笑福亭鶴瓶の「無学 鶴の間」|鶴瓶がシークレットゲストと共に送る生配信番組を徹底レポート。第23回ゲストは石原良純。 (8/24)

「無学 鶴の間」第7回レポート

笑福亭鶴瓶×キダ・タロー(2022年11月5日配信)

観客の間をゆっくりと歩いてキダ・タロー登場

鶴瓶が舞台に1人、「今日は師匠の月命日で」と、この日の配信前に起きた出来事を話している。その舞台奥にいかにも座り心地のよさそうな椅子が2つ。いつもはマイク1本を挟んで、鶴瓶とゲストが立って話す漫才スタイルだが、今日のゲストとは座ってゆっくりと語り合うのかと憶測するも、まだこのときは誰がゲストか観客は知らない。

「今日は準備が必要なんです」と鶴瓶。通常は2階にある楽屋から階段を降りて舞台に上がってもらうが、「今回は正面から入ってきます」と観客に向かって真ん中を開けてくれるように席の移動をお願いする。

「そこを十戒みたいにして開けるんですよ。十戒みたいな人ですからね。モーゼと呼ばれています。それでは紹介いたします、大阪のモーゼ、キダ・タローさんです」

思いがけない大御所の名前に驚きの声と大きな拍手が送られる中、観客の間をゆっくりと歩いてくるキダ・タロー。今年91歳という年齢もあってか、気遣いながらキダを舞台へと促す鶴瓶だが、キダは舞台に立つやいなや、「長いわ、話」と、鶴瓶に一言物申す。

笑福亭鶴瓶

笑福亭鶴瓶

キダ・タロー

キダ・タロー

「長いて。10分ですよ、私」と苦笑するも、「10分経ったら、おしっこ行かなあかんねん」とキダ。その変わらないやりとりに鶴瓶がうれしそうに笑う。

「お久しぶりですよね」と鶴瓶が言うと、キダは「飛行機で会ったとき以来かな」と応える。


キダ 伊丹から東京に行く飛行機に乗って、私、窓際の席だったんですよ。その飛行機はほぼ満席で、出発でドア閉まりかけに「あ、鶴瓶さんや、鶴瓶さんや」って周囲のお客さんが言うんですよ。その瞬間、もうこいつの負けですわ。

鶴瓶 ワハハ。

キダ 私は鶴瓶が来るのを知っている。彼は俺がそこに座っているのを知らない。まずこういうシチュエーションがあるわけですね。私も、ひょっとして隣に座りよるんじゃないかという悪い予感がしたんですよ。それで外の景色を見てましたら、隣に来て、私に気づきよったんですよ。

鶴瓶 (笑)。そう! 偶然、先生が隣だった。

「無学 鶴の間」

「無学 鶴の間」

キダ でも私が気づかへんと思ってるわけですね。それでなんとか気づかそうと思ったんでしょう。私の隣にコートをドカンと置いたんです。それでも知らん顔してたら、焦れたんでしょうね。コートを持ったまま、ドン!と座ったわけです。普通はそこで隣を見るところを、それも無視して機内誌を出して広げて知らん顔していたんですよ。そしたら、このおっさんね、メガネ取って、機内誌の上に放ったんですよ。

鶴瓶 ワハハ!

キダ それで、私、機内誌に乗ったメガネを取って、バーンと投げ返した!

鶴瓶 ワハハ!

キダ あれ、「エピソードNo.1」やな。

鶴瓶 なんのことやねん! 「エピソードNo.1」ちゃうわ。エピソードいっぱいありますよ。先生に殺されかけたこともある!

キダ それは「エピソードSpecial」。

憎まれ口を叩き合う仲

鶴瓶が「殺されかけた」というキダ曰く「エピソードSpecial」は、25年前に遡る。キダ・タローのラジオ番組「フレッシュ9時半!キダ・タローです」(ABCラジオ)に鶴瓶が出演して以来、喧嘩腰のやりとりが通例となり、「キダタローのアホ!」「鶴瓶のアホ!」と憎まれ口を叩き合う仲となった2人。ある日、鶴瓶が朝日放送に入るために歩いていると、上から花瓶が落ちてきたというのだ。


キダ クリスタルのね。8キロぐらいあった。

鶴瓶 (観客に向かって)ほんまやで! ドーンと落ちてきた。先生が窓から覗きはったんですよ。そのとき、「窓際にあった花瓶が落ちたんですよ」……と、先生は言ってたんですよ。あれ、真相聞いてないけどやな。

キダ あれはね、まったくあなたが通るのを知らなかった。たまたま朝日放送3階の制作室から外を見てたら、「あ、鶴瓶や」と思って、あ、こっち来るわと思ったら、こっち来よったんですよ。ちょうど真下になったから、「鶴瓶のアホー!」って3回ぐらい呼んだんです。でも気がつけへん。

鶴瓶 全然聞こえんかったんですよ。

キダ 私も焦れたんですよ。それで花瓶が手元にあったから掴んでね、バーンって。

鶴瓶 え!? そんなん聞いてないやん! そのときは「滑って落ちた」みたいに言うてたやん!

キダ いや、当てようとは思ってへんがな。

鶴瓶 当たったらどうするねん!

キダ (鶴瓶に当たらないように)前に投げたんやん、ビックリさそう思って。そしたら頭に向かって落ちていったから、さすがの俺もな、「あ、死ぬ」と思ったんや。それで慌ててエレベーターに走って行ったら扉がスーッと開いて、こいつが花瓶抱いてニコって笑ってた(笑)。あのときはほんまホッとしたわ。

キダ・タロー

キダ・タロー

鶴瓶 ほんま殺す気やん! あれ、何年前よ。たいがいにしなはれよ。

キダ 25年くらい前や。そやからもう刑務所から出てきてるわ。

鶴瓶 でも俺は訴えて最後の最後まで裁判しますよ。

キダ せやけどあれはな、故意と違うから、過失やから。

鶴瓶 故意やんか!

キダ それは俺が白状したらそうやけど、ええ弁護士つけてやなぁ、「手がたまたま当たった」って言えばいい。

鶴瓶 そんなの嘘だってわかるわかる。

キダ 買収して。

鶴瓶 ひどい人やな、もう。常識もなんもない人ですね(笑)。

キダ だから刑務所入っても6年やと思うねん。

鶴瓶 ワハハ、ようそんなこと言うなあ!

左からキダ・タロー、笑福亭鶴瓶。

左からキダ・タロー、笑福亭鶴瓶。

鶴瓶の想像以上に元気な91歳

「座ってゆっくり語り合う」どころか、次々に展開していくトークの運びに、観客からは笑いが絶えない。話は交流があった美空ひばりや河島英五とのエピソードが続き、最近のテレビ番組についてもキダの歯に衣着せぬ物言いが炸裂。鶴瓶は苦笑しながらも、「長いこと全然変わってませんなあ。ええ歳したら、ちょっと折れるとか、緩和してしまうとか、そういうのないんですか?」と問いかけると、「めっちゃ緩和してる」とキダ。「え、してるの?」と驚く鶴瓶に、「緩和してるけど、こういうところでバーン行くんや。日頃心安い尊敬している人の前では思い切って言うてしまうんや」と言葉を漏らす。

「聞きました? ちょいちょいこういうことを入れてくれはるから殴らんで済むんですけど」と笑う鶴瓶。長年の信頼感とも言える関係性が見て取れる瞬間だった。


鶴瓶 全然変わりないから僕も安心したけれど、今回、先生に出てほしいと思ったときに、お歳を訊いたら91歳というので、あ、そうか、大丈夫か、と。段差がある、階段には手すりもない、(楽屋のある)2階から降りてきて、ゴロンゴロンと落ちてここで死なれても困る、と思ったんやけども、俺の想像以上に元気やったわ(笑)。

キダ 今日もここに来て早々からそういう気遣いをしてもらって鶴瓶らしいなと思って感激してたけど、大きいシュークリームの箱があってな。俺、シュークリーム大好きやねん、知ってる?

鶴瓶 だから買うてきましたやんか。

キダ それで「食べまへんか?」って一番最初に言うたやろ?

鶴瓶 はい。

キダ それ失礼やと思わへん? 年寄りが段差に苦労してここまで来てるのに、「食いまへんか」って。食えるか! 打ち合わせに来ていきなりシュークリーム食えるんか!

鶴瓶 シュークリーム好きなの知ってるからわざわざ買うてきたんや!

キダ こんな板の前に置いてあるの、取って食うんか!

鶴瓶 みんな車座になって食べてるねん、ここは。その足で2階の楽屋に上がられへんがな。2階に上がって、シュークリーム食べたら転げ落ちるやろ!

左からキダ・タロー、笑福亭鶴瓶。

左からキダ・タロー、笑福亭鶴瓶。

キダ ワハハ!

鶴瓶 何笑っとんねん(笑)。

キダ あなたはね、優しい人やから、年寄りが来るから気遣ったんやろうと思うけれど、もうちょっと深く考えてもらった方がええねん。段差は、見て、明らかに段差と分かる場合は段差と言わんの。階段と明らかにわかる場合は階段じゃないの。年寄りにとっては。

鶴瓶 向こうから来たら、そこに段差があるというのが見えるか!?

キダ 見える。怖いのは知らんとあった段差。その場合は2ミリでも3ミリでも危険。それを、明らかに見てわかる一尺も二尺もある段差に、「段差ですよ、気をつけてくださいよ」と言われてもな。

鶴瓶 だから! これ、見て!(と自分が現場で階段で転んで怪我した傷跡を見せて)段差でこうなったんやん。

キダ それは不注意や。

己の本当の姿を知るのには70年かかる

鶴瓶の気遣いを嬉しいと内心思いながらも、飄々と毒舌を吐くキダと、その言葉に苦虫を潰したような顔の鶴瓶に会場からは爆笑が起こる。続いて六代目笑福亭松鶴師匠の話へ。


キダ 俺、大好きやもん、六代目。

鶴瓶 うちの師匠と先生の番組に呼んでいただいて、僕は付いて行ったことあります。「六代目元気ですか?」と訊かれて、生放送なのに、「キンタマにピップエレキバン貼ってがんばってま!」って言わはった(笑)。

キダ 松鶴さんはあの年代の落語家の方で一番好きやったなぁ。

鶴瓶 ありがとうございます。

キダ 六代目とは家が近かったんですよ。

鶴瓶 御崎ですよね。それはこの家のあとです。僕らここで弟子入りして、そのあと、御崎に移ったんですよ。お茶屋の跡を買うて。

キダ 落合監督?

鶴瓶 落合監督? お茶屋! お茶屋!

キダ 落語家やから滑舌はっきり言うてもらわんと。落合監督とどこで会うたんやと思ったわ。

鶴瓶 よう考えてみ。話の脈絡がおかしいわ。わかるやろ? お茶屋を買うたんや! あの辺、お茶屋の跡地や。こっちが滑舌悪いかもしれんけど、そっちは耳おかしいんじゃ!

キダ (笑)。

鶴瓶 何笑ってんねん!

キダ なんでも人のせいにするのは変わらんな。

鶴瓶 そっちが絡んでくるからこんなんなってんのや! 俺もね、久しぶりに会ったからこんな声を荒らげないようにと思ったけれども、そっちがそういうつもりなら俺もそう行こかと思って。最初は丁寧に話してましたでしょう!

笑福亭鶴瓶

笑福亭鶴瓶

鶴瓶が何か言えば、すぐ揚げ足をとるキダ。その言い草にどんどんエキサイトしていく鶴瓶にキダがニンマリと笑う。それを見て、「全然昔と変わってないわ! お元気で安心したと同時に、ほんまにもう……」と無言になる鶴瓶。「今日俺、寝られへんわ」と悔しそうな顔。

そんなやりとりを続けながらも、キダも鶴瓶との時間を楽しみにしていたのだろう。この日のために準備してきた言葉があるという。

「あのな、『人間は己を知らなあかん』てよう言うやん。でも知らんもんやで。俺な、職業、作曲家やねん。ピアニストやん。だけどこのピアニストがものにならんのとわかったの、こないだやで」

18歳からキャバレーでピアノを弾き始めたのが、キダの音楽家としてのキャリアのスタートだった。キャバレーで毎朝10時間以上練習を続け、ピアニストとして活動し、30歳頃からは曲を書き始める。その後、数多くの楽曲を生み出すが、自分にピアニストとしての才能はなかったと確信したのは、ずっとあと、70歳のときだという。「人間というのは己の本当の姿を知るのには70年もかかるんやで」とキダは説く。

鶴瓶は続ける。

「それはわかる。いい加減なわかり方じゃないですよ。今、落語やっててもそうですよ。遅くから落語しましたからね、僕は」

左からキダ・タロー、笑福亭鶴瓶。

左からキダ・タロー、笑福亭鶴瓶。

キダ いつ気づいたん?

鶴瓶 今日も気づいてますよ。気づいてますけど、これ戻られへんがな。だからやらなしょうがない。

キダ そうやろ、戻られへんねん。でも作曲とピアノは別やねん。だからピアノはダメになっても作曲があるねん。だから俺の場合は救いがあるねん。あんたはないやん。

鶴瓶 ……。おい! 俺はないんかい!

キダ どこへ救いを求めてんねん。

鶴瓶 それは……、それは……、これから見出していくわ!

思い出がよみがえる代表作メドレー

このタイミングで、鶴瓶はキダ・タローの代表作をメドレーにして観客に向けて紹介していく。

「プロポーズ大作戦」「ラブアタック!」「笑って笑って30分!(コメディNo.1)」「花の新婚!カンピューター作戦」、鶴瓶も出ていたという「2時のワイドショー」や、笑福亭仁鶴の「四角い仁鶴がまぁ~るくおさめまっせ」の言葉が重なる「バラエティ生活笑百科」と、さまざまな番組のテーマ曲が当時の思い出とともに甦る。今も口ずさめるユーモア溢れるメロディ、それでいて今聴くとより新鮮に聴こえてくるブラスバンドのアレンジに心躍る。

左からキダ・タロー、笑福亭鶴瓶。

左からキダ・タロー、笑福亭鶴瓶。

続いて「有馬兵衛向陽閣」「日清出前一丁」「日清焼きそば グライダー編」「アサヒペン」「小山ゆうえんち(おやま!あれま!)」「日本海みそ」「かに道楽」などCM曲が流れる。こうして聴いてみると、数々の懐かしいメロディが私たちの中に生きているとあらためて知るのだ。

しかしこれだけたくさんの曲を作ると、どうしてもメロディが似てしまうとキダ。そんなときの作曲家としての工夫や「アホの坂田」の楽曲制作エピソードが続く。

「昔、進駐軍専用のキャバレーがあって、そこでピアノを弾いていたんですよ。たまたまお客さんがメキシコの兵隊たちばかりで、私がピアノ弾いていたら、彼らがピアノを取り囲んでメロディを口ずさんできたんですよ。それを弾いたらホール中が盛り上がって、それをバンドで演ったら盛り上がる盛り上がる。それ『メキシカンハットダンス』という郷愁溢れる曲やねん。それがすごく頭に残っていた」

そのあとに曲の依頼が来たとき、「メキシカンハットダンス」から構想を得て書いたのが「アホの坂田」だったという。

「まだまだ現役でやってもらいたいと思うけれど、やめる気ないでしょう?」と鶴瓶が言うと、「依頼がある限り、死ぬまで曲は作るつもりだ」と頷く。

そして再び、六代目笑福亭松鶴の話へ。

稽古つけてもらうっていうのは一体なんやろな

キダ 「相撲場風景」なんかすごかったなぁ。六代目の十八番。笑い待ちやで。

鶴瓶 笑いが収まるまでずっと待って、次、行くっていう。

キダ あの人、顔に味があったやろう。あなたも味あるけど、松鶴師匠も独特の味わいを持ってはった。あの顔でしゃべりはるから余計オモロいねん。

鶴瓶 それはわかって俺は弟子入りしてますからね。先生にそんなん言うてもらったら、うちの師匠に代わってお礼言わせていただきます。ありがとうございます。

キダ 別に代わってもらわんでもええけど。

鶴瓶 いてないやん! もう死んでるやん!

キダ 弟子から言われたくないわ。本人から言うてほしいわ。

鶴瓶 今日、月命日ですよ。次の月命日のときに言っときますわ。

キダ まだ印象残ってるもん。「相撲場風景」は。俺が聞いた落語の中で、あなた以外のもので、最高やったで。

キダ・タロー

キダ・タロー

その言葉に静かに微笑む鶴瓶。キダは鶴瓶の弟子の1人である銀瓶とも交流を持っており、落語を見続けてくれているという。「着々とやっていて、こないだ落語聞いたけど、なかなかのもんやった」とキダ。

「ありがとうございます。あいつら、俺が落語しないときに入ってますからね。だから落語家としては入ってきていないんですよ」と鶴瓶。しかし約20年前、鶴瓶が落語に本格的に取り組み始めると、その姿を見て弟子たちも落語に真剣に取り組むようになっていった。「だけどそんなもんなんですよ。そばにいてたら。うちの師匠が言うてたんですよ。その生き様が芸に出るからって」


キダ 師匠と弟子というものはそういうもんやと思う。

鶴瓶 何も稽古つけてもらわんでも自然とそうなっていくというか。

キダ 稽古つけてもらうだけなら、よそのお師匠さんでもできるからね。

鶴瓶 そうそう。でも稽古つけてもらうっていうのは一体なんやろなと、この頃思うんですよ。僕、師匠に稽古つけてもらったことないから。その人のやり方でずっとやって口上したらその人でええやんっていう話ですからね。僕、自分が1つの落語をするときには、全部自分で変えていくというか、行儀悪くならないように変えていくんです。だからいつまで経っても納得いきませんけどね。ものすごくいい話でしょう、これ。

左からキダ・タロー、笑福亭鶴瓶。

左からキダ・タロー、笑福亭鶴瓶。

キダの様子を伺いながら、鶴瓶がそう言うと、「ちょっとチャチャ入れとうなるけど辛抱しときます」と真顔でじっと鶴瓶を見入るキダ。「俺、人が真面目な話しているときにチャチャ入れる癖があるんです」というその言い草に、鶴瓶は「なんでその歳で!」とつぶやき、大きくワハハと笑った。若い頃から時間をともにした、キダ・タローと今、話している。その独特の面白さを最後の最後まで噛み締めている、そんな時間だった。

「無学 鶴の間」7回目のゲストは、これまでも多くの人たちが口ずさめる遊び心ある曲を数多く作り、91歳を迎えた今も、生涯現役で曲を作り続けたいと音楽活動を続ける、「浪花のモーツァルト」、キダ・タロー──。

左からキダ・タロー、笑福亭鶴瓶。

左からキダ・タロー、笑福亭鶴瓶。

キダ・タロー

キダ・タロー

第7回(2022年11月5日配信)
笑福亭鶴瓶×キダ・タロー

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プロフィール

笑福亭鶴瓶(ショウフクテイツルベ)

1951年12月23日生まれ。大阪府出身。1972年、6代目笑福亭松鶴のもとに入門。以降、テレビバラエティ、ドラマ、映画、ラジオ、落語などで長年にわたって活躍している。大阪・帝塚山の寄席小屋「無学」で、秘密のゲストを招いて行う「帝塚山 無学の会」を20年以上にわたって開催してきた。

キダ・タロー

1930年、兵庫県生まれの91歳。関西学院大学を中退後、「義則忠夫とキャスバオーケストラ」のピアニストとして活動。その後、作曲を開始し、数多くの楽曲を手掛ける。作曲数は自称5000曲。人呼んで「浪花のモーツァルト」。

2024年4月22日更新