「無学 鶴の間」第8回レポート
鶴瓶にとって縁の塊のような男
「そんなこと、ある?」
笑福亭鶴瓶の口癖のようにも思えるこの言葉は、人生を面白くする魔法のようなものだといつも思う。鶴瓶の日常を聞いていると、偶然にも、あのときのあれとこのときのこれが繋がって、この人とあの人が繋がっていくということが本当によくあって、そのたびに、「そんなこと、ある?」と鶴瓶はうれしそうに話すのだ。しかしそれは、その時々の出来事や人との出会いを「ちゃんと」面白がって生きていなければ、ただ、通り過ぎていってしまうこと。
「今日はそんな縁の塊のような男を呼びます」と、鶴瓶が俳優の北村一輝を紹介したのも、そんな生き方の表れだっただろう。
2人の出会いは約30年前に遡る。鶴瓶が出たCMに、まだデビュー間もない頃の北村がエキストラで出演したときのことだ。このときの北村は、本名の北村康として活動していて、まだ俳優としても無名に近い存在だった。
しかし同じ大阪府出身、しかも生まれ育ったところが近かったこともあり、すぐに打ち解けた。その後、鶴瓶は北村から送ってもらった三池崇史監督のVシネマ「大阪最強伝説 喧嘩の花道」を観て絶賛。「お前、めっちゃ面白いな、すごくよかった」と北村に電話で伝え、いい俳優になると予感するも、しかしそのときはそこまで。
「それから10年くらい経ってからやな。『スジナシ』に北村一輝をオファーしたんです。それは俳優として有名な北村一輝をオファーしたわけ。それで『初めまして』と言ったら、『初めて違いますやんか!』と言われて。『え!! そうか!』ということになったんや」と鶴瓶が言うと、「すごくうれしかったんです」と北村が頷く。
そのときの「スジナシ」のテーマは「空き家」。鶴瓶は北村の演技に圧倒されて「タジタジになった」とうれしそうに述懐する。しかし、そうやって繋がれた縁は、さらにどんどんと縁を呼んでいくことに。
「あるとき、飛行機に乗っていたら、隣に女の方が座ったんですね。その方が『北村一輝の母です』と言わはったんですよ」
話していくと、鶴瓶の姉と高校の同級生で仲が良かったことが判明。それだけではない。
「うちの兄貴がよく行っているスナックから電話がかかってきて、『今、北村一輝さんの父親と飲んでるねん。代わるわ』と言うて代わったのがお父さんや。ここ(北村)がエキストラでCMに来てからの縁はわかるけど、その後の縁がすごいよね」
その後、東京・赤坂で、偶然チラシを受け取って入ったカレー屋で北村の息子に会い、それが北村一輝がオーナーの店「大阪マドラスカレー赤坂店」だと知り、そこから時々、食べに行っているというほど。
「こんなことある?」と鶴瓶。
「そうです。家族全員に会ってます」と北村も笑う。
鶴瓶が自慢したいこと
鶴瓶 船の学校に行ってたんやな? 船乗りになりたかったん?
北村 船に乗りたかったんです。世界のあちこちに行くにはどうするかと中学のときに考えて、船の学校に行けば、世界一周に行けるなと思ったんですね。というのも、船というのは自由の象徴というか、僕は大阪の天王寺とか東住吉あたりに住んでいたんですが、子供の頃から、この狭い中にずっといていいのかと自問自答してて。
鶴瓶 偉い子やなあ。俺、そんなこと考えんかったもん。ここで一生、生きていこうと思ってた。東住吉からよう出んかったからな。
北村 とにかくどこかに出たかったんです。外国でもいいし、船の学校でもいいし。だけど、映画に出たいという夢も小学校の頃からあったので、途中で「映画かな」と。
鶴瓶 でも「映画かな」と思っても、遠いやんか。俺らが住んでいたところからは、映画も遠いし、ドラマも遠い、テレビも遠い、全部遠いところからスタートやん。こういうところから、何年かかったかわからんけれど、映画もドラマもいろんなものに出てるやんか。すごいやんか。自分を褒めてあげなあかんで。
北村 いや、それは本当にそうで、調子に乗ってると言われるかもですけど、自分を褒めたいなと思いましたね。けっこうがんばりました。
数々の映画、ドラマなどでの出演をはじめ、「テルマエロマエ」での阿部寛との共演、「ガリレオ」シリーズでの福山雅治との共演など、話題作も多い。近年ではNHK朝ドラ「スカーレット」の父親役なども記憶に新しく、年々、幅広い役柄で活躍する人気俳優の一人となった北村だが、その時々の縁を大切にする姿勢は鶴瓶と同じ。今があるのは、1つひとつの作品に真剣に向き合ってきた結果だということがよくわかる。
鶴瓶 こうしてどんどん映画やドラマに出演できるのは、事務所の力というより、「北村一輝」として選ばれるんやろ?
北村 僕の場合、大きな事務所云々ではないので、先が決まらなくて、これまでの出演作をよく見てもらうと、ほとんど同じ監督のばかりなんですよ。1回やった監督とは絶対3回、4回、5回くらいやってるんです。それが毎回の勝負で、それが続くかどうかというのをやってきたのが今につながっているんです。昔の三池監督とのVシネマから、そこから10本くらいやるようになって。
鶴瓶 三池さんもそこから出世していってな。すごいな。
北村 そういう感じで、今のテレビドラマもそうですけど、ディレクター、プロデューサーも同じ人たちなので、だから、“何気に”すごく狭いんです。
鶴瓶 俺らでもそうよ。同じ人からずっと言ってもらえるというのは。でも、そのオファーがあるということが大事なんですよ。
北村 そうなんです。ありがたいです。
鶴瓶 すごく大事やで。山田洋次監督に声かけてもらえるか?
北村 ええ、いいですね。山田洋次監督、僕はないですよ。え……、自慢ですか?
鶴瓶 自慢じゃない(苦笑)。でも何遍でも言うてもらえるしな。相手、吉永小百合さんやで。
北村 吉永小百合さんですか。
鶴瓶 吉永小百合さんや。
北村 へえ……、自慢ですか?
鶴瓶 吉永小百合さんからの花が独演会にあるねんで。これは自慢や(笑)。
2人が間違われる有名人
そして、話はプライベートでのエピソードへ。ビジュアルのせいか、近寄りがたく思われがちな北村だが、実はとても気さく。「普段、新幹線や街でも話しかけられると、すごくしゃべるんですよ。でも、イメージではそうではないみたいで、だから、しゃべるだけで『すごくいい人!』って言われるんですよ。写真も一緒に撮ったりすると、『すごくいい人!』と言われるんです」と北村は笑う。
鶴瓶も続けて、「俺も断らへん。でも、相手はどんどんどんどん調子乗ってきはって、知らんおっさんに『LINEやってないの?』って(笑)。やってるか! やってても教えんわ! 今日会った定食屋のおっさんに!」と苦笑。
そこから2人は、「大阪人の気質」について話し始める。
北村 大阪の人って、距離が近いじゃないですか。「すごくファンなんです」って言われて握手して、「ありがとうございます」と言いつつ、話が長くなりそうだったので「あ、これから仕事なんです」と断ろうとしていると、次に来た人に、その人が、「今、北村さんは仕事で来てはるねん。今、写真あかん、写真あかん」と、こっち側に付いて言うの。
鶴瓶 ワハハ。
北村 あれは大阪の人の、なんなんでしょうね(苦笑)。
鶴瓶 わかるわ!ほんまに。俺なんかすごいよ。近鉄電車から降りた途端、俺を見つけたオッサンが、「サインもらおか!」って指差してくるねんで。え?って思ってたら、「書くもんあるか!」「あります」、「マジックあるか!」「あります」って、全部俺が出してる(笑)。すごいやろ。関西って。
北村 すごいですよね(笑)。
鶴瓶 こういう人もいたよ。握手しながら、「(うれしくて)死んでもいい、死んでもいい」って言うてはって、そしたら、しばらくしてずっと着いてきはるねん。何かと思ったら、「鶴瓶ちゃんが死んでいいという意味じゃないですからね」と。わかってるやんか、そんなの(笑)。なんでそんなんやねん。
北村 (笑)。
鶴瓶 誰かと間違われることってある?
北村 沢村一樹さんに名前が似てるから、「沢村さん」と言われたら、沢村さんの真似しておきます(笑)。先輩だし、否定するのも失礼なんで。
鶴瓶 俺なんか、長年、(桂)文珍さんって言われてたな。1回墓参りするのに1時間くらいそのタクシーに乗ったら、お金払うときに振り返って「文珍さんですよね」と言われたから、「そうです」って言って降りた(笑)。
北村 あ、1人、います。日活撮影所にタクシーで行かなくてはいけなくて、「日活撮影所前まで」と言ったら、「仕事ですか? 今日は1人なんですか? あれ、人形は?」って。「え、人形……。今日はないですね」って。ああ、きっと、いっこく堂さんだと。
鶴瓶 わははは!
北村 「今日は1人ですね」と言ったら、「あれはどういうふうにされるんですか」と言うから、「あれは、練習ですよね」と。
鶴瓶 え! いっこく堂になりきるの!?
北村 日活までずっとですよ。
鶴瓶 やったらええやん。腹話術を。
北村 最後にやりました。降りるときに「(腹話術風に)ありがとうございます」って。でも声が出ないから、1人で口動かすだけになった(笑)。
鶴瓶 やんの? やんの? それはめちゃめちゃええ人やな。
北村 最後までやり通しました。
鶴瓶 大阪市東住吉区に生まれた甲斐があるわ! ものすごくサービス精神旺盛だけど、でもその顔だから絶対にサービス精神旺盛には見えないわな(笑)。
北村 そうなんですよ。損なのか得なのか。
鶴瓶 損得関係なく、長くやってると、愛されなあかんからね。どうやられても、向こうに好いてもらう方法を考えるべきやと思う。媚び売れということじゃないよ。好かれるとすごく楽やもん。
北村 そうですよね。
鶴瓶 自分で言うのもなんやけど、めちゃ好かれてるで、俺(笑)。
50歳を過ぎて新しいことに挑む
話は尽きず、続いて舞台の話へ。これまで蜷川幸雄、岩松了、ケラリーノ・サンドロヴィッチ、赤堀雅秋ら、錚々たる演出家たちの作品に出演している北村だが、「舞台はあまり好きではない」と言う。その理由を鶴瓶が訊くと、「緊張するんです」と意外な一言が返ってくる。
北村 僕、映画が好きでこの世界に入っているので、映画は「ワンシーンにみんなの力で総合芸術だ」という育ち方をしているんですよね。舞台の方(かた)は、「舞台の上は俳優のものだから、自由に」という考え方なんです。でも僕は1日終わると毎日反省に入ってしまうんですよ。こうすればよかった、こうすればよかった、こうすればよかったって。だから稽古のたびに円形のハゲが3、4個できるんです。
鶴瓶 え、そんな神経なの?
北村 どの舞台も誰よりも早く会場に入って、セリフを2、3回やらないとできない。普段の映画もそうなんです。まるまる1冊覚えてからじゃないと絶対入らないというか。
鶴瓶 え!!
北村 そういうやり方になってしまっているので。
鶴瓶 俺らも舞台というか、自分の独演会は、1人でずっとやって2時間くらいしゃべるんやで。でも舞台は楽しいんです。だからちゃんとネタも入れるし、覚えるんやけど、でも逆に映画は自分のところしか見いひんから、全体はわかっていない(笑)。
北村 でも、鶴瓶さんの芝居はすごいなと思う。
鶴瓶 え? もっと言って。
北村 お芝居って、たぶん、僕も答えはわからないけれど、結局、人間性になっていくんですね。究極は。人間がすごい方は、顔にも出ますし、本当に説得力がある。それを踏まえてこれは真似できないなと思う。
鶴瓶自身、落語を始めてから、より、「舞台はナマモノ」であるということを実感していると話す。鶴瓶が落語を本格的に取り組み始めたのは52歳のとき。ちょうど今の北村一輝と同じ歳の頃で、「やり始めてよかったと思う」と鶴瓶が話すと、「僕も50歳過ぎて新しいことをすごくやりたくて、始めようとしています」と北村が答える。すかさず「それ、絶対大事や」と鶴瓶は言葉に力を込める。
北村 40代のときに頭で考えて動けなくなっていた自分がいたんです。でも、若いときみたいに、無我夢中というわけじゃないけど、とにかく数をやろうと思って、そのうち見つかるだろうなと思ってるんです。
鶴瓶 今、何やってるの?
北村 もの、つくってます。つくっていきます。
鶴瓶 自分でやるわけやろ? 脚本は?
北村 はい。昔から書いてるんですよ。今までやったもので大阪のものだったら、「波紋」とか「猫侍」などは本打ち(脚本の打ち合わせ)から入ってやっています。というのも、映画やドラマの業界ってスタッフの皆さん、結構大変なんですよ。人も集まらないし、労力のわりにサラリーも大変で、そういうシステムをどうにか変えていかないとと思っているんです。僕ら表に出る人は、その人たちよりは多少いただいているので、僕たちに何ができるかというと、その人たちにちゃんと回るようなシステムを作っていって、自分たちが出て、みんなが平等になるようなことになればいいなと思ってるんです。
鶴瓶 ほんまにね、周りでやっている人たちの収入が上がっていかないと。
北村 世の中全体そうですけど、殺伐としていくと悪い空気が流れたり、人のいろんなところが気になったりする。そういうことではなく、もっと楽しくいきたいなと思うんです。
鶴瓶 これからつくるなら、そこに参加したらみんなが楽しなるというか、そういうことやな。
北村 そのために。
鶴瓶 楽しなるというのは、基本的にお金のことだけじゃないけど、お金をちゃんとしてあげないと。
北村 僕ら、ドラマ1本撮るのに2週間くらい時間を費やしますから、それで朝から晩までなので、若い俳優やスタッフはそれだけではとても生活できないんです。それで、50過ぎて、最後、何十年と考えて、自分は何をしたいんだろうと考えたときに、ちゃんと、恐れずに、自分のやりたいことに真っ当に向かってチャレンジしたいと思ったんです。
北村一輝の学ラン姿に鶴瓶「唐突やねん!」
北村のその熱い想いに頷く鶴瓶は、「押されることもあるのよ。押されてこうなる、と。この無学がそうですよ」と続ける。
この「無学」は、もともと六代目笑福亭松鶴の家を、師匠の死後、師匠の娘に買ってほしいと頼まれ、鶴瓶が買い取った場所。それをどう活用するかと考え、人を呼べる寄席小屋に改装したのだ。「その結果がよかった」と鶴瓶。1999年から毎月、さまざまなジャンルのゲストを呼んでフリートークを行う「無学の会」をスタートし、今年で23年となる。
「何もやってなかったら、来てくれないやろ?」と鶴瓶。場所を作ったことで、こうしてゲストを呼ぶことができるし、長くやり続けてきたからこそ、今年、また新しい挑戦として「無学」からの配信番組が生まれた。これまでのゲストを見てみても、落語家、芸人、俳優、音楽家と、ジャンルを超えてエンタテインメントの豊かさを伝えていこうとする鶴瓶ならではの人選にもなっている。
何をするにも、始めてみること、そして続けていくこと。それは、キャリアを重ねてきた上で、これから映画やドラマの世界で新しい挑戦を始めようとする北村一樹へのエールのようにも思えた。
「すごい会ですね」
ふと、我に返ったように北村が言うと、「この会に参加したみんなが、笑いながら帰るわけや。それが幸せや」と鶴瓶。
思えば、すでに約1時間半、真ん中のサンパチマイクを挟んで、2人でずっとしゃべっていた。
「最初、『しゃべるのが苦手や』とか言ってたけど」と北村を見て、「こんなにしゃべれる漫才師おらへんで」と鶴瓶は笑った。
そういえばステージでしゃべり続けた北村一輝は、なぜか学ラン姿だった。最初、出てきたときに鶴瓶はチラリとその姿を確認し、「それはそれでええねんけど」と含み笑いしつつも、その姿には何も触れないままでいた。北村としては、「せっかく鶴瓶さんに呼んでもらったから、こういうときこそ遊べるんじゃないか」とわざわざ前日にテレビ局の衣装部から借りてきたのだと最後に告白。
「ウケるかなと思ったら、鶴瓶さんもそうだけど、会場の皆さんもだーれもリアクションしない。所詮こんなもんですよ」と拗ねる北村に、「唐突やねん!」と鶴瓶の声が響き、会場が大きく笑いに包まれた。
「無学 鶴の間」8回目、2022年最後のゲストは、記憶に残る俳優として、数々の映画、ドラマで活躍しながら、この先の映画、ドラマ界の未来を見据え、今の自分ができることへの新しい挑戦を続けていく、北村一輝──。
プロフィール
笑福亭鶴瓶(ショウフクテイツルベ)
1951年12月23日生まれ。大阪府出身。1972年、6代目笑福亭松鶴のもとに入門。以降、テレビバラエティ、ドラマ、映画、ラジオ、落語などで長年にわたって活躍している。大阪・帝塚山の寄席小屋「無学」で、秘密のゲストを招いて行う「帝塚山 無学の会」を20年以上にわたって開催してきた。
北村一輝(キタムラカズキ)
1969年大阪府生まれ。1990年にデビューし、99年「皆月」「日本黒社会 LEY LINES」で、キネマ旬報新人男優賞をはじめ、数々の賞を受賞。以降、数多くの映画、ドラマ、舞台で活躍を続けている。