よしもとの芸人養成所・NSCが来年度の新入生を募集する。お笑いナタリーでは昨年、「M-1グランプリ」ラストイヤーを戦い抜いたかまいたち、和牛、天竺鼠の同期3組に集まってもらい、NSC時代の思い出を聞いた。藤崎マーケット、アインシュタイン河井、アキナ山名など、ほかにも活躍する同期の多いNSC大阪校“華の26期”。刺激を与えあいながら切磋琢磨してきた彼らの絆とは。
取材・文 / 狩野有理 撮影 / 多田悟
死ぬほどスベってクラスの2軍に
──まずはみなさんがどんな子供時代を過ごしたかお聞かせいただけますか?
濱家隆一 僕はいわゆるクラスのお調子者という感じで授業中とかもふざけていて……。
川原克己 泣いてんのか?
濱家 泣いてへんわ!
川西賢志郎 山内の結婚のスピーチでもこのぐらいの速度で泣いてたよな。
山内健司 しかも二次会で。
濱家 (笑)。お調子者で、周りから「お前吉本行ったらええねん」って言われていた奴ですね。
川西 僕はクラスの中心ではないけど、仲のいい友達とずーっとふざけてボケ合ってました。表立って何かをやるというタイプではなかったです。
水田信二 2人と違って僕はあまり友達がいなくて。面白いことを言ったときだけみんな笑ってくれて、それ以外は遊んでくれない、みたいな感じでした。
──シビアですね(笑)。
水田 (出身が)愛媛なので、大阪と違ってツッコミ文化がないから掛け合いにもならないんですよ。
川原 わー、わかるわ!
水田 ボケたら笑ってくれるんですけど、帰るときは1人っていう。
一同 あはははは!(笑)
濱家 え、仕事?
川西 ギャラもらってた?
川原 笑かすだけ笑かして帰りは1人って、今と変わらんやん。
水田 誰が今も帰り1人やねん(笑)。
──でも、そんな生活の中で笑わせることに楽しみや存在意義を感じたのでは?
水田 そうですね。その瞬間は楽しかったです。友達みたいになれるんで、そのときだけ。
濱家 疑似友達体験?
水田 そうそうそう。
──山内さんはどうでしたか?
山内 小、中学校で生徒会長を務めていて、文化祭の主役みたいな存在だったりもしたんですけど、高1のスタートダッシュを失敗してからは2軍に回りました。1軍とはちょっと距離を置いて、2軍のリーダー的ポジションでしたね。
川原 なんで失敗したん?
山内 高1の最初の宿泊研修で二人羽織の出しものして、死ぬほどスベった。
一同 あはははは!(笑)
瀬下豊 攻めたのになー。
川原 二人羽織のどっち?
山内 前。
濱家 顔出てるほうでスベったんや(笑)。
山内 黒蜜を顔にべしゃーってやって、めっちゃスベった。
──(笑)。天竺鼠のお二人は?
瀬下 僕は濱家と一緒でお調子者でした。小中高すべての体育祭で応援団長をやるような目立ちたがり屋で、先生をイジって笑いを取っていましたね。
濱家 俺も応援団長やってたわ。
瀬下 音楽のとき大太鼓やったやろ?
濱家 それはわからんけど(笑)。
瀬下 僕は目立ちたがりの大太鼓タイプで。でも今考えると、自分たちの笑いのツボはちょっと変だったんですよ。手の指の間でコンパスの針をバーって高速で動かす遊び流行っていたじゃないですか。それをみんなでやり合って、マジで手に刺さったらめっちゃ笑うっていう。
川西 怖!(笑)
濱家 やっぱり瀬下はズレてたんやね、昔から。
瀬下 めちゃくちゃズレてた。高校時代はバイク燃やして笑っていたし。
──え?
水田 バイク燃えて笑うって何?(笑)
濱家 なんもおもろないわ!
瀬下 俺のツレはめちゃくちゃ笑ってました。みんな大爆笑!
──川原さんの子供時代もどんなだったか教えてください。
川原 お任せします。
瀬下 ちゃんと答えろよ!(笑)
濱家 天才の感じ出してきた。
水田 ここに来てる時点で天才ちゃうからな。今日時間通りに来たやろ?
川原 うん。この中で一番早く来た。
濱家 最初にコンビ揃ったの天竺鼠やん(笑)。
──あははは(笑)。
川原 でも水田に近いかな。クラスの隅っこではしゃいでる人らを見て「あー、違う違う」とか思ってました。「今、お前が行くねん」「1個多いねん」とか。
──プロデューサー的立場で教室を見ていたわけですね。そんな子供だったみなさんですが、芸人への一歩を踏み出すには勇気がいったと思います。いざこの世界に飛び込むときに怖さはありませんでしたか?
水田 めちゃくちゃ怖い気持ちもありましたけど、挑戦しないほうが怖かったから。
川西 雰囲気出してきたよ?
濱家 そういう気の利いたこと言うには太りすぎてんねん。
水田 いや、痩せるほうが怖かったから……。
濱家 何が怖いねん、痩せろよ! 僕は根がイタいんで、怖いなんて感情はまったくなく「売れるに決まってるやん」と思っていましたね。入ってから「おもろい奴いっぱいいる!」って気づきました。
川西 僕も決意という感じではなかったかもしれません。当時はbaseよしもとの芸人さんたちが女の子からキャーキャー言われていて、「こんなふうになれるんや、スーパースターやん」みたいな浮ついた気持ちだったと思います。NSCに入ってくる人って僕も含めて「自分はおもろい」と思っているので、濱家くんが言っていたようにみんなどこかしらはイタいんでしょうね。
──大学を卒業している山内さんは就職という道は考えなかったのでしょうか。
山内 就活するのが嫌で、NSCに入って就職を先延ばしにしたかったんです。親には専門学校に行くようなものだと納得してもらいました。
──瀬下さんは、芸人になるために川原さんと一緒に大阪へ出てきて、その後NSCに入学された。
瀬下 そうです。笑いのツボがズレすぎてるから改めて勉強しないとあかんな、と。僕自身が面白いと思うことを提示しても誰も笑ってくれなくて……。
一同 あはははは!(笑)
濱家 「コンパス刺さって俺はあんなに笑ったのに」って?
瀬下 「手に刺さってんねんで!?」って。「面白い」とはどういうことかっていうのを1から学びに行きました。
ポップな天竺鼠
──それぞれの第一印象は覚えていますか?
濱家 瀬下はやっぱり怖かったですね。「なんかミスったらどつかれる」っていう威圧感があった。実際、道歩いていても人ボコボコにしてたし。
瀬下 してへんわ!
川原 NSCの初日、勝手にスキンヘッドにしてきたんですよ。「初日が大事や、ナメられたらあかん」って。ズレてるなーって思いました。
瀬下 ナメられたらあかんっていうのは本当に思ってました。みんなライバルやし。
濱家 それでほんまにライバルたちをボコボコにしてましたからね、あの当時。
瀬下 何回言うねん!
──髪はいつから伸ばし始めたんですか?
瀬下 1回スキンヘッドにしてからは伸ばしました。やっぱり違うっていうのはだんだん気づきましたね(笑)。
──みなさんが通っていた頃のNSCは成績順でクラス分けされていたんですよね。
山内 そうです。僕はずっと一番下のクラスで。
──すべての授業に出席していたのに最後までCクラスだったと以前お聞きしました(参照:NSC特集 大阪26期かまいたちインタビュー&特別授業レポート)。
山内 発声とダンスまで行ってたのにCクラスで。
水田 そこまでがんばってたらBに上がらせてやれよ(笑)。
山内 だからNSCのときはこのメンバーとはほとんど面識なかったんです。
川西 クラスは一度も一緒になっていないんですけど、山内のネタは見たことがあったなあ。ピンでやってたやろ?
山内 うん。
川西 僕もその頃1人で、相方を探そうと思っていろんなクラスに紛れ込んでたのか、詳しいことは覚えてないんですけど、何かのタイミングで山内のピンネタを見たんですよ。ラジカセ置いて……。
山内 やってたやってた。
川西 スーツ着てイス置いて、ずーっとこの顔(真顔)で先生からのダメ出し聞いてた。ネタ中も本当にこのまんまの顔で淡々とやっていて、終わったあと先生に何か言われてるときもずーっと同じ顔(笑)。でもネタはちゃんと面白かったです。
水田 僕も全然このメンバーとは知り合ってなくて、天竺のことは「Aクラスにこういう人たちがいる」って一方的に認識していました。
川西 コンビ名「ライパチ」やったよな?
川原 そうそう。コンビ名は毎回変えてて。行きがけにカラスを見かけて「カラス」にしたこともあったし。
濱家 天竺が「エンドラン」っていうコンビ名のとき、登場の仕方がめっちゃポップやったの知ってる?
水田 エンドランは見たことないなあ。
瀬下 最初、「エーンドランですっ!」(駆け出すポーズ)ってやってた。
水田 うそ、信じられへん!
川原 やっぱり見た目が怖かったから、何かせなあかんと思って。
濱家 そこはちゃんと考えたんや(笑)。でもやっぱり天竺は最初に見たときからインパクトがあったし、すでに今みたいなスタイルでめっちゃ面白かった。
川原 毎回講師の先生は「天竺がおかしなネタしませんように」って祈ってたけどな。ネタ見せなのに10分くらい延々とやって、「もういい、もういい」って言われてた。
青春みたいでうらやましかった“天竺ハウス”
──NSC時代はどんな生活を送っていたんですか?
川原 僕と瀬下は市場で働いていて、毎朝3時に市場に行き、お昼頃に帰ってきて、そこからネタ見せのエントリーをして……っていう1日のサイクルでしたね。で、夜は打ち上げがあって、深夜になると「お前もう3時やで」って先輩に言われて慌てて栄養ドリンクを3本くらい飲んで市場に行く、みたいな。だからその当時は3年くらい、睡眠をしてなかったです。
──(笑)。
川原 3年間一睡もしなくて。これはもう変なタイミングで寝てしまうのはもったいないなと思っていたんですけど、なんかのロケバスでちょっと寝ちゃった。
濱家 めっちゃ変なタイミング!(笑)
──皆さんもネタ見せやネタ合わせ以外はバイト漬けの毎日?
濱家 バイト漬けでしたね。
川原 (山内に向かって)マンガ喫茶で働いてたよな。あれ、もう今はやめたん?
山内 やめた。
川原 忙しくなったから?
山内 忙しくなって行けなくなった。
瀬下 だいぶ前にやめてるやろ! なんや、その最近やめたみたいな言い方は(笑)。
濱家 みんなで1回サングラスかけて、ピストルのおもちゃ持ってそのマンガ喫茶行ったよな。
瀬下 行った行った! めっちゃ困ってた。
濱家 大きい声出して「動くな!」とか言って。やっぱり率先してやってたの俺と瀬下やったな……。
瀬下 (笑)。
濱家 プライベートで言うと、僕は水田と2700の八十島とはNSCのときからよく遊んでいました。中間発表というのがあって、上位の人は在学中に舞台に出られたんですよ。クラスが違った水田とはそこで知り合って。
山内 ヤソ(八十島)と水田は何で知り合ったん?
水田 最初のクラスが一緒で。入学式の初日に誰とも話せなかったから、次の日隣に座った奴に絶対話しかけようって決めてて、それが八十島だった(参照:NSC大阪26期和牛&バイク川崎バイク×東京11期たかくら引越センター インタビュー)。
──26期のメンバーが集う“天竺ハウス”というのがあったとお聞きしたことがあります。
瀬下 僕と川原が一緒に住んでいて、鍵を開けっ放しにしていたので必ず誰かしら同期がいましたね。泊まる人はそのまま泊まったり。
濱家 ほんまボロボロで、ヤバいくらい汚かったな。
川原 病院ぐらい廊下広い。
山内 (藤崎マーケット)トキは毎日いたんじゃない?
瀬下 トキはもう毎日来てました。
濱家 ただ、和牛はそのときはまだみんなと……。
水田 仲良くない。
川西 面識もない。
水田 あとからそんな話を聞いて、青春みたいでうらやましかったですね。
川西 「へー、そんなんしてたんやー」って(笑)。
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面白い人はちゃんとマナーも守ってる
2020年3月12日更新