昨日11月20日、東京・シアターDが閉館した。
1995年、渋谷・宇田川町にオープンしたシアターD。現在テレビで活躍している土田晃之や劇団ひとり、バナナマンやおぎやはぎなど、多くの芸人たちを育ててきた。2006年に今の渋谷公園通りへ移転したあとも若手芸人を中心とする多数の公演が打たれ、長きに渡ってお笑いファンに愛された。閉館が決まってからはさまざまな「さよなら公演」が実施され、シアターDの壁は出演者、来場者の寄せ書きでいっぱいに。閉館前日の19日には劇場が一般開放され、多くのファンが来場。センターマイクの前に立ったり、楽屋を覗いたりして芸人気分を味わう。また子供を連れて来ているかつてのスタッフの姿もあった。
ラスト公演となったのは
ダイノジ大谷は「よしもとで最初に友達になったのは小沢くん」と、名古屋よしもとだった頃のスピードワゴンとの出会いを回想。「楽屋でギター弾いてて、『ロック好きなの?』って聞いたら『君も?』って」と小沢らしいエピソードで笑わせる。また、とある仕事でエレキコミックら他事務所を含む東京の若手芸人たちと初めて知り合い、「毎日一緒に飯食って、青春感がすごかった」と懐かしんだ大谷。そのメンバーと一緒にシアターDでのユニットライブを企画するなど、この劇場が同世代の芸人と高めあったり競いあったりする場所だったことから「青春でした」と語った。
シアターDでも活躍していた人力舎芸人の話題になり、小沢が「甘ーい!」のネタはコンパ中にアンジャッシュ渡部発信で生まれたと明かすと、ダイノジ大地も「『マッチでーす!』も渡部さん!」と驚き。大谷は「遊ぶの超大事だなあ」としみじみこぼす。「エレキ学園修学旅行」のバスが渋滞にはまって到着が遅れていたエレキがテレビ電話で参加した一幕では、ステージ上から「コント1本やって!」というリクエストが。真正面に受け取った彼らは代るがわる電話に出ながら「やっつんバーガー」をやってみせ、会場を沸かせる。
ようやく到着したエレキは大きな拍手で迎えられ、今立が小沢との出会いを話すと、その際のセリフが大谷とまったく同じ「君も?」だったことが発覚。会場に爆笑が起こる。やついはエレキコミックを結成して1日ほどでシアターDの舞台に立ったといい、劇場との関係の深さを語った。また最初の単独ライブで矢野氏に舞台監督を頼んだまではいいが、誰も舞台監督の役割を理解しておらず、裏方スタッフと言い合いになったというエピソードを披露。やついが「何をやるかは全然わかってなかったけど、とにかく明るかった。『照明吊っちゃいましょうよー!』みたいな(笑)」と話す矢野氏は、その明るさのみでラーメンズの全国ツアーも舞台監督として参加したという。
いよいよ時間が差し迫り、矢野氏は「名残惜しいんですよ!この時間が」と終わりたくない様子。出演者たちに「でもまたやるんでしょ?」と聞かれ、「手伝ってくんない?」と言うと小沢が「いいよ」と即答する場面もあった。「さよなら公演」期間中は“懐かし死に”しそうだったという矢野氏。「本当にありがとうね。みんなに会えてよかった。シアターDは今日でなくなりますが、ここに出てた人たちはがんばってるのでこれからも応援してあげてください。僕は明日からシアターDのオーナーではなくなるけれども、また会える日があったらそのときはシアターDに足を運んでください。よろしくお願いします!」と言葉を詰まらせながら挨拶する。そして観客も全員立ち上がり、シアターD最後のライブは一本締めで幕を閉じた。
終演後、出演者たちは記念撮影したり、壁にメッセージを入れたりして、シアターDとの別れを惜しむ。小沢の「またね」という書き込みのそばには、やついの「そだね」というあいづちが寄せられた。その後は矢野氏を囲んでささやかに打ち上げ。懐かしい話に花を咲かせていた。
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てれびのスキマ/戸部田 誠 @u5u
矢野「本当にありがとうね。みんなに会えてよかった。シアターDは今日でなくなりますが、ここに出てた人たちはがんばってるのでこれからも応援してあげてください」/小沢、ダイノジ、エレキ、青春詰まったシアターDにお別れ「またね」「そだね」 https://t.co/aeQ1lv5A7p