「戯曲とは何か?」をテーマに掲げ、上演を前提とした戯曲を募集する愛知県芸術劇場のAAF戯曲賞。今年11月には、第19回AAF戯曲賞で大賞を受賞した小野晃太朗の「ねー」が、今井朋彦の演出により上演される。プレリハーサルがスタートして約1週間が経った6月中旬、ステージナタリーでは、今井と小野の対談を実施。稽古を終えたばかりの2人は、未知の領域を探りながら演劇を立ち上げていく面白さや、コロナ禍の現在における物語の在り方について語り合った。
取材・文 / 川口聡 撮影 / 中垣聡
AAF戯曲賞とは?
2000年にスタートした、愛知県芸術劇場が主催する戯曲賞。大賞受賞作の上演を前提とし、2015年の第15回からは「戯曲とは何か?」をテーマに掲げている。第15回は松原俊太郎「みちゆき」、第16回は額田大志「それからの街」、第17回はカゲヤマ気象台「シティⅢ」、第18回は山内晶「朽ちた蔓延る」、第19回は小野晃太朗「ねー」、第20回は羽鳥ヨダ嘉郎「リンチ(戯曲)」が大賞を受賞。2021年度の第21回では、7月31日まで戯曲を募集している。10月上旬に一次審査通過作品、11月中旬に二次審査通過作品を発表。2022年1月には最終審査会が公開形式で実施され、その模様はYouTubeでライブ配信される予定だ。
今には“今の物語”が必要だ
──「ねー」の愛知でのプレリハーサルがスタートしました。小野さんは東京から愛知を訪ねられ、今日初めて稽古に立ち合われたそうですが、お二人は初対面になるのでしょうか?
今井朋彦 プレリハーサルが始まる前にリモートではお話ししていました。
小野晃太朗 直接お会いするのは今日が初めてです。
──「ねー」は、小野さんご自身の身の回りのことや、SNSの匿名アカウントで告白された、とあるレイプ事件に着想を得て書かれた戯曲です。本作では、状況が悪化していく中で生きる若い人たちと、暗躍する既得権益の集団を描いたファンタジーが軸となっています。AAF戯曲賞の審査会では、ロジカルに組み上げられた戯曲の構成や、淡々としつつも強度のある物語の求心力、ラストにかけて神話へと接続されていくダイナミズムが高い評価を受けました(参照:第19回AAF戯曲賞大賞は小野晃太朗「ねー」、特別賞に三野新)。差別問題や性暴力被害者とその周辺関係者の二次受傷といったセンシティブなテーマも盛り込まれていますが、この物語はどのようにして生まれていったのでしょう?
小野 「今には“今の物語”が必要だ」と考えて書き始めました。未来に対して何か提案しなきゃいけないという気持ちはあったのですが、具体的なことが思い浮かばなくて、登場人物たちに起こる問題が進行していくに従って、何か糸口を見つけられないものだろうかと、書き進めながら考えを巡らせました。自分の中でもまだ“わからないことの塊”が残っている戯曲です。
──今井さんが、この戯曲を読まれた第一印象はいかがでしたか?
今井 まず“今の戯曲”であるというところに魅力を感じました。それと、上演の姿がすぐに浮かばなかったんですよね。読んだときに上演の姿が浮かんでしまうとつまらないというか、「僕の演出じゃなくても良いんじゃないか」と思ってしまうんです。でも今回は「これは、どうなるのかわからないぞ」と思えたことも、演出をお引き受けした大きな理由の1つで。この戯曲には、表面に現れている色の裏に別の色が隠されていると言いますか……宝探し的な面白さがあり、読むたびに印象が変わり、繰り返し読みたくなるんです。演出をするとなったとき、併走する戯曲としてすごく興味深かったんですよね。
小野 ありがとうございます。
今井 演出を手がける場合は俳優として参加するときよりも長い期間、戯曲と向き合うことになるので、そういう意味でも「ねー」は探りがいのある作品だと思いました。
──AAF戯曲賞の受賞記念公演で、審査員以外の方が演出を手がけられるのは、2018年上演の「シティⅢ」を演出された捩子ぴじんさん以来となります(参照:AAF戯曲賞受賞記念公演「シティIII」幕開け、捩子ぴじん「問い、を皆様へ」)。稽古が始まるまでの期間、お二人はどのような準備をされていたのでしょうか?
今井 まず経緯としては、愛知県芸術劇場のプロデューサーである山本麦子さんから演出のお話をいただき、戯曲を読ませていただいて、「ぜひお引き受けします」とお答えしました。それからクリエーションチームが決定し、小野さんとリモートで戯曲についてのお話をさせていただいて。今年5月の出演者オーディションを経て、6月中旬からようやくプレリハーサルがスタートしたという状態です。戯曲の冒頭にある作品概要で、小野さんは「戯曲という言葉は文学の括りに入ると思っているので、上演の際は別途上演台本が作成されるべきと考える」と書かれています。戯曲からさらに上演に寄せた台本ということで、小野さんと、どういったことが考えられるかお話ししました。
小野 僕は戯曲について、誰がどういう目的で読むかを考えている部分があり、「ねー」では、戯曲を“上演台本形式の文学作品”という括りで「読者のためのものである」と設定して執筆したんです。身も蓋もない話ですけれど、上演したあとに残ったものが上演台本になるのかなと思っていて(笑)。プレリハーサルが始まる前に書き換えたり、切ったり、足した部分もあります。本番に向けては、稽古の進捗に合わせながらの共同作業になっていくと思うので楽しみですね。
今井 そうですね。実際に俳優にセリフを発してもらいながら内容を決定していく部分もあるので、小野さんと僕と現場の俳優さんたち、そしてクリエーションチームを交えての上演台本作りになっていくと思います。
“身体の現れ”としての声
──「ねー」は現代の病や社会の閉塞感といった時代性が反映されている作品です。小野さんは現実社会と戯曲の物語との距離感をどのように測りながら執筆されたのでしょう?
小野 現実で起きていることをはっきりと物語に反映させて扱おうと思ったのは、実は「ねー」が初めてでした。探りながら書いたところもあり、まだ距離感を測っている最中と言いますか。執筆中はとにかく必死で、例えるなら“国会中継のラジオを聴きながら、新聞を読む”みたいな状態で、どうかしていた気がします。
──今井さんは近年、文学座アトリエの会で松原俊太郎さんの「メモリアル」(参照:大きな“ピース”を体験して、松原俊太郎×今井朋彦、文学座「メモリアル」開幕)、SPACで遠藤周作の「メナム河の日本人」(参照:一緒に作品世界を旅して、今井朋彦演出のSPAC「メナム河の日本人」が開幕)の演出を手がけられています。今回はどのようなアプローチで演出に取り組まれるのでしょう?
今井 演出家として全体の構成をしつつ、最終的な表現は俳優自身に見つけてほしいという思いがあります。自分が俳優として作品に参加する際も「併走するから、自分で見つけてほしい」というスタンスの演出家は、すごくクリエイティブだなと思うことがありまして。俳優が自ら発見してたどり着いた表現は根っこが強いと思っています。サポートはしつつも、今回の出演者の方々ともそんな関わり方ができればいいなと。
──今井さんは常々、戯曲と身体の関係性にも注目されていますよね。
今井 身体そのものが持つ雄弁さにも興味がありますし、今は“身体の現れ”としての声に意識がいっています。昨年まで僕が在籍していた文学座は、よく“セリフの劇団”という評価をいただきますが、では、そのセリフは何によって支えられているのか?と考えたとき、やはり声の在り方は重要なのかなと。だからといって、皆さんにすごく良い声でしゃべってもらうということではないですが(笑)。舞台上に強い説得力を持って存在する声について探っていきたいですね。
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浮かんだり、潜ったりを繰り返すプレリハーサル