「Duplex Noism0 / Noism1」が1月22日から2月11日まで新潟・りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館 スタジオB、25日から28日まで埼玉・彩の国さいたま芸術劇場 小ホールで上演される。
本公演では、Noism Company Niigata(以下
金森穣コメント
雅楽で創作する。人生初である。
ロームシアター京都からの委嘱で始まったこの企画は、伶楽舎との共演が前提、すなわち雅楽で創作することが前提であった。
早速ネットサーフィンを始め、伶楽舎のCDを買い求めた。右方と左方、現代作曲家による新作まで聞いてみたけれど、どうもインスピレーションが湧かない。ここで言うインスピレーションとは、自らの裡に新たな萌芽を感じないということ。どんな曲であれ、振付することはできる。それでも芸術的感光を欠いた仕事としての共演ほど失礼なことはないし……なんて思っていたら、武満徹さんの「秋庭歌一具」に出会った。
邦楽の元祖である雅楽で創作することとは、邦楽とは何か、この国の伝統とは何かと向き合うことである。それは明治以降、瞬く間に西洋化したこの国の源流を、一度外(西洋)に出ることによって捉え直した、偉大なる先人たちと向き合うことでもある。勿論、その捉え直し方は人によって異なるし、その違いこそが芸術的方法論(作風)の違いに顕れている。
中でも武満徹さんと雅楽の親和性は、私の拙い教養でも見出せるほどに顕著だと思う。放たれる音(瞬間)そのものよりも、その残滓、残響、残影にこそ、音楽のなんたるかが宿ることを感得させてくれる音楽。そんな音楽を生み出す武満さんの精神が雅楽の響きに共鳴しなかったはずはない。それを確信させてくれる音楽。それが「秋庭歌一具」だと思う。
雅楽というこの国の伝統を、武満徹というこの国の近代(偉大な芸術家)を通して、現代の舞踊家の身体に召喚すること。それは移りゆく時代の中でも変わらないものを捉えること。消えゆく過程で聞こえてくる響き、見えなくなってから浮かび上がる影、その残響 / 残影に身体を澄ませること。舞踊と音楽いう刹那なる芸術の真髄、その真価が、そこにこそ宿るのだと思うから。
それが本作品の主題である。
森優貴コメント
世の中が一変し、新しい生活様式を探りながら嘘の様な日常を過ごすなかでの、昨年に続いて2度目のNoismでの新作。今回は、自分の中で少し「外してみる」ことに取り組んでみるという課題を、前期リハーサルを終えた10月25日に自分自身に課した。
何をどう「外す」のか?
何かしらの「裏切り」が見えてくるのか? 必ずしも閉じなければならない円は無い。必ずしも始点から順序をたどることもなければ、終点に辿り着く必要もない。
あるのは集まる「場所」だけ。
その先も、その前もない。
あるのはそこに作った「部屋」での架空。あるのは様々な人達が「部屋」の中に出入りするだけの時間。
皆「誰か」を演じ、「誰か」が囚われ、そして「誰か」は解放を求め、「誰か」が見送り、「誰か」は残る。
Das Zimmer(ダスツィマー)はドイツ語で「部屋」という意味。
そこに集まり、目的のない虚構あるいは架空を作っては、その虚構あるいは架空を演じて捨てる。嘘でも真実でも、どちらかではない「狭間」。
「狭間」で捨て、止め、そこに残る。
「Duplex Noism0 / Noism1」
2021年1月22日(金)~2月11日(木・祝)
新潟県 りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館 スタジオB
2021年2月25日(木)~28日(日)
埼玉県 彩の国さいたま芸術劇場 小ホール
「残影の庭―Traces Garden」
演出振付:
音楽:武満徹「秋庭歌一具」より(伶楽舎による演奏音源を使用)
出演:Noism0
「Das Zimmer」
演出振付:
音楽:S.ラフマニノフ、F.ショパン
出演:Noism1
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