「頭の中をのぞいてみたい」とは、時折聞かれる、観客から創作者らへの賛辞の言葉だ。令和の演劇界において、長期的な視点から綿密な物語を編むことのできるクリエイターの1人として頭角を現す脚本家・演出家、
第2回には、元宝塚歌劇団雪組トップスターの俳優・
オリジナルものが元気であり続けないといけない、という危機感
末満健一 望海さんは宝塚歌劇団のご出身ですが、宝塚歌劇団には座付作家さんがちゃんといらっしゃって、オリジナルミュージカルの作品も多いですね。その一方で、原作ありの作品でも数多くの名作を生み出されています。僕は2.5次元舞台に関わらせてもらっていますが、“元祖2.5次元”とも言われる宝塚歌劇団の「ベルサイユのばら」はエポックメイキングでした。
望海風斗 そうですね。でも、最近の流れでは、オリジナルミュージカルはむしろ減ってきているのかなと感じます。来年の星組「RRR × TAKA"R"AZUKA ~√Bheem~(アールアールアール バイ タカラヅカ ~ルートビーム~)」や宙組「ミュージカル『FINAL FANTASY XVI』」など、他ジャンルから話題の作品を取り入れて、新しいものにも挑戦していますし。
末満 原作ありの作品も求めてくださるお客さんがいる限り、それは必要なもの。ですが僕は映画やドラマにしろ、ストレートプレイやミュージカルにしろ、オリジナルものがそこにあり続けないと、ジャンル自体が衰退してしまうという危機感が、肌感覚であるんです。日本では昔から輸入モノのミュージカルがたくさん上演されてきて、最近だと望海さんが出演された「ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル」(参照:望海風斗・平原綾香ら出演「ムーラン・ルージュ!」本公演開幕、舞台写真が到着)はとても楽しかったですし、「レ・ミゼラブル」や(劇団四季の)「キャッツ」など、それぞれに高い芸術性があって僕は大好きです。ですが今、業界を見渡すとオリジナルミュージカルよりも海外ミュージカルのほうが主流になってきていると感じていて。僕が演劇をやり始める前、ミュージカル「阿国」(1990年初演)という、木の実ナナさん主演、栗山民也さん演出、上々颱風が音楽の和製オリジナルミュージカルの大作が大きな話題を呼びました。これは業界批判ではまったくないのですが、あそこから日本でもオリジナルミュージカルの潮流が生まれるのではと期待感があったのですが、その後「阿国」に続くような印象的な作品は出てこなかったかもしれません。望海さんは退団後、海外ミュージカルに立て続けに出演されていますが、翻訳モノに出演するときに頭の中でスイッチを切り替えるような部分はあるんですか?
望海 大変だなと思うことはいくつかありますが、もともと英語で作られた作品を日本語に置き換えてお届けすることの難しさや、感覚の違いなどが大きいかなと。例えば「ムーラン・ルージュ!」では、今のブロードウェイで求められている女性の強さや自立というものを際立たせた演出になっていますが、原作の映画自体は2001年に制作されたものなので“時代感”が少しズレるんです。また、映画の印象が強いから、お客様は「映画の世界が生で観られる」と期待されますが、作り手からは“2023年版のサティーン”(編集注:サティーンは望海が演じた役)を演じてくれと言われる。さらに、今の日本のお客様がミュージカルに求める女性像というのもきっとあると思うので……。海外で上演されている作品をそっくりそのまま日本で上演することの正しさや難しさについては、すごく考えました。
末満 なるほど。よくわかります。
望海 私は、宝塚歌劇のオリジナル作品がすごく好きだったんです。演じるのも、観るのも。ただ在団中、入ってくる下級生たちに「どんな作品が好き?」と聞くと、「ロミオとジュリエット」や「1789」などの輸入モノの作品名がよく挙がって、宝塚歌劇のオリジナル作品を観て入団を希望する子が今は減っているんだなあと、時代の変化を感じました。私としてはそれがちょっと怖くもあって。海外モノの作品は、普段できないような役柄に挑戦できる素晴らしい機会なのですが、“すでにある役に染まる”ことや“自分を役にはめていく”ことに注力することになるので、果たしてそれだけで俳優として成長していけるのだろうか?と考えてしまって。私がトップだったときは「オリジナル作品をやりたい」という希望をけっこう伝えていましたね。
末満 オリジナル作品があり、原作モノの作品があり、日本産のものもあれば海外産のものもある……いろいろとバランスが取れていることが理想ですよね。僕はブロードウェイに行ったときに、多種多様な作品が乱立して、それぞれに人気があることに驚いたんです。巨大なパペットのミュージカル「King Kong」やビル1棟で物語が展開するイマーシブシアター「Sleep No More」、ダニエル・ラドクリフのような著名人が主演の社会派作品「The Lifespan of a Fact」など、観客が多角的に楽しむことができる多様性がブロードウェイにはあって。日本でもものすごい数の舞台が上演されていますが、脚本家・演出家として自分に残された時間があるうちに、日本でもオリジナル作品をたくさん作れたら良いなと考えています。それこそ、「イザボー」(参照:望海風斗が“悪徳の王妃”に扮するビジュアル、ミュージカル「イザボー」追加キャストも)を観て俳優を目指すようになった、みたいな若い子たちが出てくるような未来になればなと思っているんです(笑)。
望海 そうですね(笑)。
訳詞家はとんでもない偉業を成し遂げている!
末満 望海さんのお話にあった“言葉の違い”についてですが、メロディに歌詞を乗せるとき、英語と日本語の特性の違いを強く感じます。メロディを乗せる“土俵”として考えると、英語って強いんですよね。YouTubeで観たんですけど、英語で怒っている人の動画に、ビートを付け足したらそれだけでラップになるっていう動画があったんです。でも日本語で怒っている人の言葉にビートを付けても、自然にはラップにならないんですよ。もちろん、美しい日本語の歌詞が乗ったポップスはたくさんあるので、日本語の語感がメロディに絶対乗らないということではないのですが、海外ミュージカルを日本語で上演する場合は、文脈を大きくズラせない“訳詞”であることが求められるので、そこで1つ出遅れてしまう部分がある。以前、韓国ミュージカルを潤色したときに(参照:“得体の知れないもの”を解き放つ…大東立樹・渡邉蒼らの「ダーウィン・ヤング」開幕)、原詞の情報を削ぎ落として要約する中で、このディスアドバンテージを挽回するには、もう最初から日本語で作詞されたものにメロディを付けるしかない!という、単純なところに行き着いたんです……。
望海 そうだったんですね(笑)。私は英語があまりよくわからないので、芝居の延長で歌ったときに、うまくつながらないなあと思ったら自分で辞書を引いて意味を調べたりします。それで、もっとしっくり来る日本語があれば訳詞家さんと話し合ったりもするんですが、いつも思うのは、訳詞家さんがいろいろなことを総合的に考えたうえで、そこにベストな日本語を当ててくれている!ということ(笑)。あと、面白いなと思ったのは、「ムーラン・ルージュ!」はマッシュアップミュージカルなので、もともとある楽曲の歌詞をうまく利用して劇中で使っているんです。日本語になった時点で、使われている歌詞の面白さが失われてしまうところもあるのですが、逆によく知られた歌詞だからこそ「ここで使うの?」という笑いが客席で起きていたりして。「Come What May」では、「Come What May」という歌詞に「愛してる」という言葉を当てているんですが、どんな道をたどっても、そこには「愛してる」しかないなと思わされるので、訳詞家さんって本当にすごいと心から思います。
末満 世の訳詞家さんはたぶんすごく闘って、とんでもないことを成し遂げてきたんだなと思いますよね。日本語にするというハンデがあったとしても、こうやって名作翻訳ミュージカルがいくつも生まれているわけですから。
望海 本当に。
末満 もともと英語の歌詞のもので、日本語訳で歌ってもハマったなという感覚があったものはありますか?
望海 また「ムーラン・ルージュ!」の話で恐縮ですが(笑)、ユーミンさんが「Your Song」の「How Wonderful Life is~」を「なんて素晴らしい君がいる世界」と訳されたんです。私はこれが素敵だなと思っていて。日本語としてとても美しい言葉ですし、この言葉が最後までサティーンの中にあるんだなと思ったときに、日本語の素晴らしさを心から感じたんですよね。
末満 それは翻訳するときの理想ですよね。シンプルで美しい日本語に落とし込まれたときに奥行きが生まれるという。僕が翻訳ミュージカルでがんばりたいと思っていた部分です。夏目漱石が「I Love You」を「月が綺麗ですね」と訳したみたいに、五七五の和歌をとってみても、わずかな言葉数で奥行きを感じさせるのが、日本人の感性ですよね。ユーミンさんのお話を聞くと、日本語の美しさだからこそ出せる良さがあって、なぞるものがないオリジナルミュージカルなら一層、そのシンプルな強さが出せるような気がします。
望海 あと、ミュージカルのチケット代は映画などに比べると決して安くはないので、輸入モノや再演モノなどすでに良し悪しがわかる作品にお金を払いたいというお客様の気持ちもわからないではないなあと思います。だからこそ再演が繰り返され、輸入モノが上演される。でも、俳優としてもそこを覆したいという気持ちはあります(笑)。もちろん、ミュージカルを観ること自体が好きで、オリジナル作品にも積極的に挑戦してくださるお客様は多いですが、一方で「ムーラン・ルージュ!」というネームバリューをきっかけに初めて劇場に行くという方もいる。そういった方たちが、その後もちょっと気になるオリジナルの演劇やミュージカルにも足を運んでくれるようになり、舞台は面白いと感じてくれたら……そうやって舞台の輪が広がっていったら良いなと思っています。
末満 マンガ原作や映画原作のビッグタイトルが舞台化されることで、今まで舞台を観たことがない人の足を劇場に運ばせるのはすごいことだと思います。舞台「千と千尋の神隠し」にはたくさんの子供たちが来場したと聞きますし、オリジナルでそういうことができたら良いなという夢物語もありますね。映画「
望海 いや、でも、そういう挑戦はしてみたいですよね!
末満 こういうことを人に話すと「日本でそれは無理だよ」という空気になることが多いんですよ(笑)。でも僕以外にも、日本発のオリジナルミュージカル作品にチャレンジしているクリエイターがぽつぽつと増えてきている実感があるので、僕もがんばらないとって思ってます。
レプリカとノンレプリカ、作り手としてのせめぎ合い
末満 僕、この前の「ダーウィン・ヤング」で、レプリカとノンレプリカという言葉を初めて知ったんです。「ダーウィン・ヤング」はノンレプリカで(編集注:レプリカは演出や舞台美術、衣裳などの権利がパッケージで譲渡されるもの。ノンレプリカは脚本や楽曲など限られた権利を買い取るため、作品の自由度が比較的高くなる)。
望海 「ムーラン・ルージュ!」は完全にレプリカですね。
末満 「ダーウィン・ヤング」では脚本・演出をオリジナルからはかなり改編したのですが、そのやり方ではレプリカはできないよと周りに言われたんです。確かにそうだと思う部分もあれば、クリエイターとしてレプリカに対して悔しさを感じる部分もありました。でもレプリカでは名演出や名振付をそのまま観られるという良さがあります。「キャッツ」でグリザベラが「メモリー」を歌いながら天に登っていくシーンで、演出家の色を出した全然違うものを観させられても、「それが観たいんじゃない」と思う人もきっといる。そういう意味で、作り手としてはせめぎ合うものがありますね。
ミュージカルは製作コストもかかるし、新作を簡単に作れない状況ではありますが、望海さんとご一緒させていただく「イザボー」ではすごいキャストさんとスタッフさんが集結してくださり、これまであまり焦点を当てられることがなかった歴史上の人物の人生をミュージカルにします。大変なことに挑戦させてもらえる感動と、望海さんがいなかったらできなかったという感謝とで、心からありがたいなと思っているんです。
望海 ありがとうございます(笑)。一から作品を作るってかなりエネルギーが必要なことですよね。だって誰も観たことがないものを作るんですから。俳優もいただいた役を自分で膨らませて、それぞれの考えを持ち寄って、想像もしなかったものが出来上がるのが、理想の形ではないかなと。すでに末満さんを中心に、コミュニケーションを取りながら作っていく楽しさがあると感じています。先程お話しした通り、道筋がある作品は、それぞれがそれぞれに思う役を演じれば、ある程度成立してしまう。でもオリジナル作品は、皆が要素を持ち寄らないと形にならない。その素晴らしさにワクワクしているんです。宝塚歌劇団を退団してから2年、いろいろな作品に出て、いろいろなことを勉強してから「イザボー」に臨めるというのは、私としてもすごく楽しみで。オリジナルに挑戦することの大変さを、辞めてから改めて知ったという感じがあります(笑)。
地図を持たずに、予想だにしない場所に連れていく
末満 先ほどから「オリジナル、オリジナル」と言っていますが、オリジナルだからすべてが尊いわけでもなく(笑)、つまらない作品ももちろんありますよね。でもオリジナルでしか得られない、それを達成したときの成果が必ずあると思っていて。今回、あえて“オリジナル”を強調してハードルを上げているのは、(本作の主催で末満が所属する)会社が盤石の布陣を用意してくれようとしているからです。38歳のときに大阪から東京に出てきて10年経ち、10年かかって出会ったスタッフ・キャスト・プロデューサーの皆さんと、「オリジナルミュージカルをやりたい」と言い続けてきた1つの結実として「イザボー」が形になる。「作品のテーマは『悲劇だけどエネルギッシュに』です」と、僕がわけのわからないことを言っている傍らで(笑)、衣裳家や音楽家などスタッフの方たちは、未知なるものに向かって手探りで準備してくださっている。それらが出来上がり、集結したときに、「末満健一はここに手を伸ばしたかったんだ」と観客が思ってくれるような場所へ、ちょっとずつ手が届き始めている気がします。
望海 うれしいですね。
末満 日本の演劇界の次なる時代に向けて、1つの新しい可能性を見つけられたら良いなと。キャストさんは、普段オリジナルも翻訳モノも隔てなくやられていらっしゃるので、ことさら「新作オリジナルミュージカルです」と喧伝する状況に巻き込んでしまっているのは申し訳ないですが(笑)、そこで1つのグルーヴ感が生まれたら良いですね。望海さんの久しぶりのオリジナルミュージカルという点でも、意味と価値のあるものにしたいと思っています。
望海 今回、末満さんと望海風斗で「イザボー」をやりますと言ったら、皆さんそれだけですごく楽しみにしてくださっているんですよ。きっと、想像もつかないところに連れて行ってくれるとワクワクされていると思うんです。その期待がこれからの創作のパワーになると思いますし、私としては皆さんの楽しみを良い意味で裏切っていきたい(笑)。在団中、私がいただく役は物語の途中で絶望して膝から崩れ落ちることが多くて、私もそこからが“自分の時間”だと思っているところがあるんですね。だからきっと皆さん、今回の「イザボー」を観に来られるときは、泣く準備をして、舞台上でうずくまってちっちゃくなったものをオペラグラスで観ようと期待していらっしゃると思うんです。でも、そんな“準備”を覆したいんですよね。
末満 「望海風斗のこんな物語も、自分は欲していたんだ!」という気付きを与えられたら良いですよね。まだ手の内が明かされていないということがオリジナルの強みですから。観光ガイドを見ながらする旅も良いですが、地図を持たない旅も楽しい。予想だにしない場所に連れて行かれたけど、そこも楽しかったなあと思ってくれるように、この座組みならできると僕は信じています。構えすぎてしまうかもしれないけど。
望海 いえ、皆さんの期待を上げて、自分たちに追い込んでいきましょう。そのプレッシャーがエネルギーになるような舞台をお届けできるように。
末満 そうですね。未知なるものへの挑戦こそが、オリジナルミュージカルの醍醐味ですから。
プロフィール
末満健一(スエミツケンイチ)
1976年、大阪府生まれ。脚本家・演出家・俳優。関西小劇場を中心に活動し、2002年に演劇ユニット・ピースピットを旗揚げ。2011年、活動の場を東京にも広げる。2019年には、自身が手がけるライフワーク的作品「TRUMPシリーズ」が10周年を迎えた。手がけた舞台作品に「浪花節シェイクスピア『富美男と夕莉子』」、「ムビ×ステ『漆黒天 -始の語り-』」、「舞台『鬼滅の刃』」シリーズ、「舞台『刀剣乱舞』」シリーズ、ミュージカル「ダーウィン・ヤング 悪の起源」など。11・12月に「舞台『鬼滅の刃』其ノ肆 遊郭潜入」(脚本・演出)、2024年1・2月に新作オリジナルミュージカル「イザボー」(作・演出)の上演が控える。「TRUMPシリーズ」のテレビアニメ版「デリコズ・ナーサリー」(原作・シリーズ構成・脚本)が2024年に放送予定。
望海風斗(ノゾミフウト)
1983年10月19日、神奈川県生まれ。2003年に宝塚歌劇団に入団。花組配属後、2014年に雪組に組替え。2017年、雪組トップスターに就任。2018年、真彩希帆を相手役に、「ひかりふる路(みち)」「SUPER VOYAGER!」で大劇場お披露目を行い、2021年の「fff-フォルティッシッシモ-」「シルクロード~盗賊と宝石~」退団まで、“歌うま”コンビとして活躍した。退団後の出演作に、ミュージカル「INTO THE WOODS」「next to normal」「ガイズ&ドールズ」「DREAMGIRLS」「ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル」がある。第30回読売演劇大賞優秀女優賞、第48回菊田一夫演劇賞を受賞。NHK-FM「望海風斗のサウンドイマジン」でパーソナリティを務める。10・11月に「宝塚歌劇 雪組 pre100th Anniversary 『Greatest Dream』」、11月に「望海風斗Billboard Liveコンサート『MY HOME TOWN』」、2024年1・2月にミュージカル「イザボー」が控える。
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