今さら聞けない
さらば青春の光の基礎知識
大阪に生まれ育ったさらば青春の光が、どうやってお笑いと出会い、その世界へ足を踏み入れたのか。結成丸10年を迎えた2人に今さら聞けない7つの質問をぶつけてみた。さらばの過去と現在、そして思い描く未来とは?
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森田 小学生の頃、「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」(日本テレビ系)の高田純次さんを見て衝撃を受けたんです。こんなに楽そうに大金稼いでる人おる!?っていう。めっちゃおもろくて大好きで、ずっと見ていました。で、小5でダウンタウンというものが僕らの中に入ってきて、ほんまにお笑いやりたいなって思うようになって。授業参観の発表会でコントを書いて披露したこともありました。
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東ブクロ 中3くらいのとき、親が「NGKに連れていったる」と。生でお笑いを見るのは初めてだったからめっちゃ楽しみにしていたんですが、急に親父の仕事で行けなくなってしまって。そこで、なんか親をこらしめる方法はないかなって考えたときに、芸人になったらたぶん嫌がるやろうなと。そんな思いで始めて、今もその復讐の延長です(笑)。親父も、あんときNGKに連れて行ってれば……って後悔しているかもしれませんね。初めて漫才をやったのは高校のとき。それが内輪のノリですけどウケて、大学ではお笑いサークルに入りました。
森田 僕は高校を留年して19歳で卒業して、そっからの5年間は人様に何も言えることはないってくらいクソみたいな生活を送ってたんです。借金200万円くらい作って朝からパチンコ屋に並んで。バイトを2つ掛け持ちして、やっと借金を返しきったときが24歳。で、これ本当に恥ずかしいんですけど、野狐禅の歌詞に「生きてもねえのに死んでたまるか」ってフレーズがあって、それにほんまに感化されてしまって……。俺は今、生きてないぞ、と。このままじゃ死ねないっていうちょっと熱いもんが湧いてきたんです。そこで学もない、商売の才能もない自分が今から億稼ぐにはどうしたらいいだろうってしっかり冷静に考えたときに、お笑いだと思いました。
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森田 養成所では僕が半年先輩で、それぞれ別々のコンビを組んでたんですが、解散したタイミングでこいつに誘われまして。すっごい長文のメールを送ってきたんですよ。「僕は大学時代にツッコミのフレーズがいいって言われてました」「僕ならあなたの才能を今の何倍も引き出せます」っていろいろ自分をアピールする、同意書か?っていうくらいの長文でした。しかも最後は「これで断られたらこの世界やめようと思ってます」。脅迫ですよね?(笑) 同時期に「キングオブコント」が始まって、それなら出てみようということで2008年の8月に結成しました。
東ブクロ だから初舞台は「キングオブコント」の1回戦。通らなかったですけどね。でも感覚は悪くなかった。ダメだったらすぐに解散かなと思っていたんですが、そのあと「NHK上方漫才コンテスト」の本選に行けたこともあり、コンビを続けていくことになりました。
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東ブクロ なんだかんだ、ザ・森東が会社としてやれているのが不思議です。番組の企画で始まったようなものなので、すぐにアカンくなって、どうせどこかの事務所に入れてもらうことになるんやろうなって思ってたんですけど、自分の事務所で猫飼うまでになってますから(笑)。
森田 社長とかにはなれないから芸人を選んだはずなのに、芸人で億稼ぐ前に社長になってもうて。飲み会で、連れに「こいつ社長やで」って言ってもらって、なめた態度で接してきた女の子の目の色が変る瞬間を楽しんでます。決して(事務所が)五反田のワンルームとは言わないですけどね(笑)。
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森田 40歳までに億稼げるかな?
東ブクロ 芸人になってすぐは大金稼ぎたいとか無謀な夢を描いてたけど、リアルに今、どのへんの人たちが億稼いでいるか考えると、これはほんまに簡単な世界じゃないなと思う。だから毎月ちゃんと暮らせるくらいをキープしながら、ちょっとずつ上がっていくのが理想です。とりあえず生活できて、知らん間にお茶の間に定着できてたらええなとは思います。
森田 “朝の顔”とかにはまったくなりたくないです。だって、僕ら朝早く起きたくなくてこの世界に入ってますから。夕方の帯やったらいいですよ。18時に終われば飲みに行けますから。もちろん朝の帯でもギャラ次第では出ます。やっぱり、元来クズだってことを忘れないようにしたいですね(笑)。
瓦“真っ二つ”
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2021年11月15日更新