さいたまゴールド・シアター番外公演「ワレワレのモロモロ ゴールド・シアター2018春」より。(撮影:宮川舞子)

さいたまゴールド・シアターとわたし 第4回 [バックナンバー]

ゴールドじゃなかったら、僕はその手段を取れなかった

岩井秀人が感じた、“これぞ演劇の空間”

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故・蜷川幸雄によって2006年に創設されたさいたまゴールド・シアター(以下ゴールド・シアター)が、今年12月に最終公演を迎える。高齢者のプロ劇団として、数々のレジェンドを生み出してきたゴールド・シアター。本連載では、その足跡をゴールド・シアターゆかりのアーティストたちの言葉によってたどる。第4回は、さいたまゴールド・シアター番外公演「ワレワレのモロモロ ゴールド・シアター2018春」の構成・演出を手がけた岩井秀人が登場。岩井が「ゴールドじゃなかったら、僕はその手段を取れなかった」と語る、その思いとは?

演劇ならではの瞬間をいくつも発見させてもらった

さいたまゴールド・シアター番外公演「ワレワレのモロモロ ゴールド・シアター2018春」より。(撮影:宮川舞子)

さいたまゴールド・シアター番外公演「ワレワレのモロモロ ゴールド・シアター2018春」より。(撮影:宮川舞子)

ゴールド・シアターの兄貴、姉様たちには、だいぶ勉強させてもらった。僕が関わったのは2018年。「出演者たちが自分の身に起きた事件を台本に書き、自ら出演する」企画、「ワレワレのモロモロ」にて、さすが平均年齢約80歳、太平洋戦争の思い出まで飛び出した。さすがにヘビーな題材なので、緊張感を持ちながらリハーサルへと入ったが、ヘビーな空気はそれほど続かなかった。ゴールドの先輩たちは、ちょこちょこセリフや段取りが記憶から消え去るのだ。最初は僕も困惑したが、「あからさまに舞台上の俳優がセリフや段取りを教えてあげちゃう」という秘策を思いついてからは、もはや「忘れたほうが面白い」くらいなものになった。本番が始まると、軽い気持ちで始めたその解決策が、とてつもなく“演劇的”だったことに気付かされた。食料欲しさに予科練に入隊するも、自分で掘った穴に蹴落とされ、「敵の戦車が来たら、手榴弾を使って戦車ごと自爆しろ」という愚かすぎる訓練を重ねるシーン。大日本帝国時代の痛々しいシーンの最中にも、俳優の記憶は容赦なくセリフを宇宙の彼方に追いやる。横にいた俳優からプロンプをもらい、笑いながらセリフを言う。痛々しい戦中のストーリーを実際に体験した肉体と、その悲劇を楽しそうに演じる眩い光を放つ肉体が同時に存在する。これぞ演劇の空間だった。ゴールドじゃなかったら、僕はその手段を取れなかったと思う。

ゴールド・シアターとの演劇作りは、“不可能だからこそ、面白い”という演劇ならではの瞬間をいくつも発見させてもらえる時間になった。感謝している。あとすげーケンカもした。それについては再結成か再解散の際に書かせてもらいたい。

お疲れ様でした!

さいたまゴールド・シアター

さいたまゴールド・シアター(撮影:宮川舞子)

さいたまゴールド・シアター(撮影:宮川舞子)

2006年に埼玉・彩の国さいたま芸術劇場の芸術監督だった蜷川幸雄により立ち上げられた高齢者劇団。創設時の平均年齢は66.7歳。その後、岩松了、ケラリーノ・サンドロヴィッチら多彩なアーティストとのコラボレーションを行うほか、海外にも活躍の場を広げる。2016年に蜷川が死去した後も精力的に活動を行うが、12月に「水の駅」で活動を終える。

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