「BOAT」は藤田にとって2014年上演の「小指の思い出」、16年上演の「ロミオとジュリエット」に続き3作目となる東京・東京芸術劇場 プレイハウスでの演出作品。また近作「カタチノチガウ」「sheep sleep sharp」の完結編でもある。出演者には本作が初舞台となる
開演前、幕前にはタイトルを象徴するかのように1艘のボートが置かれた。そこへ“余所者”(宮沢)が音もなくすっと姿を現し、ボートの傍に立って遠くを見やる。衣装の白、ボートの青、カーテンの赤。ほんの数秒の静寂は強い印象を残し、その画をはっきりと脳裏に焼き付けた。
幕が開くと、そこには薄雲ったグレーの空が広がっていた。遠くに煙突らしきシルエットが見える以外は、何も遮るものがない高い空。その下には黄色いボートがずらりと並ぶ港町があって、ボートの荷下ろしをする男たちや煙突掃除の娘、また失踪中の夫を“待つひと”(中嶋)や“患うひと”(豊田)などさまざまな人の日常が、それぞれの“本音”を奥底に潜ませつつ、淡々と繰り広げられていた。
そこへ1年ぶりに“除け者”(青柳)が帰ってくる。彼女が真っ先に向かったのは“患うひと”がいる丘の上の療養所だった。2人は仲の良い幼なじみだったが、離れていた1年の間に、2人の生きる時間の意味や方向性は大きく逸れてしまっていた。
一方、港には最近、無人のボートが何台も漂着していた。町の人たちはそれを不思議に思っていたが、“余所者”が助けたある“漂着者”(辻本達也)は、“余所者”たちに強い警告を発する。すると、まもなく港町の上空には幾艘ものボートが飛来して、彼らの平凡な日常は一変するのだった。
「カタチノチガウ」「sheep sleep sharp」で描かれた、“逃れられない過去からの脱却”や“極限状態での生と死”というテーマからブレることなく、また舞台美術や照明を徹底的に削ぎ落とした空間で、セリフと言うより詩、詩と言うより感情の塊というような鋭い言葉が吐き出される。研ぎ澄まされた言葉の数々は、激しい衝撃となって観る者の胸を打つ。
また人間の愚かさ、醜さ、強さ、しなやかさ、そしてやりきれなさを正面から描く姿勢には、13・15年に同劇場のシアターイーストで上演された「cocoon」に通じるものがあるだけでなく、福島をはじめ国内外各地を巡り、さまざまな状況下にある人たちと接してきた藤田の目線が感じられた。
空と海、舞台と客席、過去と現在、現在と未来、生と死、私と“あなた”。その間には本当に境界線があるのか、そして境界を越えた先には何があるのか。ラストで立ち上がるのは、観客それぞれの心に焼き付いた、自身の忘れがたい風景かもしれない。
公演は7月26日まで東京芸術劇場 プレイハウスにて上演される。なおステージナタリーでは本作の特集を展開中。藤田、宮沢、青柳、豊田、中嶋の座談会を掲載している。
関連する特集・インタビュー
「BOAT」
2018年7月16日(月・祝)~26日(木)
東京都 東京芸術劇場 プレイハウス
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