吉祥寺ダンスLAB. vol.6
これは、吉祥寺シアターによるオリジナルダンス企画・吉祥寺ダンスLAB.シリーズの第6弾。今回はスペースノットブランクが、“集団”“集団の言葉”“言葉の意味の侵入”をコンセプトに制作した新作「言葉とシェイクスピアの鳥」を披露する。
「言葉とシェイクスピアの鳥」は、兵庫・城崎国際アートセンターでのクリエーション、オープンリハーサル、ワークインプログレス、トークを経て、このたびの上演に至る。小野と中澤は「感覚でしかわかりませんが、生み出された50分の1ぐらいだけを、実際の上演に残しています。それはリニアに上演を作るために必要なものことだけを積み上げていくのとは異なる、ノンリニアの、人間が生きる中で経験するものことのひとつひとつから、どれを選択し、どれを選択しないか、ということを実際的に試みた結果です。個人が集まり集団となる当然の問題を当然のままに舞台にして、上演します」と説明。「しかしその集団は上演の開始から終了まで、ひたすらイメージの瓦解をし続けます。最初の場面(過去)で最後の場面(未来)を思い出すことがないように、最後の場面(現在)で最初の場面(過去)を思い出すことができないような作品です」と本作のイメージを語った。
出演者には、青田亜香里、青本柚紀、
小野彩加・中澤陽 コメント
吉祥寺ダンスLAB. vol.6が開幕します。2024年1月9日(火)から14日(日)まで、吉祥寺シアターにて上演します。「身体と言葉の劇的融合」というキャッチコピーが示すように、身体に興味がある方も、言葉に興味がある方も、何卒皆様お誘い合わせの上、ご来場を心よりお待ち申し上げます。それは、単なるダンスと演劇のような舞台の境界ではなく、もっと元来の意味としての身体と言葉の問題を取り扱っていると考えています。作品名は「言葉とシェイクスピアの鳥」といいます。この作品は、私たちが2021年9月にカフェムリウイにて上演した「舞台らしきモニュメント」で考えていたことを継続するものです。と言っても、「舞台らしきモニュメント」を見ている必要は特にありません。そもそも上演は100人程度しか見ることができていませんし、その後幾度か行なった配信は映像として保存されたものなので、異なる何かです。上演は如何にして上演として保存され得るのかを考えていました。そして時を経て、今回は上演を推進力として捉え、出演者、上演に携わる人々、上演時間、舞台空間、そして観客が一帯となって、保存されるものと保存されないもの、つまり身体が覚えているものと覚えていないものを体感するような上演を目指そうとしています。打って変わって時はさらに遡り、2017年頃より、私たちは独自のテキスト生成手法として「聞き取り」というやり方を考え、上演に現れる予定の人物=出演者が語った言葉を文字にして上演で語り直すという行為を反復してきました。今回もそのやり方でテキストを作ったのですが、今回は2022年の春先から企画を立案し、その7月からチームを編成し、翌2023年夏には城崎国際アートセンターにて20日間のレジデンスを行なった上で、さらにその11月からリハーサルを重ねているため、史上最大容量のテキストと場面が生み出されています。感覚でしかわかりませんが、生み出された50分の1ぐらいだけを、実際の上演に残しています。それはリニアに上演を作るために必要なものことだけを積み上げていくのとは異なる、ノンリニアの、人間が生きる中で経験するものことのひとつひとつから、どれを選択し、どれを選択しないか、ということを実際的に試みた結果です。個人が集まり集団となる当然の問題を当然のままに舞台にして、上演します。しかしその集団は上演の開始から終了まで、ひたすらイメージの瓦解をし続けます。最初の場面(過去)で最後の場面(未来)を思い出すことがないように、最後の場面(現在)で最初の場面(過去)を思い出すことができないような作品です。少しでも興味を持っていただけましたら、スペースノットブランクのWebサイトにて「長いステートメント」と「最初で最後のイントロダクション」を公開しておりますので、ぜひそちらも読んで、ご来場をご検討いただけますと幸いです。吉祥寺シアターにてお待ちしております。舞台は、始まるとすぐに終わります。再演はもう別の個体です。今しかない今を。丁寧に準備して、上演はベストを尽くします。よろしくお願いいたします。
吉祥寺ダンスLAB. vol.6 小野彩加 中澤陽 スペースノットブランク「言葉とシェイクスピアの鳥」
2024年1月9日(火)~14日(日)
東京都 吉祥寺シアター
演出:
出演:青田亜香里、青本柚紀、
※高橋慧丞の「高」ははしご高が正式表記。
pherim @pherim
『#言葉とシェイクスピアの鳥』@spacenotblank
素人の身体制約に留まるダンスは凡庸に映り、物語を欠く発話は退屈に聴こえるのに、145分途切れない緊張の仄かな奇妙さ。きっと本人たちには自然でも新奇でもあるのだろう踊りや演技の内に、鋭く日本的な今日性を覚えている己の感覚変化に気づく面白さ。 https://t.co/EC0EqPeclo