今や講師の飛永と高校時代からすごすぎる大水。ラバーガールが語る「スクールJCA」|撮り下ろしTikTokも公開

プロダクション人力舎のお笑い養成学校、スクールJCAが33期生(2024年5月入学)を募集している。お笑いナタリーはJCA10期生で在学中にコンビを結成したラバーガールにインタビューを実施。JCAや「ネタをやる環境としていい」という人力舎のことはもちろん、JCAで講師を担当している飛永の思い、大水の学生時代のエピソードなどを聞いた。またSNSの動画投稿でも人気のラバーガールに、この特集のためにTikTok動画を撮り下ろしてもらったので併せて楽しんでほしい。

取材・文 / 成田邦洋撮影 / 小林恵里

スクールJCAとは?

数多くのお笑い芸人を擁するプロダクション人力舎が1992年に開校した、関東初のお笑い芸人養成学校。人力舎のノウハウをもとに、基礎からライブまでの実践型カリキュラムを用意している。

講師陣はお笑い界を知り尽くすタレントや放送作家などのプロばかり。場数を踏むためのライブも幾度となく経験でき、その実力次第では人力舎に所属してプロの芸人としてデビューすることが可能だ。

現在スクールJCAは33期生(2024年5月開校)を募集中。オフィシャルサイトで詳細を確認して、芸人生活への第一歩を踏み出そう。

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ラバーガール「お笑いライブがあるんですけど」

JCAに入りたくてしょうがなかった飛永、吉本の可能性もあった大水

──このインタビューではスクールJCAについて10期生のお二人に語っていただければと思います。年の瀬に掲載される記事ですので、まずは今年2023年がどんな年だったのか振り返っていただけますか?

大水洋介 今年はまずCMに出ました(参照:ラバーガールの飲みっぷりを菜々緒&松村北斗が厳しく審査、オールフリー新CM)。

飛永翼 幸先よかったよね。夏に単独ライブがあった(参照:ラバーガール、2年ぶり単独ライブ「インフルエンサー」本多劇場で開催)ので、今年は“単独をやった年”かなと。去年はTikTokとかをきっかけにいろいろとお仕事をいただいて、今年は単独をやって地に足を付けた。「SNSもたくさん観てもらっているけど、お笑いをもう一度ちゃんとやろう」みたいな1年でした。それと並行して2人ともドラマや映画のお仕事をいただいた。いろいろやっていました。

大水 あと、個人的には今年保険に入ったんです。去年子供が生まれたので、何かあったときのためにと。人生のことを今までより考えた1年だったかもしれないです。ちょっとだけ大人になりました(笑)。

左から飛永翼、大水洋介。

左から飛永翼、大水洋介。

飛永 40になっているからね。

──公私ともに地に足の付いた1年だったのですね。ここからはJCAの話をお聞かせください。お二人が入学された経緯は?

飛永 僕は中学生の頃からお笑いをやりたくて。ネタ番組がすごく好きだったんですよ。中学生のときに「ボキャブラ」ブームがあって、高校生のときに「オンエアバトル」が始まって。すごく食い入るように観ている中で「面白いな」と思う人がみんな人力舎の芸人だった。それもあって高校2年生のときにはJCAに入ろうと思って見学に行かせていただきました。入学できるのが18歳以上だったので、それから1年我慢して、高校卒業したらすぐに入りました。もう入りたくてしょうがなかった感じです。

──当時ご覧になっていた人力舎の芸人さんはどんな方々でしょうか?

飛永 アンジャッシュ、アンタッチャブル、おぎやはぎ、ドランクドラゴン、北陽と今も活躍されている人たちです。若手ではアメデオとかも出ていて「この人も人力舎なんだ」と。「人力舎だったらとりあえず好き」みたいな感じでした。

大水 僕も中学生くらいのときから芸人になろうと思っていました。高校生の頃に「オンエアバトル」を観ていて、同じように人力舎の人が面白いなと。僕、青森出身なんですけど、今の古坂大魔王さんが底ぬけAIR-LINE時代に青森でラジオをやっていて、そのラジオによくネタハガキを投稿していたんです。その番組に「将来芸人になりたいんですけど、どの養成所に入ればいいのか教えてください」というハガキを送ったんですよ。そしたら古坂さんが「吉本のNSCか、人力舎のJCAか。オンバトとか好きなら人力舎がいいんじゃない?」みたいなことを言ってくれて。吉本と人力舎、両方とも願書を出したら、たまたま人力舎のほうがオーディションの時期が早くて、行ってみたら全員合格みたいな感じだったので「じゃあ、こっちでいいや」とJCAに入りました。その順番が変わっていたら吉本に行っていた可能性も十分あります。

飛永 吉本の同期には、もう中学生とか、ですよ。がいるので、もしかすると大水さんはその3人でトリオをやっていたかもしれないです(笑)。

大水 それで2年ぐらいで辞めていたかもしれない(笑)。

左から飛永翼、大水洋介。

左から飛永翼、大水洋介。

──古坂さんとはその後、お話はされましたか?

大水 青森のイベントでご一緒したときに「僕、あのときラジオにハガキを書いていたペンネーム『馬面』っていうんですけど」と言ったら「お前が『馬面』か!」と。古坂さんが番組をやってた放送局主催のイベントだったので、僕のことを知ってるアナウンサーの人とかもいっぱいいて「みんな、こいつ『馬面』だぞ!」と一盛り上がりしました(笑)。

仲よしでコンビ結成!アンタッチャブル柴田の言葉が自信になった

──お二人はJCA内でコンビを組まれたということですが、こちらはどういった経緯があったのでしょうか?

飛永 入ってすぐに仲のいいグループができて、最初はそのグループの1人みたいな感じだったよね。

大水 そうですね。

飛永 で、大水さんの家に遊びに行って、昔大水さんのハガキがラジオで採用されたときに録音したMDを聞かされたりとかしました(笑)。

大水 「面白いでしょ!」と(笑)。あと、世界のいろんな国の民謡を勝手に作る、というコミックバンドみたいなこともやっていて、その音源も聞かせていました。

飛永 JCAに通っていたのが「月水金」だったので、「火木」は2人で新宿のアルタ前に行って「笑っていいとも!」の入り待ちと出待ちをすることもありました。仲いいのが先で、それから授業でコンビを組んでショートコントをする機会があったとき、当時の講師だったアンタッチャブル柴田さんに「なんか面白いんじゃない?」と言われたのが自信になって「やってみようか」という感じですね。

大水 その後、夏ぐらいにJCAの生徒の中から1組だけ人力舎のライブ「バカ爆走!」に出られるタイミングがあって。みんなでネタ見せして僕ら1組だけが選ばれて、一足先に舞台デビューしたのもあって「ちょっと、俺らいいんじゃない?」と。そのままずっと続いています。

飛永 結成は2001年だから「M-1グランプリ」が始まった年ですね。バイトしながらモニターで「M-1」観てたな。

──テレビで観ていたアンタッチャブルさん本人にその後、JCAや事務所でお会いするわけですが、実際に対面して感慨はありましたか?

飛永 感慨というよりも、当時の先輩はみんな怖かったです(笑)。アンジャッシュ渡部さんが講師で来られたときに、今思えばギャグだったとは思うんですけど「俺たちのライバルでもあるから、もうこんな世界は早くやめたほうがいい!」と言っていました(笑)。

大水 東京03豊本さんも講師で1回来て、そのときに赤いパンツみたいなのを穿いていて。

飛永 ちょっと革っぽいやつね。

大水 「先輩は服からも個性出してくるんだ」と見た目から圧倒されていました。事務所にちょっとした用で行ったときも、オアシズ光浦さんが座っておにぎりを食べていて「光浦さん、おにぎり食ってるよ……!」とただ見ているだけでした(笑)。

左から飛永翼、大水洋介。

左から飛永翼、大水洋介。

飛永 まだ高校卒業してすぐだったので、そもそも「大人の世界、怖いな」というのがあったのかも。今はみんな優しいよね、後輩に対して。

大水 今は優しいです。

初舞台で受けたプロの洗礼

──JCAに入られる前に、舞台に立ったり人前でネタをしたりという経験は?

飛永 僕は中学のときに友達と一緒にネタを作って、友達1人だけに披露するとか、その程度ですかね。お客さんの前ではなかった。吹奏楽部だったので、たまに演奏発表会とかでステージに立ったくらいです。

大水 僕はネタとかはやっていなかったんですけど、高校生2年の頃に学園祭でほかの学生がバンドで誰かのコピーをやったりしている中、1人だけ手ぶらで舞台に出ていって、お客さんからタイトルをもらって即興で歌うみたいなことをやっていました。

飛永 すごすぎるだろ(笑)。

大水 ネタを考えるという発想がないからとりあえず出ちゃえみたいな気持ちで、3年の先輩たちが「なんだあいつは」と言っていました。出る前は緊張しましたけど、変なことをやっているので同級生とかが見ていたら大体ウケるじゃないですか? それで「これ俺、やっぱイケんじゃね?」みたいに思った記憶あります。

──自信になったわけですね。コンビとしては、先ほどもお話がありました「バカ爆走!」が初舞台ということで、どんな心境でしたか?

飛永 当時ライブで10週勝ち抜いたら「バカ爆」のレギュラーに半年間なれるというコーナーがあって、初舞台の対戦相手が三拍子でした。お客さんの判定で「7:3」か「8:2」くらいの差で負けました。当時ボケツッコミもないシュールと言われるようなことをやっていて、尖っていたので「面白いのにな~」とは思っていたんですけど、やっぱりお客さんあってこその笑いだというのは舞台に立ってわかりました。

左から飛永翼、大水洋介。

左から飛永翼、大水洋介。

大水 三拍子が東京アナウンス学院出身でJCAとは毎年対抗戦をやっているんですけど「絶対に人力舎のほうが尖っていて面白いでしょ」みたいな意識はありました。

飛永 それで負けたので、だいぶプロの洗礼を受けましたね。

大水 三拍子は1年先輩みたいで「やっぱり1年違うと腕が違うんだな」と思ったかな。

飛永 アンジャッシュやアンタッチャブルはトリで出てきて、ボカスカとウケてました。自分たちのウケはこんなもんか、というギャップは感じました。

──それではステージ出演以外にJCAの授業で印象的なものは?

飛永 当時は午前中が基礎練習の時間でタップダンスと発声をしていました。

大水 僕は「お笑いにタップダンスなんかいらないでしょ」と思っていたんですけど、今考えたら、なんでもやっときゃよかったなと思います。午後からのネタ見せとか実践的なことをやる授業にはよく行っていました。

飛永 その頃は「授業にちゃんと出てるやつが面白い」とかじゃない風潮もあったよね。「ネタが面白かったら上に行けるっしょ」みたいな。

左から飛永翼、大水洋介。

左から飛永翼、大水洋介。

──そんなJCAに通って本当によかったなと思うことはなんでしょうか?

大水 自分たちのネタに細かいダメ出しをされない環境だったのがよかったです。ネタ見せをしたとき、当時の校長的には「ちょっと面白いかどうかわからない」というときでも「まあ、とりあえず1回やってみれば」と言ってくれたし。それでライブでウケたら「よかったな」と褒めてくれました。

飛永 先輩が身近にいたので、当時は怖かったですけど「がんばったらあの輪に行けるかも」みたいな目標にはなっていたかもしれないです。あと、お笑いを始めた年が一緒のみんなとネタを作ってああだこうだ言って、みたいな時間はすごく楽しかったなと。なんにもやっていないところからいきなり舞台に立つ、というのは相当難しいと思います。

大水 JCAには何百人もいるわけじゃないから、とりあえずライブにはみんな出られる。それはいいかもしれないです。