初めてのことに緊張や戸惑いはつきもの。期待に胸を膨らませて臨んだものの、想定外のハプニングに見舞われて大失態を犯してしまうこともある。そんな初々しい経験の中から「初単独ライブ」の思い出を芸人たちに綴ってもらうのがこの「芸人が綴る初単独メモリーズ」。ほろ苦くも忘れられない彼らの記憶を覗いてみたい。
連載2回目を担当するのは
文
サンスター
2003年。バナナマンさんの単独ライブDVDに衝撃を受けた二十歳の僕は、人力舎のお笑い養成所JCAに入った。今思い返しても、元いじめられっ子の超絶引きこもり人間がよく勇気を出したものだと感服する。そして同期の佐々木修(現ソノシート)とワンスターというコンビを組む。コンビ名の候補は3つくらいあって、「エジソンライトハウス」「ピンカートンズ」「ワンスター」だったと思う。相方に「どれでもいい、任せる」と言われた僕は、初めてのネタ見せ前に悩んでいたのだが、徐々に出番が近づくにつれて緊張で4文字くらいしか喋れない気がすると悟り、めでたくワンスターとなった。その日僕が履いていた靴の名前だ。
1年後、あずかりという形で人力舎の「バカ爆走!」という事務所ライブに出られるようになった年に、若手としては異例の早さで当時の社長に「たんづくロイブをやれ」と言われて単独ライブが決定した。社長はとても訛りの強い人だった。
2日で2公演。公演名「サンスター」。場所は当時新宿にできたばかりの劇場バイタス。その貸し小屋の柿落とし公演となった。夢だった単独ライブが決まった。それから1ヶ月半ほどかけてネタを作り、コンセプトはどうしようとか音楽は、衣装は、幕間のVTRはと東奔西走し、ネタがウケないなんて思っていなかった。ネタがウケないなんて。そう。ネタがウケなかった。オープニングもばっちりVTRもかっこいい音楽も最高、でもネタがクスクス程度にしかウケなかった。忙しく台詞を喋り、早着替えをしているあいだ、ネタがウケずに焦るというよりは、頭の中でずっと“あぁ、そっか……”と思っていた。ネタがウケなきゃまずダメじゃんか。当たり前すぎる。俺はなんて馬鹿なのだろうかと呆然としていた記憶がある。そしてあっという間に初日公演が終わり、これじゃダメだとすぐ東高円寺の稽古場に戻り、夜中までネタの修正をして寝ずに2日目の公演に挑んだ。なんとか初日よりはウケるようになったものの、睡眠不足のせいか内容はあまり覚えていない。
人力舎時代にはその後も同じコンビで1回、ユニットコントで年3回と単独ライブを続けることになるのだが、サンスターの時のような失敗はしていない。まずウケないといけない、というコツを覚えたからだ。
そんな苦い思い出のたっぷり詰まった初回になってしまったが、自分のやりたい事を100%表現できるとても魅力的な空間。皆様もお気に入りの芸人がもしいらっしゃいましたら、一度は「たんづくロイブ」に足を運んでみてはいかがでしょうか。
阿諏訪泰義(アスワタイギ)
1983年1月8日生まれ、神奈川県出身。2009年に金子学とうしろシティを結成した。「平成24年度NHK新人演芸大賞」演芸部門大賞、2012年、2013年、2015年「キングオブコント」ファイナリスト。毎年単独ライブを全国で開催している。料理が得意で、著書に「予約の取れないレストラン リストランテasuwa」(ワニブックス)、「うしろシティ阿諏訪の簡単&絶品!キャンプ料理」(ぴあ)など。「うしろシティ 星のギガボディ」(TBSラジオ)にレギュラー出演中。松竹芸能所属。
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