劇場が主催する戯曲賞の意義
──毎回さまざまなドラマが生まれる最終審査会ですが、開始前の楽屋はどんな雰囲気なんですか?
篠田 真面目に戯曲を読んでいるから、みんな集中はしてますね。
羊屋 ピリピリもしてるけど、微笑みもあったりするんですよ。
篠田 ほっき貝の話をしたりね(笑)。
羊屋 あったね。私がお土産にほっき貝の干物を持ってきて、ピリピリした空気の中、ほっき貝の話でクールダウンするみたいな(笑)。でも審査が始まったら結局は審査員同士のバトルになるから、ほかの審査員の意見を聞きながらも、自分が推したい作品のよさをどう伝えていくのか?というところを考え始める。
篠田 プレゼン力は鍛えられたよね。
羊屋 AAFの審査員にしか通用しないプレゼンかもしれないけどね。
──ほかに公開審査会で印象に残っている出来事はありますか?
羊屋 1年目は気負いもあってか、私は着物を着て審査会に臨んだのですが、三浦(基)さんに「やりすぎだろう」って言われました(笑)。あと2年目は篠田ちゃんが公開リーディングをしたよね。
篠田 お客さんにテキストを読んでもらったんですが、それは私の中では、演出を考えないで戯曲を読むためのプロセスの1つだった。1年目はノミネート作5作全部に演出プランを考えてくるくらい用意していたけど、せっかくの公開審査だし、その場でお客さんを巻き込んだらどうなるんだろうと思って、リーディングをやってみたんです。
羊屋 3年目は山内晶さんの「白痴をわらうか」を私と篠田ちゃんで音読したね。テキストの中に“(笑)”が多用されていたから、実際に笑いながら。
篠田 私は最初「白痴をわらうか」を推してなかったんだけど、音読してみたら「あれ、めちゃいいじゃん!」ってなって、気持ちが揺らいだんだよなあ。
羊屋 黙読と音読では印象が変わる戯曲もあると実感したよね。
──公開審査会には、プロデューサーである山本さんも毎回立ち会われていますよね?
山本麦子 そうですね。議事・進行役として立ち会っています。2018年度「朽ちた蔓延る」で大賞を受賞された山内さんは、2017年度は「白痴をわらうか」で特別賞だったんです。彼女は最終審査会で審査員の方々からいろいろと出てきた意見を吸収して、アウトプットした結果、翌年大賞に輝きました。公開で審査されることは作家にとっても、正直きついことだとは思うのですが、審査員たちと一緒に戦っている感覚も同時にある気がしています。
羊屋 審査員としても、下読みなしで最初から読んでいるからなのか、1人ひとりの作家さんとの距離を近く感じるんです。ノミネート作家が最終審査会の会場にいらっしゃるというのも、私としては感動的で。昨年の第18回で最終選考まで残った「ヤクタタズ!」という戯曲の作者、フルカワトシマサさんが10月に亡くなられたんですよね。「ヤクタタズ!」をご自身でプロデュースして上演する方向に動かれていたんですが、その道半ばで亡くなられてしまった。審査に関わった身としても、今は黙祷を捧げたいという気持ちです。
篠田 フルカワさんは、今回もフルカワトシマサ's名義で「『ヤクタタズ!』Ⅱ-序章-」という戯曲を応募されて、一次審査を通過していたんですよね。戯曲賞の関連ワークショップにも来てくれたり、意欲的な方でした。
山本 フルカワさんだけでなく、最終選考に残った作品に公開審査会で興味を持たれた方がいて、「上演したい」というお話があったと作家の方から連絡をいただくこともあります。戯曲を評価して賞を出すというだけでなく、さまざまな出会いが作家さんへの還元になればいいなと思っています。
羊屋 そうですね。戯曲を審査しているんだけど、生身の人間が書いているものなんだよなあ、と自然に思えてくるタイミングは何度もありました。
篠田 私の場合、自分がすごく好きな作品があったとき、「好きなんだよね」みたいなことしか言えないパターンがあったの。例えば、犬飼勝哉さんの「木星のおおよその大きさ」という戯曲が、めちゃめちゃ好きなんだけど、ほかの審査員から「何も言ってないよね」と散々言われて。「何も言ってないのがいいんだけどなあ」って……。後日、その作品を前田司郎さんが“第1回前田戯曲賞”って言って表彰してたんですよね。
山本 AAF戯曲賞はリニューアルしてまだ4・5年ですが、最終的には審査員の集合知だなと思っているところがあって。審査員それぞれが今気になっていること、ここは譲れないという部分を時間をかけて議論する中で擦り合わせていくことを大事にしています。個人が1人で賞を決めたら、ある人にすごく刺さる尖った作品が選ばれるかもしれない。それも面白いですが、劇場が主催する戯曲賞としては、100作品以上から複数の審査員が議論し、どの1本に絞るのか、その過程も重要だと思っています。
篠田 100作品集まったとき、審査する中でどのように違った言葉が生まれるのか、というところに私も興味がある。犬飼さんの「木星~」も「好きなんだよね」ってことしか言えなかったから、前田さんが「僕個人の賞」って言ったとき、とてもしっくりきて、自分の気持ちが回収された気がしました。
今年の審査員は“読解派”、それぞれの「戯曲とは何か?」
──第15回では松原俊太郎さんの「みちゆき」を三浦基さんが、第16回では額田大志さんの「それからの街」を鳴海康平さんが演出され、第17回ではカゲヤマ気象台さんの「シティⅢ」を演劇作品初演出だったダンサー・振付家の捩子ぴじんさんが手がけました。これまでの上演をご覧になって感じたことはありますか?
羊屋 それぞれが普段やっている“手癖”みたいなものから離れて、違ったことをやろうとしていて、演出家のチャレンジと苦悩を感じましたね。
山本 3作品とも難産で、それぞれいろんなことを考えて、話し合いながら創作されていました。
羊屋 捩子さんが演出した「シティⅢ」(参照:AAF戯曲賞受賞記念公演「シティIII」幕開け、捩子ぴじん「問い、を皆様へ」)は、作者のカゲヤマさんのDNAが受け継がれて、なおかつ立体的になっていたと思います。その後、「シティⅢ」は京都芸術センターでも上演されましたよね。
山本 「シティⅢ」を含むカゲヤマさん作の「シティ三部作」が京都芸術センターで上演されました。AAF戯曲賞をきっかけにして新たに作品が上演されたのはいい展開の仕方だったなと。
篠田 3作品全部を上演する形になったのは、作品にとっても一番よかったよね。
──第18回AAF戯曲賞では山内晶さんの「朽ちた蔓延る」が大賞に選ばれました。2020年11月には篠田さんの演出で上演されますが、現段階の構想やアイデアはありますか?
篠田 実はもうすでに動き始めていて、今回は作家に書き足しをリクエストしたんですよね。
羊屋 鳴海さん演出の「それからの街」と捩子さん演出の「シティⅢ」は一言一句、極力変えずに上演していたよね。
篠田 今回の「朽ちた蔓延る」は作曲家の樅山智子さんにお声掛けして、セノグラフィにタイ人とカナダ人と日本人の3人を入れたいとか、パフォーマーも選定し始めて……という段階です。
──11月の上演が楽しみです。今回は審査員をお休みされているお二人ですが、1月の最終公開審査会はご覧になるんですか?
羊屋 現地に行けないのでYouTubeで視聴したいと思っています。
篠田 私は当日ワークショップをするので現地にいるのですが、審査会で面白い話が聞けるかなと期待しています。
羊屋 篠田ちゃんは客席から審査に参加しちゃうんじゃないかな?
篠田 ね、参加しちゃうかも。でもそれだと休んだ意味がないから。
──今回から審査員にダンサー・振付家の白神ももこさんが参加していますね。
篠田 ももこさん、康平さん、基さん、(やなぎ)みわさん……今年の審査員は“読解派”が多いかもしれない。ももこさんは振付家だけど私より読解力があるんですよ。当日は白神ももこを野次りに行きたいと思います(笑)。
──その点も含め、楽しみです(笑)。AAF戯曲賞は「戯曲とは何か?」をテーマに掲げています。お二人にとっての「戯曲」とは何でしょう?
篠田 戯曲って、“ある”と“いる”が解体されずに存在している状態なのかなと思っていて、私が「戯曲とは何か?」を考えるとき、“ある”と“いる”が組み合わさっている状態をどうやって解凍するんだろう?ということを考え始めるんですね。そうすると自然と演出が浮かんでくる。強度のある戯曲というのは、私にとっては“ある”と“いる”を自由に組み替えられるものなのかなと。
羊屋 その“ある”と“いる”のバランスって、融点と言うか、氷が溶け出す瞬間の微妙なバランスみたいなことなのかな?
篠田 そうそう。
羊屋 なるほど。私は基本的にはミニマル派なので言葉数は少なくても十分成立すると思っていて、例えばダンスならばソロ、演劇ならばデュオが成立していれば、それはもう戯曲なんじゃないかなって、審査員になって3年目くらいから思い始めました。短いセンテンスでも、戯曲の中心になるいいセリフがあるだけでグッときてしまう。言葉が言葉の範疇を超えて風景になっていく可能性があったり、審査中もそういう描写のある戯曲を探していました。私にとってはそういう作品が強度のある戯曲だなって思うし、演出家や観客にも届く戯曲なのではないかと思っています。