10年前の今日、何をしていましたか? ~ 東日本大震災10年特集 ステージナタリー編
柴幸男、長塚圭史、萩原宏紀(いわき芸術文化交流館アリオス)、長谷川洋子、横田龍儀が語る、あの日の記憶
2021年3月11日 14:46 6
長谷川洋子
「私は今、家には帰れません。すぐに帰れると思った我が家には、もう二度と帰れなくなりました」
東京から来た何人もの大人たちは、静かに彼女の話を聞いていた。
たしか、私たちの被災の状況を聞くためのインタビューだったと思う。何人か集められた中の1人が彼女だった。
私はなにを話そうか、彼女の話を聞きながら、そんなことを考えていた。
──揺れが起きた時、なにもかもがスローモーションのように感じた。まるで、映画のような世界。たくさんのものが落ちてきて、当時、カラオケにいた私は、逃げながらも、タイタニックの沈没シーンみたいだなと思った。
足が震え、隆起した道につまずきながら、劇場の広場に向かっていた。3月なのに、時折あられが降るような寒さだった。電話を何度も何度もかけ直し、ようやく母と連絡が取れた。生きていてよかった。電話越しで声を聞いて、一刻も早く会いたいと思ったが、母は、「余計なことすっさんな! そこに居な! お母さん行くから! そこで待ってな!」と言い、普段15分の道を2時間かけて迎えに来てくれた。
とんでもないことが起こったと思った次の日、原発が爆発した。
私は咄嗟に布団を被り、被爆の恐怖に震えていたが、父は窓の外を見ながらあっけらかんと、「俺らはもう被爆してっから、そんなことやっても意味ねぇぞ」と言い放った。その言葉に絶望し、どうしていいのか分からなくなった私の目からは、涙が溢れていた。あの瞬間、私にできることは何もなかったのだ。
外にも出られない。何もすることがない。あのあと私がしていたのは、部屋から見える電線にとまる雀をぼーっと眺めることくらいだった。
だから、そんな私が彼女たちの前で言えるはずがない。
だって、私には帰る家もあるし、お父さんもお母さんも、生きている。
だから、私は──
「そんなに大変ではなかったです」
私は苦しみや悲しみを他人と比べ、私はわたしに嘘をついた。
その瞬間を、今でもおぼえている。
思えば私は10年間、自分の苦しみから目を逸らし、自分の悲しみと向き合わずに過ごしてきた。
1人ひとりに起こったことがあって、1人ひとりが感じることがあるはずなのに、大勢の中の1人だと扱われるたびに、自分じゃない何かとして見られているような気がしてならなかった。
ある舞台の稽古中、ラストシーンで、私が大泣きするという演出があった。台本を読んだとき、私はここで泣くべきではないと思った。本当につらい人間は、開放的に泣けないと思ったからだ。
しかし、そのときの演出家に、「だからこそ洋子が泣くんじゃない?」と言われ、ハッとした。そうだ、私はこの人ではない。
本番の上演後、あるお客さんが私に駆け寄り、「私の代わりに泣いてくれてるみたいだった。ありがとう」と言ってくれた。うれしかった。私の痛みとその人の痛みは別物なのに、少しだけ通じ合えた気がしたから。
この体験で私は、私に与えられた役にしかできないことがあるのだと気付くことができた。大勢の中の1人ではなく、長谷川洋子として。
10年経った今、ようやくわかるような気がする。
私はちゃんと苦しかったし、悲しかったんだ。
もし自分の演技を自分が観ていたとしたら、わたしは私の代わりに泣いてあげられるかな。
そんなことを想像しながら、私は今も劇場に向かっている。
私は悲しいとき、大声で叫んで泣いてみたいだろう。
私は怖いとき、大丈夫だよって言ってほしいだろう。
わたしは私にそれをしてあげられるだろうか。
そのために、私にはわたしがいてほしい。
プロフィール
長谷川洋子(ハセガワヒロコ)
2012年いわき総合高等学校在学中にアトリエ公演「ハロースクール、バイバイ」(作・演出:藤田貴大)に出演。2013年に上京後、マームとジプシー「cocoon」のオーディションで選抜される。近年の主な出演作は、青春五月党「ある晴れた日に」(作:柳美里、演出:前田司郎)、「BOAT」「めにみえない みみにしたい」「かがみ まど とびら」「BEACH BOOTS CYCLE」(作・演出:藤田貴大)、映画「アボカドの固さ」など。
長谷川 洋子 / hiroko hasegawa (@hirokooo_o) | Twitter
横田龍儀
震災から10年経って、まだしゃべれない部分もいっぱいありますが、震災の経験は今の自分の生き方に大きな影響を与えています。
当時、僕は高校1年生で、その日は家にいてのんびり過ごしていました。緊急地震速報がしょっちゅう鳴っていたので「またか」と気にすることもなく、そのままコタツで横になっていたら耳元でゴーッという地鳴りが聞こえて。「変な音がするな」と思った瞬間に床が落ちるような感覚があり、縦揺れが来て、何も行動することができずに、しばらくいろいろな物が落ちる音を聞きながら「このまま死ぬんだろうな」と思っていました。
揺れがおさまって外に出たら、景色が一変していました。割れて盛り上がる道路なんて初めて見たし、聞こえてくる悲鳴や子供の泣き声がすごくて、「あ、生きてる」っていう気持ちと「これは現実なのか?」という思いに襲われたことを覚えています。
その後、津波が来ることをラジオで知って。僕が住んでいた村は津波の被害はなかったのですが、数時間後、電気が復旧してから画面の割れたテレビをつけると、自分が知っている場所や母親が働いていた介護施設が津波で流される様子が映っていました。幸い母親は家に帰ってきていたので無事でしたが、もし帰って来なかったら、津波で流されて死んでいたんだろうなあって。
俳優になりたい、有名になりたいという夢を持つようになったのは、被災地に来て復興支援をする芸能人の姿に癒やされ、勇気付けられ、笑顔になる人たちを見たから。とてもつらい経験をした人たちを、こんなにも穏やかな表情にさせるなんて、すごいなと思ったんです。それで、僕もいつか誰かを元気にさせられるようになりたい、人の役に立ちたいと思い始めました。小さい頃から仮面ライダーになるという憧れはありましたが、家族が背中を押してくれて、自分の夢を追いかけることができました。芸能界に入るきっかけになったオーディションで披露した獅子舞も、村の人たちが高額の獅子頭を貸してくれたんです。だから恩返ししたいという気持ちも強くて。
以降、誰かの活力になるためには知名度を上げて、皆に知られる存在になりたいという気持ちでがむしゃらにやってきましたが、その気持ちだけでは通用しないということを、俳優の活動をしていく中で知りました。特に「ミュージカル『刀剣乱舞』」では、「プロ意識が足りない」とめちゃくちゃ怒られて(笑)。ずっと、「こうしたらみんなが喜んでくれるはず」という思いでやってきていたので、独りよがりだったんですね。でも、2.5次元の舞台では観客が求めるキャラクター像を具現化する力がないといけない。「自分はこうしたい!」だけではダメだということを思い知りました。今はありがたいことに舞台で、お客さんの前に立って“伝える”ことができている。客席のみんなを少しでも元気にするために、芝居やダンス、歌といった、自分の知らなかった表現方法を得ていく楽しさを感じています。
未だに緊急地震速報の音を聞くと体が重くなる感覚があります。でも、言葉は悪いかもしれないけど、“俳優”はそういった経験も生かせる職業。人はつらい出来事や悲しいことの記憶を消して生きていくものだけど、僕は震災のことやあの日抱いた感情、死ぬという恐怖を忘れてはならないなと、たまに思い出しています。自分の経験を芝居にぶつけて、1人でも多くの人の心を動かせる人間になりたい。そして、震災を経験した僕が俳優として活動している様子を見て、被災者の方の中に少しでも勇気付けられる人がいたらいいなと思っています。感情が動けば人の心は豊かになるし、世の中がいい方向に向かっていくと思っているので。まだまだ僕はスタートラインに立ったばかりですが、それを目標に努力することが、今はとても楽しいんです。
プロフィール
横田龍儀(ヨコタリュウギ)
1994年、福島県川内村生まれ。第25回ジュノン・スーパーボーイコンテストで審査員特別賞を受賞。2014年から2年半、福島中央テレビ「ゴジてれ Chu!」の「日本縦断 龍儀の歩く旅」で北海道・稚内から鹿児島・佐多岬までを徒歩で縦断。主な出演作に映画「宇田川町で待っててよ。」、「ミュージカル『刀剣乱舞』」、「MANKAI STAGE『A3!』」、ミュージカル「VIOLET」、PAT Companyのミュージカル「グッド・イブニング・スクール」、「結婚しないの!?小山内三兄弟」など。
横田龍儀 OFFICIAL SITE
横田龍儀 (@0909Ryugi) | Twitter
横田龍儀(@ryugi0909) | Instagram
※初出時、人名表記に誤りがありました。訂正してお詫びいたします。
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もち🍫🥄🫏 @20191027P
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以前の記事ですが、本田くんのインタビューが載ってます
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