杉原邦生と成田凌が立ち上げる2022年版「パンドラの鐘」、多彩なイメージを乱反射させ“希望”を照射する

1999年に野田秀樹が蜷川幸雄の依頼で書き下ろした「パンドラの鐘」は、同年にBunkamura シアターコクーンの芸術監督に就任した蜷川と野田自身によって2つの演出で立ち上げられ、演劇の楽しさ、豊かさ、奔放さを見せつける一大事件として、多くの観客に衝撃を与えた。2022年、杉原邦生がそのバトンを引き継ぎ、本作に新たな息を吹き込む。

ヒントとなるのは「道成寺」、そして“ないまぜ”の精神。多彩な顔ぶれがそろった稽古場では、ミズヲ役を演じる成田凌を中心に、2022年版「パンドラの鐘」が、もう輪郭を表し始めていた。ステージナタリーでは、そんな熱気あふれる稽古の様子と共に、杉原と成田の作品に懸ける思いを届ける。

取材・文 / 熊井玲撮影 / 宮川舞子

メキメキと立ち上がっていく杉原版「パンドラの鐘」

5月上旬、「パンドラの鐘」の稽古場では、“古代”のシーンの稽古が行われていた。“葬式屋”に両脚をつかまれ、ゆっくりと運ばれてくる“死体”たち。セリフはなく動きの美しさで見せるシーンに、「葬式屋の脚の運びをそろえたい」「導線をもっと綺麗に見せられないかな」と杉原邦生のこだわりが炸裂する。杉原の発言を受けて、振付の仁科幸・北川結をはじめ、俳優とダンサーからなるキャスト陣はそれぞれに意見を出し合い、すぐさま「もう1回やってみよう」と所定の位置に戻って新たな動きを試した。そんなやり取りを、成田凌、葵わかな、白石加代子らメインキャストが、稽古場の傍らでじっと見守っていた。

「パンドラの鐘」は1999年に野田秀樹が蜷川幸雄に書き下ろし、野田と蜷川が別のキャスト、別の劇場、異なる演出で同時期に上演し、大きな話題を呼んだ。葬式屋のミズヲと古代の女王・ヒメ女を軸に、太平洋戦争開戦前夜の長崎と、忘れ去られた古代王国を行き来しながら、歴史の狭間に隠された真実を掘り起こす一大スペクタクルで、野田演出版では堤真一&天海祐希、蜷川演出版では勝村政信&大竹しのぶが、ミズヲとヒメ女を演じた。それから23年、杉原演出でよみがえる「パンドラの鐘」では、初舞台の成田がミズヲ、葵がヒメ女を演じる。

前述のシーンに続けて、その日は作品前半にあたる古代王国が揺れ動く転機となるシーンの稽古が行われた。ダイナミックな音楽と共に、舞台の奥からすり足で入ってくる葬儀の列。葬式屋の男たちが担いでいるのは船の形をした王の棺だ。そこへヒメ女が姿を現し、女王然とした立ち居振る舞いで、一連の儀式を“早送りで”やり終える。そして形ばかりの国葬が終わると、棺は葬式屋の男たちに担がれて運ばれるのだが、王の棺と共に葬式屋たちも埋葬されそうに。すると葬式屋の1人、ミズヲは女王にある賭けを持ちかけて……。

成田はシャープな身体からよく通る声を響かせ、ミズヲの大胆さ、芯の強さ、ひたむきさを全身で表現。野田戯曲に書かれた怒涛のセリフを、瞳をギラつかせながらほとばしらせる。そんな青い炎のように冴えた輝きを放つミズヲに、葵演じるヒメ女は真綿のようなピュアさと恐れを知らぬ天真爛漫さで対峙。真剣なはずのやり取りがどこか微笑ましいのは、2人があまりにも対照的で、かつ2人を取り囲む人たちが、あまりにユニークだからだ。白石演じるヒイバアは、ある時は忠臣として、またある時は母親のように、ヒメ女を甲斐甲斐しく支える。しかしその言葉の端々には7代の王に使えてきたプライドと野心がちらつき、ヒイバアの“油断ならなさ”が垣間見える。ヒイバアの隣に立ち、一際大きな声を響かせるのは玉置玲央演じるハンニバルだ。玉置はハンニバルの抜け目のなさを、セリフを発するスピードや声音などで表現。さらにヒメ女やヒイバア、ミズヲらと絶妙な距離を保ちながら動き回ることで、場に緊張感を与えた。

印象的だったのは、ミズヲとヒメ女のやり取りで、ヒメ女に蔑みの言葉を向けられたミズヲが、「この汚い手がなければ、美しい葬儀はできない」とやり返すシーン。生きるために葬式屋になったミズヲの矜持が込められたその一言を、成田は大きな手、長い指をギリギリと掲げながら力強く発して表現した。この先がもっと観たい──そう思っていたらあっという間に時間が経っていた。

稽古場の様子。

稽古場の様子。

蜷川版・野田版の違いに「可能性を感じた」

稽古後、杉原と成田に作品への思いや稽古の手応えを聞いた。杉原がシアターコクーンで演出を手がけるのは、「プレイタイム」(参照:シアターコクーン初のライブ配信、森山未來×黒木華「プレイタイム」まもなく開幕)、「シブヤデアイマショウ」(参照:「シブヤデアイマショウ」日替わりゲストに生田絵梨花・石丸幹二・井上芳雄・大野拓朗ら)に続き、本作が3本目となるが、単独演出は本作が初となる。また今年はシアターコクーン前芸術監督である蜷川の七回忌にあたるため、本公演は“NINAGAWA MEMORIAL”と冠された。杉原は今回の演出について「『プレイタイム』は梅田哲也さんとの共同演出、『シブヤデアイマショウ』は松尾スズキさんの総合演出で、僕は10分程度のコーナー演出担当でした。だから良い意味でウォームアップさせていただいたというか。そして蜷川さんは僕が最も尊敬する演出家の1人です。七回忌と冠された公演を任せていただいた重責を感じつつも、お話をいただいたときは楽しみで興奮しました」と笑顔を見せる。

「パンドラの鐘」初演時は、「まだ演劇をやっていなかった」と言う杉原。その後、京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)に進学し、蜷川作品に強い影響を受けるようになる。「パンドラの鐘」も最初に触れたのは蜷川演出版で、「2001年頃、テレビの劇場中継で観たんですけど、蜷川さんらしい演出だなと。古代と現代が入り乱れて、最終的には長崎に落とされた原爆の話に集約されていきますが、平和や希望に対するメッセージがある。作品のエネルギーを強く感じました。その後、野田演出版を観て『あの作品がこんなふうになるんだ!』とびっくりして。蜷川演出版はわりとリアリズムで作られていたけれど、野田演出版は見立てを多用したり、とにかくぶっ飛んでいて、『こっちがオリジナルなの?』と驚きました。そもそも野田さんの演出をきちんと観たのもそれが初めてだったので衝撃がありましたね。『パンドラの鐘』を通じて、演出の違いでこんなにも作品の見え方が変わるんだと実感しました」と当時を振り返った。

杉原邦生

杉原邦生

一方の成田は、今回が初舞台。成田は「以前から舞台を観に行くことが好きだったんです。まさか自分がシアターコクーンに立たせていただけるなんて、しかも野田さんの戯曲を演じられる、だから今回のお話をいただいたときは、迷わずお返事させていただきました。舞台に対して何かイメージがあったわけではないのですが、とにかく『自分が持っているものをすべて出したい!』と思っていました」と舞台への思いを語った。

成田もまず蜷川演出版の映像から観たそうで、「勝村さんがすごかったですね! その後野田さん版も観ましたが、邦生さんがおっしゃったように、『舞台って何をやっても良いんだ』と可能性を感じました。今まではリアルなことをやろうというのが仕事のモチベーションとしてあったんですけど、野田さんや蜷川さんの演出版を観たり、稽古を進めていくうちに、『そういうことじゃないのかもしれないな』という気持ちになっています。何が起きるのかわからない中、楽しんでやっています」と穏やかな表情を見せた。

成田凌

成田凌

「パンドラの鐘」は野田が四十代半ばに執筆した戯曲。その前後に「半神」再演や「カノン」、「農業少女」を手がけていることを考えると、本作の力強い筆致と熱量、スピード感、めくるめく展開にも改めて納得がいく。戯曲の印象について杉原は「稽古初日に野田さんとお話ししたのですが、ご自身も『この作品は勢いがあるよね』とおっしゃっていて。野田さんの脳内運動がブワッと言葉になっているような感じがしますね。シーンごとのエネルギーが強くて、でもそれがいわゆるリアリズムで緻密に組み立られているわけではなく、いろいろなイメージにポーンと飛躍していく。『こういう物語かな』と思っていたら全然違うものが入ってきたりと、エネルギーとリズム感を感じます」と語った。

成田はセリフを実際に発した実感を、「やればやるほどわからなくなっています、難しすぎて……」と表現。また「演じていると思いが入りすぎてしまいますが、セリフのつじつまがすべて合っているわけではなく、でも深いところでは絶対につながっていくと思うので、わからないところの意味を考えながら、一言ひとことを言ってみたいなと思っています」と話した。

5月に行われた取材会(参照:「パンドラの鐘」成田凌&葵わかな「演出家・杉原邦生は“柔らかいベッド”みたい」)で、杉原は「成田くんは舞台に向いている」と語った。どんなところにそれを感じたかを問うと、「成田くんは、マインドがオープンなんですよね。『ひとまずなんでも来い』というような受け入れ態勢ができている。そこが頼もしいし、任せられます」と成田に視線を向けた。すると成田も「邦生さんは全体をよく見ている。それは邦生さんにとっては当たり前のことかもしれないけど、僕にとっては全然当たり前じゃないこと。毎日すごいなあと思って見ています」と杉原に信頼を寄せた。