さいたまゴールド・シアターとわたし 第6回 [バックナンバー]
前代未聞の公演、でも「流石としか言いようがない」
ケラリーノ・サンドロヴィッチが振り返る「アンドゥ家の一夜」
2021年12月10日 13:30 4
故・
客席で多くの観客が、笑って、最後には目頭を押さえて
岩松了さんが台本を書かれたゴールド・シアターの旗揚げ公演「船上のピクニック」を観に行き、どエラく面白かったので、終演後、蜷川さんに「僕にも書かせてください」と、冗談半分で口にしたのである。数カ月後、別の場所でお会いした蜷川さんに「本当に書いてくれる?」と確認された。こうして2009年、さいたまゴールド・シアターの第三回公演「アンドゥ家の一夜」の脚本を担当することになった。
Wikipediaによれば「死を間近に迎えた老人、周囲の人々の苦しみとそこからの解放を、多くの笑いを交えて描いた、登場人物42人、上演時間3時間以上の大型作品」である。私の書くモノはほとんどが「上演時間3時間以上の大型作品」なのであり、ましてや「登場人物42人」だ、長くならないわけがない。
結果から言うと、私の台本が遅れたせいで、上演中ずっと、演出家を含む複数のプロンプターが舞台を取り囲み、セリフの出なくなった俳優に向かってプロンプし続けるという前代未聞の公演になってしまったわけだが、かえってこれが素晴らしい演出効果になっていたと感じたのは私だけではないはずだ。流石としか言いようがない。客席で多くの観客が、笑って、最後には目頭を押さえていた。普通だったら蜷川さんにもゴールドの役者さんたちにも「おまえなんかとはもう二度とやるものか」と罵られて然るべきだったにも拘らず、蜷川さんとは程なく「祈りと怪物」で再び組ませていただいたし、ゴールドの兄さん姉さんたちも、まるで親戚の叔父ちゃん叔母ちゃんのように親しく接してくれたのは、公演の成果あってのことだと思う。まったく、助けていただきました。
台本を書くにあたって、ゴールドのメンバーと一面識もないばかりか、顔と名前すら一致しない状態でありながら、「それでも『当て書き』をしたい」と言い張る私のわがままを叶えてくれようと、演出助手の井上氏が、連日の稽古の様子をまるごと撮影し、DVDに焼いて我が家に送ってくださった。そこには、それまで覗いてきた蜷川さんの演出とはまるで異なる姿があって驚愕したのだが、その件についてはまた、いずれ。
ゴールドの皆様、お疲れ様でした! きっとまたどこかでお会いしましょう!
さいたまゴールド・シアター
2006年に埼玉・彩の国さいたま芸術劇場の芸術監督だった蜷川幸雄により立ち上げられた高齢者劇団。創設時の平均年齢は66.7歳。その後、岩松了、ケラリーノ・サンドロヴィッチら多彩なアーティストとのコラボレーションを行うほか、海外にも活躍の場を広げる。2016年に蜷川が死去した後も精力的に活動を行うが、12月に「水の駅」で活動を終える。
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