隣屋「オイディプス / コロノスのオイディプス」が、6月3日から8日まで東京・こまばアゴラ劇場で上演される。
これは、ソポクレスの「オイディプス」「コロノスのオイディプス」「アンティゴネー」をもとにした2演目を、隣屋の
三浦雨林コメント
「オイディプス」は、悲劇的な神託から逃れようと行動をするが、結果的にその神託の通りになってしまっていたオイディプス王の物語です。
オイディプスが神託から逃れる為に辿りついたテーバイという国では不治の疫病が流行っており、多くの人が死んでいます。神官や市民たちはオイディプスに「こうしてあなたの祭壇に跪くのは、あなたを神と崇めるからではなく、人間として、最も頼もしい者と見込んでのことです。あなたなら人の世の不幸にも、そしてまた人智を超えた力にも対峙できましょう。」とこの国難を鎮めるよう嘆願をすると、オイディプスは神託をもらうため義弟を神殿へと走らせます。オイディプスが太陽神アポロンから貰った神託は「この地より、穢れを追放せよ。その穢れをのさばらせ、不治の病を蔓延らせてはならぬ。」というものでした。後にこの”穢れ”というのはオイディプス自身であることが判明しますが、彼は猛烈な絶望の中にいながらも自身の言葉と立場に責任を持ち、自身を追放するように国を出ていきます。
「コロノスのオイディプス」は、その後のお話で、まさにオイディプスの最期の時を記すものです。ここでオイディプスは死んでしまいますが、その後も運命の物語は続きます。次の「アンディゴネー」では「オイディプス」から登場してきたほとんどの人が死に、また別の予言が成就します。
テーバイと同じように、この国にも人智を超えた疫病が未だ勢いを増して蔓延しています。ただここではひたすらに市民へのお願いに終始し、頭の中に浮かんだ数字で政治をし、お祭りをするために神頼みをする人が権力を握っている。夥しい数の死者が出ていながら、黙っていればどうにかなると、神が、誰かがどうにかしてくれると、ただひたすらに何かを待っている。
この国に、私たちのこの身に降りかかっているのが、これが運命なのでしょうか。
私たち人間が何万年もかけて築いてきたこの社会は、人間がひたすらに暮らすということしか想定されておらず、崩壊・破壊されることを想定していないのではないでしょうか。そしてその社会は、森や海などの物理的なものから地震や光などの現象まで、人間の手に負えない地球と世界から逸脱しています。火山灰が何日も太陽を隠し、大地震で街がまるっきり変貌し、人の手で作った化学物質が何世代も後遺症を残し、未知の疫病が夥しい死となって目の前に現れた時、ようやく私たちが立っているこの大地が私たちのものでないことに気がつく。
運命というものがもしあるのだとしたら、人が作ってきた社会の中にはなく、まさしく自然そのものではないだろうかと思います。死んだり、生まれたり、出会ったり、不可逆的で一回性のもの、そういうことを運命と言うのではないでしょうか。そうであれば、私たちはどれが運命なのかを見定め、何を為すか選択することができる。そして、社会にいる限り、思い通りの結果にならなくても、選択をし続け、責任を負わなければなければなりません。自分の選択が本当の自意識かはわからないけれど、自然も神も、人間のためにあるのではないのだから、神頼みをして待っていたってしょうがない。祈っても、状況が良くなるわけでもなし、死んだ人だって帰ってくることはない。神も自然も、何もしてはくれない。この国の私たちはそれをとてもよく知っているはず。
今回、隣屋は初めてギリシア悲劇を上演します。「オイディプス」と「コロノスのオイディプス」の2本立てです。
どちらをどのように見るか、ぜひ選んで見にいらしてください。お待ちしております。
隣屋「オイディプス / コロノスのオイディプス」
2021年6月3日(木)~8日(火)
東京都 こまばアゴラ劇場
翻案・演出:
原作:ソポクレス「オイディプス」「コロノスのオイディプス」「アンティゴネー」
「オイディプス」
出演:永瀬泰生
映像出演:
「コロノスのオイディプス」
出演:杉山賢 ※初出時より、本文の表現を一部変更しました。
映像出演:矢部祥太、
ステージナタリー @stage_natalie
三浦雨林率いる隣屋、初のギリシャ悲劇「オイディプス / コロノスのオイディプス」(コメントあり)
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