NSCは自分とちゃんと向き合う大事な時間和牛×バイク川崎バイク×たかくら引越センター

よしもとの芸人養成所・NSC特集第2弾には大阪校26期の和牛と、相方を探していた彼らを引き合わせた同期のバイク川崎バイク、東京校11期で会社社長でもあるたかくら引越センターが登場。多方面で活躍する彼らに、NSCで得たことが現在の仕事にどう生かされているのか聞いた。NSC出身者の中には、芸人を辞め、まったく別の業界へ羽ばたく人も多い。それは人として成長するために大事な要素が“お笑い”の中に数多く詰まっているからなのだろう。

取材・文 / 狩野有理 撮影 / 曽我美芽

なんてことない癖や性格を面白がってくれる仲間

──今回のNSC特集には大阪校26期で同期の和牛のお二人とバイク川崎バイクさん、そして芸人と引っ越し会社社長の二足のわらじを履くたかくら引越センターさんにご登場いただき、NSCで学んだことが今の仕事をするうえでどう役立っているか聞いていきたいと思います。NSCに入る前と入ったあとで一番変わったことはなんですか?

和牛・水田 僕は人見知りだったんですけど、NSCに入るといきなり知らない人の前でネタをやるような状況に放り込まれるので、そんなこと言ってられなくなりますね。相方も作らないといけないし、自分からコミュニケーションを取るようになりました。

バイク川崎バイク 初対面のとき確かに信二(水田)はすごく大人しかった。ピーナッツタンク(水田がNSC時代に組んでいたコンビ)のとき、淡々と暗ーいボケを言うスタイルやったし(笑)。

和牛・川西 でも根は明るかったよな。心を開くとおしゃべりになるタイプ。

左からたかくら引越センター、バイク川崎バイク、和牛・水田、和牛・川西。

──川西さんはどうですか?

川西 僕も人見知りですし、なんなら今もまだ人見知りやけど、お笑いっていう目的があればなんでもできるようになったと思います。ロケに行ったときは「話を聞き出したい」とか、シンプルに「笑いを取りたい」とか。

たかくら引越センター 僕は昔から人見知りをしない、学校のクラスでも目立とうとするお調子者でした。でもNSCっていう“お笑いの東大”みたいなところに来て、みんなが面白いから圧倒されて逆に大人しくなりました(笑)。ガンガン行ってもうまくいかないことを知ったので空気を読むことを覚えたんです。

BKB 空気を読むこととか人との距離を見極めるのは芸人じゃなくても重要なことやもんな。

──バイクさんは芸人になる前は美容師をされていたんですよね。

バイク川崎バイク

BKB はい。がっつり接客業なので、気を遣ったり初対面の人と話したりすることにはアドバンテージがあると思ってNSCに入ったんですけど、変なプライドがあって最初は年下の同期にタメ口で話しかけられるのに抵抗がありました。18とか19歳の子が「川崎、川崎(BKBの本名は川崎史貴)」って24歳の僕に言ってくるんですよ。

水田 そんなこと思ってたんや(笑)。

川西 そのプライドから来る「人を寄せつけないでおこう」っていう思いが、薄ーい色の入ったサングラスに出てたよな。

BKB よう覚えてるなあ!(笑)

川西 怒られてなかった? 「それはなんや、メガネなんか?」って。

BKB そうそう。美容師の名残で、度が入ったおしゃれサングラスをかけてNSCの授業を受けていたんです。そんな見た目の奴なのに、がんばってる感出さなあかんと思って質問タイムに「はいはい!」って元気よく手を挙げていたら、「さっきから手挙げてるけどお前、そのサングラスなんや? ファッションか? 度入ってるんか?」って。僕も堂々と言えばいいのに、「は、入ってます……!」って(度が)入ってない言い方しちゃったんですよね。あんときは恥ずかしかった。ちょっとバカにされましたし、年下に。

川西 でも愛されキャラになったもんな。

BKB そこから年下だろうが年上だろうが、同期にイジられる楽しさを覚えたんです。途中からプライドもなくなってきて、芸人なんやから楽しいほうがええよなって思えるようになりました。芸人独特の精神状態というか。

水田 心が広くなる気はするよな。今までやったら気に留めていなかったところをイジられるやん。それってNSCに入ってお笑い漬けの毎日を送らないとたどり着かない境地というか。

──イジられることで「自分はここが変なんだ」と気付かされたポイントって例えばどんな部分ですか?

川西 僕はケータイのシンプルなアプリゲームをポチポチする癖があって、それを芸人は「ええの見つけたー!」って鬼の首取ったかのようにイジってきますね。

BKB 川西って見たことないアプリをずっとやってるんですよ。

──どういうアプリなんですか?

同期の和牛とバイク川崎バイク(右)。

川西 ガラケーのときようやってたのが、打ち上げ花火の玉に点火してそれがパーンと開いたら隣の玉にもパーンと連鎖して花火が上がっていくっていう……。これが楽しかったんです。楽しいって、熱狂するわけじゃないですよ? テトリスみたいなもんで、ずっとやっちゃう。

BKB いやいや、ちゃうやん。めっちゃ熱狂してたやん。

水田 お祭り好きやしな。

川西 根底にあるんかもな……ってほら、イジってるやん(笑)。こうやってみんな言うわけですよ。僕からしたらなんてことのないことを面白がってくれる。自分では普通やと思っていたことや、見る人によっては変やって言われるようなことも、その人の魅力にしてくれるのがお笑いのいいところですよね。

BKB よく言われることですけど、「コンプレックスこそ武器になる」っていう言葉は本当にそのとおりやと思います。僕はちっちゃいのもガリガリもコンプレックスでしたけど、芸人になったらこっちのほうがいいと思えるようになりました。大きかったらこの芸風成立してないですし。

水田 怖いよな。「ブンブン」やなしに「ブォンブォン!」って。

川西 ハーレーやん(笑)。

──水田さんは神経質な性格がご自身のキャラクターになっています。

水田 そうですね。細かいとか思ったことを黙っていられないところは、芸人に囲まれているから自分の特徴だって気づかされた部分です。それまでは「怖い」という印象でしかなかったと思うんですけど。

BKB 信二の場合、会社員やったら陰口じゃない? 「あの人細かいよな」って陰で言われて終わるよ。

川西 あはははは!(笑)

BKB 普通、「細かいですね」なんて気遣って言われへんやん。芸人だからグッと踏み込んで言える。「面倒くさいなあ!」って。

水田 だからこっちも安心して思ったことを言えますよね。みんなが受け止めてくれると思うから。「じゃあ言いたいこともっと言わせてもらおう」と。

川西 そうやってどんどん加速してたんか(笑)。

「ダンボール作るの速すぎ」からテレビ出演の夢叶う

──たかくらさんが引っ越し屋さんを開業した経緯を教えていただけますか?

たかくら よしもとの先輩の引っ越しをよく手伝っていて、そこでダンボールを組み立てたら先輩たちが「速っ!」ってめちゃくちゃ笑ってくれたんです。引っ越し屋でバイトしていた僕としては普通だったんですけど。そんなことでも笑いって取れるんだなと気づいて、当時ちょうど組んでいたトリオを解散する時期でもあったので、引っ越しを自分の武器にすることにしました。開業はその流れからですね。

BKB 「ダンボール作るの速すぎんねん!」ってことやろ? どこで笑いになるかわからんなあ。

たかくら しかも面白いことも言わずに黙々と作業をしていたので「引っ越しはすごいけどおもんないなあ!」ってイジっていただいて(笑)。それが心地よかったんです。もともと僕はテレビに出たいという動機でNSCに入ったので、「引っ越しがすごい」ということでテレビにも出させてもらえて思いもよらない方法で夢が叶った形です。

──ちなみに皆さんはたかくら引越センターを利用したことはありますか?

たかくら引越センター

水田川西 ないです。

BKB 僕はあります。

たかくら 2回ほどご利用いただきました。

BKB 仕事がめっちゃ早いんです。早い、安い、丁寧。

水田 情報管理みたいなところは大丈夫なん? 従業員さんも何人かおるでしょ? 信用に値する人?

たかくら もちろん信用していただいて大丈夫です(笑)。

BKB 今のところ、「BKBが×××に引っ越した」っていう情報は出回ってないみたいよ。

水田 たかくらくんだけじゃなくて、みなさん信頼できる方ってことやんな? 物損とかも絶対大丈夫?

川西 お前が断られるわ! こんな奴の荷物、怖くて運びたくない。

BKB 確かに、信二(水田)の細かさを受け止められるかどうかやな。

たかくら お任せください!

──水田さんは料理人として働いていましたが、なぜ辞めてまで芸人になろうと思ったのでしょうか。

水田 芸人になるって中学生のときから決めてたんです。仲がよくて一緒にNSCに行きたいと思っていた奴が料理学校に行くと言っていたので通いながら誘おうとしていたんですけど、結局NSCには1人で入りました。

川西 めっちゃかわいそうやろ?(笑)

BKB かわいそう(笑)。誘ったけどフラれたん?

水田 いや、真剣には言ってなかった。そいつからしたら「そうやったん!?」って感じやと思う。

BKB へー。じゃあ今ではその子は立派な料理人になってるってこと?

水田 その子は行ってないから、料理学校に。「やめた」って言って。

BKB え!? 信二だけ先走って料理学校行ってもうたん?

川西 とりあえず関西に出てきて、一緒の学校行きながらちょっとずつ口説き落とそうっていう作戦が全部破綻したっていう(笑)。

水田 相方がいないのにどうやって芸人になるんやろうって途方に暮れていて、だからしばらく料理人をやっていました。あ、そういえば料理の世界にも元NSC生がいましたよ。COWCOWさんと同期で、バーテンダーや料理人をやっていて、お客さんと楽しくしゃべるのが得意な方。やっぱりお笑いの経験って生かされるんやなあとそのとき思いました。

左からたかくら引越センター、バイク川崎バイク、和牛・水田、和牛・川西。

──川西さんは高校を卒業してすぐにNSCに入ったんですか?

川西 僕は大学に1年だけ通って、NSCに行きました。

──大学は1年で辞めてしまったんですね。

川西 幼なじみの子と「大学に落ちたら2人でNSCに行こうか」って言っていたんですけど、僕だけ受かってしまって。受かったら受かったで、僕も大学に行ってみたい気持ちがあったし、その友達は落ちて音楽の専門学校に進むことになったので、一旦NSCの話をなしにしたんです。で、大学生活が始まったんですけどやっぱりお笑いをやりたくて、ほとんど大学には行かなくなりました。1年間ほぼバイトに費やして、お金を貯めて1人でNSCに入りました。

BKB 同級生は?

川西 びっくりしてたよ。「入ってるやん!」って。

BKB ケースは違うけど、ちょっと水田と似てない?

川西 確かにすれ違いから2人で入れなかった感じはちょっと似てるな(笑)。