? 普段はどういう生活をしているんだろう?というのがものすごく不思議で、いまだにそのことを考えるんです。もしかすると、若い世代の方にはピンとこないかもしれませんね。
──ムーとフーやチャラ男のほかにも、“母の会”会長を務める六十代のガリア夫人、“亡霊?”である的屋のボー爺、姿の見えない子供たちなど、個性豊かなキャラクターたちが登場します。「結婚して子供を育てあげ、夫の親も看取りました」というガリア夫人のセリフがありますが、ガリア夫人はご自身の代弁者のような役割を担っているのでしょうか?
そうですね。“この年になったからこそわかること”をガリア夫人のセリフに託した部分があります。ガリア夫人は私より少し年上くらいのイメージで、以前羊屋さんと話しているときに「泉ピン子さんみたいなキャラクターですよね」という話題になりました(笑)。改めて考えると、登場人物の世代が割とバラバラになりましたね。私の中にあるバランス感覚がそうさせたのかもしれません。
──また、「鮭なら死んでるひよこたち」には、生と死に関する問題や人と人との社会的な関わりなど、守安さんがこれまでの人生の中で考えてきた、哲学的な問いがちりばめられているように感じました。
人の人生を、1本の線ではなく、球体として捉えている感覚が自分の中にずっとあるんです。どんな命であっても平等に時が流れて、生まれた命はいずれ死んでいく。そして命は巡る。例えば、ボー爺の「みんな、一緒や、……生きてただけや」というセリフなどに、自分の考えが無意識に表れているのかもしれません。
「何かを書いてみたい」という気持ちを捨てないで良かった
──今回は、AAF戯曲賞の審査員を務める指輪ホテル芸術監督・羊屋白玉さんの演出によって、新たな形で「鮭なら死んでるひよこたち」が立ち上げられます。羊屋さんは「『鮭なら死んでるひよこたち』という作品自体が、守安さんにとってのスタンダップコメディなのではないか」とおっしゃっていたそうですが、上演にあたって羊屋さんとお話ししたことがあれば教えてください。
羊屋さんから時々連絡をいただいて、「ここはこういった解釈で良いのか?」という確認作業をしています。9人の登場人物を5人のキャストで演じることになった関係で、少し書き足した部分はあるのですが、本筋はそのままに上演してくださるそうで。基本的には現場の皆さんにお任せしています。
──受賞記念公演には、遠藤麻衣さん、神戸浩さん、スズエダフサコさん、非・売れ線系ビーナスの田坂哲郎さん、きっとろんどんのリンノスケさんが出演します。田坂さんは、守安さんと同じく第21回AAF戯曲賞に応募し、「先生の暗いロッカー」で最終審査に残った作家でもあります。
「田坂さん、本当は、はらわたが煮えくり返っていないかしら……?」と一瞬心配になったのですが(笑)、どのように作品を立ち上げてくださるのかとても楽しみです。
──不思議なご縁ですね。また、出演者の中でも守安さんと年齢が近い神戸さんは「守安さんと性別は違えど、共感する部分が多い」とおっしゃっていたそうです。
この年齢にならないとわからないことって、やっぱりありますよね。世代ごとにやるべきことや考えるべきことがあって、みんなその時々を一生懸命生きている。60歳を超えるとフィジカル的にも下り坂になってきますが、逆に「これからの人生、何でもあり!」と考えることもできると思うんです。
──その思いもあって、もともと興味のあった戯曲を書いてみる、という選択をされたのですね。先ほど、お子さんを育て上げたあと喪失感に苛まれたとお話ししていましたが、戯曲を書くことで救われた部分はありましたか?
家庭に入り、妻として、母として、生活者として生きてきた年月が長かったんですけど、私はザ・主婦みたいなタイプではないので、「向いてないなあ」という思いがずっとあって。家事もそれなりにこなしましたし、楽しく過ごしてはきたのですが、心のどこかで違う刺激を求めていたんだと思います。それが、たまたま岡山で1枚の戯曲講座のチラシと出会ったことで、「そういえば私は昔からこういうことがやってみたかったんだ」「戯曲を書くってやっぱりすごく楽しい」と気付いた。「何かを書いてみたい」という気持ちを捨てないで生きてきて良かったと思います。
──守安さんと同様に、「何かをやってみたい」と考えている同世代の方々も多いのではないでしょうか。
みんな、心のどこかに小さな渦巻きを抱えながら生きていると思うんです。例えば、「あれがしたかった」「これが好きだった」とか。身体の中から湧き起こった衝動に正直になり、ほんの少しの勇気を振り絞って、一歩踏み出してみてほしいですね。その先にはきっと、これまでとは違う世界が広がっていると思います。
お風呂上がりのような感じで、劇場から出てきてほしい
──AAF戯曲賞には「戯曲とは何か?」というテーマが設定されています。守安さんにとって、戯曲とはどのような存在ですか?
演劇がどのように作られるのかもあまりわかっていないから、私はたぶん上演台本を書くことはできないと思うんです。でも、戯曲という読み物の世界では、自分が持っているイメージを会話劇として伝えることができる。恥ずかしい話なんですけど、私、独り言が多いんですよ(笑)。子供の頃から想像の中で常に誰かと会話していたから、会話という方法で何かを表現するのが好きなのかもしれませんね。自分が書く戯曲も、その延長線上にある気がしています。
──今後、守安さんの戯曲がどのように変化していくのか、大変興味深いです。ちなみに、戯曲を演出することに興味はありますか?
自分で演出をする、ということはまだ考えたことがないんですが、むしろ演出をしながら戯曲を書いているところがあると思います。「鮭なら死んでるひよこたち」でいうと、登場人物に枯れ葉を踏んで歩かせてみたり、どこかから声や音が聞こえてきたり……自分の脳内で映像を思い浮かべながら執筆した部分が多かったですね。
──今回の公演では、AAF戯曲賞受賞記念公演初の試みとして、愛知県芸術劇場だけでなく、福岡と北海道でもツアー公演が行われます。最後に、各地で公演をご覧になる観客の方々にメッセージをお願いします。
自分の戯曲が全国で上演されるなんて、本当にすごいことですよね。AAF戯曲賞を受賞したときにも感じましたが、人生、何が起こるかわからない。こんなことが起こるんだ!って本当にびっくりしましたから。
どんな上演になるのか、私自身まだ想像がついていないのですが、羊屋さんや出演者の皆さんの解釈によって、未知なる世界が現れるんじゃないかとすごく楽しみにしています。1つお客さんに言えることがあるとしたら、「(戯曲に書かれていることを自由に想像しながら)どこへでも好きなところに行ってほしい」ということですね。羊屋さんとも話していたんですけど、お風呂上がりのような感じで、ほっぺたをポッポッと赤くしながら劇場から出てくるような作品になると良いなと思っています。
プロフィール
守安久二子(モリヤスクニコ)
NPO法人アートファームが企画する下鴨車窓・田辺剛の戯曲講座を受講。2018年、愛媛県東温市で開催されたアートヴィレッジTOON戯曲賞2018にて、「草の家」で大賞と観客賞を受賞。2022年、第21回AAF戯曲賞にて「鮭なら死んでるひよこたち」で大賞を受賞した。
※初出時より、公演情報を変更しました。