笑福亭鶴瓶の「無学 鶴の間」|鶴瓶がシークレットゲストと共に送る配信番組を徹底レポート。第26回ゲストは浜村淳。 (23/27)

「無学 鶴の間」第21回レポート

笑福亭鶴瓶×桂宮治(2024年2月5日配信)

「素晴らしい師匠」三代目桂伸治の衝撃

会場となる「無学」は、鶴瓶の師、六代目笑福亭松鶴の邸跡を、松鶴亡きあとに鶴瓶が買い取り、寄席小屋にした場所。以来24年以上続く「無学の会」、そして、2022年に始まった生配信番組「無学 鶴の間」で、今、鶴瓶は毎月2回、自身が落語家として修行したこの場所で、さまざまなゲストを呼んでトークライブを行なっている。

「2021年に『無学の会』にも出ていただいたのが、今日のゲストです」と鶴瓶が切り出す。そのときは、全国的にはまだあまり知られている存在ではなかったが、「俺がオモロいと思って呼んだんです。だけど、それから『笑点』の新メンバーにもなって、こないだも『情熱大陸』にも出ましたからね。あのときからずいぶん飛躍をして、世間的にも有名になった」と鶴瓶。

笑福亭鶴瓶

笑福亭鶴瓶

その紹介にすでにピンときた観客もいたようだった。呼び込まれ、ニコニコ顔で登場したのは落語家・桂宮治。観客が大きな拍手で迎え入れ、会場からは「やったー!」との声も聞こえる。

「え、サクラじゃないですか? 一回言ったら1000円もらえるとかじゃないですか」とツッコむ宮治。別の観客からは「2回目です!」との声。

誰がゲストかはそのときまで伏せられている「無学」でのトークライブ。しかもチケット自体、抽選で競争率も激しいというのに、当たったどちらの会のゲストも桂宮治だという巡り合わせに、宮治も驚き、「え! 3年前に!? え! ほかの人見たいのに、また!? ってなりますよね。すみません!!!」とワハハハと自嘲する。

その大きな笑い声が会場に響くと、パッと会場が明るくなる。なんとも華のある落語家だと、そう思う。


鶴瓶 ここの師匠は、俺、大好きで。素晴らしい師匠やね。

宮治 三代目桂伸治。誰も知らないっていうね(笑)。今、春風亭昇太師匠が会長やっている落語芸術協会の協会員なんですけど、本当に寄席しか出てないという人でね。僕は初めて舞台を観たときに、「この人だ!」と思って入ったんです。それまではまったく落語を知らずに、30歳のとき、初めてYouTubeで桂枝雀師匠の落語を聴いて、衝撃を受けて、結婚式の日に会社辞めて。

鶴瓶 そのまま。

宮治 謝辞で、「会社辞めまーす!」って(笑)。

鶴瓶 そのときはこの師匠にって決めてたの?

宮治 うちの師匠のことはまだ発見してないです。

鶴瓶 発見て、おい!(笑)

宮治 ただただ、落語家になりたいというのをかみさんと決めて、もう仕事辞めちゃえ!って。

鶴瓶 かみさんも、やりたいことやったらええやんかって?

宮治 貧乏でもそっちのほうが楽しいだろうって。

鶴瓶 あ、すごいよな。

左から桂宮治、笑福亭鶴瓶。

左から桂宮治、笑福亭鶴瓶。

宮治 その後、うちの師匠に出会ったんですけど、先輩方が「宮治はなんで伸治師匠がいい人だっていうのをわかったんだ」って言われるぐらい、いい人なんです。

鶴瓶 めっちゃいい人ですよ。歳は俺より1つ下かな。すごく素敵な人で。

宮治 僕の真打の披露目で、鶴瓶師匠にもゲストに来ていただいて。

鶴瓶 そのとき、初めてお会いしたんです。舞台も見て、めっちゃオモロいよな。

宮治 なんで売れないんですかねえ! ワハハハハ!


落語家になるには、まず弟子入りをするしかない。会社を辞めて半年間、都内の寄席に通い続け、自分が弟子になりたいと思う噺家は誰なのかと探している中で出会ったのが、国立演芸場の舞台に出ていた三代目桂伸治だった。宮治はそのときのことを、「下手袖から出てきたのを見て、体に衝撃が走った」と語っている。

三代目桂伸治門下に入ったのは、宮治、31歳のとき。落語家としては遅すぎるスタートだった。

「いつ食えるようになったの?」と鶴瓶が訊くと、「4年間の前座修行は本当に貧乏でした」と宮治。しかも既婚者だった宮治は、修行時代に第一子を授かった。修行時代に金銭的余裕などはない。その大変さを知る鶴瓶もつい、「計画せいや、お前」と言ってしまうほど。しかし宮治、「妻が年上なんですよ。2個上なので、僕は31で入門して2年経つと向こうも35歳。本当はダメなんですけど、うちの師匠にお願いしたら、『ほかの師匠からは怒られるし、いろいろ言われるだろうけど、君たちがいいんだったらいいよ』と、うちの師匠が言ってくれたので。だから修行期間中なんですけど第一子を授かったんです」と、その事情を明かす。

その口調からは、伸治師匠の、弟子を大切な家族のように想う優しさと、宮治の師匠への感謝が滲み出ていて、鶴瓶もしみじみ「そうかそうか」と納得。

下積み中の子育ては大変

とはいえ、やはり貧乏時代の子育ては大変で、妻が働きに出ている間、友人から譲り受けた片方の車輪が回らないベビーカーで娘をあやしていた話や、長女に雛人形を買うにはどうしたらいいのかと夫婦で悩んでいた話など、「うわ! 悲しい思い出ばかり!」と当時を振り返る。

一方、鶴瓶も入門と同時に結婚を決め、子供を授かっている。「いや、俺らの時代もそうやったで」と共感を寄せるが、若い頃から売れっ子だった鶴瓶を知る宮治は、「いやいや、一応、聞きますよ」と怪訝そうな顔。


鶴瓶 大阪ってその時代はオーディション通ったら出演できるから、1年目からオーディション受けるやんか。全部通ったよ、俺。

宮治 天才の話だよ! おい! なんか悲しいお涙頂戴の話するかと思ったら!

鶴瓶 いや、金いるやんか。で、ま、安いやん、最初。

宮治 まあまあ、そうでしょうね。

鶴瓶 だから、なんぼか増えないとあかんから、1年目でレギュラー6本やって、ようやく食えたか食えないか、それぐらいやったもん。でも結婚してるから、それができたんよ。それは力やで。やっぱ子供もおるから。そうやで。

笑福亭鶴瓶

笑福亭鶴瓶

宮治 1年目から6本レギュラーって、オーディション受けに行くたびに全部受かったって……、え!? 皆さんは石投げたくならないですか! ワハハハ! 天才すぎるじゃないですか!

鶴瓶 いや、天才じゃないけど、ほんまそうやったよ。

宮治 かっこいいな。これ言っても嫌味にならないぐらい成功してるからなあ!

鶴瓶 成功してるからっていうか。フフフ。

宮治 笑っちゃってるじゃないですか! ウハハハハ!


鶴瓶自身、落語に本格的に取り組み始めたのは50を過ぎてからと、さらに遅い。宮治も鶴瓶の独演会に何度か足を運び、勉強させてもらったと話すが、「でも天才って基本なんでもできちゃうじゃないですか。赤坂ACTシアターのような大きなホールで、すごいセットで、50過ぎから落語を始めた人ができるところじゃないです、あれは!」と声を上げる。

「でも必死やったで。だから目つぶしみたいな落語会やんか」と鶴瓶。確かに、鶴瓶の独演会は、舞台演出、照明も凝っていて、ステージに高座があるだけの落語会とは一線を画す。しかし、と、宮治は力説するのだ。

「こういうこと言うと、セットや照明に助けられてるんだなと思う方がいるかもしれないけど、落語って、1人で右向いて左向いて一切動けないんですね。ということは、余計なチカチカがあったり、余計なキラキラがあったりすると、負けちゃうんですよ。そういったものに全部負けないだけの力があるということなんです」

「その日の一番になれ」という教え

そして話は、高座に上がるときの落語家の神経について続いた。


鶴瓶 お前もそうやろ。入ってから上がるまで、グーッと高めていく。

宮治 はい。袖から舞台に上がるまで、グッという感じ。

鶴瓶 俺も同じや。ギリギリまでどういくか考える。変な話、ぎょうさん噺家が出ていて、最後トリを取るときは、やっぱり前の人に食われたらあかんから、全部その場を俺の色に変えたろという思いで臨む。師匠もそう言ってはるやろ?

宮治 「その日の一番になれ」っていうのがうちの師匠の教えなんです。何人も出た中で、一番印象に残る、楽しんでもらえる落語をしなさい、その努力を続けていけば、必ず売れるからって。そう師匠に言ってもらっているんです。

鶴瓶 ああ、ええ師匠やないか。

宮治 はい。でも、うちの師匠、まだ結果出してないんで。

鶴瓶 やかまし!

宮治 ワハハハ! (観客に)ここ、もっと笑うとこだよ。ワハハハ! 師匠、愛してるよ! 冗談だよ!

左から桂宮治、笑福亭鶴瓶。

左から桂宮治、笑福亭鶴瓶。

鶴瓶 (笑)。いや、でも、あの人(伸治師匠)好きやという人、ぎょうさんいてるよ。

宮治 うちの師匠の悪口言ってる人、ほんとにいないですね。いたら、僕、ぶん殴りに行きますので。

鶴瓶 お前やんけ! 悪口言ってるの!

宮治 いや、僕たちはほら、ほんとの親子なんで。

鶴瓶 一番弟子なんやねんな、お前。ええの入ったな、一番弟子が。

宮治 はい、それ、うちの師匠がみんなに言ってくれる。「宮治が入って本当にうれしいんだ」って(笑)。

鶴瓶 俺んところの一番弟子は笑瓶や。俺より先に死んじゃったからな。絶対あかんで、師匠より先に死んだら。

宮治 いや、でも、こればっかりは。ねえ。

鶴瓶 そやな。(宮治をじっと見て)それはわからんな。フフフ。

宮治 生きる!

鶴瓶 生きる!て(笑)。でも、そういう意味ではもう縁やからね。

宮治 ほんと、ご縁なんですよね、師弟関係って。

「笑点」メンバーは仲間であり家族

さらには宮治がメンバーとなった「笑点」について話題が及んだ。

「『笑点』に選ばれるということは、向こう(東京)の噺家にとって、人生変わるやろ?」と鶴瓶。「そうですね、お仕事の質というか、量が劇的に変わりますね」と宮治。

すでに全国区の人気を誇る落語家で、多くのドラマで俳優としても出演してきた春風亭昇太が番組の司会となったことも大きかったが、そこに桂宮治が入り、さらには春風亭一之輔がメンバーに加わり、と、「笑点」は、今、世代交代しながら、新しい落語ファンを増やし続けていると言っても過言ではない。とはいえ、番組では大喜利がメインで、実際に彼らの落語を見られるわけではない。

「『笑点』は落語家がやってますけど、仕事としては落語とは方向性が違うんです」と宮治は続ける。それでも全国区のテレビで、改めて落語家の存在を知ってもらうこと、落語家の面白さを観てもらうことの大切さはひしひしと実感している。

左から桂宮治、笑福亭鶴瓶。

左から桂宮治、笑福亭鶴瓶。

宮治 「笑点」メンバーは、ファミリーというか、本当に仲間なんですよ。入ると、家族として扱ってくれるんです。それまではもう香盤という、序列が違いすぎて、ご挨拶するぐらいしかできないんですが。

鶴瓶 しゃべれない。

宮治 そうなんです。簡単にはしゃべりかけられないぐらいなんですけど、入ると「がんばってこう!」「この番組をずっと続けていくぞ!」、57年やってるんですけど「もっともっと100年、200年続けて行こう!」というふうになる。

鶴瓶 お前、最初、簡単に俺にしゃべりかけてたな。どこか、うちの弟子のところにゲスト来たときもそうやし。な。

宮治 …………。テレビで見たことあるおじさんだと思ってたから。ワハハハハ!!

鶴瓶 ウハハ。

宮治 いやいや、ほんとにそれぐらい心が広いというか、もう、だから、太平洋、海!ですよね。もう誰でも受けるぞ!って。

鶴瓶 お前、目死んでんねん!

宮治 もう、俺からなんでも、もうなんでもいいぞ、っていう、その優しさが出てるんですよ。


そう言って、鶴瓶の懐の深さを目撃したエピソードを語り始める宮治。さらに話は、上方落語家としての明石家さんまの話、さらに、東京・武蔵小山の戸越銀座が地元だという宮治の子供の頃の話へとつながっていった。

噺家としての素養を育てた下町の人間模様

鶴瓶 ええところで生まれたなあ。

宮治 下町というかね、その商店街だけが有名なんですけど。

鶴瓶 下町で生まれる噺家って、あんまりこの頃いてへんやんか。

宮治 そうですね。うちのおじいちゃんが新潟から武蔵小山の駅前でお肉屋さんを始めて、今、大開発しちゃっていますけど、当時は車が入れない小さな路地に飲み屋が何百軒もぐちゃって集まっている、その中央にお肉屋さんがあったんです。お金がない人たちがたくさんいて、うちのおじいちゃんは、そういう人たちにタダでコロッケとか配ってたんですよ。「お前ら、食べろ、金ないんだろ」つって。そういう人たちが全員でお金を出して、あのおじいちゃんの孫だからって、僕に本革のグローブを買ってくれたんです。

鶴瓶 ええ話やなあ、それ。

宮治 小学校1年生のとき、夜の10時過ぎに飲み屋街歩いてて、キャバレーの中に1人で入っていた記憶あります。

鶴瓶 え!

宮治 女の人が接客してるところ。僕、利之(としゆき)って言うんですけど、「としくん来た! としく~ん!」って(笑)。そういうところで生まれ育ったんです。

鶴瓶 嫌な子供やったやろなあ!(笑) ジロジロと見て(笑)。でもまあ、そういう環境のところで育ってるから、こんな落語家が生まれんねんなあ。


下町での人間模様は、宮治の噺家としての素養を育てたに違いなかった。しかし落語を聴いたこともなかった少年時代。ドリフターズが好きで、舞台役者になりたいという夢は持っていたが、元来の人見知りで、劇団に入るも舞台稽古に行きたくなくなり、役者の道は諦めた。しかし、それらの経験があったからこそ、今がある。「だから落語に出会えたこととうちの師匠に出会えたことが奇跡なんです」と衒いなく真っ直ぐと言えるのだ。

左から桂宮治、笑福亭鶴瓶。

左から桂宮治、笑福亭鶴瓶。

爆笑を呼ぶ「時そば」披露

テンション高く畳み掛けるしゃべり、明るく大きな笑い声、時々、悪い冗談なども飛び出し、「俺、大丈夫?」と、楽屋にいるマネージャーに声をかけるシーンもあった。観客を巻き込みながら話を展開していく宮治の生き生きとした話芸に、観客からはたびたび大きな笑いが起きた。そうでありながら、話の節々から伝わる師匠への愛情に、情深い人柄が窺え、この人の人情噺も聴いてみたいと思わせた。

鶴瓶が促し、舞台には高座の準備がなされる。あらためて、落語家・桂宮治が無学のステージに登場。美しいお辞儀のあと、「一席お付き合いを願っておきますが」と声を出した瞬間、江戸の空気が流れ、観客はグッと引き込まれた。

噺は「時そば」。

最初の男が、蕎麦屋でスマートに店主を褒めながら食すシーンも見事ならば、勘定を誤魔化す姿もなんともリズミカル。そして、その男を見て、自分でも真似してみようと屋台の蕎麦屋を呼びかけるもう一人の男。しかもその蕎麦屋、「はずれや」という名の通り、器も割り箸も出汁も蕎麦もことごとくハズレ。板状で固く、あまりにも不味い蕎麦を、奇声を発し、涙を流し、格闘しながら食す滑稽な姿は、爆笑に次ぐ、爆笑を呼ぶ。

桂宮治
桂宮治

桂宮治

「甘い、辛い、しょっぱいという感覚は今まであるの。なんだろう、これ。苦い、怖い、逃げたい、っていうのは初めてなんだけど」

そうぼやきながら、蕎麦を食べ、嗚咽し、悶絶する熱演に引き込まれ、さらに笑いが渦になっていく。「令和の爆笑王」と言われるのも納得の、桂宮治の「時そば」だった。

拍手に包まれ、鶴瓶も「汚ったない『時そば』!」と笑いながら舞台へ。

「こないだ、落語協会の会長の、将来人間国宝間違いないと思われる(柳亭)市馬師匠の出番の前に演ったんですけど、市馬師匠からは、『あれは「時そば」ではないです』と、お褒めの言葉をいただいて」と、笑う宮治。

「あそこまで変えれるって、好きなんやなあ」と感心しながらも、鶴瓶も観客に「こんなん、『時そば』ちゃうよ」と念を押す。それを聞いた宮治。「すみません、今日は僕が江戸の風を吹かせすぎちゃいましたんで」とうそぶき、それがまた、笑いとなっていく。

左から笑福亭鶴瓶、桂宮治。

左から笑福亭鶴瓶、桂宮治。

鶴瓶が言う。

「今日初めて『時そば』聴いて、めっちゃおもろいと思ってる人がいてたら、次、落語会に来るやんか。それはうれしいよね」

宮治は頷き、こう言った。

「こうしてトップをずっと走り続けてる方ほど、下のことを見てくれてるし、がんばっていれば、下にちゃんと手を出して引っ張り上げようとしてくれる。やっぱり、これを全部ぐるぐる回していけば、落語界は廃れないのかなって思うんです。そう考えると、全員ががんばんないと、なくなっちゃう商売かもしれないですよね。だから、高尚な芸とかではなくて、大衆芸能として今の人たちにキャッキャ笑ってもらえることを続けていけばなんとかなるんじゃないかって」

400年以上続く落語という芸能。そうやって東西の先達たちがバトンをつないできた歴史。それを宮治は、ポツリ、「奇跡」と言った。

「無学 鶴の間」第21回のゲストは、落語家・桂宮治。落語に出会った自分が、常に落語家として何ができるのかと問い続けながら、今、目の前の観客を楽しませるために、精一杯、尽力する。そのエネルギー溢れる姿に、桂宮治がこれからの落語界を担うと期待される理由を見た気がする。

左から桂宮治、笑福亭鶴瓶。

左から桂宮治、笑福亭鶴瓶。

桂宮治

桂宮治

第21回(2024年2月5日配信)
笑福亭鶴瓶×桂宮治

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プロフィール

笑福亭鶴瓶(ショウフクテイツルベ)

1951年12月23日生まれ。大阪府出身。1972年、6代目笑福亭松鶴のもとに入門。以降、テレビバラエティ、ドラマ、映画、ラジオ、落語などで長年にわたって活躍している。大阪・帝塚山の寄席小屋「無学」で、秘密のゲストを招いて行う「帝塚山 無学の会」を20年以上にわたって開催してきた。

桂宮治(カツラミヤジ)

1976年、東京生まれ。落語家。営業マンを経て、2008年、三代目桂伸治に入門。2013年に「NHK新人演芸大賞」大賞を受賞。2021年、5人抜きの抜擢で真打昇進。「成金」メンバーでは三代目柳亭小痴楽、六代目神田伯山に続く、単独での真打昇進披露となる。2022年より日本テレビ系「笑点」の新メンバーに抜擢。今もっとも勢いのある若手落語家の一人。

2024年10月30日更新