8歳のオズワルド畠中。

北海道芸人の上京物語 第3話 [バックナンバー]

オズワルド畠中の上京物語(後編)

34歳、東京に戻る空港で両親に見送られて

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北海道出身芸人の活躍が注目を集める中、お笑いナタリーが立ち上げた新連載「北海道芸人の上京物語」。第3回は北海道出身のオズワルド畠中にインタビューを実施した。後編は、好きだったローカル番組、最近帰省した際に実家で過ごした時間、東京に戻る空港で両親に見送られたときの心境などを届ける。ふるさとへの思いを語る畠中の言葉に触れてほしい。

取材・/ 成田邦洋

家で「どさんこワイド」が流れている懐かしい風景

──子供の頃に好きだったローカル番組は?

夕方の「どさんこワイド」(STV)は家でよく映っていたので観ていました。高校時代、友達と遊ぶのが好きじゃなくて、とにかく家に帰りたかったんですよ。午後3時過ぎに授業が終わって、そこから家に帰ったら、だいたい「どさんこワイド」が流れていて、お母さんがごはんを作っている、っていう風景が懐かしいです。今思えば、それが一番幸せな時間だったなと(笑)。最近も札幌のライブで北海道に帰ったとき、飲食店のテレビで「どさんこワイド」が流れていて、ちょっと泣きそうになりました(笑)。番組の中で「そろそろタイヤ交換の時期です」って10月くらいに言っていて。「タイヤ交換」というワードを東京だとあまり聞かないじゃないですか。

──言われてみれば、たしかにそうですね。

「タイヤ交換」というワードだけで、すごくいろいろと思い出します。僕も高校卒業後に社会人として北海道で働いていた時期があって、「そうか、今頃タイヤ交換していたな」と懐かしい気持ちになります。料理コーナーの星澤幸子先生も、今も変わらずにやっているんだなと。

──星澤先生、番組開始当初からずっと出ていますね。そのほかのローカル番組だと代表的なものは「水曜どうでしょう」(HTB)かと思うのですが。

7歳のオズワルド畠中(前列左端)。

7歳のオズワルド畠中(前列左端)。

「水曜どうでしょう」はリアルタイムでは観ていなかったんですけど、こっち(東京)に来てから、配信とかで一通り観ました。僕が小学校くらいのときに周りのみんなが観ていた気がします。その頃は「爆笑オンエアバトル」(NHK総合)みたいなネタ番組が、どちらかと言えば好きでした。「オンバト」でも活躍していたタカトシさんが大好きで、当時やっていた「タカトシのどぉーだ!」(UHB)も楽しみにしていました。タカトシさん、華丸大吉さん、ダイノジさんが北海道の番組に出ている、というのがすごくうれしいなと。

──では、全国区のお笑い番組は?

一番楽しみにしていたのは「M-1グランプリ」です。2001年の第1回のときは中学生でした。芸人になろうと思ってからはもちろん「M-1」を目指していましたけど、当時は芸人になろうなんて思っていなかったですし、決勝に行くとは夢にも思っていなかったです。

──北海道時代にお笑いライブを生でご覧になったことは?

2回くらいあります。1回が七飯町というところで“吉本お笑い祭り”みたいなのを観に行きました。一番印象に残ったのは、くまだまさしさんが面白すぎたことです。あの距離で生で見たら、こんなに面白いのかというのは衝撃でした。

34歳、東京に戻る空港で両親に見送られて

──ここからは上京にまつわるお話を伺えればと思います。芸人になる前に北海道で社会人として働かれていたんですよね。

高校を卒業した18歳のときにチョコレート工場で働き出して、そこを辞めたあとに金物屋さんで3年くらい働きました。その途中で芸人になろうと思って。NSCの入学費用を1年で貯めて、上京しようと決めたのが23、4歳の頃でした。

──初歩的な質問ですが、芸人になろうと思ったきっかけは?

中学のときに「オンバト」を観ていて、お笑いが好きというのはずっとありました。社会人として働いているときに「このまま一生行くのは嫌だな」と思って。僕、「ちびまる子ちゃん」が好きで、作者のさくらももこさんも好きなんです。さくらももこさんが書いた「ひとりずもう」というエッセイをマンガ版で読んだのが、芸人になろうと思ったきっかけです。あのすごく面白いマンガを描く人も、小学生の頃は普通の女の子で、その人が本当にマンガが好きだから、働いているときも「りぼん」に投稿して、ようやく夢が叶う。そういうことが「ひとりずもう」には描かれていたんです。

──なるほど!

6歳のオズワルド畠中。

6歳のオズワルド畠中。

それと、僕がまる子を自分に投影している部分もあるんです。なんとなく家族構成も似ていて、お母さんの雰囲気とか、お姉ちゃんがクールだとか、子供の頃のまる子が俺と同じような性格してるな、とか。小学校の過ごし方や授業参観で恥をかく感じも共感しました。そんなさくらももこさんが、すごくがんばって好きなことをやったら、あんなにすごいマンガ家になれるんだというのを見て、自分も好きなことをやってみたいな、と思って。働いている時点で「すごく楽しい」とか、大きな目標があるわけではなかったので、「せっかくだし目指してみよう」と。きっかけは「ひとりずもう」です。

──そんなきっかけから上京した畠中さんが東京に住み始めて、最初の印象は?

最初に東京に行ったときは人が多すぎて、目が回って倒れそうになりました。「こんなところに住めるのかな?」と。最初に住んだのは巣鴨だったんです。NSCに通いやすいというのもあったんですけど、おじいちゃんおばあちゃんばっかりで、めちゃくちゃゆったりした町で「ここだったら生きていける」と感じましたし、東京の人混みの印象もほとんどなくなりました。家の下の1階に住んでいた大家さんがみかんとか果物をくれたり。大家さんはタバコと駄菓子を売っていて、家賃を払いに行くときに話をしたりしました。

──いい思い出ですね。それから10年以上が経ち、東京には慣れましたか?

慣れてしまいました。何を観てもあまり何も思わなくなりました(笑)。でも、こないだ「M-1ツアー」で函館の実家に帰ったときに思ったことがあって。僕の家は子供の頃、おじいちゃんとおばあちゃんがいて、親戚が集まる家だったんですよ。親同士が酒を飲みながら飯を食っていて、まだ小さい頃の僕らが遊んでいた。今度は僕が大人になって、自分のお母さんがおばあちゃんになっていて、親戚の子供たちが遊んでいて……「これは、時代が繰り返しているな。この町は何も変わっていないんだな」と。甥っ子と遊んで、おもちゃを買いに行って、「俺、違う立場になったんだな」とも感じて。とにかく、すごくいい時間が流れていたんです。そのあと東京に戻るとき、空港まで親が送ってくれたんですね。何気ない会話をして、僕が空港のゲートをくぐるまで、お父さんとお母さんがいつまでも見送ってくれて。で、ゲートをくぐって、飛行機の座席に座った瞬間、ボロボロと涙が流れてきました(笑)。

──(笑)。

初めて上京する人間じゃないのに。「34歳でなんでこんなに泣けるんだろう?」と。どういう感情かよくわからないんですけど。ただ、東京で当たり前のように過ごしてはきたものの、やっぱりどこかにふるさとが恋しい気持ちはあったんだなと。そっちさえ幸せなら、あとはどうでもいいなと。「あの流れている時間は何も変わらず、子供たちも大きくなってほしい」という願いしかないんですよね。東京でいろいろと争ったり、文句を言ったり言われたり、というのがしょうもないなと思えてきました(笑)。これから芸人として戦っていかなきゃいけないので、そういう気持ちになるのは芸人に向いてないかもしれないんですけど。

ふるさとにはそのままであってほしい

──素敵なお話ありがとうございました。北海道出身芸人の中で畠中さんと交流がある方は?

そんなにすごく普段から飲みに行ったりはいないんですけど、ライブとかで錦鯉さんとはしょっちゅう一緒になりますし、ザ・ギースの高佐さんが函館出身というのをこないだ知って、僕らがやっている主催ライブにゲストとして来ていただきました。

──「北海道芸人の共通点」など、気づくことはあるでしょうか?

基本的に皆さん、おおらかな印象です。ガツガツしていない。もちろん皆さん面白いんですけど、「自分がこの中で一番大活躍するんだ」と前のめりになっている人があまりいないかなと。どっしりと構えて、自分ができることはやるし、と。

──方言のことは意識されますか?

僕のところは結構きつい方言で、東北弁が混じっているんです。その中でも漁師町だったので、函館の人にも伝わらない。浜言葉というか。親世代がなまっているけど、僕自身はそんなにないです。たまにイントネーションが変というのはありますけど、自分でどれがおかしかったのかはわからないです。相方(伊藤)にもたまに言われます。「コーヒー」のアクセントとか。

──「コ」の音が一番高くなる、北海道で多いアクセントですね。将来的に北海道に戻る予定などはありますか?

芸人を続けるなら、北海道からは通いにくくなるじゃないですか。引退したあとだったらいいなと思います。でも、それは結局親が作ったふるさとなので、俺は俺で新しいふるさとを作るべきなのかなと。東京近郊のどこかに家を建てるのかもしれないです。漫才はずっと舞台でやっていきたいんですよ。だとしても、どこか田舎から通いたい気持ちがちょっとあります。都内の栄えている町よりは、少し外れているところがいいです。

──最後に、畠中さんの北海道への気持ちをまとめると?

そのままであってほしい。僕が見てきた景色や思い出や場所がちょっとずつなくなりつつはあるんですよ。子供もいなくなって、僕が育った小学校もなくなって、中学校と一緒になって。だから、そのままの時間が流れていてほしいな、と思います。そこに生きている人たちの生活の感覚、その人たちの幸せはずっと残っていてほしいです。

畠中悠(ハタナカユウ)

オズワルド。左から、畠中、伊藤。

オズワルド。左から、畠中、伊藤。

1987年12月7日生まれ。北海道戸井町(現在は函館市に編入)出身。2014年、NSC東京校で同期だった伊藤俊介とオズワルドを結成。2021年の「ABCお笑いグランプリ」で優勝を果たし、3年連続の決勝進出となった同年の「M-1グランプリ」では準優勝となった。

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もう中学生 @mouchumaruta

後編も3回読まさせていただきました、やん畠のRootsを読みやすくまとめてくださり、本当にありがとうございました。 https://t.co/rtSlMKQ1Pu

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