大熊隆太郎が大阪で劇団を15年やってわかった9のこと その2 [バックナンバー]
劇団壱劇屋は、やりたいことを正直にやってきた
フットワーク、マルチな活動、プライベートとの切り分け
2023年10月26日 17:00 17
この連載では座長の
うれしいやら恥ずかしいやら
前回のコラムが思ったよりも反応いただき、うれしいやら恥ずかしいやらだったのですが、まさかチェックすることはないだろうと思っていたカンパニーデラシネラの小野寺修二さんが記事をリポストしたという通知が来て震え上がりました。失礼なこと書いてなかったか焦りましたが、失礼ついでに小野寺さんのバイタリティについてもう1つ書くと、小野寺さんは当時、ご飯食べずに煙草ばっか吸ってました。1日中練習してるのにマジで飯はほんのちょびっとで煙食って生きてはったので、あの体力はどこからきてるのか今もって謎です。やっぱ続けてる人のバイタリティは半端ないです。
バイタリティ以外の、劇団が15年続いたポイントを書いてみます。
4.フットワークは軽い方が楽しい
壱劇屋は高校演劇あがりの劇団です。学生の演劇部の今思えばすごいところは、外注無しで全部自分たちでやるところだと思います。なのでたまたまその学校にいた演劇やりたいやつらが、俳優・演出・舞台監督・照明・音響・衣裳・道具、全部を自分たちだけでまかないます。なので壱劇屋も地元の公民館で公演していた時期は、なまじ自分たちだけで完結できてしまっていたせいで、いざしっかり劇団として活動するぞ!と決意したときに何のツテもありませんでした。
そこで我々はまず外とのつながりを持つことを始めました。元々小劇場ファンで、劇場に足しげく通っていたため、そこでいろいろな募集チラシなどを見つけては応募しました。劇団員の何人かは、当時ピースピットの末満健一さんが門戸を開いていたWS公演に出たり、後輩と私はいいむろなおきさんが新たに始めたマイムラボセカンドという1年かけてマイムを鍛える企画に1期生として通いました。ここで得た知識やつながりをちょっとずつ劇団に還元していきました。創作の技術を得られたのもそうですが、客演さんを呼ぶことができたり、スタッフさんを雇えたり、今となっては当たり前のことですが、当時の自分たちにとっては初めて自分たちの家にお客さんを招くということで一大事でした。一大事と言いつつ、当時河川敷で稽古したりだったので、それを許容してくれそうな方にお声がけして甘えまくってました。
あと個人的にはKAVCプロデュース「XとYのフーガ」(2008年)や、精華小劇場製作公演「イキシマ」(2010年)に出演したのですが、この辺はすべてオーディションを受けて出させてもらえて、今思えば当時は劇場プロデュース公演がけっこうあって本当に幸運でした。これで劇場さんともつながりができたりして、別の現場につながったりしました。
劇団としては演劇祭やイベントにも積極的に応募しました。演劇祭は単純にほかの出演団体とのつながりができるし、宣伝も一助がありますし、運が良ければ賞をいただいて助成公演が打てたりするので大助かりです。劇場さんがやってくださる企画や公演助成は本当に助かりますし、未来につながることが多いので積極的に応募すると面白いと思います。劇場主催のダンスコンテストに出場した際は、それが元で大阪市立芸術創造館で助成公演を打たせてもらいましたし、ノンバーバルシアター「ギア-GEAR-」へ参加するきっかけもそのダンスコンテストでした。ほかにも地元である枚方の夏祭りでパフォーマンスしたり、FMひらかたというローカルラジオのボランディア枠でラジオドラマ番組をやらせてもらったり、当時大流行りだったmixiで出演応募したイベントなんかもあり、けっこうなんでもかんでもやれることやってました。当時関わった人たちとは未だにふとした拍子に交わったりして、そういうところからいろいろつながるのでフットワーク軽い方が楽しいですが、mixiのやつは2回くらい出たあと主催者と音信不通になったのでつながり何も残ってません! そういうこともある!
でも上記のようなイベント出演をがんばっていたおかげか、とてもフットワークの軽い劇団という印象を持たれることが多く、現在も「壱劇屋ならやってくれるかも」と「ストレンジシード静岡」や「Belief FES」(編集注:音楽をかけはしに、パフォーマーやダンサー、バンドマンといった多様な表現者が集う総合芸術イベント)など面白い企画をいただくことが多いです。
最近は自ら演劇祭やイベントを探して応募することがないので、ちょっと寂しくも思います。自分たちのことを全く知らない人たちばかりの環境で舞台に立つのはしびれるものがありますので、もしお若い演劇の方がこのコラムを読んでくださっていたら、ぜひお試しください。壱劇屋はそういうショーケースイベントで、踊りながらお茶を回し飲みするパフォーマンスとか、2段ベッドのはしごを昇降しまくるパフォーマンスとか、おならを集めて新しい楽器を作るコントとか、UFOカップ焼きそばを作りながら踊ったりとかやってて、だいたいポカーンとされてましたが、今も劇団を続けられてるので何でもいいと思います。ただおならを集めて新しい楽器を作るコントは、あろうことかコンテンポラリーダンスのイベントで披露してしまい、俳優が気を強く持たないと気絶してしまうくらい滑りましたので、イベントに合わせた芸をするのは最低限必要ですのでお気をつけください。
5.マルチに活動しよう
よく劇団の資料を提出しないといけないときに200字から300字のプロフィールを求められます。普通の人ならテンプレートを用意しておき、コピペでズドンだと思うのですが、非効率の申し子である私はいちいちそのときに応じたプロフィールを作って提出しています。これは真似しない方がいいですし、今書いててもうそれは極力やめようと思いました。で、一時期私はプロフィールに「壱劇屋は関西演劇界のドン・キホーテ」というフレーズを好んで使っていました。なんでも売ってる激安の殿堂の劇団版、それが壱劇屋だと名乗っていたんです。
それもそのはず、壱劇屋は毎公演ごとに作風が違う変な劇団なのです。一応「世にも奇妙なエンターテイメント」シリーズと称してパントマイムを使ったミステリアスな作風を売りにしているのですが、それと真逆なギャグと殺陣が満載のアクション、不条理やら大人なネタもあるコントオムニバス、などもシリーズでやってます。イマーシブシアターという言葉が日本にやってくる前から、観客がチームに分かれて大劇場のロビーや袖中や客席、地下の倉庫やオケピなんかも歩きながら見るツアー型演劇もやってます。舞台と客席を取っ払ったオールスタンディングの観客巻き込み型演劇もやってます。短い単語を組み合わせて掛け声やラップを使った音楽劇もやってます。MASHUP企画と題してピースピットの「ゴールド・バンバン!!」、ヨーロッパ企画の「Windows5000」、sundayの「サンプリングデイ」を上演させてもらったこともありました。メイシアタープロデュースと壱劇屋でタッグを組んで上演した「人恋歌」では与謝野晶子の人生をテーマに歴史ものをやりました。コロナで舞台ができなくなった時期は、視聴者投票で物語が変化する視聴者参加型の完全オンライン演劇もやりました。とにかく多岐に渡るジャンルの演劇をやっています。自分たちがそのときやりたいことを正直にやるとこうなってしまいました。
これは15年前だからやりたいことやる場所として劇団をやり始めましたが、もし今だったらYouTuberになってたかもしれません。潜在的にそういう劇団いっぱいあるんじゃないかと想像します。仲間内で楽しいことしようって人、昔なら劇団という選択肢を取ってたケースが、今はYouTuberなどの配信グループの道を選ぶ方が多そうです。アウトプットは全く違いますが、どちらも資金なしで始められますし、自分たちで企画を考えて実現できますし、自分たちの嗜好に沿ったマニアックな表現を突き詰めることができます。どちらも観る人が居ないと成立しないので嗜好性をどのように受け入れて興味深くウォッチしてもらえるかの創意工夫が必要な部分も似ています。劇団の場合は作風が一貫しているケースが多いですが、壱劇屋の場合はやりたいジャンルをボーダーなくやってしまうところがかなりYouTuberっぽいなと思います。
また大熊個人としては演劇も好きですがパントマイムも大好きでして、マイムパフォーマーとしても活動しております。かなり似た草鞋ではありますが、二足の草鞋を履くことでいろいろな分野の仕事をいただけます。演劇では演出家、俳優、脚本の仕事をいただけますし、パントマイムでは営業イベント、振付家、ダンサーとしての仕事をいただけたりします。さらにワークショップの講師は演劇とパントマイムどちらもやります。演劇の世界もパフォーマーの世界もどちらも覗けてとても楽しいですし、仕事の幅も増えるのでなんとか地方でも食っていけてます。ただ今年だけでも「12人のおかしな大阪人2023」という演劇作品で、ずっと俳優として研鑽を積んできた先輩たちと共演し、俳優としての至らなさを痛感しました。「緑のテーブル2017 ~神戸文化ホール開館50周年記念Ver.~」というダンス作品で、動きに磨きをかけてきたダンサーたちのすごさを目の当たりにして、パフォーマーとしての身体の使えてなさを痛感しました。どちらの表現もできるけど、どちらも半端ものという一長一短があるのは拭えません。良いことなのか悪いことなのか答えのない話ですが、今のとこの実体験です。
6.プライベートに踏み込まない
仲間内で始めた劇団ですので、最初こそ友達と遊ぶ感覚でやっておりましたが、徐々に芸術に真剣になっていくにつれて、劇団は楽しいことをする場所でありながら芸を磨く仕事場にもなっていきました。飲み会や打ち上げも徐々になくなっていき、飲みに行くくらいなら会議や作業や練習に費やそうというストイックな環境になっていました。稽古後にダラダラと雑談をすることも多かったですが、本当にたわいもない事だったり、劇団内で起きた珍事をゲラゲラしゃべったりする程度で、自分のプライベートをしゃべったりすることはほとんどなかったように思います。というかみんな演劇ばっかりやっててプライベートの時間が薄めだったというのもあるとは思います。にしても普段みんながどんな仕事をしてて、どんな恋愛事情で、どんな生活をしているのかには踏み込みません。会話の流れでそういう話になることもありますが、過度には踏み込みません。劇団はあくまで芸術を作る場所であって、劇団員同士というのは友人関係とはまた少し違った関係性だからだと思います。同じ劇団じゃなかったら絶対一緒に何かすることはないだろう人とも一緒に演劇を作るわけで、全員が全員パーソナルが合致するわけないでしょうから、活動の外まで劇団を持ち込むことをなるべく避けたかったのです。拠りどころとして劇団があるのは良いですが、世界が劇団だけになってしまうと、演劇に疲れてしまったときに人生全体がしんどくなってしまうので、やはり切り離されたコミュニティはいくつか持っておくべきだと思います。
私の場合も結婚報告するまで妻と交際していたことを劇団員には秘匿していましたし、ほかの団員が結婚するとかも寝耳に水だったりしました。
このプライベートに踏み込まない思想は、別に全体で共有していたり明言していたわけではなく、私が個人的に実行していたことで劇団員にこの思想を言ったこともないので、このコラムを見て「そうやったんや~全然そんな風に感じてなかったわ~」という団員もいると思われます。
ただ私個人、昔はその思想が強すぎて「劇団内にプライベートを持ってこないぞ!」という空気を伝搬させてしまい、知らず知らずのうちに強制力を働かせてしまっていた可能性もあり反省しております。なので近年は「プライベートに絶対踏み込まない」というある種の締め付けを強いてしまわぬように、もっとフラットに居られるように努めています。
ただし今の壱劇屋は先輩後輩がしっかりとある劇団なのでフラットさのあり方には気を配らねばなりません。年長者からのプライベートの質問ほどダルいものはありません。すみません極論でした。ダルくない場合がほとんどですが、やはり稀に聞かれたくないことや「その質問するには関係性できてなくない?」という場合もあると思います。そこは誰であろうと相手を尊重して気を配ったコミュニケーションで関係性を構築していく、人間関係のバランス感覚が大事なのかなと思います。そのバランス感覚がないと継続した劇団活動は難しいのではないかなと思います。
大熊隆太郎 プロフィール
1986年、大阪府生まれ。演出家、俳優、パフォーマー。2008年に高校演劇全国大会出場メンバーで劇団壱劇屋を結成し、さまざまなアワードに輝く。2022年度大阪文化祭賞奨励賞を受賞した。個人では京都でロングラン公演中の「ギア-Gear-」マイムパートに出演している。壱劇屋としては11月4・5日に大阪・近鉄アート館で15th year Replay03「SQUARE AREA」、12月29・30日に大阪・扇町ミュージアムキューブ CUBE01で15th year FINAL「壱劇屋東西合同公演」を上演する。
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壱劇屋 @ichigekiya
大熊隆太郎によるコラム、連載第二弾が更新されました。赤裸々に劇団について綴っております。もしよろしければ読んでみてください🙋 https://t.co/x8JsZU7guD