AAF戯曲賞から誕生した新星 松原俊太郎インタビュー|戯曲というメディアの可能性を追って

戯曲らしい戯曲をイメージせず書いた

──改めて、AAF戯曲賞の“合格体験記”を伺わせてください!

(笑)。「みちゆき」は思いつくままにワーッと1カ月で書いたという感じで、審査員の方々も指摘されていましたが、ベケットとかチェーホフ、あとそれまでの読書体験のストックを、戯曲にどう落とし込めるかを考えて。文体も翻訳体みたいな感じだったので、その時点でけっこうほかにはない感じの戯曲になるんじゃないかという算段はありました。ほかの応募作は上演台本みたいなものが多いと思うんですが、戯曲らしい戯曲をあまりイメージせずに書いたというところはあります。

──そのあと、「忘れる日本人」「正面に気をつけろ」「山山」と戯曲を書き重ねていく中で、劇作の楽しみもつかまれたと思います。また今年1月には小説「またのために」も発表されました。小説と戯曲の違いについてはどのように感じていらっしゃいますか?

小説は戯曲で言うト書きとか説明ゼリフみたいなものを書き込まないといけなくて、ある言葉を響かせるというよりは、自分の中にあるイメージをそのまま文章に起こしていくところがあります。反対に戯曲は言葉を声にして響かせることを考えていくので、1行のト書きで済むことがあるし、また(言葉を響かせるための)背景を登場人物のセリフの中に織り込ませて、観客に読み取ってもらうという高度なこともできます。戯曲は小説と詩の中間と言うか、言ってしまえば中途半端なメディアという部分があって、読み込めば読み込むほど全然違う言葉の捉え方ができる。なので、文字として戯曲を読んだときに立ち上がった自分のイメージと実際の上演で得るイメージ、その2つのイメージを1つのテキストから得ることができるのは戯曲ならではだと思いますね。

AAF戯曲賞と出会えて本当によかった

──松原さんの名刺には、「劇作家」ではなく「作家」と肩書きが記されていますね。これからはより、ジャンルを問わず書いていこうと思われていらっしゃるのでしょうか?

松原俊太郎

そうですね。ノーベル文学賞作家のエルフリーデ・イェリネクも戯曲と小説の両方を書いてるし、小説も書いていきたいという思いがずっとあるので。小説は本当に1人で書く作業で、劇作は劇団と一緒にやる作業ですよね。そういう違いが作家・松原俊太郎の両面として、読者なり観客なりに伝わっていけば、小説の新しいあり方も提示できるかもしれないし、もしかしたら戯曲への理解も深まるかもしれないと思うので、その両輪は外したくない。両輪でやっていきたいという感じですね。それに戯曲はイメージがまだあまり定着していないと言うか、「戯曲って何?」って親族だったり友人だったりにすごく聞かれるから(笑)、戯曲というメディアを周知させたいという思いもあります。

──松原さんは今年で30歳、戯曲を書き始めて3年になります。さらなる活躍が期待されますが、これから新たに展開していきたいことは?

うーん……長大な戯曲を書くというスタイルは「忘れる日本人」「正面に気をつけろ」「山山」で一区切りついた感じがしています。このあと地点はもちろん、地点以外にも書く予定があるので、そのときはこれまでと違うものを提示できればとは思っていて。あとは……とにかくたくさん書いていきたいですね。

──7月31日まで、第18回AAF戯曲賞の応募戯曲が受け付け中です。未来の“大賞作家”に先輩としてメッセージをお願いします。

難しいですね(笑)。ただ受賞のための傾向と対策を考え出すと、これだけ続いているので何か傾向がつかめちゃうかもしれないんですが、それを考えながら書くと二番煎じになっちゃうので。自分なりのスタイルで、書きたいことを書いてもらえたら。それだけですね。

──最後に、AAF戯曲賞を受賞されたことは現在の松原さんにとってプラスに働いてますか?

プラスです、本当に。上演台本ではなく、戯曲をこれだけ押し出している戯曲賞ってほかにないし、リニューアルしてからはより、その部分を問うているところがあるので、そのタイミングでAAF戯曲賞と出会えたことは本当によかったですし、そのおかげで今、劇作をやっていられるので。そして今年、「忘れる日本人」の上演で愛知県芸術劇場に戻ってこられたのは、すごくよかったなと思っています。

「AAF戯曲賞」特集
特集のタイトル第1回
AAF戯曲賞から誕生した新星 松原俊太郎 インタビュー
捩子ぴじん第2回
第17回 AAF戯曲賞受賞記念公演「シティⅢ」演出 捩子ぴじん インタビュー
篠田千明×鳴海康平×羊屋白玉×三浦基×やなぎみわ第3回
篠田千明×鳴海康平×羊屋白玉×三浦基×やなぎみわ

2018年12月21日更新