ウエストランド、春とヒコーキ、現役生に聞く「タイタンの学校」、爆笑問題・太田の哲学に通ずる育て方

爆笑問題を擁するタイタンが2018年に開校したコミュニケーションカレッジ「タイタンの学校」。始まったばかりの養成所ながら、2期生(芸人コース)の春とヒコーキを筆頭に個性豊かな修了生たちがタイタンの一員として頭角を現し始めている。

お笑いナタリーは、現在「タイタンの学校」に通っている4期生を直撃取材。数あるお笑い養成所からなぜ歴史の浅い「タイタンの学校」を選んだのか? 実際に通って何がよかったか? 率直な質問をぶつけている。また、彼らの先輩としてウエストランドと春とヒコーキにもインタビューを実施すると、タイタンという事務所と「タイタンの学校」に通ずるポリシーが見えてきた。この養成所ならではのポイントを紐解きながら、ウエストランドが行った特別講座の様子もレポートする。

取材・文 / 狩野有理撮影 / 森好弘

「タイタンの学校」ってこんな学校

爆笑問題をはじめとする芸人や、アーティストや文化人など多彩な面々が所属するタイタンが2018年に開校したコミュニケーションカレッジ。放送作家の高橋洋二、元ハガキ職人で放送作家の野口悠介、芸人として活動中の勝又:、長井秀和などが講師に名を連ねるほか、タイタン代表の太田光代社長、「踊る!さんま御殿!!」「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」(共に日本テレビ)などを手がけるテレビプロデューサーの菅賢治、放送作家のテリー伊藤らの特別講義を受けることができる。

発声、文章構成、デジタルコンテンツ制作、自己プロデュースなどを身につけられる総合講義に加え、芸人コースに向けた専門講義も。ここでは漫才、コント、エピソードトークといったネタ作りの土台のほか、演技やダンス、身体表現も学ぶことができ、受講生は定期的に開催されるライブを目標に日々ネタを磨いていく。

詳しくはこちらから

もうすぐ芸人デビュー!現役生紹介

らこめでぃ

「タイタンの学校」で出会い、結成したトリオ。メンバーの中には週5で働くサラリーマンも。

左から、望月スズノスケ(モチヅキスズノスケ)、藤井隆太(フジイリュウタ)、村山隆峰(ムラヤマリュウホウ)。

左から、望月スズノスケ(モチヅキスズノスケ)、藤井隆太(フジイリュウタ)、村山隆峰(ムラヤマリュウホウ)。

Q1 「タイタンの学校」を選んだ理由は?

村山 お笑いを始めるにあたっていろんな養成所や事務所を調べたんですが、タイタンが一番、売れている方たちとの距離感が近いのかなと思いました。ほかの事務所だったらいくつものネタバトルを勝ち上がって何段階も踏まないと会えないような芸人さん方にわりとすぐに会えるんじゃないかと。そこは打算的な考えでした(笑)。実際に今度、爆笑問題の田中さんにお会いできる機会をいただきました。

藤井 僕は関西出身で、関西でお笑いを始めるとなるとまず考えつくのがNSC(よしもとの養成所)。ただ、王道を避けたい性分で……。東京に行きたいという思いもあって別の選択肢を考えました。調べると「タイタンの学校」は純粋に授業が面白そうだと感じ、決めました。

望月 サラリーマンとして週5で働いていているため毎週水曜、有給休暇を使って通える養成所はないかとピンポイントで探していました。「タイタンの学校」は水曜と土曜なので、まさにぴったり。水曜日は9時から13時まで働き、午後休をいただいてここへ通っています。

Q2 「タイタンの学校」に通ってよかったことは?

村山 お笑いの第一線で活躍してきた講師の方の話を聞けるのも貴重ですし、パルクールやラップなどお笑いだけではない講義を受けられるのが楽しいです。また、ネタ見せの授業では基本的に1カ月間はネタを替えずに、1本をしっかり仕上げていくのが身になります。

藤井 ほかの養成所だと事務所主催ライブ以外に出ることがなかなか難しいそうなんですが、「タイタンの学校」の場合はフリーライブに出てもOK。作ったネタを試せる場があるのはありがたいです。

望月 よく「入るときは500人いたのに最後に残ったのは半分」みたいな養成所エピソードを耳にしますが、僕たちは(一般コース含め)30人入って30人残る(笑)。ネタ見せ以外の授業もみんなサボらず出席していて、僕自身にとってもここに来るのは毎週の楽しみです。このアットホーム感は少人数ならではだと思います。

Q3 卒業後の目標は?

村山 自分で企画できる番組など、常に面白いことを発表していける場を持ちたいです。

藤井 何より、お笑い芸人や面白い人が大好き。そういう人たちと一緒にいられるコミュニティに入れるよう、がんばります。

望月 もともと演劇を長くやっていて、お笑いはもちろん劇作家など“書く仕事”もいろいろやっていきたいと思っています。

しびれグラムサム

フリーで活動し、事務所所属を目指してオーディションを受けていた。「タイタンの学校」にはスタッフから声をかけられ入校。

左から、山田悠介(ヤマダユウスケ)、吉田智彦(ヨシダトモヒコ)。

左から、山田悠介(ヤマダユウスケ)、吉田智彦(ヨシダトモヒコ)。

Q1 「タイタンの学校」を選んだ理由は?

希望する事務所のオーディションを2年ほど受け続けていたんですが、入るのが難しいとなった時期に「タイタンの学校」主催のライブでスタッフさんに褒めていただいたんです。ライブ終わりに「話があります」と言われ、普段は入れないような部屋に通されたので、「これは絶対に所属の話だ!」と思っていたら「俺に1年預けてみないか」と。なんだかドラマのような言い方で(笑)、「タイタンの学校」を勧めていただきました。今ライブシーンで活躍している春とヒコーキが僕らのようにフリーから「タイタンの学校」を出てタイタンに所属してるので、そのロールモデルがいるのは心強かったです。

Q2 「タイタンの学校」に通ってよかったことは?

いろんな事務所のネタ見せに行かせていただきましたが、「タイタンの学校」のダメ出しは本人が面白いと思っていることを前提に、それをどうより面白く見せるか、ということを言ってくれるのが特徴です。「こんなことしちゃダメ」と否定するようなことはなく、「どう伸ばすか」を考えて育ててくれる。一般コースには広告代理店の営業の方や占い師などいろんな職業、年齢の方がいて、芸人以外の方の話や意見を聞けるのも貴重な機会です。

Q3 卒業後の目標は?

山田 ラジオをたくさん聴いてきたので、コンビでラジオをやれたら。また、「さまぁ~ず×さまぁ~ず」(テレビ朝日)、「にけつッ!!」(読売テレビ)など、モニターを挟んで2人でしゃべるという番組に憧れがあります。2人のしゃべりに需要がある、そういう存在になりたいです。

吉田 「タモリ倶楽部」の、プレゼンター役ではなくタモリさんをエスコートする案内役の芸人さん。タモリさんが好きで、あれをやりたいとずっと思っています。

ウエストランド×春とヒコーキ インタビュー

養成所?そんな概念なかった(井口)

──オーディションからタイタン所属になったウエストランドと、「タイタンの学校」を卒業してタイタン所属になった春とヒコーキというお二組に、それぞれの経験を通じて「タイタンの学校」の魅力を語っていただきたいと思います。まず、初歩中の初歩の質問をさせてください。ウエストランドのお二人はなぜお笑いをやろうと思ったんですか?

井口浩之 好きだからですよ! え、今さら? 何度か取材してくれてますよね!?

──失礼しました(笑)。聞いたことがなかったなと思いまして。お笑いをやろうと決めて、養成所に行くという選択肢はありませんでしたか?

井口 当時はそんな概念がなかったんですよ。地元(岡山)にいる頃はネットもそんなに発達していませんでしたし、調べようもなかった。いざライブに出て芸人と話してみたら、みんな養成所行ってたんかい!っていう。あとで知りましたよ、養成所なんてものがあるって。

左からウエストランド井口、河本、春とヒコーキぐんぴぃ、土岡。

左からウエストランド井口、河本、春とヒコーキぐんぴぃ、土岡。

──いきなり自分たち2人だけでフリーライブに出てみるというのは相当な勇気がいったと思います。最初のライブは覚えていますか?

河本太 スベったとかスベってないとかそういう次元じゃなかったと思います。全然ちゃんとできなかった。

井口 いやいや、今よりはできてたよ!

河本 え、ほんま?

井口 だって、今できてないんだから。(2020年の)「M-1」決勝よりはできてましたね。

河本 まあまあ、「M-1」よりはできてたか。

井口 ただ、「ちゃんとできてたとて」っていうレベルですから。ネタを飛ばすとか噛むとか、そういうミスをする以前の問題。初舞台ですからめちゃくちゃ練習もしましたし、できは「M-1」の100倍くらいよかったと思いますよ。ネタのクオリティはさておき。

ウエストランド

ウエストランド

──そこで心折れずに2回目のライブにも挑戦したということは、手応えがあった?

河本 いや、僕向いてないと思いました。もうできないやと思って。こんなに緊張していて、今後慣れるわけないと思ってましたけど……。

井口 今も慣れてないんだよ! 最初の「向いてない」って感想が当たってた(笑)。でも、僕も思いましたね。その当時「エンタの神様」(日本テレビ)全盛期で、そういう人たちがライブに出ているのを見て「こんな違うんだ!」って絶望しましたもん。養成所も行っていないし、よくしていく方法とかもわからない。だから2歩目も勇気いりましたね。何事もまず1歩目を踏み出してみることですけど、本当に大事なのは2歩目。なんとか奮い立たせて、何度も足を出すうちにウケていって、という感じでした。15歩目くらいまではしんどかったですね。

河本 そこくらいまではずっと勇気が必要でした。