北海道出身芸人の活躍が注目を集める中、お笑いナタリーが立ち上げた連載「北海道芸人の上京物語」の第5回に北海道札幌市出身の
取材・
東京では同じギャグを何回も“叩く”ことができる
──上京時の話をお聞きしたいと思います。前編でも話があったように、北海道ですでに芸人としての活動はされていたんですよね?
はい、夢カンパニーという事務所でやっていました。
──2015年に上京された際、一大決心があったのでは、と思うのですが。
あのー、笑わないで聞いてほしいんですけど、「俺より面白い奴に会いに来た」。そういう思いで東京に来ました。「ストリートファイターII」のキャッチコピー(「俺より強い奴に会いに行く」)とほぼ一緒です。俺がやりたいお笑いをやるには東京だなと思っていたんで、だから一大決心というより、「自分がやりたいことをやるんだったら東京なのかもな。今は」という感じでした。大学のときはデザインを専攻していて、ギャツビー主催の学生向けCMコンペ(「GATSBY 学生CM大賞」)で僕、アジア3位になったことがあるんです、実は。
──あの男性化粧品のギャツビー。それはかなり優秀な成績なのでは?
そうなんです。ほかにうまい人たちばかりの中、実力1本でアジア3位。大学在学中は進路を「デザインなのかもな」「WebCMとか広告代理店のほうかも」と考えていました。ただ、やってくうちに「やっぱ笑いかもな」と。卒業制作ではお笑いライブの研究をしました。「卒業研究しながらお笑いライブやるにはどうしたらいいんだろう」と思って「卒業研究自体をお笑いライブにすればいいんじゃないかな」と(笑)。札幌でそういう活動をしていく中で、いろんなカルチャーが混沌としている状況がなんとなく見えてきた。そこで売れる人は、いろんなことをそつなくできる器用な人。それってすごい才能だと思って。
──マルチな人が売れているんだなと。
そうです。ただ、それでも僕はお笑いがやりたかったんです。そうなったら、東京で1回お笑いでガーッ!て行って、「この人なら、他ジャンルがヘタでもお笑いが飛び抜けてるから」と認めてもらう必要があるな、と。それで東京に来た感じです。
──それが前編でお話しされた、東京では「街裏ぴんくさんのファン」など特化した層がいる、というところにつながってくるわけですね。実際、東京に住んでみて最初の印象は?
プライベートのことなので具体的な地名を言うのは避けたいんですけど……明大前に住みました(笑)。新宿にも渋谷にも下北沢にも1本で行ける便利なところです。ただ、東京は本当に駅の形が複雑ですよね。3カ月くらい慣れなかった気がします。生活の面で、めちゃくちゃ戸惑いました。お笑いの面で驚いたことも言いましょうか?
──ぜひお願いします。
「お笑いライブのお客さんが毎回違う」ということが衝撃でした。僕はお笑いライブでギャグをやりたかったんですけど、札幌ではできなかったんですよ。ギャグは“叩く”ということを結構しないとよくならないな、という自覚があるんですけど、札幌では叩けなかった。
──それはなぜでしょうか?
札幌はお客さんが固定されている印象なので毎回新ネタで行かなきゃいけないんです。僕としては同じギャグでも、てにをはや前フリを変えることで違うものになるんですけど、見てる側からは同じネタに見える。だから叩けなくて、それが東京に来たら全ライブお客さんが違うので、叩ける! これは東京に来た理由の大きな1つでした。同じギャグをやっても影響がない。「お笑い」という括りの中にルミネtheよしもとがあれば、高円寺の集会場もあって、無数に世界があることがすごく助かりました。
トム・ブラウンさんには頭が上がらない
──同じ北海道出身の芸人さんで交流のある方はいらっしゃいますか?
このインタビュー連載でもよく聞く名前だと思いますけど、トム・ブラウンさん、とにかく明るい安村さん。あと、さんさんずが札幌時代から知っていて、ほぼ同期です。さんさんずは事務所入りが僕より先なんですけど、僕は僕でアマチュアでやっていた時期があって、そのときにちょっと会っちゃっているんで、もう同期だと。ずっと交流がありますね。
──そうなんですね。
特にトム・ブラウンさんにはお世話になっています。上京したタイミングでは面識があまりなくて。トム・ブラウンさんが北海道で単独ライブやるときにちょっとお手伝いさせてもらうぐらいで。それなのに上京したあと、布川さんもみちおさんも、お二人がまだ「M-1」決勝行く前なんですけど、すぐ飯に誘ってくれました。すごくお世話になりました。
──印象的な思い出はありますか?
僕がその当時面白いなと思った人を呼ぶ主催ライブをしたことがあるんです。そのメンツが、すごいですよ。サツマカワRPG、ママタルト、ガクヅケ、オズワルド、トム・ブラウン、あと学生芸人でもう就職しちゃったんですけどキミガヨというコンビがいて。このときトム・ブラウンさんは別のライブがあるってことで途中で帰っちゃったんです。それで交通費を渡そうとしたんですけど、「いらない」って何回も断られました。でも、その数日後に「トム・ブラウンの貧乏エピソード」みたいな記事をネットで読んだら、「M-1準々決勝のときにお金がないので会場まで歩いて行った」と書いてあったんです。「いやいやいや!」と。これを読んじゃってから、もう頭が上がらないですよ。
──お金がないときだったのに、アキトさんからの交通費は断っていたんですね。
そうです。こんなカッコいい人はいない。そんな素振り、一切見せないですから。ただのいい話です。「やっぱ、トム・ブラウンなんだよな」ってなります。あと、錦鯉の(長谷川)雅紀さんも会うとしゃべります。ちょっと前まではみんなすごくアンダーグラウンドなところでやっていた面々なので、今、雅紀さん、トム・ブラウン、さんさんず、Yes!アキトとちょっとずつ出てきているのがうれしいです。成熟期ですね。
北海道で冠番組をやるために東京でがんばっている
──そんな北海道出身芸人に共通するような特色は何かあるでしょうか?
あくまで僕の印象ですけど、自分のネタを平らなものにしようとしない。もちろん、みんな人の意見を聞いて取り入れようとしていると思うんですよ。それでも、北海道の人は他地域に比べて職人気質みたいなものがある。「尖りに尖らせてやろう」みたいな気持ちがある人が上京してきている。自分の持っている刀が“変な形”をしています(笑)。本来は「この刀はみんなこういうふうに作るんだ」と学ぶべきところを、みんなに見せる前に刀を完成させるから、すごく変な妖刀みたいなのを持ってる人が多い(笑)。それが北海道芸人らしさという気がします。
──北海道芸人は妖刀使い(笑)。
みんな北海道にいるときに、たぶん北海道になじめなかったら東京に来ている。役者さんやミュージシャンとか他ジャンルの人から眉をひそめられたことがあるのかもしれない。僕には「本当の強い刀は、東京じゃなきゃ通用しないのかな」という尖った気持ちがあります。札幌で投票式のライブとかで「なんでこいつに勝てないんだろう」と思うことは多くて、それは見てる人の枠からはみ出しちゃっていたのかなと。それをスタンダードにするために東京に来たというのはあります。
──悔しい思いもあって。
当時から僕のことを面白いと言ってくれたり、単独ライブに通ってくれたりする人は数少ないながらもいたんですよ。そういう人たちが今、Yes!アキトが多くの人のスタンダードになりつつあることを、うれしく思ってくれているといいなと。友達に自慢できるほどの芸人ではなかったけど、今は一応、人に言いやすくなった。
──東京で活動しながら、故郷への思いもしっかり残っているんですね。
めちゃくちゃありますよ。じゃなきゃ毎年北海道で単独とかやらないですし。北海道大好きです。その大好きな北海道に振り向いてもらうためにやっている。北海道で冠番組を持ちたいんですよ。自分の「目標ノート」に書いています。同じような志を持ったマグマバッカスというコンビが北海道にいて、めちゃくちゃ面白くて本当に好きだったんですけど、解散しちゃったんですね。そういう人たちがお笑い活動をやめちゃう状況が起きたわけです。やめた本当の理由はわからないですけど。でも、僕がレギュラー番組を持つんだったら、そういう人の存在を、そういったことを好きな人に届けて、「北海道でも食っていけるんだ!」となるのが一番理想です。
──アキトさんの活動にはそんな壮大な願いが。
賞レースの「歌ネタ王決定戦」の札幌予選に、僕が夢カンパニーという事務所から出たことがあるんです。吉本が本流の札幌で。それなのに札幌吉本のモリマンさんに、初対面だったのに「面白いなあ、君」って舞台裏で言ってくれたことが、めちゃくちゃうれしくて! 「こういうことを俺がしないと」って思うんです。レギュラー番組を持てたら、それをやりたいです。
──光があたっていない北海道の若手に光を当てるとか。
それが冠番組をやる意義。周りに合わせられない、協調性がないからこそ、自分のこだわりだけを突き詰めるような人たちは、世間的にはどうしようもない人だと思うんです。そういう人たちが生きやすいようにしたい。その夢を北海道で叶えるために僕は今、東京でめちゃくちゃがんばっています。それくらいには北海道が好きですよ。ギャグ芸人がやることではないかもしれませんが(笑)。
──ここまで、熱のこもったお話ありがとうございました。ギャガーとしてのYes!アキトさんのイメージとは少し違うのかもしれませんね。最後に今の北海道への思いを一言でまとめていただければと思います。
(ここからギャグを畳み掛けて)僕が言えることは「ダブルパチンコ」であり、「永久歯だろうがポイ」で、「ロング魚焼きグリル」だと。だけど「ビッグ官能小説」なんだな。そう思います。あえて一言、最後に言うなら「亀ゴールキーパー」って感じですかね。
Yes!アキト(イエスアキト)
1990年6月11日生まれ。北海道出身。「R-1グランプリ2022」では敗者復活戦を勝ち上がり、初の決勝進出を果たした。どんぐりたけし、サツマカワRPGとのユニット・Yes!どんぐりRPGとしてもネタ番組や賞レースで爪痕を残し続ける。サンミュージックプロダクション所属。
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