芸術監督交代会見で野村萬斎が感謝述べる「これからも日本の文化を背負った活動を」

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「世田谷パブリックシアター芸術監督交代」会見が本日3月14日に東京・世田谷パブリックシアターで行われ、芸術監督の野村萬斎と次期芸術監督の白井晃が登壇した。

左から白井晃、野村萬斎。

左から白井晃、野村萬斎。

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萬斎は2002年8月に同劇場の芸術監督に就任し、この3月31日に退任する。「言い残しがあっては、と思って原稿を書いてきました(笑)」と手元に目をやりながら話し始めた萬斎は、1994年から1995年にかけて文化庁の芸術家在外研修制度でイギリス・ロンドンに留学し、1997年4月5日、自身の誕生日に世田谷パブリックシアター開場記念式典で「三番叟」を披露したことを振り返る。「2001年にはシェイクスピアの『間違いの喜劇』を狂言の手法で翻案した『まちがいの狂言』で演出家デビューさせていただきました。2002年に次期芸術監督の打診があった際は、芸術監督という仕事が確立されているイギリスを目の当たりにしてきた経験もあり、依頼をいただいた翌日、ツアーの帰りの新幹線の中で、雷が落ちたように芸術監督方針を考えついたことが、まるで昨日のことのように思い出されます」と話した。

左から白井晃、野村萬斎。

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また萬斎は芸術監督在任中に繰り返し語ってきた、「この辺りの者でござる」という精神から同心円状に広がっていくことの大切さを改めて語り、「世田谷区から発信して区民だけでなく東京都民、日本国民、アジア、世界とグローバルな無形文化財となるという大志を抱いてきました。そこには、ユネスコ無形文化遺産である能楽に対抗したいという、能楽師としてではないアーティスト・野村萬斎のミッションというか、野心もあったと思います」と笑顔を交えて語った。

さらに在任中に手がけた作品やさまざまなアーティストとの出会いについても振り返り、「狂言師は35歳から55歳までは“鼻垂れ小僧”と言われていて、91歳にならんとする親父(野村万作)をはじめ、ものすごく厚い層が立ちはだかっていますが、芸術監督になったことで演出家にもなったという思いがありますし、ある方には『文化人になりましたね』とも言われました(笑)。そのようにしてくれたのは世田谷パブリックシアターや優秀なスタッフのおかげであり、また世田谷パブリックシアター友の会をはじめとする観客の皆様のおかげです。その感謝の思いは私のこれからの作品などでお返しするしかないと思っております。これからも能狂言に限らず、日本の文化、アイデンティティを背負った活動をしたいと思っておりますし、芸術監督ではなくなり時間ができたぶん、別のジャンルで新たな挑戦をしたいと思っております」と意気込みを述べた。

続けて白井があいさつ。白井は「今お話を伺っていて、野村萬斎芸術監督の後を引き継ぐ重みを感じています」と恐縮し、「昨年秋にお話をいただき、驚きもしましたし逡巡もしました。昨年3月までKAAT神奈川芸術劇場での芸術監督職に就いておりましたので、退任したばかりということもございましたし、そのときは若い世代に引き継ぎたいという思いで長塚圭史さんにお願いしたので、にもかかわらず萬斎さんよりも年上の私が世田谷パブリックシアターの芸術監督を引き受けて良いのかと悩みました。ただ、劇場の方にはKAATでの経験と、世田谷パブリックシアターでこれまでたくさんの作品を創作してきた経験を踏まえて、と熱心にお誘いいただき、私にできることがあれば精一杯やらせていただきたいと思って決心しました。私の役目は未来の世代に向けての橋渡しだと思っています。5年後、10年後の世田谷パブリックシアターがどうなっていくかを考えながらやっていきたいと思います」と語った。

続く質疑応答の時間では、なぜこのタイミングで芸術監督交代を決めたのかという質問が記者から寄せられた。萬斎は「以前から20年という節目を含め、(交代の話は)考えていました。ただ後継人事を決めるにあたり慎重を期したということがあります」と答えた。また20年の経験を踏まえて、芸術監督職の課題についてはどう感じているかと問われると「世田谷パブリックシアターの芸術監督の権限は、限られているのかもしれません。人事やお金については私はあまり触れることがなく、その点はヨーロッパの芸術監督のような演出家主導のスタイルとは違って、どちらかというと私は座長的と言いますか、演出し、主演もし、顔にもなるというような芸術監督だったのかなと。新しい芸術監督になればまたその方の個性に合わせた形になっていくのかもしれませんし、そうなっていくことが重要なのでは」と答えた。

白井も「世田谷パブリックシアターでの私の役割は、プログラムの指針を示したり、広報関係の監修や学芸の監修などをすることで、KAATと世田谷では枠組みが違うということを日々実感しています。区の劇場としての役割を見直し、区から発信できること、この世田谷区の劇場であるということを考え、私ができることをしていきたいです」と思いを語った。

なお2022年度のプログラムは萬斎が監修したプログラムを引き継ぐこととなり、その中には2月に行われた戯曲リーディング「ハムレット」がラインナップされている。同作の演出を萬斎が手がけ、主演を野村裕基が務めることも明かされた。2022年度のラインナップは、4月に改めて発表される。

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