千鳥の活躍、ウエストランドの「M-1」制覇など、岡山県出身芸人が今注目を集めている。そこでお笑いナタリーでは、岡山芸人に地元について話を聞く連載をスタート。第1回は
取材・
夜が暗くて用水路に5回くらい落ちた
──岡山には何歳頃まで住んでいましたか?
19歳頃まで、ですね。岡山の専門学校に通っていて、そこは中退したんですけど、19歳の4月にNSCへ入るため、大阪に引っ越しました。生まれも育ちも岡山市です。
──岡山市はどんなところですか?
田舎のイメージもありますが、住みやすいし、大阪や四国へのアクセスもいいし、新幹線が止まるし、都会でもある。なんと言っても災害が少ないらしい。発展してきているイメージです。僕がいたときに比べて今は田んぼが少なくなっていて、駅前にも商業施設や高いマンションが立ってきている。なにかの“住みたい田舎ランキング”でずっと3位以内に入っていると聞いたことがあります。
──そんな岡山の中で、子供の頃に過ごしたのはどんな環境でしたか?
家のまわりはほとんど田んぼで、田舎でした。ザリガニ取りをしていたことを、たまに思い出します。その田んぼは家や駐車場になって、ほとんどなくなっていきましたね。
──「これは岡山ならでは」というような体験はありますか?
「岡山ならでは」かどうかはわからないですけど、マクドナルドがすごく多くて、自分の家から3分くらいで行けるところに3つありました。あんまり「ならでは」じゃないですね(笑)。僕の家は市内なのでほとんど交通整備されているんですけど、されていない道もあって。自転車でどこかに行くときは大通りみたいな整備された道から、あぜ道を通って……みたいな自分なりのルートがありました。大通りとあぜ道をうまいこと使いこなしていました。
──都会も田舎もどちらも身近にあったんですね。
そうですね。あと、街灯があんまりなくて、夜がほんまに暗いです。用水路も多くて、道路を走っていて前から車が来たときに左によけたら、道だと思っていたのに用水路だったので真っ逆さまに落ちてしまう、ということが5回くらいありました(笑)。急に道がなくなるのでめっちゃ怖いですよ。ちっちゃい頃はカードゲームが好きで「遊戯王カード」とかをナップサックに入れて自転車を漕いでいたので、用水路に落ちてカードゲームが全部水没しちゃうとか。1回やると気をつけようと思うんですけど、忘れた頃にまたやっちゃいます。
漫才というものをちゃんと知らなかった
──岡山時代、お笑いに接した経験は?
これが、ホンマに接していなくて。友達とかとしゃべっているぶんには普通にふざけることはありましたけど、ボケやツッコミの文化は知らなくて、意識してボケたりしたことはなかったです。ツッコミも「やめろや~」と言うくらいで(笑)。吉本新喜劇もテレビで放送されていたんですけど、あまり観ていなくて。正直「漫才」というものをちゃんと知らずにNSCに入りました。
──そうだったんですか!
もちろん知っていることは知っていたんですが、ちゃんとは知らなかった。夜中にやっていた、たとえば「内村プロデュース」(テレビ朝日系)を観て「楽しそうだなー」と思って芸人になりたいと思ってNSCに入ったんですけど、目標はテレビに出ることだったんです。NSCでは、まず「コンビを組むなりしてネタをやってくれ」と言われるんですけど、そのときは「ネタってなんやねん」と。漫才みたいなのを作って5分くらいやると説明されて、最初は「なるほどね。テレビに出るための軽い名刺みたいなものだ」と思っていました。「僕らはこんなに面白いことができますよ」という。でも、やっていくうちに「名刺でもなんでもない。これが本業や」と思うようになりました。それくらい、お笑いのことは知らなかったです。芸人も、有名な人はもちろん知っていたんですけど、僕が大阪に来た19歳のときにブイブイ言わせていた、千鳥さん、笑い飯さん、麒麟さん、ジャルジャルさんなど、誰一人知らなかったです。
──そんなNSC時代の始まりだったんですね。ちなみに大阪NSCへ入学するときに東京NSCへ行く、という選択肢はありましたか?
正直、なかったです。当たり前みたいに大阪でした。岡山と近いですし。「お笑い的に」ということも、まったく考えなかったです。
──ロングコートダディさんが出演されていた「新しい波24」(フジテレビ)のオフィシャルサイトのプロフィール欄には、兎さんが芸人になるきっかけとして「中学時代が楽しすぎた」と書かれています。その頃のことを聞かせていただけますか?
僕は中学時代が一番楽しかったんです。高校時代も楽しかったんですけど、まわりも大人になっていて、若干の寂しさを感じました。そのときに学校も休みがちになりました。それは学校が嫌とかじゃなくて、深夜番組にハマって、朝起きれなくなったりしたこともあって。その深夜番組で一番好きだったのが、さまぁ~ずの三村さん。「もう、ずっとふざけてるやん、この人」というくらい、めちゃくちゃふざけていて。それが、まわりが大人になっていった高校時代の僕に刺さりまして。当時30代から40代くらいなのに、全然大人じゃない(笑)。すごく楽しんでる。僕はそれを「芸人のお仕事」という感じでは捉えず、「こういう人になりたい」と思って。「じゃあ、この人はなんの人なんだ?」となったときに「芸人だ」と。それで芸人になりたいなと思ったんです。中学時代に楽しすぎた延長で、高校時代に寂しくなって、それを救ってくれたのがお笑い。僕の場合はバラエティでした。
実家が毎年ぶどうを送ってくれる
──岡山グルメの話を少し聞かせてください。子供のときに好きだった食べ物は?
ほとんどオカンの手作り料理ですね。カレーと、ペペロンチーノ。あとハンバーグ。
──わりと普通の家庭料理ですね(笑)。
子供のときは、そうですね。岡山のものでいうと、シャインマスカットやピオーネというぶどう系が大好き。岡山のものが一番うまいと思っています。ホンマにおいしいです。夏になると実家で買ったものを毎年送ってくれます。
──そのほかには?
岡山にはB級グルメがいろいろあります。えびめし、デミカツ丼、津山ホルモンうどん、ひるぜん焼きそば、牡蠣が入ったお好み焼きのカキオコなど。ちっちゃいときにはあまり食べてこなかったんですが、岡山の人はみんな知っているんじゃないですかね。あと、魚のままかりは酢漬けにしてごはんと一緒に食べるのがうまいです。昔、おいしすぎてごはんが足りなくなって隣の家にまんま(ごはん)を借りに行ったことから「ままかり」という名がついたそうです。
──豆知識ありがとうございます(笑)。
<後編につづく>
兎(ウサギ)
1988年8月19日生まれ、岡山県出身。同じNSC大阪校31期生の堂前透と2009年4月にロングコートダディを結成。2014年に「THE MANZAI」の認定漫才師50組に、2016年に「新しい波24」(フジテレビ)の「波24メンバー」にも選出された。「キングオブコント」では2020年と2022年、「M-1グランプリ」では2021年と2022年に決勝進出している。
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斎藤 岬 @msken019
ウワーッ、やりたかった企画、先を越された……
ロングコートダディ兎に聞きたい!岡山のちょっとしたこと(前編) | 岡山芸人に聞きたい! 第1話 https://t.co/TcY8AxPlsi