北海道出身芸人の活躍が注目を集める中、お笑いナタリーが立ち上げた連載「北海道芸人の上京物語」。第6回は北海道函館市出身の
取材・
函館の原風景は鈍色の海
──先日「タカアンドトシのお時間いただきます」(NHKラジオ第1)にコンビで出演した際、北海道の話をされていましたね。
そうですね。タカトシさんとも初めてガッツリと話をさせてもらいました。
──「爆笑オンエアバトル」(NHK総合)の収録で挨拶は交わしていたけれど、その後の交流はなかったと。
全然なかったです。僕にあんまり“北海道感”みたいなものがないからかもしれません(笑)。
──北海道では高校まで生まれ育ったんですよね?
そうですね。18歳までずっと函館で、大学進学で東京に出てきました。祖父が北海道の戸井町(現在は函館市に編入)生まれなんですよ。オズワルド畠中くんと同じ戸井出身です。父も函館出身で、東京で最初就職して、しばらくして函館に戻ってきて、そこからずっと学習塾を経営しています。
──高佐さんは函館のどのあたりで育ちましたか?
旭岡町です。市街地から終点の湯の川まで電車が延びていて、そこから先にある、バスで行かなくちゃならないあたりです。函館でも高台のほうで、さらに東に行くと戸井があります。
──今、北海道らしい原風景を思い出すことはありますか?
僕が生まれたとき、そのあたりは新興住宅街だったのかな? すぐ裏に森がありました。あとは海ですかね。海岸沿いを親がしょっちゅう車で通っていました。なんというか、決して沖縄みたいな爽やかなブルーじゃなくて、灰色の海、くすんだ鈍色(にびいろ)の海でした。それが原風景ですかね。
──雪の思い出はありますか?
降雪量は北海道の中で比べると少ないほうだと思うんですけど、玄関のドアの半分くらいまで雪が積もって外へ出られなかったり、大雪で学校が休みだったり、という思い出があります。近所のおじいさんやおばあさんは生協で買った食材とかをソリに乗せて雪の上を運んでいました。みんなでミニスキーを履いて公園の山を下ったりもしていましたね。
──ミニスキー、懐かしいです! 部活は何をされていましたか?
中学のときは卓球部で、高校も卓球と軽音楽部をちょっとやって、高校3年ときに演芸研究会というお笑いのクラブを作りました。
──それは今の芸人としての活動にもつながってきそうですね。ウインタースポーツの経験は?
スキーを習っていました。ニヤマ高原スキー場というところに小学校5、6年から中1ぐらいまで、冬に通ってずっと練習して、試験を受けて2級くらいは取りました。もうしばらく行っていないですけど。
──今はなかなか機会がないですよね。
はい。当時、スキー場のリフトを止めて泣いたこともあります(笑)。
──何があったんですか?
スキーウェアのほかに、ポンチョみたいなものを着るのがそのとき流行っていて、僕も蛍光色のオレンジと緑の2着を持っていたのかな。それを着ていると目立つんですよ。ちょっと上達もしてきたから、調子に乗ってポンチョを着てリフトに乗っていたら、頂上で降りるときにリフトの椅子の木と木の間にポンチョの裾が引っかかって、動けなくて降りられなかったんですよ。
──それは怖いですね。
リフトを管理しているおじさんに機械を止めてもらって、なんとか助けてもらいました。ボロボロになって、そのあと泣きながら山をスキーで滑り降りてきた、という思い出です(笑)。あと、スケートも函館のスケート場に行って友達や家族と滑りました。
──まだスノーボード世代ではなかったですか?
世代ではなかったです。僕が高校に入った頃くらいにブームになってきて、1個下の妹がスノボをやり始めていました。
実家の水道水がめちゃくちゃうまい
──子供の頃に好きだった北海道ならではの食べ物はありますか?
ナマコがすごく好きでした。おばあちゃん家で大晦日を過ごして、そのときは寿司を食べたんですけど、ナマコの酢の物をおばあちゃんにせがんで料理してもらっていました。
──なかなか大人な味覚では?
酒飲みの食べ物みたいなものが好きだったんですかね。今でも好きです。基本的に寿司や函館の塩ラーメンも好きで、母親が高校のときに通っていた「あじたか」というラーメン屋に僕も通っていましたし、何年か前に帰ったときにも行きました。
──ほかにお菓子やドリンクなどの思い出もあれば。
水ですかね。水道水。
──水道水ですか。
今でも実家に帰ると水道水がめちゃくちゃうまいなと思うんです。東京に出てきて一番衝撃的だったのは「水を買う」ということで、買うものよりも実家の水道水は冷たくて透き通っていて。水道の蛇口から水をコップに注いで飲むと、なんだか懐かしい気持ちになります。
──水以外に、今でも北海道のものを積極的に食べに行ったり、店で買ったりすることはありますか?
羊の肉が好きなので家でジンギスカンを食べたり、普通に塩ラーメンを食べたりしています。ちょうど函館に帰る予定が近々あって、函館にあるハセガワストアというコンビニの「やきとり弁当」は絶対食べようと思ってます。
──名物ですよね。
はい。ほかにも函館では寿司とか、ラッキーピエロに行くとか、お目当てはあります。あとは「サッポロクラシック」がビールの中で一番うまいです。この間も東京のスーパーに「限定」と書いて売っていたので買って帰りました。函館に帰ったらみんなずっとクラシックを飲んでいます。
「一人ごっつ」を真似て大喜利を40人に出題
──続いて子供の頃に好きだったテレビやラジオの番組などの話を聞かせてください。
ローカル番組では、船守さちこさんと福永俊介さんが2人でやっていた「船守さちこのスーパーランキング」(STVラジオ)を聴いていました。番組の中に「歌うま選手権」みたいなコーナーがあって、リスナーが電話で歌って対決するんですよ。5週連続で勝つと賞品がもらえたのかな。それに僕の母親の知り合いの娘が出たことがあって、ワクワクしながら聴いて、めちゃくちゃうまかった記憶はあります。
──ラジオっ子でしたか?
聴いてはいました。爆笑問題さんの「UP'S」(TBSラジオ)、今の「JUNK」は、ゲストに千原兄弟さんが来たときの放送をテープで録音して今も持っています。ハガキを投稿した思い出もありますが、読まれませんでした。「ボキャブラ天国」(フジテレビ系)で観ていた爆笑さん、くりぃむしちゅー(当時は海砂利水魚)さん、フォークダンスDE成子坂が好きでした。
──「ボキャブラ」が笑いの原点?
一番衝撃的だったのはダウンタウンさんです。「ごっつええ感じ」(フジテレビ系)や「ガキの使いやあらへんで」(日本テレビ系)を観ていました。TSUTAYAで「ガキの使い」のビデオや、千原兄弟さんの単独ライブのビデオをよく借りました。とにかくネタが好きでネタのビデオをよく借りていました。
──ご自身で最初にネタを人前で披露したのはいつ頃でしょうか?
高校3年生の文化祭です。漫才とコントを同級生とやって、大喜利もやりました。当時「一人ごっつ」(フジテレビ)に視聴者が参加できる「全国お笑い共通一次試験」という企画があって僕もやりたかったんですけど、函館では番組がリアルタイムでは放送されていなかったんですよ。函館で放送される頃には応募が締め切られていて。でも、問題用紙だけは取り寄せることができたので、それを元に自分で真似て作ろうと思って、国語、算数、音楽といった試験問題を自分で作って同級生や後輩に解いてもらっていました。1回、40人くらいに解いてもらったことがあります。
──すごい規模ですね。
しかもそれを僕が採点して、廊下に「模範解答」として自分の解答を張り出すという超イタいことをしていました(笑)。今でも藁半紙みたいなもので解答用紙が残っているんですけど、「なんでこの人、こんなに点数が低いんだよ。もっと面白いだろ」と思う解答もあります。当時は“スカシ”の笑いがすごく好きだったのが、あまりよくなかったです(笑)。
<後編に続く>
高佐一慈(タカサクニヤス)
1980年9月2日生まれ、北海道函館市出身。ザ・ギースのメンバー。2004年に尾関高文とコンビ結成。2008年、2015年、2018年、2020年の「キングオブコント」ファイナリスト。特技のハープ演奏をコント中にも披露している。2022年8月にエッセイ本「乗るつもりのなかった高速道路に乗って」(PLANETS)を発売した。ASH&Dコーポレーション所属。
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『ラジオの時間』編集部 @time_of_radio
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