初単独ライブを開催した頃の中山功太。

初単独メモリーズ Vol.4 [バックナンバー]

中山功太「1週間切ってるのに何もできていない自分をコントにしよう」

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初めてのことに緊張や戸惑いはつきもの。期待に胸を膨らませて臨んでも、想定外のハプニングに見舞われて大失態を犯してしまうこともある。そんな初々しい経験の中から「初単独ライブ」の思い出を芸人たちに綴ってもらうのがこの「芸人が綴る初単独メモリーズ」。ほろ苦くも忘れられない彼らの記憶を覗く。

連載4回目は中山功太が担当。単独ライブまで残り1週間を切り、なんのアイデアも出ず追い詰められた若かりし頃の中山は、どうやってこの窮地を脱したのか?

/ 中山功太

単独の監獄・脱獄の悦楽

皆様こんにちは。浪花の正統派ピン芸人・中山功太です。「初単独ライブの思い出」というテーマでコラムのご依頼をいただいたので、文字を書かせていただきます。Wikipediaによると、僕の初単独ライブは2003年9月20日でした。今は無き大阪のbaseよしもとでの1時間公演でタイトルは「シガレット アンド ラーメンスープ」でした。タイトルに意味はなく「東京の芸人さんや僕を知らない人が告知を見た時に痛そうな奴がいると思われたい」と思って名付けました。単独名のそこへのこだわりは未だに一貫しています。無論、このコラムのタイトルもそうです。僕のピン芸人としてのデビューは2002年2月ですので、割と早くに単独ライブをやらせていただいたことになります。とは言え僕は元々ピン芸人になりたくてこの世界に入った訳ではありませんでした。初めは多くのピン芸人の方と同じように「コンビを解散して仕方なく1人でやってみた」タイプでした。そもそも劇場のレギュラーメンバーになれたことすら奇跡で、当時の僕は「ネタ帳に書いたあるあるネタを読むだけ」という、お芝居の立ち稽古スタイルで舞台に立っていたんです。ウケた所だけを抜粋して勝ち抜き戦をモソモソかい潜り、通常ライブでギロ滑りする日々でした。

ですが、単独ライブとなるとそうはいきません。いざタイトルは決めたものの、普段3分のネタしかやっていない自分に1時間も何ができるのか? そもそも自分でやりたいとか言ったかな?と限界までスネ始めました。しかし既にチケットは発売され、完売している状態です。お客様からも「無理だと思うけど頑張って下さい」「怖いもの見たさでチケット買いました」「観に行きませんが出待ちはしますから喋って下さい」などと声をかけられました。アイデアゼロのまま時間だけが過ぎていきます。コントをやってみたいとおぼろげに考えていたのですが、当時は1人コントのサンプルがあまりにも少なく、作り方も演じ方も何もわからなかったんです。コントライブにしたいからと、演劇にも精通している作家さんに付いていただいたのですが、僕が打ち合わせに何のアイデアも持って行けないので、毎回ただ来ていただいただけになり、ご迷惑までかけ始めました。

夜中に会議室で真っ白なノートを眺め、いっそ一番悩んでる所作をしてやれ、と、尖らせた唇と鼻の間にボールペンを挟んでいた時、僕はふと思いました。「この状況をコントにしよう」。単独ライブまで1週間切ってるのに何もできていない自分をコントにしようと考えたのです。

そこからは全てがすんなり行きました。「ネタ帳を眺めながら何もできていないと嘆くコント」は、いわゆる「読みネタ」お芝居の座り稽古スタイルです。「何でこんなアイデアしかないのか」とツッコんでいくためには、ある程度ネタ帳を埋める必要があります。「ネタができていないネタ」を作るために「ボツネタになりそうなネタ」のアイデアがホロホロ湧き出て来ました。非常にパラドックスめいた話なのですが当時の僕にとって「ボツネタになりそうなネタ」と「自分が本当にやりたいネタ」は完全に一致していました。平たく言うと「エロ・グロ・ナンセンス」です。結果、1本目にできた「ネタ帳を眺めながら何もできていないと嘆くコント」は、核戦争で世界が破滅するオチまですぐに完成し、そのコントでボツにしたネタの設定から、次々にコントができていきました。

「アイドルの握手会のリハをする変態」

「少年犯罪防止を推進する薬物中毒者」

「心の底から人を馬鹿にしているDJ」

そこにオープニングとエンディングの「思想とあるあるネタを足して不愉快で叩き潰したような演説」を加えて、着替えのためのブリッジVTRを、逆にとびきりポップに作っていただき、なんとか初単独を終えることができました。特に「心の底から人を馬鹿にしているDJ」は「DJモンブラン」と名付け、後にR-1ぐらんぷりの決勝に押し上げてくれた、大切なネタになりました。

賛否両論ありましたが、アンケートを読むと多くのお客様にご満足いただけたようで、当時の支配人にも「ネタ帳読むだけの奴かと思ってたけど、ネタ帳読むだけの奴じゃなくて良かった」と、プレーンな感想をいただきました。初単独ライブの後も、定期的に単独ライブをやらせていただき、僕の、ネタをやるピン芸人としての、何より大切なライフワークになっていきました。

数えきれない程の単独ライブの中で様々な出来事がありました。何を間違えたか最前列のど真ん中に座っていたお爺さんに2時間ずっと口の動きで「わからない」と言われたこともありました。お芝居のようなコントにハマっていた時期に、スベり過ぎてリハと間違えた舞台監督さんが一瞬舞台に上がって来たこともありました。終演後に中年女性に「面白くなかったからお金返して?」と声をかけられたので「申し訳ありませんでした」と財布を出そうとすると「本当に面白くなかったら言ってないよ! 若いね! うん! 若い! でもね? それって危うい!」と言って凄く黄色いお守りをもらったこともありました。今となっては全てが良い思い出です。

現在、新しい生活様式が求められ、ライブの在り方も変わろうとしています。僕自身も、予定していた東京と大阪の単独ライブが中止になりました。本当にショックでしたし、お客様に申し訳ない気持ちでいっぱいです。しかし今は正直、生で単独ライブを観ていただきたいと思う気持ちと、お客様に来ていただくべきではないという気持ちのせめぎ合いです。

大変な時期ではありますが、昔からお笑いのお客様の熱量は本当に凄いと感じています。東日本大震災の数ヶ月後に「チケット買ってたんで」と、被災地から単独ライブにお越し下さったご夫婦がいました。大雪で東京の鉄道機関がほぼストップし単独ライブの有無すら発表できない当日に、劇場に並んで下さっていたお客様がいました。僕は今こそ、お客様の熱量に、芸人が応える時だと考えています。僕は、僕のお笑いを求めて下さる皆様のためにできることを、毎日全力でやる構えです。皆様どうか、お身体ご自愛なさって下さい。

そして本当に、本当に、最後に言うべきことではないかもわかりませんが、YouTubeやってます。チャンネル登録よろしくお願いします。

中山功太(ナカヤマコウタ)

中山功太

中山功太

1980年6月24日生まれ、大阪府出身。NSC大阪校22期生でとろサーモン久保田、ダイアン、ネゴシックスらと同期。大阪・baseよしもとを中心に活動し、「R-1ぐらんぷり2009」優勝を機に翌年2010年に活動拠点を東京に移す。2015年には「歌ネタ王決定戦」でCOWCOWと共に同点優勝を果たした。著書に「中山功太ネタ全集」(ワニブックス)がある。吉本興業所属。

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#YahooJAPAN とうとう【X】になってしもた…これはワタシの
気持ちですw笑笑
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